シングルマン('09)    トム・フォード

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<「悲嘆」の日々を自己完結する男が得た、凝縮した時間の輝き>

 

 

 

1  「この1日を生き抜け」 ―― 「悲嘆」の日々に放つ言葉の収束点

 

 

 

1962年11月30日・金曜日。

 

その日、ジョージは16年連れ添ったゲイのパートナー・ジムを交通事故で喪った悪夢で目を覚ました。

 

「目覚めて浮かぶ言葉は、“在る”と“今”。この8カ月、目覚めは苦痛だった。まだ生きていることに、ぞっとする。昔から朝は苦手だ。ジムは元気よく、跳ね起きたものだ。その笑顔を殴ってやりたかった。私は言う。“バカほど朝、元気だ。単純な事実に気づいていない。今は単なる今じゃない。昨日から1日が経ってる。去年からは1年…そして、いずれ、それは来る”。ジムは笑ってキスした。私は毎朝“ジョージ”になる。世間が期待する自分に化けるのだ。着替えをして、まだ硬いけれど、最後の磨きをかけて完成。役どころは心得てる。鏡に映る“ジョージ”の顔には、苦悩の影もない…」

 

オープニングシーンのジョージのモノローグである。

 

ジョージは鏡に映る自分に向かって、いつもの言葉を発する。

 

「この1日を生き抜け」

 

「芝居じみてる。そしてまた、心が砕けて、沈んでいく。溺れて、息ができない…未来が見えなかった。毎朝が靄(もや)の中。だが今日こそ変えてみせる」(モノローグ)

 

ジョージは、あの日のことを回想する。

 

雨の夜、従兄からの電話に出ると、ジムの交通事故死を告げられた。

 

「葬式は家族のみ」と言われ、出席を断られた。

 

衝撃を抑えつつ、電話の礼を言葉にするジョージだったが、降り頻る雨の中、傘もささずに元恋人のチャーリーの家に走り、彼女の胸に飛び込み、涙に沈んだ。

 

ジョージはその朝、拳銃をカバンに潜め、勤務先の大学へ向かう。

 

時は、キューバ危機の最中のLA。

 

「人の心配している暇はない」

「そんな世界なら、滅ぶがいいさ」

 

核兵器の恐怖に怯える同僚との会話である。

 

学生を前にした講義中も、自分が溺れる情景が浮かんで、脳裏から離れない。

 

「少数派の話をしよう。特に“隠れた少数派”。少数派全般は多彩だ。金髪とかソバカスとか。だが問題は、世間から脅威と見なされるタイプだ。たとえ脅威が妄想でも、そこに恐怖が生じる。実体が見えないと、恐怖は増す。それで迫害されるんだ。だから理由はある。恐怖だ。少数派も人間なのに…混乱気味?」

 

無反応は学生たちを前に、授業の主題を離れて、ジョージは自身の考えを主張した。

 

更に講義は続く。

 

「恐怖こそ真の敵だ。恐怖は世界を支配する。社会を操作する便利な道具だ…語りかけても通じない恐怖」

 

講義の終了後、走って語りかけてきた学生ケニー・ポッター(以下、ケニー)。

 

「今日の授業は圧巻でした」

 

そして、メスカリン(危険ドラッグ)の誘惑の恐怖について話し始める。

 

矢継ぎ早に質問してくるケニーに対し、大学ではすべてを話せないとはぐらかす。

 

大学のデスクを片付けるジョージ。

 

隣に住むチャーリーに電話をかけ、7時に行く約束をする。

 

車に乗って発車しようとすると、バイクに乗ったケニーがやって来て、飲みに行こうと誘って来た。

 

ジョージはそれを断るが、ケニーの申し出を好意的に受け止めた。

 

銀行へ行き、貸金庫の中身を回収する。

 

そこには、パートナーのジムの裸の写真も収められていた。

 

浜辺で横たわるジムとの回想シーンが脳裏に浮かぶ。

 

写真を胸にしまい込み、次に向かったのは銃器店。

 

そこで銃弾を購入する。

 

次に酒店に入るが、入り口で、ジムによく似た若いマドリッド出身の美青年と突き当たってしまう。

 

互いがゲイであることを会話で察知し、好感を持ち合う。

 

しかし、既に自死を決めているジョージは誘いを断り、帰宅する。

 

「君のそばで、寝そべってれば幸せ。今、死んでもいいよ」

「僕はよくない…」

 

ジムの死の直前に交わされたと思われる会話の回想シーンである。

 

それから、机の上に遺品となる品々を並べ、ベッドに横たわり、銃を口に咥(くわ)えるが、上手くいかいない。

 

チャーリーから電話が入り、約束のジンを持って家に向かう。

 

チャーリーは新年の決意を語り、ジョージにもそれを尋ねる。

 

「過去を捨て去ることだ。完全に永遠に」

 

2人で冗談を交わしながら食事をし、音楽に合わせてダンスする。

 

更にツイストを踊って寝転がり、添い寝するが、チャーリーがジムとの関係について触れると、ジョージは突然立ち上がって、逆上した。

 

「ジムが本物の愛の代用品だったと?ジムはどんなものにも代えられない。ジムの代わりなどいない!」

「ごめんなさい。2人の愛は深いわ。私にはないから嫉妬したの。そんな人、いなかった。夫の愛も偽物だった」

「女として不幸なら、女を捨てろ」

「いつも明快ね」

「過去に生きず、未来を考えろ」

「過去に生きるのが未来よ」

 

帰り際、チャーリーが尋ねる。

 

「私のこと本気じゃなかった?」

「努力したよ。ずいぶん昔…でもダメだった」

 

家に戻り、再び自殺を図ろうとするが、ジムと初めて出会った時のことを思い出し、夜の街へと飛び出していく。

 

バーで酒とタバコを注文すると、そこにケニーが入って来た。

 

それに気づいたジョージは、二人で飲むことにした。

 

ケニーはジョージを探してやって来たことが分かる。

 

「過去は無用、現在は重荷。未来は?」

「核の脅威の未来なんて」

「死が未来か?」

「話が暗いですね」

「暗くない。いずれは誰もが迎えることだから。死が未来だ…現在が苦なら、よりよい未来も信じにくい」

「でも結局は分からない。例えば今夜とか。実際、ほとんどいつも、僕は孤独です…独りだと感じます。つまり人間は、誕生も死ぬ時も一人。生きている間は己の肉体に閉じ込められてる。不安でたまらなくなる。偏った知覚を通してしか、外部を経験できない。相手の真の姿は、違ってる可能性も…」

「私は見たままだ。目を凝らせ。人生が価値を得るのは、ごく数回、他者との真の関係を築けた時だけだ」

「直観どおりです」

「直観?」

「ええ。先生は真のロマンチストだと」

 

ディープな会話を交わした後、2人は浜辺に出て、裸になって海に飛び込んだ。

 

泳いで燥(はしゃ)ぎ、額を傷つけたジョージとケニーは、ジョージの家に向かう。

 

ケニーが傷の手当てにバンドエイドを取りに行くと、引き出しにジムの裸の写真を見つけた。

 

ジョージの額にバンドエイドを貼ると、ケニーは裸になってシャワーを浴び、二人でビールを飲んで会話する。

 

「なぜ来た?なぜ今朝、秘書に私の住所を聞いた?」

「学校以外の場所で会いたかったので」

「なぜ?」

「人と考え方がズレてて、つらいんです。でも、先生となら…それに先生が心配で」

「私が?私のどこが?大丈夫だ…」

 

そう言った後、酩酊したジョージは意識が遠のき、水中で溺れる妄想に入っていく。

 

目を覚ますと、ケニーがソファで眠っている。

 

近づくと、ケニーはジョージの拳銃を抱えていた。

 

ジョージはケニーから拳銃をそっと取り上げ、毛布を掛け直す。

 

拳銃を引き出しに仕舞い込み、窓を開けると、一羽のフクロウが飛び立った。

 

「ごく時たま、非常に明晰な瞬間が訪れる。ほんの数秒だが、静寂が雑音を消し、感覚が冴える。思考でなく、全てがくっきりとして、世界は清新になる。今、誕生したかのように…その瞬間は続かず、しがみついても消えてゆくが、これこそ命の泉。現在への覚醒。何もかもが、あるべきようにある」(モノローグ)

 

チャーリーへの遺書を燃やし、ジョージは生きることを決意したのだ。

 

その瞬間だった。

 

胸の痛みに襲われ、ベッドの横に倒れ込んでしまう。

 

ジムがやって来て、冒頭のシーンとオーバーラップするように、ジョージにキスをする。

 

「そして、しかるべく死も訪れた…」

 

決意虚しく、ジョージは命を散らす運命を負ってしまったのである。

 

「この1日を生き抜け」 ―― 「悲嘆」の日々に放つ言葉の収束点。

 

風景の変容は、図らずも、孤独な男の「悲嘆」の日々を溶かしていった。

 

それだけが、「悲嘆」を自己完結させた男の遺産として輝くのだ。

 

 

人生論的映画評論・続: シングルマン('09)    トム・フォードより

 「自分自身を信じる力」が強い男の強烈なメッセージが、風景を変えていく 映画「ノクターナル・アニマルズ」の凄み('16)   トム・フォード

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1  強い衝撃を与えた小説の残像が張り付き、過去の日々が侵入的に想起していく

 

 

 

ロサンゼルス(以下、LA)。

 

全裸の肥満女性たちが卑猥な相貌性を展示するオープニングシーンが、観る者の中枢を抉(えぐ)っていく。

 

このおぞましい展示をプロデュースしたのは、アートディーラーのスーザン。

 

仕事を終え、帰宅するとスーザン宛の書類が届いていた。

 

開けてみると、「『夜の獣たち』エドワード・シェフィールド著」と表紙に書かれた小説の校正刷りが入っていた。

 

エドワードとは、スーザンが20年ほど前に別れた元夫のこと。

 

“小説を書いた。出版は春だ。君といた頃とは作風が違う。君との別れが着想となった。校正刷りを読んでほしい。仕事で水曜までLAにいる。ぜひ会いたい。連絡を待つ。エドワードより”

 

添えられた手紙の全文である。

 

エドワードは現在未婚で、ダラスの進学校の教師をしているというが、数年前にスーザンが電話をかけた際には一方的に切られた経験を有している。

 

夫ハットンに、そのことを話すスーザン。

 

彼は妻の仕事に全く関心がなく、週末の誘いにも乗らず、仕事でNYへ行くと言うのみ。

 

不眠症に悩むスーザンは、常用する眠剤を飲んだ後、ベッドでエドワードの小説を読み始める。

 

小説の舞台はテキサス(以下、テキサス)。

 

目的地であるマーファー(砂漠の町)に向けて、トニーと妻ローラ、娘のインディアの親子3人の夜のドライブが始まる。

 

ハイウェイをしばらく行くと、1台の車が絡んで来た。

 

絡む車に対し、気の強いインディアが中指を立てた行為(Fuck you=くそったれ)によって、走行を邪魔されるばかりか、車体を激しく衝突させられ、遂に路肩に弾き出されてしまう。

 

車を衝突させた男たちがやって来て、言いがかりをつけるのだ。

 

警察に行くと言うが、トニーの車はパンクさせられていて、身動きが取れない状態。

 

タイヤを交換すると言いながら、車からローラとインディアを降ろさせた挙句、激しい揉み合いとなり、二人はならず者たちに拉致され、車で連れ去られてしまう。

 

残されたトニーは呆然と立ち尽くすのみ。

 

そこまで読み終えたスーザンは、衝撃を抑え切れなかった。

 

夫に電話するが、そこに愛人が寄り添っているのが判然として、孤立感を抱くばかり。

 

テキサス。

 

置き去りにされたトニーは、残った仲間の一人に指図され、自らが運転して二人の後を追うが、誘導された道の行き止まりに放り出されてしまう。

 

暗闇の中を歩いていると、ならず者らが車で戻って来てトニーを探すが、トニーは身を隠し、呼びかけに応答しなかった。

 

夜が明け、ハイウェイに戻り、歩いて走行する車に助けを求めるがスルーされ、民家からの通報で警察に辿り着いた。

 

事件を伝え、モーテルで休んだトニーは、その後、所轄署のボビー警部補と共に、妻と娘の行方を探すことになる。

 

ボビーのパトカーに乗り、元の道を辿っていくと、幹線道路から外れた脇道が見つかった。

 

トニーとボビーと警官は車を降りて、その奥へと向かう。

 

その行き止まりでトニーが見たものは、ゴミ置き場のソファに裸体で横たわる妻と娘の姿だった。

 

小説の世界に衝撃を受けたスーザンは実娘に電話をかけ、その声を聞き、心を落ち着かせようとする。

 

しかし、スーザンに強い衝撃を与えた小説の残像が張り付き、エドワードと過ごした過去の日々が侵入的に想起していく。

 

トニーが元夫のエドワードと重なったからである。

 

ニューヨーク(以下、NY)。

 

20年前、NYの街角で、コロンビア大学奨学金の面接で、テキサスの田舎からやって来た小説家志望のエドワードと偶然に再会する。

 

その頃、スーザンはイェール大学を卒業し、美術史専攻でコロンビア大の修士課程にいた。

 

いずれも、アイビー・リーグ8校のエリート私大である。

 

スーザンがエドワードを食事に誘い、レストランでの会話が弾む。

 

「君は僕の初恋の人なんだ。君に会いたくて、お兄さんと友達に」

「あなたは兄の初恋の人」

「彼がゲイだったとは…僕は悪い友人だ。彼を傷つけたかな」

「あなた、いい人ね。親友がゲイだと知ると、皆、イヤがるのに…両親に勘当され、口もきいてもらえない」

「なぜ?」

「両親は保守的で信心深く、性差別・人種差別主義者。共和党支持の救いがたい物質主義者よ…両親は、私と兄も“同類”だと思ってる。だから兄を認めない。そんなの許せない。私にも古い考えをおしつけてくる。特に母がそう」

「…君の瞳にも同じ“悲しみ”が」

「何のこと?」

「お母さんと同じ」

「変なこと言わないで…もう言わないで。母に似たくないわ」

 

更に会話は、二人の将来の話に展開する。

 

「なぜ芸術家の道を諦めた?」

「私は物の見方が皮肉すぎるから、芸術家に必要な心の奥に秘めた衝動がないのよ」

「自分を過小評価してる」

 

そして、スーザンは告白する。

 

「あなたに夢中だったの」

「知ってる」

 

テキサス。

 

「死因が判明した。奥さんは、頭蓋骨、骨折だ。凶器はハンマーか、野球のバット。殴打は1回か2回だ。娘さんは、もっと苦しんだ。窒息による死。片方の腕が折れていた。2人ともレイプされてた」

 

衝撃を受けて、顔を埋めるトニー。

 

NY。

 

将来について母親から尋ねられたスーザンは、エドワードとの結婚の意志を伝える。

 

当然ながら反対する母親に対し、反発するスーザン。

 

「私が言いたいのは、あなたはとても意思が強い。でも、エドワードは弱すぎる」

「“繊細”と言うべき。うちの家族にはない感性よ」

「“自分は親と違う”と思うのは間違いよ。数年後、“ブルジョワ的生活”がとても大切に思えてくるわ。でも、エドワードではムリ。財力がないもの。意欲も野心もないわ」

「…でも、彼は強い。いろんな意味で、私より、ずっと…彼の強さとは、自分自身を信じる力よ。そして私を」

「…あなたは彼を傷つけるだけ。やがて彼の長所まで憎むようになる。気づいていないでしょうけど、あなたと私はとても似てるのよ…見てなさい。娘はみんな、母親のようになる」

 

LA。

 

「“エドワードへ 原稿を読んでいるけど、圧倒的で、力強い作品よ。すばらしい!火曜日の夜に会いたいわ スーザンより”」

 

スーザンは、エドワードにメールを送ったのだ。

 

 

人生論的映画評論・続: 「自分自身を信じる力」が強い男の強烈なメッセージが、風景を変えていく 映画「ノクターナル・アニマルズ」の凄み('16)   トム・フォードより

神々と男たち(’10)   グザヴィエ・ボーヴォワ

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<死への恐怖、欺瞞・偽善と葛藤する時間を累加させた果てに、究極の風景を炙り出す>

 

 

 

1  クリスマスイブの夜、粛然と聖歌を唄う修道士たち

 

 

 

スンニ派イスラム教の共和制国家・アルジェリア

 

時代は、「暗黒の10年」と呼ばれるアルジェリア内戦の渦中にある1990年代。

 

この国の村の丘に建つ厳律シトー会(後述)の修道院

 

そこには、9人(ブリュノ修道士は別院で修道)のフランス人修道士が祈りの日々の中、手ずから牧羊・農耕に励み、イスラム教徒の多い村人たちと深く馴染み、穏やかな交流を続けつつ、自給自足の共同生活を繋いでいた。

 

中でも、高齢の修道士リュックは、院内にある村で唯一の診療所の医師として、分け隔てなく診察し、村人たちの様々な相談に乗っていた。

 

ある日、修道院長クリスチャンは、18歳の孫娘が殺されたという初老の男の相談を受けていた。

 

「バスの中で刺された。ナイフで心臓を一突き。犬のように投げ捨てられた。スカーフで髪を隠してなかったから…兄弟を殺す者は地獄へ行くと、コーランに書かれている」

「その男たちは信心深いふりをしながら、コーランも読んでない」と一緒に来た友人。

「フランスを見ろ。小学校がスカーフ問題で揺れている。世界はおかしくなった」(これは後に、サルコジ政権によって、顔の全てを覆うベールの着用を公共の場で禁じる「ブルカ禁止法」として施行された)

「彼らは指導者(イマーム)まで殺した」

「昨日、イマームが殺された。この先は?誰の仕業か、アッラーだけがご存じだ」

「もはや理解できない。誰が誰を殺す?」

 

その話を聞いたクリスチャンは、家族のために祈りを捧げようと答えるのみ。

 

イスラム教徒が唱える「インシャラー」(神の御心のままに)である。

 

ここで言う「その男たち」とは、1996年当時、アルジェリアの政府軍と内戦を続けていた武装イスラム集団(GIA)のこと。

 

そして遂に、カトリック教徒である12人のクロアチア人労働者たちが、GIAによって無残に虐殺される事件が起きた。

 

1993年12月のことである。

 

その事件で騒然とする村人たち。

 

クリスチャンの元にも、村人たちによって、その情報がもたらされた。

 

「喉をかき切られて、全員が」

 

戦慄するクリスチャン。

 

修道院は軍に警備させる」

「それはいけない」

「ここは殺害現場から、わずか20キロ。残虐行為はまた起こる」

「確かに、よく考えてみないと。ここには家族も住んでる」

 

地元自治体の首長と修道士たちの会話である。

 

しかし、クリスチャンはその申し出を一蹴する。

 

「結論は出てる。断る…19時半以降は門を閉めて、人を入れない」

「それで十分か?君は奴らを知らない」

 

クリスチャンは答えないまま、その場を去っていく。

 

かくて、修道士たちは聖歌を歌う。

 

“暴力の時にも 主は私たちと共にあるから 

いたる所に主を 夢見るのはやめよう 

急いで行こう 忍耐をあの御方へ向けよう 

苦しむ御方の元へ行こう…復活の日の暁のように 

私たちと共にあるから…”

 

祈りのあと、修道士たち全員が一同に会し、今回の件について議論を戦わせる。

 

セレスタン:「なぜ私たちに相談せずに決める?皆の命が危ないのに」

クリスチャン:「君ならどうする?」

セレスタン:「皆で話し合って、各自の意見を聞きたい」

クリスチャン:「何を答えるために?」

ジャン=ピエール:「答えは重要じゃない。君の態度によって共同体の原則が曲げられる」

クリスチャン:「では、今夜ここに軍隊を入れたい者は?」

ジャン=ピエール:「君は分かろうとしてない」

クリスチャン:「分かってる。我々の誰一人、軍隊に守られて生活したいとは思ってない」

ジャン=ピエール:「君一人に決定権はない」

クリストフ:「テロリストが来たら?黙って殺される?」

クリスチャン:「確かに危険だ。だが我々はここに遣わされた。この国の人々と生き、恐怖を共にする。この不可解な状況で生きるのだ」

クリストフ:「私は集団自殺しに来たのじゃない」

リュック:「テロリストが来たらどうするか、それぞれが決めればどうだ?」

 

収拾がつかない最初の議論だった。

 

しかし、事態は混乱を極めていた。

 

危険が修道会にも迫っていたのだ。

 

そんな中、突然、GIAが敷地内に押し入り、歩いていたセレスタンに迫る。

 

GIAは修道会のトップであるクリスチャンの名を叫び、呼び出す。

 

「何の用だ。ここは平和の家だ。武器は持ち込めない。話があるなら置いてきてくれ」

「絶対に手放さない」

「では、外で話そう」

 

外に出たGIAのリーダーは、重症者がいるので医者を連れて行くと強要する。

 

「それはできない。リュック修道士は高齢で喘息がある。彼は診療所を訪れた人をいつも誰でも、分け隔てなく診察する」

「それなら、薬をよこせ」

「薬が足りない。毎日100人の村人を診てる」

「うるさい!選択の余地はない!」

「ある。私は選択する。無いものは与えられない。私たちは慎ましく暮らしている。大地で取れるものだけだ」

 

クリスチャンは、コーランの一節を唱え、私達は隣人であると伝える。

 

それを聞くと、GIAのリーダーは仲間を連れ、引き揚げて行く。

 

「今日は特別な日なんだ」

 

背後からそう語りかけると、GIAのメンバーは足を止め、振り返る。

 

「なぜだ?」

「今日はクリスマス。平和の王子の誕生を祝う日」

「平和の王子?」

「〈シドナ・アイサ〉」(ムハンマドも認める再臨したキリストのこと)

「イエスか」

 

リーダーがクリスチャンの元にやって来て、握手を求めた。

 

「すまん。知らなかった」

 

クリスチャンは握手で応えた。

 

クリスマスイブの夜、粛然と聖歌を唄う修道士たち。

 

以下、その直後の議論。

 

セレスタン:「ここに留まれば、日々、命の危険がある。生きるために修道士になった。殺されるためではない」

クリスチャン:「そのとおりだ。殉教するつもりはない」

セレスタン:「去るべきでは?せめて、もっと安全な場所に」

アメデ:「セレスタンは、よい事を言った。彼らはまたすぐにやって来る。要求を全て、はね付けたことは、宣戦布告と取られかねない。クロアチア人は殺された」

クリスチャン:「殺す気ならもう、とっくに殺されている」

ポール:「ファヤティア(GIAのこと)が引き揚げても、明日また別の者が来る。別の解決法がある。発つことだ。各自の良心に従って、決めるべきだと思う。フランスに帰るか。アフリカ内の安全な修道院に移るか」

ジャン=ピエール:「発つことは逃げること。この村を見捨てることだ」

セレスタン:「村人を不安にさせないよう、徐々に発つ」

ジャン=ピエール:「結局は変わらない。よき羊飼い狼が来ても、群れを見捨てない」

クリストフ:「各自の気持ちを述べよう」

ジャン=ピエール:「留まるべきだ。暴力には屈しない」

ポール:「発つべきだと思う。段階的に」

セレスタン:「私は病気だ。発ちたい」

リュック:「発つことは死ぬこと。私は残る」

ミシェル:「私を待つ人はいない。私は残る」

アメデ:「まだ分からない。もっと考える。そして共に祈ろう」

クリストフ:「私は発つべきだと思う」

クリスチャン:「アメデに賛成。結論を出すのは早い。助けは主の内に」

全員:「天地を創りし御方の内に」

 

最後に聖歌を唱和し、解散するに至る。

 

こうして、2度目の議論もまた、結論を持ち越すことになった。

 

人生論的映画評論・続: 神々と男たち(’10)   グザヴィエ・ボーヴォワ

より

人生論的映画評論・続 ひつじ村の兄弟(‘15) 

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<人間と羊の血統の絶滅が、併存する空間の渦中で同時に具現する>

 

 

1  持てる力の全てを出し切った男の震え声が、残響音となって、虚空に消えていく

 

 

 

「“氷河と火山の環境で生き抜いてきた羊ほど、この国で大きな役割を果たす存在はいない。何が起ころうとも、辛抱強く体の丈夫な羊は、1000年もの間、人類の救い手として友であった。一年を通して、喜びや厄介事をもたらしつつ、羊は放火の仕事と生活に深く結びついている。我らの羊が健(すこ)やかなる時、前途は明るく、羊の数が減っていく時、眠れぬ夜が続いた”」

 

これは、羊の品評会の審査の結果発表前に、アイスランドが世界有数の羊大国であることを誇る主催者(地区の長老)の挨拶である。

 

この品評会で優勝を競ったのは、互いに独身で、隣居する兄キディーと弟グミー。

 

そして、僅差で優勝したのは、スプロティという名の、キディーが育てた愛羊だった。

 

2位はギミーの愛羊ガルプル。

 

「勝敗を分けたのは背中の筋肉の厚さでした。この羊は同じ血統です」と主催者。

 

勝ち誇る兄と、落胆する弟。

 

両者間に一言の会話もない。

 

兄弟でありながら、40年間も口を利いていないのだ。

 

異変が起こったのは、その直後だった。

 

「キディーの羊が病気にかかってると思う」

 

牧羊仲間に相談するグミーの言葉である。

 

キディーの羊とはスプロティのこと。

 

「何の病気だ?」

スクレイピー

「昨夜調べたてみたら、それらしい症状があった」

「病気にかかっていたら、獣医のカトリンが気づいただろう」

 

【獣医のカトリンでさえも気づかなかったスクレイピーを、グミーだけが気づいたということ。これは看過できない事態だろう】

 

グミーは自分で話せないので、仲間に検査の手配を頼んだのだった。

 

「もしスクレイピーだと判明したら、我々の羊も殺処分になるかも知れない」

 

逸(いち)早く、伝染病の検査にスプロティが連れて行かれたが、その夜、言いがかりをつけられたキディーは、いきなりグミーの寝室に銃丸をぶちこんだ。

 

「お前のデッチ上げだ!この負け犬め!」

 

そう叫びながら、更に銃を撃ち込んでくる。

 

キディーは自分の羊が優勝したことに対する、グミーの妬みだと決め込んでいるのだ。

 

グミーは割られた窓ガラス2枚の請求書を牧羊犬に咥(くわ)えさせ、キディーに届けるが、完全に無視される。

 

数日後、獣医のカトリンがグミーの家を訪れ、スプロティはクレイピーに罹患していると説明する。

 

かくて、グミーの羊も検査されることになった。

 

「バルダルダールル(バルダルダルル)で、春のスクレイピー症例を確認。感染したのは大人の雄羊で、現在、近隣の飼育場でも検査が行われています。殺処分についてはまだ未定です。19世紀末、英国種の羊と共に、アイスランドに上陸したと言われるこの病気は、羊の脳と脊髄を侵し、治癒することはありません」

 

スクレイピーの症状と殺処分の是非について、ラジオのニュースを聴くグミー。

 

牧羊家の集会で、他の2か所の飼育場でもスクレイピーが見つかり、村の全ての羊の殺処分の決定が告げられた。

 

そこに参加するキディーとグミー。

 

グミーは暗鬱な表情を浮かべるばかり。

 

「わしらも殺せばいい…この村で羊のいない生活を考えられるか?」

 

キディーはそう言い放ち、殺処分を断固拒絶する姿勢を示した。

 

「2年間の我慢だ」

「獣医たちの好き勝手にさせてたまるか」

 

殺処分を巡って参加者の間で意見が飛び交い、それぞれの立場の違いが顕在化する。

 

「今こそ、我々が一致団結して行動するときだ。これは全員にとって痛手だし、つらい気持ちもよく分かる。だが、もう決定事項だ。変更されることはない」

 

この地区の長老の発言で、最早、参加者全員が殺処分は不可避であるという現実を認識させられるに至る。

 

グミーはカトリンからの電話を受け、羊たちは生まれた場所で埋葬すると告げるのだ。

 

号泣しながら羊たちを銃殺するグミー。

 

屋外で発砲音がするので、グミーが窓から覗くと、キディーが保健所の職員に押さえられ、最後の抵抗をしていた。

 

以下、カトリンと職員たちがグミーの飼育場を訪れた際の会話。

 

「なぜ、あなたが?」

「自分の手で死なせたかった」

「これで全部?」

「147匹」

「勝手に殺処分しないで。伝染病を根絶したいなら、規則を守らなきゃ」

 

行政の担当者から、処分した羊の損失補填について説明を受けるグミー。

 

「お金は2年間の分割支給で、その後、新たに羊のご購入を」

 

カトリンがやって来て、飼育場の床にある物、使用した道具、干し草など、全て焼却処分するように指示される。

 

グミーが飼育場で作業をしていると、キディーが入って来て、いきなり後ろから羽交い絞めにされ、押し潰される。

 

「お前のせいで、ここの貴重な羊の血統が全滅だ!今年は最悪の冬になるぞ。羊はいない。わしら2人だけだ。お前の望み通りだな」

 

ところがグミーは、重大な規則違反を犯していた。

 

全ての羊を処分せず、地下で数匹育てていたのである。

 

雄羊(おひつじ)ガルプルと、数匹の雌羊(めひつじ)である。

 

交尾のためである。

 

クリスマスの夜、グミーはガルプルと雌羊と交尾させ、成就した。

 

屋外で倒れているキディーを見つけた保健所の職員が、グミーに助けを求めて訪ねて来たのは、ちょうどその頃だった。

 

グミーは酩酊状態のキディーを屋内に入れ、手当てをする。

 

翌日、目を覚ましたキディーは黙って出て行くばかり。

 

相変わらず、口を利かない兄弟が、そこにいる。

 

今や、牧羊仲間の間では、廃業すると言う者も出てきた。

 

そんな中、一向に飼育場の清掃に協力しない厄介なキディーの問題で、グミーの家に行政担当者が相談に訪れた。

 

この状態が長引けば、村に羊を搬入できないと言うのだ。

 

「登記を調べたら、お兄様が使用している土地は、全てあなたの名義でした…理由は?」

「父が兄の相続を望まなくて、私が兄に古い飼育場を貸すと、生前の母に約束したんです」

「ならば、お兄様の過失は、あなたの責任になりますよ」

「どうなります?」

「法廷争いになれば、訴えられるのはあなたです。ご兄弟で解決されるのが得策です」

 

グミーは早速、キディーに手紙を書き、再び牧羊犬に届けさせた。

 

いつものように、酩酊状態のキディーが怒鳴りながら、グミーの家の前にやって来た。

 

「わしの保護者にでもなったつもりか!」

 

翌朝、グミーが外に出ると、キディーは雪の中で仰向けに倒れていた。

 

グミーは除雪車でキディーを持ち上げ、そのまま町へ運び、病院の前で降ろして、置き去りにしたまま引き返した。

 

帰宅後、行政担当者の思いを受け止めたグミーは、キディーの飼育場を無断で清掃する。

 

まもなく、キディーが車で送られ、帰宅して来た。

 

グミーの家にやって来たキディーが、地下室の羊の秘密を知ったのは、その直後だった。

 

キディーに目撃されたと知るや、グミーは家に戻り、銃を手にして待機する。

 

ガルプルを絶対に守るという、一心の行動である。

 

ところが、キディーの行動は決定的に反転する。

 

この村の羊の血統が守られることを歓迎するのだ。

 

そんな折、保健所の職員がトイレを借りに、キディーの家に入って来た。

 

予測困難な事態が惹起したのは、この時だった。

 

地下室の羊たちが暴れ、その音を聞いた職員は黙って帰って行ったが、グミーは急いで羊たちをキディーの家に移動させた。

 

「キディー、助けてくれ。獣医たちが来る」

「中に入れよう」

 

兄弟が協力して羊たちを匿うや、グミーは家に戻り、地下室を片付ける。

 

そこにカトリンを中心に獣医たちがやって来て、地下室を遍(あまね)く捜索する。

 

羊の捜索が始まって、ほどなく職員に発見されるが、キディーがスコップで職員の頭を打ち、気絶させてしまう。

 

キディーとグミーは4輪バギーに乗り込み、羊たちを山へ誘導させていくのだ。

 

猛烈な吹雪の中、バギーが故障してしまい、真っ暗な山の上で羊たちを見失ってしまった。

 

薄っすら夜が明け、ガルプルを探し求めて力尽きたグミーは、雪の斜面に横たわっていた。

 

キディーは急いで穴を掘ってグミーを運び入れ、服を脱がし、自らも裸になって、動かなくなったグミーを固く抱き締め、心血を注いで体を温めていく。

 

「もう大丈夫だからな」

 

極限状態に捕捉されたキディーの声である。

 

持てる力の全てを出し切ったキディーの震え声が、残響音となって、虚空に消えていった。

 

ラストカットである。

 

人生論的映画評論・続: ひつじ村の兄弟(‘15)    グリームル・ハゥコーナルソンより

形容し難いほどのラストシーンの遣る瀬なさが、観る者の中枢を射抜く ―― 映画「帰れない二人」('18)  ジャ・ジャンクー

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1  「ピストルは右手で撃った。私は左利きじゃない。忘れているのね」

 

 

 

山西省・大同(ダートン)、2001年4月2日。

 

雀荘・クラブを仕切り、裏社会で生きるビンが麻雀中に、「絶対に裏切らない」忠君・ 至誠の神・関羽像を持ち出し、借金取りの立てで揉める仲間の仲裁に入り、見事解決するオープニングシーン。

 

渡世で生きるビンにピッタリと寄り添い、隣に座るのは恋人のチャオ。

 

仲間が一堂に会し、兄弟の誓いの酒を酌み交わす。

 

「隠し事はなしだぞ!」

 

父の住む宏安炭鉱(大同)に戻ったチャオは、石炭価格の暴落で立ち行かなくなった炭鉱労働者に向かい、幹部の不正を放送でアジテートする父を家に連れて帰る。

 

既に、当局が新疆への移転を決め込む噂が流れ、人々には諦めムードが広がっていた。

 

「父さん、生活が大事よ。炭鉱のことは心配しないで」

 

そう言って、麻雀に行くと言う父に小遣いを渡し、再びビンの元に戻って来るチャオ。

 

YMCAで踊る若者たちで賑わうビンの店に、彼の後ろ盾である実業家のアーヨンがやって来た。

 

「あなたは善人だ」とビン。

「老いたのさ。大同はお前次第」とアーヨン。

「あなたに学ばないと」

 

そして、アーヨンの別荘開発事業を妨害する輩を排除する約束をするビン。

 

あろうことか、そのアーヨンが半グレの如き何者かに刺殺されてしまうのだ。

 

警察がやって来て、犯人を特定しようとするが、明確な情報は得られなかった。

 

そんな折、ビン自身が突然、若者に脚を殴打され、怪我を負ってしまう。

 

その若者は捕まるが、「人違いだった」と主張し、ビンは彼らを解放する。

 

ビンを愛しつつも、裏社会に生きるつもりがないチャオは、ビンに銃を手放すことを促す。

 

しかし、裏社会で生きることの厳しさを実感するビンは、銃を手放せない。

 

「警察が取り締まってる。早く捨てて。銃に頼るなんて。闘争より、警察の逮捕が先だわ」

「きっと誰かに狙われる。俺達みたいな人間は、いつか殺される」

「私たちのこと?」

渡世人だよ」

「私は違う」

 

そのチャオに、ビンは銃を手渡す。

 

「お前も今、俗世を渡ってる」

「ヤクザ映画の見過ぎでしょ?あんた、いつの時代に生きてるつもり?」

「人のいる場所には渡世がある」

 

そう言うと、チャオの手を取り、銃を撃ち放つ。

 

仲間に慕われ、羽振りのいいビンだったが、車で移動中に渡世とは無縁な半グレ集団に襲われ、激しい立ち回りの末、力尽き、命の危険に晒されるほど追い詰められた。

 

それを救ったのは、チャオの威嚇発砲だった。

 

しかし、その結果、チャオは銃の不法所持で警察に逮捕されてしまう。

 

拳銃の所持者と入手経路を尋問されたチャオは、銃は自分のもので、拾ったと答えるのみ。

 

その罪の重さを説かれ、正直に話すよう促されるが、チャオは主張を曲げることがなかった。

 

かくて、女子刑務所に服役するチャオ。

 

そんな折、チャオの友人のチンが面会に訪れた。

 

刑務所が引っ越すと聞き及び、遠くなるからやって来たと言う。

 

ここで、軽微な刑で入所していたビンが、既に出所したことを知らされることになる。

 

出所しながら、ビンがチャオの面会に来ることはなかった。

 

5年の刑を終え、チャオは出所する。

 

今、長江客船に乗船し、三峡から湖北省巴東(はとう)へ向かう船上にいる。

 

【長江の洪水の抑制を目的にした三峡ダムの工事は、発電所等を含めた全プロジェクトが2009年に完成し、2012年7月には発電所が全面稼働するが、住民の強制移住文化財の水没、地滑りの問題の発生、更に洪水の危機の不安を惹起した世界最大級の大工事であった】

 

ビンを探すチャオは、友人で実業家として成功しているリン・ジャードンのオフィスを訪ねた。

 

「ビンは?」  

「奉節(フォンジェ/重慶市)にいるはずだ。ビンには伝言しておいたけど」

「連絡なしよ。会社では?」

「うちの会社ではビンさんを養えない。ビンさんは大きな商売で忙しいのさ」

「企業も渡世のうちかしら?」

「発電関係の仕事らしいよ」

「発電プラント?…どこにあるの?」

「俺にもよくわからない」

 

そう言うや、会議を理由にリンは出て行った。

 

その会話の一部始終を、ビンは別室で聞いていた。

 

以下、リンの妹ジャーイエンとチャオの会話。

 

「人間の感情は変わって当然。自分の感情は自分で解決しないとね」

「何が言いたいの?」

「この土地で、ビンさんは恋人がいるの。だから彼はあなたに会えない」

「驚かないわ。でも彼の口から直接聞かないと。伝言は無用よ」

「ビンは今、私の彼氏よ」

「そうなのね…私は直接彼に聞く。私と彼の問題だから」

 

チャオは奉節の街を彷徨(さまよ)った挙句、何とか発電所にいるビンと再会する。

 

「どこに住んでるの?」

「住まいは遠いんだ」

「あんたの家に行くわ」

「定まった家はない。サウナ、カラオケ。毎日、違う場所だ」

「じゃあ、部屋を借りる?」

「すぐに出張がある」

「私もついて行く」

「それはできない」

「できないのね」

「奉節にはいつまで?」

「いつまででも。あんたが決めて」

 

宿屋に着いて、二人の会話は続く。

 

「はっきりさせたい」

「言えよ」

「私は今もあんたの恋人?」

「どう思う?」

「私が尋ねてるの」

「俺はもう昔の俺じゃない。別人なんだ」

渡世人は、遠回しな話し方を好む」

「もう渡世人でもない」

「今の私は渡世人。そしてあんたを探した」

「奉節まで来て、そんな話をしたいのか?」

「いいえ」

「何が言いたい?」

「あんたのために服役して、あんたは4年前に出所。出所したら迎えに来てると思ったら、あんたは来なかった」

「俺は重要か?」

「あんたは何が大事なの?」

 

俯(うつむ)き、「間」の中から思いを吐き出すビン。

 

「わかるか?男が一人、全くの文無しで、どんな気持ちか。出所したその瞬間、一人も迎えはいなかった。俺の運転手が、今や外車を乗り回している。意気揚々とね」

「それがあんたの大事なこと?じゃあ、私は?ビン、一緒に帰ろう」

「今の状態で、俺は帰れない…奴らに見せてやる。川の流れも30年で変わるってことを」

「なら、私一人で故郷へ戻る」

「話すことがある。俺は…」

「知ってる。リン・ジャーイエンから聞いた…今から、私たちは何の関係もない。でしょ?」

 

それには答えず、チャオの手を取るビン。

 

「この手が俺の命を救った」

「ピストルは右手で撃った。私は左利きじゃない。忘れているのね」

 

涙声だった。

 

背後で嗚咽を漏らすチャオの情感を受け止め、ビンも涙声で吐露する。

 

「…俺が悪い。お前が出所した日、俺は迎えに行くべきだった。まだ遅くない」

 

そう言うや、厄払いに盥(たらい)に新聞を燃やし、その上を跨(また)ぐチャオ。

 

手を握り合う二人の別れ。

 

女の涙を受け止め、男は雨の中を帰って行った。

 

その後、チャオは故郷の大同に向かう列車に座っていた。

 

列車の中で、前に席に座った男に仕事の勧誘をされ、新疆へとついて行くチャオ。

 

ウルム行きの列車に乗り継ぐが、新疆で観光開発をし、UFOの旅行ツアーを計画しているという男の話は、真っ赤な嘘で、実は雑貨店をしていると、チャオに告げる。

 

「いいじゃない」

 

そうチャオは答え、男の抱擁に身を委ねる。

 

「君は?」

「私は囚われた人間」

「どういう意味?」

「刑期を終えたばかり」

 

その話を聞くや、男は反応しなくなり、チャオは男を残して途中下車する。

 

一時(いっとき)の孤独を癒しても、チャオの復元力は健在だったのだ。

 

夜空にUFOが飛翔するシーンがインサートされ、それに見入るチャオがそこにいる。

 

人生論的映画評論・続: 形容し難いほどのラストシーンの遣る瀬なさが、観る者の中枢を射抜く ―― 映画「帰れない二人」('18)  ジャ・ジャンクーより

危機意識の共有を崩す若手官僚の正義の脆さ 映画「新聞記者」('19)  藤井道人

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1  煩悶する官僚 ―― 正義に駆られる記者

 

 

 

2月20日 2:14-千代田区 東都新聞・社会部。

 

無人のオフィスに複数枚のファックスが届く。

 

2:16-千代田区 吉岡宅。

 

テレビでは有識者たちのメディア論の座談会が映し出されている。

 

正確に言えば、「劇中座談会『官邸権力と報道メディアの現在』」という名目の、原作者の望月衣塑子と文科省元トップ(事務次官)の前川喜平による特別出演の座談会である。

 

吉岡エリカは、その座談を聞きながら、新聞ファイルなどで情報収集している。

 

元記者の日本人の父と韓国人の母を持つ米国生まれの彼女は、現在、東都新聞の社会部に所属している。

 

2:18-霞が関 内閣情報調査室(内調)。

 

その同じテレビ座談会を見ている、若手官僚の杉原拓海(たくみ)。

 

外務省からの出向官僚である。

 

2:21-中央区 銀座。

 

夜の街を歩く初老の男性と若い女性が、何者かによって写真を撮られ、それが内調にいる杉原に直ちに送付される。

 

以上が、オープニングシーン。

 

翌朝、「白岩聡元教育局長 在職中から野党議員と不適切な関係」といった見出しの記事が、全国各紙の一面に踊っていた。

 

テレビでは早速、格好の一大スキャンダルとして、白岩本人にインタビューする映像が流されていく。

 

【これは、文科省元トップの前川喜平(以下、全て敬称略)が「出会い系バー」に出入りし、買春を行っているかのように報じて波紋を広げた一件のこと。因みに、「映画『新聞記者』本物の記者・内調関係者が語る『いい点と悪い点』」というサイトでは、「この報道は内調や公安筋が前川氏を尾行して、盗撮した写真を読売にリークしたというのが定説」となっていると記述されている。また、Wikipediaには、当該女性のインタビューで、「前川から口説かれたことも手を繋いだこともなく有り得ない」という文藝春秋(2017年7月号)の記事が掲載されている】

 

東都新聞ではスタッフが集まり、この記事の不自然さが指摘され、内調のリークであると考えるのが妥当であると、社会部デスクの陣野が断定した。

 

以下、このテレビ映像のモニターを見ながらの内調での会話。

 

「無理あるな、この言い訳。ま、白岩の社会的信用は、これでゼロ以下だ」

「こういう仕事増えましたよね」

「こういう仕事って?犯罪者でもないのに、公安が尾行して、俺達がスキャンダルを作る仕事」

「そこまで言ってないですけど…」

「多田さんが何も考えないで、こんな仕事やらせるわけないだろ。あくまでも、マスコミの情報操作の対抗措置でしかない」

 

その会話を背後で聞きながら、黙々と仕事を続ける杉原拓海。

 

【内調がネットを使った情報操作を行っているという行為を、前掲サイトでは、「職員は国内、国際、経済など各分野に分散配置されていて、とてもではないですが、1日中パソコンの前に座って世論操作をやっているヒマはないからです」という点を指摘する元内調職員の言葉を掲載しているが、真偽のほどは分からない。元々、内調は、インテリジェンス機能の強化の目的で、1952年に、吉田茂の意向を受けた緒方竹虎(当時、副総理)が「日本版CIA構想」を立ち上げたが、世論を背景にする大手メディア(読売新聞が中心)の激しい反対運動によって頓挫した。その後、内閣官房の組織として内調が設置され、紆余曲折を経て、第2次安倍内閣に至り、「日本版NSC」=「国家安全保障会議」として創設されるに及び、内調とのインテリジェンス機能における連携のテコ入れが図られる。従って、「こういう仕事増えましたよね」という台詞の背景に、時の政権による情報統制の強化が存することは自明である。当然ながら、内調はヒューミントに携わるプロパー職員が中枢となっている。これが本作の多田の役割と思われるが、その業務の特性が「内調の闇」とされている】

 

一方、東都新聞では、送付された羊の絵から開かれる物語の、その匿名のファックスをチェックしていた。

 

表題には「新設大学院大学 設置計画書」とあり、内閣府が認可する医療系大学の概要が記されていた。

 

「総理のお友達企業とか、優遇してんじゃないの」

「それをリークしたくて送ってきたとしか思えないな」

 

陣野は吉岡に、このファックスの送信元を調べるように指示した。

 

「ひょっとして、政権がひっくり返るかも知れないぞ」

 

そんな渦中にあって、杉原は帰宅間際に、内調を仕切る上司の多田に呼び止められ、外務省の動きを逐一報告することを指示される。

 

帰宅すると、杉原の妻・奈津美がまだ起きていた。

 

奈津美は妊娠中で、出産を控えている。

 

東都新聞では、総理べったり記者・辻川和正の後藤さゆりレイプ事件(「詩織さん事件」のこと)の逮捕見送りの記事が取り上げられる。

 

同じ記事を読んだ多田が、杉原を呼び出して、後藤さゆりの弁護士が野党絡みであるとのチャート図を作るように指示する。

 

「どういうことですか?」

「辻川は嵌められた。さゆりはハニートラップだ。それを裏付ける人物相関図と、指示系統の図を作るんだよ」

「この人、完全な民間人ですよね」

「野党と繋がっているという事実さえ作ればいいんだ…これも国を守る大事な仕事だ」

 

以下、その後藤さゆりの記者会見。

 

「捜査状が出ていたが、上からの指示で取り消され、彼も捜査を外された。力になれず、申し訳ないと。一度はジャーナリズムを志した者として、このまま黙っていることはできないと思いました。性被害というものが、女性を一生涯傷つけ、苦しむ人生を強いるものだということを知ってもらいたいのです」

 

内調では、後藤さゆりのハニートラップをSNSで拡散する作業が行われていた。

 

杉原は、多田の指示による作業に疑問を抱き始めている。

 

そんな折、外務省のかつての上司で、杉原が慕う神崎(かんざき)から連絡が入り、食事の誘いを受ける。

 

そんな中、吉岡は自身が書いた「後藤さゆりレイプ事件」が、ベタ記事扱いされたことを陣野に抗議するが、取りつく島もない。

 

片や、内調では、レイプ事件に内閣府が関与しているという情報が週刊誌に出たことで、杉原は多田に責められる。

 

「後藤さゆりが野党と繋がっているという情報を、与党ネットサポーターに拡散しろ」

「ちょっと待ってください。嘘をでっち上げるんですか?」

「嘘か本当かを決めるのは、お前じゃない。国民だ」

 

多田からの叱責を受け、不満を募らせている杉原が、元上司の神崎と久しぶりに会食した。

 

そこで、神崎が5年前の不祥事の責任を一人で負った事実を吐露するが、杉原もまた、この一件を知悉(ちしつ)している。

 

「国と家族のためだって、自分に言い聞かせた」

 

その神崎は、内閣府の大学新設の担当から外された直後に自殺してしまうのだ。

 

この由々しき事態が惹起する同時刻に、杉原は死ぬ直前の神崎から電話を受けていた。

 

「俺たちは一体、何を守ってきたんだろうな」

 

そう言い残し、神崎はビルから飛び降りたのだ。

 

杉原は多田の執務室に乗り込み、神崎の件を問い質す。

 

「うちがマークしてたんですよね。神崎さんに何をしたんですか!それは、組織としてやった行動ですか!」

 

その質問には答えず、多田はきっぱりと言い放つ。

 

「お前、子供が生まれるそうじゃないか」

 

明らかに恫喝である。

 

神崎とコンタクトしようとしていた吉岡もまた、その死を知り、5年前に自殺した父のトラウマが侵入的想起(不快記憶の想起)し、フラッシュバックに襲われる。

 

その頃、杉原は内調が作り上げた神崎に関するプロファイル(情報資料の集合)を読んでいた。

 

そこには、自殺の要因として、国家戦略特区の機密費の不正流用が発覚したこと、そして、体調不良を理由に聴取を拒否し、内調からの最終通達の日に飛び降り自殺したことが記されていた。

 

杉原は神崎俊尚関連のツイッターでの反応を調査する。

 

吉岡もまた、時を同じくして、ツイッターをチェックしている。

 

その夜、神崎の通夜に杉崎は訪れた。

 

吉岡も通夜の場にいた。

 

例の如く、遺族に対するメディアスクラム

 

「不正流用は本当なんですか?」

 

容赦なく、遺族に質問とフラッシュを浴びせるメディアに対し、思わず、記者の腕を掴む吉岡。

 

「それ、今する質問じゃないでしょ!あなたはされたら、どう思うの?」

 

吉岡もまた、父の自殺の一件で、メディアスクラムに被弾していた過去を持っていたこと ―― これが彼女の行動の推進力となっている。

 

神崎の遺族をメディアから守っていた杉原は、その様子を見て、既に見知りの吉岡に声をかける。

 

「新聞記者だよね、君は…どうして?君は、あっち側だろ」

「あたしは、神崎さんが亡くなった本当の理由が知りたいんです。あなたは、神崎さんがどうして死んだと思いますか?家族を残してまで、背負えないものがあったのか」

「君には関係のないことだ」

 

その一言を受け、吉岡は嗚咽しながら、その場を離れていく。

 

その直後、杉原の妻・奈津江が破水(卵膜の破れ、羊水が子宮外に流れ出すこと)して、緊急搬送されたという連絡が入る。

 

杉原は慌てて病院に駆けつけるが、帝王切開し、母子共に無事であることを担当医から知らされる。

 

スマホのメールを確認すると、何度も奈津江からの不在着信と体調不良を訴えるコメントが入っていた。

 

ベッドの傍らで、「ごめん」と呟く杉原。

 

その杉原は神崎の後任となった、元同僚の都築(つづき)に神崎の自殺について問い質す。

 

「覚えてますよね。5年前、私達はマスコミに出たら困る文書を改竄(かいざん)した。神崎さんは、上からの指示で文書改竄しただけなのに、責任はすべて神崎さんが被った。神崎さんは外交官としてのキャリアを人質に取られてました…教えてください。どうして神崎さんは死ななければならなかったのか」

 

そう詰め寄る杉原に対して、都築は一言返すのみ。

 

「内調だ。自分で調べろ」

 

新聞では、神崎の死と文書改竄を関連付ける記事が一面トップに掲載されていた。

 

遅れを取った東都新聞だったが、大学認可計画が頓挫したことで、デスクの陣野は逸(はや)る吉岡に対し、引き際が大事だと忠告する。

 

一方、杉原は神崎の家に弔問に訪れた。

 

「5年前に、あの事件があってから…息を潜めて、ただ、時間が過ぎるのを待って…こんなことになるまで、気づいてあげられなかった…」

 

神崎の妻・伸子は嗚咽を漏らしながら、そう吐露した。

 

官邸前では、改竄を糾弾し、内閣総辞職を求めるデモが行われていた。

 

多田は写真に撮られたデモ参加者の顔を丸で囲み、公安に渡し、彼らの経歴を調べるよう、杉原に指示する。

 

「全員、一般人ですよ」

「全員、犯罪者予備軍だ」

「それ、個人的見解ですよね」

「だとしたら、何なんだ」

 

多田は杉原のデスクにあった神崎の記事を視認して、その場を離れた。

 

今や杉原は、公安内でマークされる存在になっていた。

 

人生論的映画評論・続:  危機意識の共有を崩す若手官僚の正義の脆さ 映画「新聞記者」('19)  藤井道人より

以下、人生論的映画評論・続 禁じられた歌声('14)  アブデラマン・シサコ

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<宗教イデオロギーで「禁止・裁き」を断行する「狂気」の猛威>

 

 

 

1  「娘は俺のすべてだ。この世で最も大切な宝だ。娘は保護者を失う。それが一番の気がかりだ」

 

 

 

ニジェール川中流域にあるティンブクトゥ(「トンブクトゥ」とも言う)。

 

マリ共和国(西アフリカ)の世界遺産文化遺産=「黄金の都」/1988年)として、つとに知られている。

 

13世紀に誕生したマリ帝国支配下にあって、北アフリカに拠点を持つムスリムと内陸の黒人との交易拠点になり、サハラ砂漠の通商路(サハラ砂漠を横断するキャラバン・ルート)と化すが、「大航海時代」のポルトガルによって、サハラ砂漠を経由しない海洋交易が主流となるに至るまでの約300年間、一代の繁栄を誇った交易都市である。

 

「モロッコのフェズやアルジェリアのコンスタンチーヌなどと同じように、歴史ある古都です。大学があり、15~16世紀には各地から哲学者や法律家たちが集まり、宗教にとらわれず思索を深め議論した『知の都』です。自由と平和、多文化が出会う場であり、寛容のイスラムの伝統を引き継いでいます。ですから自由を受け入れないイスラム過激派には、この街を占領する象徴的な意味があったのです」

 

これは、アブデラマン・シサコ監督インタビューで語られた、ティンブクトゥ(映画の原題は「TIMBUKTU」)についての端的な説明である。

 

ティンブクトゥは、16世紀に黒人による世界初の大学を作ったことでも知られる、「宗教にとらわれず思索を深め議論した『知の都』」なのだ。

 

―― ここから本作で描かれた映像世界に入っていく。

 

このサヘル地帯に位置するマリ共和国の古都ティンブクトゥの近くの砂漠に、テント生活をするトゥアレグ人家族がいる。

 

「みんな、いなくなった」とサティマ。

「全員避難した」とキダン。

「残っているのは、私達のテントだけ」

「ここを離れて、どこへ行く?逃げ続ける日々だ。トヤに飢えや渇きを味わわせたくない」

「せめて、ほかの人たちの近くに」

「皆、そのうち戻るさ。奴らも、いつかは去る」

「あの人たちが怖いの。あなたがいない時、ここに来る」

「お前の支えが必要だ。辛抱してくれ。お前がいれば、戦えるし、耐えられる」

「気持ちはわかる」

「俺も怖い」

 

これは、映画の主人公の少女・トヤの父母の会話。

 

会話の背景にあるのは、2012年、この地域にイスラム過激派(映像提示されていないが、正確には、国際テロ組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」)の侵入によって、街全体が支配され、厳格なイスラム法による恐怖政治の横行。

 

2012年のこと。

 

絵画・彫刻という芸術的表現の未発達に象徴されるように、偶像崇拝を徹底的に否定するイスラム教の根本思想を具現するオープニングシーンは、既に、トゥアレグ族ベルベル系の遊牧民)の多くが住むサヘル地帯(サハラ砂漠南縁部)・ティンブクトゥ一帯が、イスラム過激派によって支配されている現実を物語っている。

 

チュニジア共和国のベン・アリー、エジプト・アラブ共和国ムバラクリビア・アラブ共和国のカダフィという、北アフリカから3人の独裁政権を崩壊させた「アラブの春」の巨大なストーム。

 

この巨大な狂飆(きょうひょう)の只中で、カダフィ殺害によって崩壊したリビアの政治危機に乗じて侵入したイスラム過激派が、ティンブクトゥ一帯にまで勢力を広げていった。

 

かくて、ティンブクトゥ一帯を支配するイスラム過激派は、音楽・酒・タバコ・サッカーなど、全ての住民に一切の娯楽を禁じる。

 

因みに、母サティマが「あなたがいない時、ここに来る」と言って怖れるのは、サティマを狙っている過激派のアブデルグリムのこと。

 

過激派は、夜な夜な、音楽に興じている家を捜索する。

 

そこで耳に留まったのがキダンの家。

 

キダンはギターを趣味とし、サティマとトヤが歌を歌うのだ。

 

過激派の捜索隊は、その一家を逮捕するか否か、指導者に指示を仰ぐことになる。

 

キダンの一家が歌っていたのは、神と予言者ムハンマドマホメット)を讃える歌。

 

彼らもまたイスラム教徒なのである。

 

逮捕を免れた一家は、GPSと名付ける牛に特別な愛情を注いでいた。

 

ところが、そのGPSが漁師アマドゥによって槍を放たれ、殺されてしまう。

 

牛飼いの孤児として、キダン家に共存しているイサン少年が、川で牛の群れを誘導している際に、GPSが漁の網を壊してしまったこと。

 

これがGPS殺害の起因になった。

 

殺害現場を目の当たりにして、衝撃を受けるイサン。

 

イサンは泣きながら走って戻り、キダンに事態を報告する。

 

「牛に水を飲ませるため、川に連れてった。GPSが群れを離れて、アマドゥの網の方へ。追いかけたけど、間に合わなくて、GPSは殺された」

 

それを耳にしたギダンは、矢庭に銃を持ち出す。

 

事情を知ったサティマは、夫を止める。

 

「話し合うべきよ。武器はいらない」

「出会った時から持ってる」

「トヤが生まれる前よ」

 

心優しいトヤは、泣き止まないイサンを慰めるのだ。

 

「牛はいつか必ず死ぬものよ。また別の牛を買えばいい。そして、その牛にGPSという名をつけるの」

 

そして二人は、誇りに思う父親についてお互いに語り合うシーンが挿入される。

 

「父さんは兵士じゃない。兵士はみんな早く死んじゃう。離れてる時も私は知ってる。父さんは歌う人」

 

父ギダンを尊敬するトヤの言葉である。

 

しかし、「歌う人」にとって、GPSの殺害は絶対に許し難き事態だった。

 

「いずれ通る道だった。こんなこと終わりにすべきだ。侮辱は終わりにする」

 

放牧と漁という、糊口(ここう)の資を異にする者たちの確執が突き当たる事態を覚悟したキダンの言葉である。

 

そう言うや、妻の制止を聞かず、銃を持って出かけていくキダン。

 

かくて、平和な家庭を築いていた一家の運命が一転していく。

 

一方、イスラム過激派は住民に繰り返し警告を発している。

 

「戒律を守れ。人前に身をさらすのは禁止。家の前に座るのも、ただ立つのも禁止。通りをウロつくことも禁止する…ラマダン(断食)の月に姦通を行うことは最悪の大罪だ。これを犯した者は、石打による死刑とする」

 

そんな中、禁止されているサッカーをした住民に、鞭打ち20回の刑が言い渡される。

 

そして、エアサッカーに興じる若者たちの集まりにも、過激派が監視にやって来るのだ。

 

即座に、各自でキントレストレッチを行い、摘発を免れる若者たち。

 

若者たちの知恵の方が勝っているのだ。

 

キダンがアマドゥのところにやって来たのは、そんな折だった。

 

二人は小突き合い、揉み合いになった挙句、キダンの銃が暴発し、アマドゥを殺してしまう。

 

動転しながら、その場を離れるキダン。

 

過激派によって、キダンが逮捕・連行されたのはその夜だった。

 

間違ってもあってはならない事態を知ったサティマは、先行きを心配するトヤに、キダンはすぐ戻ると言って安堵させる他になかった。

 

シャリーアイスラム法)に基づいた尋問で、通訳を介して、キダンは自分の思いを吐露する。

 

「娘は俺のすべてだ。朝はミルクを用意し、夕方には牛を集めてくれる。この世で最も大切な宝だ…運命は受け入れる。死も怖くない。人は皆、誰かの子。子を守る義務が。娘は保護者を失う。それが一番の気がかりだ。先が分からんまま墓場へ。親しい友人も死んだ。すべては神の御業だ。神を信じる。神の行いは正しい」

 

「まもなく父親を失う娘さんを思うと、私も胸が痛む」

 

これが、通訳を禁じた際のシャリーアの裁判官の言辞。

 

過激派の中にも、こんな人物がいることを示唆する映像提示だが、それでも通訳を禁じる辺りが過激派たる所以である。

 

「お前は部屋で音楽を奏し、逮捕された。禁止行為だと?歌を歌った罪で鞭打ち40回。部屋に集まった罪で40回だ」

 

歌を歌った罪の重さ。

 

これはファトウの鞭打ち刑によって映像提示された。

 

鞭打ち刑が始まるが、痛みを堪えて歌うファトウ。

 

“古いしきたりは、もう、おしまいに…”

 

理不尽な暴力に抗して歌い続けるファトウの文化的抵抗という決定的な構図は、本作を通底する基幹メッセージである。

 

そして、今度は電話で話をしていた女性が連行された。

 

母親との話で、赤の他人と強引に結婚させられることを拒絶する意思を伝えた。

 

その間、カップルが石打刑で処刑されるシーンが挿入される。

 

過激派の本性が露骨に描写されていく。

 

キダンの裁判は続いている。

 

一方、僅か7頭の牛を放牧して、父キダンを待ち続ける家族。

 

思い余って、サティマはアブデルクリムに電話する。

 

キダンの救済を求めるのだ。

 

電話に運転手が出て、“もう何もできない”というアブデルクリムの伝言が、けんもほろろに届くのみだった。

 

サティマに好意を持ち、隠れてタバコを吸うようなアブデルクリムが、キダンを救済するとは到底考えられないのである。

 

キダンは最後に訴える。

 

「彼(アマドゥのこと)の死は俺も悲しい。あれは事故だった。今朝、夜が明けて、俺にはまだ命があった。神が与えし一日だ。何が起ころうと受け入れる。心残りは一つだけ。娘の顔が見たい。妻にも会いたい。神に願う。あなたが父親なら分かるはず。俺の痛みが。死は怖くない。もう俺の一部だ。神の方で俺を裁くなら、裁くがいい。覚悟はできている」

 

一方、娘の略奪婚を拒絶する母親の仲介に入った有力者と、過激派のメンバーの話し合いが行われていた。

 

イスラム法で保護者の許可なく婚姻ができないとの主張に対し、過激派は「我々が保護者であり、法に則り結婚した、それは支配者が決めることだ」と言って、取り合わないのだ。

 

イスラム聖職者とイスラム過激派の議論がエピソードとしてインサートされているように、最高指導者が曖昧なイスラム過激派の脆弱性が浮き彫りにされている。

 

こうした恣意的な法の押し付けにより、過激派が望む一方的な結婚が横行し、村では不満と恐怖が蔓延していた。

 

そして今、キダンの処刑の準備が進められていた。

 

狂気故にか、鶏を肩に乗せて自在に移動し、歌うことが許されている女・ザブーがオートバイに乗り、キダンの家に向かい、サティマを乗せて刑場に連れて来た。

 

夫の元に走るサティマ。

 

それに気づいたキダンは、銃口からサティマを守ろうとするが、呆気なく、二人とも銃殺されてしまう。

 

一人残されたトヤは、泣きながら父母を求めて砂漠を走っていく。

 

牛飼いのイサンも走る。

 

銃を構えた過激派に追われるザブーも走る。

 

過激派に反抗する彼女もまた、約束された死をトレースするのである。

 

ラストシーン。

 

走り続けるトヤの哀しみの表情が、抵抗不能の人々の悲劇の収束点になっていく。

 

いつの時代でも、酷薄な状況に置き去りにされるのが、大人に依存なしに生きられない子供である現実を訴える終幕は、作り手のメッセージでもあるだろう。

 

以下、人生論的映画評論・続: 禁じられた歌声('14)   アブデラマン・シサコより