blank13('17)    齊藤工

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<「家族」という小宇宙の闇の呪縛を解いていく>

 

 

 

1  「現象としの父親」に対する否定的観念系の中で円環的に閉じている

 

 

 

「自分が見たものが全て」

 

多くの場合、人間は現象に対して、この思考回路の視界限定の狭隘さの中で円環的に閉じている。

 

この戦略が安寧を防衛的に担保してくれるからである。

 

だから、この思考回路の狭隘さをアウフヘーベンするのは容易ではない。

 

より視界良好の地平にまでアウフヘーベンするには、現象に関与する内的時間の層が、継続的、且つ、高強度のリテラシーを手に入れていなければならないだろう。

 

なぜなら、現象に関与する内的時間の層が、情動系を強化させたエクスペリエンス(体験)として自我に張り付いてるから、蓋(けだ)し厄介なのだ。

 

現象に関与する内的時間の層が、否定的観念系の中で円環的に閉じているなら、より視界良好の地平にまでアウフヘーベンするのは艱難(かんなん)さを露わにするに違いない。

 

映画では、長男のヨシユキが、この状況において宙吊りにされていた。

 

「現象としの父親」に対する否定的観念系によって自我を反転的に形成し、「家族を守る長男」という自己像を延長させることで、その〈生〉を繋いできた行為のコアにあるのは、「現象としの父親」の破壊力だった。

 

それは、「永遠なる不在者」と同義である。

 

「あなたみたいにになりたくない」

 

胃癌で余命3ヶ月の父・雅人を見舞いに行った際に、病院屋上で、次男コウジが、ヨシユキの言葉を代弁したもの。

 

それこそが、「現象としの父親」=「あいつ」を、「永遠なる不在者」にしたヨシユキの適応戦略だった。

 

成就したと信じるこの適応戦略が、大手広告代理店に勤めるエリートにまで上り詰めたヨシユキの決定的推進力になったと思われる。

 

「現象としの父親」に対するヨシユキの否定的観念系を準拠枠に考えれば、この映画の風景が透けて見えてくる。

 

「早くしないと終わんないよ」

 

これは、怪我した母の代わりに新聞配達する只中で、少年期のヨシユキが、必死に走るコウジに言い放った言葉。

 

「そんなこと分かってるよ。いま、作ってるんだろ!なんで俺が、こんな苦労しなくちゃいけないんだよ!」

 

これも同様に、遅刻を気にするコウジに、少年期のヨシユキが、苛立ち紛れに言い放った言葉。

 

この二つの台詞が、少年期のヨシユキが、物語の中で捨てた言葉の全てである。

 

二つの台詞に象徴され、透けて見えるヨシユキの父親像が、「自分が見たものが全て」の風景だった。

 

かくて、「現象としの父親」に対するヨシユキの否定的観念系が、彼の自我を反転的に形成し、ブラッシュアップして成就し得た若者は今、なお延長された時間の渦中に、安アパートの臭気が漂う家族を訪ねる。

 

逸早く、「あいつ」の末期の胃癌の情報を入手し、それを伝えるために安アパートを訪ね、いつものように金を渡すのだ。

 

末期癌の情報を入手しながら、弟と母が見舞いに行かないと信じたであろうヨシユキが、「集まる必要もなかった」と言って帰っていくのは、穿(うが)って見れば、「家族を捨てた男」から「家族を守る長男」という肯定的自己像の確認だったようにも思われるのである。

 

だから、ヨシユキの否定的観念系が崩されることがない。

 

崩されてはならなかった。

 

大袈裟に勘ぐって言えば、「家族を捨てた男」から「家族を守る長男」という肯定的自己像が、その彩度を失ってしまうのだ。

 

「家族を捨てた男」と「家族を守る長男」。

 

後者の「唯一性」=「絶対性」に、揺るぎがない。

 

そこには、彼の否定的観念系に集合する感情の束が渦巻いている。

 

「家族を捨てた男」の見舞いなど、無条件で有り得ない。

 

そんな状況下で開かれた、「家族を捨てた男」を偲ぶという弔いの儀式。

 

ところが、映像中盤で提示された「blank13」を契機に、風景が一変する。

 

人生論的映画評論・続: blank13('17)    齊藤工 より

LION/ライオン 〜25年目のただいま〜('16)    ガース・デイヴィス

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<人間の性(さが)に揺さぶられ、葛藤し、突き抜けていく>

 

 

 

1  浮浪生活の果てに

 

 

 

これは真実の物語(冒頭のキャプション)

 

【インド カンドワ 1986年】

 

「サルー!やったぞ。今日は、たくさん石炭を取った」

 

いつものように、サルーは兄グドゥのリードで貨物列車に乗り込み、石炭泥棒をする。

 

奪った石炭を市場で牛乳に替え、母の元に届ける。

 

その牛乳を分け、妹である乳児のシェキラにも飲ませるのだ。

 

母はその牛乳をどこで手に入れたかを兄弟に聞くが、答えない。

 

母はそのまま、仕事に出かけていった。

 

そして、グドゥはシェキラの世話をサルーに頼み、「1週間の大人の仕事」に出ようとするが、サルーはどうしても一緒に行くと言う。

 

2人は夜の街に繰り出し、列車に乗り込む。

 

駅に着き、眠り込んで起きないサルーをベンチに置いて、グドゥは仕事を見つけに行った。

 

待っているように言われたサルーだが、目が醒めてグドゥを探しているうちに、回送列車に乗り込み、遥か遠くに運ばれてしまったのである。

 

この悲哀に満ちた実話ベースの物語の起点である。

 

西ベンガルカルカッタ カンドワから東へ1600キロ】

 

聖女マザーテレサの活動拠点・カルカッタの駅に着くと、大量の乗客が乗り込んで来て、そこでサルーは、漸(ようや)く列車から降りることができた。

 

大勢の人たちに揉(も)まれながら、当て所(あてど)なく彷徨うサルー。

 

水飲み場で一緒だった少女の後をつけ、地下道へやって来ると、段ボールを敷布団にして、同じ年頃の子供たちが屯(たむろ)していた。

 

その一角に段ボールを敷き、眠っていると、得体の知れない大人たちがやって来て、子供たちを捕捉していくのだ。

 

サルーは必死に走って逃げていく。

 

カルカッタの夜の街に出たサルー。

 

路上に眠り、朝を迎える。

 

線路の上を歩いていると、ヌーレという女性に出会い、彼女の家に連れられ、食事をご馳走になる。

 

そこに、ラーマという男がやって来て、サルーの身体検査をする。

 

「あの子なら合格だ」

 

ヌーレにそう囁(ささや)くラーマもまた、人買いだったのだ。

 

身の危険を察知したサルーは、ヌーレの家を飛び出し、走り去っていく。

 

【それから2カ月】

 

浮浪生活を続けるサルーは、一人の青年と出会い、警察に連れられて行く。

 

ヒンディー語しかしゃべれないんです。“家はどこ?”と聞いても、“ガネストレイ”と言うだけ…母親の名前は?」

「母ちゃん」

 

まもなく、孤児院に収容されるサルー。

 

「ここは、とってもひどい所よ」

 

最初に知り合った、アミタという少女の話である。

 

体罰も辞さない孤児院の中では、性的虐待も横行している。

 

そんなサルーが、ミセス・スードの斡旋で里親を紹介される。

 

オーストラリアの南方海上に位置するタスマニア島(注)に住む、ジョンとスー夫妻だった。

 

「運がいいわ。オーストラリアは、いい所よ」

 

アミタの言葉で、サルーは決心がついたのか、明るい表情で、ミセス・リードのテーブルマナーや英語を学ぶのだった。

 

飛行機に搭乗し、オーストラリアへと旅立った。

 

 

人生論的映画評論・続: LION/ライオン 〜25年目のただいま〜('16)    ガース・デイヴィス   より

勝手にふるえてろ('17)   大九明子

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<持ち前の「自己推進力」が、心の隘路を抉じ開けていく>

 

 

 

1  「なるほど。孤独とは、こういうことか」 ―― 冥闇の世界に放り込まれ、凹んだ女子の傷心の決定的変換点

 

 

 

何年もの間、憧憬し続けてきた「天然王子」イチと、「彼氏なし」の24歳のOLヨシカとの会話。

 

「ねえ、君、なんか話してよ」とイチ。

「え~どうしよ。あーじゃ、絶滅したドードー鳥の話でもいいかな」とヨシカ。

「え~いいねぇ。好きだよ。古代の動物とか、絶滅した動物とか、特に好き」

「え、どうして?」

「本当に、あんな歪(いびつ)な奴らが地球上に存在したんだとか考えるだけで、面白いから」

「歪かぁ。だから私、どっか自分と重ねちゃうんだな」

 

自分と趣味が合うと知り、目を輝かせるヨシカ。

 

そこからアンモナイトの話になり、「励まされるちゃう」とヨシカの気分は弾んでいく。

 

絶滅したオオツノジカの話でイチと盛り上がり、「生き下手過ぎて、泣けてくるよね」と意気投合するのだ。

 

「君と話してると、不思議。自分と話してるみたい」

「そうだね」

「あの頃、君と友達になりたかったな」

 

目の色が変わるヨシカ。

 

「そうだね…イチ君て、人のこと、君って言う人?」

「ごめん、名前、何?」

 

瞬時に凍り付くヨシカ。

 

突然、笑い出すヨシカだが、泣き笑いがウェーブし、胸のあたりが苦しくなって、タワマンから退散する。

 

「私の名前をちゃんと呼んで…」

 

帰りの電車から降ると、これまでの風景は一変していた。

 

フレンドリーに話しかけていた駅員は素知らぬ振り。

 

行きつけの喫茶店の金髪の女子店員も、オープニングシーンとは打って変わって、素っ気ない接客態度。

 

コンビニ店員も、朝晩釣りに興じている中年男も、誰もがヨシカの存在に気づかない。

 

「誰にも、見えてないみたい」

 

そう呟き、笑うヨシカ。

 

これまで提示されたヨシカの、他者とのコミュ―ニケーションや好意的なストローク(他者への働きかけ)は、自分の世界で妄想を膨らませて享受するポジティブな妄想癖の所産だったのだ。

 

アパートに帰宅して、号泣するヨシカ。

 

この一件があってから、自分が観ていた“ニ”に対する評価が遷移していく。

 

公園での二人のデート。

 

「付き合おうっか。私たち…え?もう付き合ってましたっけ」

「え?どうなの?」

「じゃ、付き合ってる」

 

その答えを聞いて、喜び転げる“ニ”。

 

「何で今、そう思ったの?」

「何か、自然じゃない?私たちって。違和感ないって」

 

そこで、“ニ”がキスしようとすると、ヨシカは狼狽し、一目散に走り去ってしまう。

 

会社で再会した二人。

 

“ニ”が昨日のことを謝り、ヨシカは受け入れるが、親友のクルミから彼氏と付き合ったことがないから、それを踏まえてアタックするようにというアドバイスを受けた事実を知り、逆上してしまった。

 

「今ので私、決めた。私ね、中学の頃からずっと好きな人がいるの。その人のこと、10年ずっと好きなの。私には彼氏が二人いて、一人がその人。もう一人があなた。でも、やっぱり、一人に絞ります。一番好きな一人に絞ります。だから、さようなら」

 

悔し涙を隠し、心配するクルミに声を掛けられると、悪阻(つわり)と偽り、アパートに戻るヨシカ。

 

翌日、出社したヨシカは、虚偽の産休を上司に申し入れるが、暫定的な有給扱いで休むことになる。

 

秘密をバラしたクルミに対する怒りで、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせた。

 

経理のスキルの高さにおいて、クルミへの優越意識が、ヨシカの悪意の言辞に垣間見える。

 

荷物を整理し、帰り際に“ニ”と出くわすが、彼は冷たい視線をヨシカに向けただけだった。

 

家に帰り、ベッドに横たわり、呟く。

 

「なるほど。孤独とは、こういうことか」

 

この思いは、冥闇冥闇(めいあん)の世界に放り込まれ、凹んだ女子の傷心の決定的変換点と化していく。

 

会社に行かず、ただ家にいるヨシカは、何度も携帯のメールの着信を確認するが、何も届いていない。

 

唯一、クルミから電話がかかってきたが、ヨシカは出なかった。

 

二度目のクルミからの電話の留守録を聞くヨシカ。

 

「あたし、ヨシカを怒らせるようなことしちゃったのかな。しちゃってたら謝ります。ごめんなさい」

 

ヨシカの妊娠を信じるクルミは祝福のメッセージを送り、社内で付き合っていた男から振られた話をして、謝罪するのだった。

 

それを聞きながら、涙ぐむヨシカ。

 

留守録を保存し、クルミに電話をかけると、着信拒否になっていた。

 

「ファック!」

 

ここでまた、キレてしまう。

 

次に、会社に電話をかけ、“ニ”を呼び出し、自宅に招くのだ。

 

雨の中、玄関前で、「とりあえず来た」と言う“ニ”に、妊娠が虚偽だった事実を告げるヨシカ。

 

それを聞いて、怒り出す“ニ”。

 

想定外の“ニ”の反応には、それまでの「チャラ男」のイメージを払拭するのに充分だった。

 

「被害者面、よしなよ!バラすつもりなくても、人の秘密バラしちゃうことってあって、でも、そこに少々の意地悪心がないと言えば嘘かもしれないけど、でも、人間って、そんなもんじゃん!」

 

ヨシカも、感情含み存分に反駁(はんばく)する。

 

「それ、他人事だから言えんだよ。私なんかね、もう、ウヒャーってなって、会社中にバレちゃったんだよ。みっともない。だって、もう私、会社行かれない人になっちゃったじゃんよ!何ひとつ成し遂げられないまま、愚痴あてることになっちゃったんじゃんよ!!」

 

二人の言い争いには、終わりが見えないようだった。

 

「なに大げさなこと言ってんの。この歳で、何かを成し遂げてる奴なんて、この地球上に存在しねぇよ!」

ジャンヌ・ダルクがいる!」

「すげぇとこと、勝負しようとしてんじゃねぇよ!偉人になりたいの?…もう、脳ミソが悪魔的だよ!」

「そっちこそ、処女狙いの悪魔じゃん。あたしのこと処女だから好きになったんでしょ!処女だから、可愛いとか、何でそんな怖いこと言うの?」

 

激しい雨の中、言い争っていたが、隣人が二人の言い争いを聞き、立ち竦んでいるのに気づき、部屋に入る二人。

 

「あのね、好きなら耐えろとか、すげぇこと言ってるの、自分で分かってる?普通は怯(ひる)むんだけど、ヨシカを見つけた俺は、かなり冴えてると思うから、自分を信じて頑張ってみる」

「何それ、上から目線。傲慢で震えがくるわ…私のこと、愛してるんでしょ。こうやって野蛮なこと言うのも私だよ。受け入れてよ!」

「いや、正直、俺、まだ、ヨシカのこと愛してはない。好きレベル…俺は、かなりちゃんとヨシカを好き」

「何で?」

「何だろ。珍しいからかな」

「珍しいって、何?異常ってこと?」

「異常でもないし、偉人でもないけど、一緒にいたくなるんだわ。ヨシカは分かんないことだらけなんだよ。だから、好き。でも、いくら好きだからって、相手に全部むき出しで、しなだれかかるのは、よくないよ」

 

玄関のドアを開け、“ニ”は戸外に向かって叫んだ。

 

「俺との子供、作ろうぜ!!」

 

ヨシカは涙を一筋流し、“ニ”に抱き着く。

 

「霧島君…勝手に震えてろ」

 

そう言い放ち、“ニ”にキスするヨシカ。

 

ラストカットである。

 

 

人生論的映画評論・続: 勝手にふるえてろ('17)   大九明子 より

ビューティフル・デイ('17)    リン・ラムジー

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<反復的、且つ、侵入的で、苦患の記憶が想起し続ける冥闇の世界に閉じ込められた男の悲哀が漂動する>

 

 

 

1  「何が起きているのか、さっぱり分からない」と漏らす男の少女救済譚

 

 

 

誘拐された少女を連れ戻すという闇の仕事で生計を立て、老いた母と暮らす男・ジョー。

 

そのジョーが、雇い主のマクアリーから仕事を頼まれる。

 

「なぜ俺を呼んだ?」

「州上院議員アルバート・ヴォット。昔、俺が彼の親父を警護してたが、その後、縁が切れてた。ヴォット議員の妻は、2年前に自殺。10代の娘は、それ以来、家出したまま。娘と連絡が途絶えたと、ヴォットから電話があった。彼は現知事と選挙活動中で、警察沙汰は避けたい。現金5万ドルの仕事だ」

「手掛かりは?」

「彼に届いた匿名メールにある住所が。午後2時に、彼と会ってくれ」

 

マクアリーとの会話である。

 

早速、ジョーはヴォットに会いに行く。

 

「娘さんがいたら、必ず連れ戻します」

「君は残忍だって聞いた」

「時にはね」

 

それだけだった。

 

ジョーはヴォットの娘・ニーナの写真をポケットに入れ、次の待ち合わせ場所を指定した。

 

そして、人身売買の拠点に侵入し、警備員をハンマーで殺し、ニーナを救出する。

 

車を止め、隣の座席に座るニーナに話しかけると、少女はジョーに抱きついてきた。

 

「大丈夫、大丈夫だ…そうじゃない。そんなことしなくていい。パパの元へ帰ろう」

 

二人はモーテルに入り、父親の迎えを待つことにする。

 

ところが、テレビでヴォットが飛び降り自殺をしたというニュースが流れるのだ。

 

肝心の依頼主の死に驚愕する間もなく、モーテルの警備員が警官2人を連れ、ドアを開けた。

 

その途端、警備員は背後の警官に射殺され、一人はニーナを連れ去り、もう一人はジョーと格闘して殺された。

 

「何が起きているのか、さっぱり分からない」

 

常に、この言葉がジョーを襲ってくるようだ。

 

いつもの自傷行為で、歯を紐で抜き、血を滴らせるジョー。

 

児童期に家庭内暴力が常態化していて、児童虐待のトラウマを抱える彼には自殺願望がある。

 

そのジョーはマクリアリーに電話をかけるが、留守録のテープが流れるのみ。

 

事務所へ向かうと、マクリアリーは既に殺されていた。

 

そればかりではない。

 

雑貨屋の店主で仕事の仲介者でもあった、エンジェル父子も殺されたのである。

 

混乱の中、子供の頃に受けた父親の虐待のフラッシュバックに苛まれ続けるジョー。

 

「背筋を伸ばして、まっすぐに」

 

そんな言葉が繰り返し、侵入的想起するのだ。

 

不安を抱えて帰宅するや、ジョーは凍り付く。

 

今度は、母親がベッドで銃殺されていたのである。

 

階下に人の気配がしたので、降りて銃を放つと、一人は死に、一人は絶命せずに倒れていた。

 

気息奄奄(きそくえんえん)の男が、ニーナの居場所がウィリアムズ州知事のところであると吐く。

 

この男が黒幕だったのだ。

 

「母は怖がったか?」

「眠ってた」

 

ラジオからかかる「I've Never Been to Me」(愛はかげろうのように)に合わせ、息絶え絶えの男が口ずさむ。

 

ジョーも一緒に歌い、死にゆく男の手を握る。

 

母親の遺体をビニール袋に包んで車に乗せ、美しい森の湖畔へ行き、自らも石をポケットに詰め、潜って母を水葬した。

 

水中に深く沈むジョーは、フラッシュバックで再現されるカウントダウンに入り、自死する行為に振れるが、石を捨て、湖から生還する。

 

ニーナの救済を果たしていないのだ。

 

ニーナを救うべく、ジョーはウィリアムズの選挙事務所に向かい、組織の男たちの車を追尾し、豪邸に入り込む。

 

警備員らをハンマーで撲殺し、ニーナの部屋に辿り着くと、ウィリアムズは既に喉を掻き切られて死んでいた。

 

嗚咽するジョー。

 

ここでも、フラッシュバックが彼を襲う。

 

階下のダイニングルームに行くと、ニーナが血だらけの手で食事をしていた。

 

傍らには、血の付いたカミソリが置かれていた。

 

ニーナがウィリアムズを殺したのである。

 

ニーナに近寄り、少女の腕に手を添えるジョー。

 

「大丈夫よ、ジョー。心配しないで」

 

2人は邸を出て、レストランに入った。

 

「どこへ行くの?」

「そうだな。どこでもいいぞ。どこへ行きたい?」

「分からない」

「俺も分からない」

 

ジョーの言葉を聞くや、ニーナは席を立ち、トイレに向かった。

 

為すすべのないジョーは、一筋の涙を零し、銃で自らの喉を撃ち抜く。

 

ニーナが席に戻り、ジョーの頭に手を置く。

 

「ジョー、目を覚まして」

 

ジョーの自殺は夢だった。

 

「何?」

「行きましょ。今日は、いい天気よ」

「確かに、いい天気だ」

 

二人が座っていた椅子が映し出され、「何が起きているのか、さっぱり分からない」と漏らす男の少女救済譚の物語が、まるで何もなかったかのような印象を観る者に与えて、ラストカットとして閉じていく。

 

 

人生論的映画評論・続: ビューティフル・デイ('17)    リン・ラムジー

 より

ドラマ特例篇 「この戦は、おのれ一人の戦だと思うている」 ―― 「『麒麟がくる』本能寺の変」・そのクオリティの高さ

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1  寂寥感漂う悲哀を映し出す究極の「盟友殺害」の物語

 

 

 

「『麒麟がくる』・本能寺の変」(第59作・最終回)を観て、涙が止まらなかった。

 

テレビを観ない習慣が根付いていながら、「麒麟がくる」だけは別格だった。

 

理由は、本木雅弘斎藤道三を演じるという情報を得たこと。

 

下剋上の象徴の如き戦国武将・美濃の蝮(まむし)を本木雅弘が演じたら、一体、どのような人物像になるか。

 

それが堪(たま)らなく魅力的だった。

 

期待に違(たが)わず、美濃の蝮の独壇場の世界が、大河序盤で全開するのだ。

 

もう、止められなくなった。

 

正直、主役の明智十兵衛光秀 (以下、「十兵衛」とする)を演じる長谷川博己には、殆ど期待薄だった。

 

映画を通じて観ていたが、特段に惹きつけられることもなかった。

 

まして、上流層からも招かれる博打好きの名医・東庵(とうあん)、その東庵の助手で本篇で最も重要な役割を担い、「麒麟」という理念の象徴的存在となる駒、家康の忍び・菊丸、旅芸人一座の座長で、関白・近衛前久(さきひさ)や朝廷と十兵衛との仲立ちをする、伊呂波太夫(いろはだゆう)といったオリジナルキャラクターが次々に出て来て、当初は、大河ドラマの創作性の高さに馴染めなかったが、馴致するのも早かった。

 

所詮、テレビドラマであると決め込んでいたからだ。

 

ところが、次第に十兵衛の存在に目を離せなくなってくる。

 

特に、道三の壮絶な死後、信長と十兵衛の関係が描かれていくに連れ、見逃せなくなってきた。

 

東京オリ・パラによる5週分の放送休止(全44回に縮小)や、新型コロナウイルス(COVID-19)・パンデミックの怒涛のような激流(実際に、2カ月に及ぶ収録の一時休止)もあり、これまでの「戦国もの」の印象と異なり、定番の合戦シーンと、その行程表現が希薄であった代わりにシフトしたのが、主要登場人物、就中(なかんずく)、十兵衛と信長の関係の心理描写が丹念に描かれていて、「戦国絵巻」の渦中での精緻な人物造形に吸い込まれていくようだった。

 

これが、「『麒麟がくる』・本能寺の変」という、それ以外にない王道の最終篇の中で、埋め草の余情という心像をも超え、決定的に奏功する。

 

想像の範疇を超えた圧巻の最終回に心打たれ、絶句した。

 

「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり」と謡って、「敦盛」(幸若舞)を舞うという、あまりに気障(きざ)な「本能寺の変」の定番描写を破壊する演出に、涙腺崩壊の状態だった。

 

ここで描かれた信長像が、従来のイメージを完全に払拭し、「非常にナイーブな信長像」(脚本家の池端俊策)として提示されたこと。

 

まさに、意表を突かれた時の心地よい感覚の充足感 ―― これが観る者を衝いてきたのだ。

 

「信長という人物は、戦国時代のスーパーヒーローです。異端児としても知られていますね。側近の平手政秀は信長の奇行をいさめるために腹を切ったといわれるなど、信長の異端ぶりは『信長公記』をはじめ、いろいろと語り継がれています。でも、僕はいままでのような剛直で独裁者風で、偉大な信長ではなかったのではないかと思っています」

 

池端俊策の言葉である。

 

「母親は弟の信勝ばかりかわいがって、信長のことはむしろ疎ましく思っていた。母親に愛されなかった信長というのが浮かび上がってきます。少なくとも母親から愛されなかった男の子が抱くコンプレックスはなんとなく想像がつく。その裏返しとして異端児、つまり不良少年のようにふるまうようになったのではないか。そういう人ほど、こころは繊細であることが多い」

 

これも、池端俊策の信長論。

 

この「非常にナイーブな信長像」を演じた染谷将太が、出色の演技力を炸裂させ、「麒麟がくる」の面白さが全開していく。

 

そして、この信長に「麒麟」を見た十兵衛が、足利義昭と信長への両属状態の中で、加速的に存在感を可視化し、まさに長谷川博己のドラマと化した。【因みに、「麒麟」とは優れた王が世を治める、中国神話に現れる伝説上の霊獣のこと】

 

明智光秀のイメージが一変するのだ。

 

かくて、以下の池端俊策の言葉に収斂されるように、「『麒麟がくる』・本能寺の変」において、十兵衛と信長の心理の交叉は、寂寥感(せきりょうかん)漂う悲哀を映し出す究極の「盟友殺害」でピークアウトに達したのである。

 

「光秀は信長を殺したくて殺すわけでもなく、憎らしいから殺すわけでもありません。やむを得ず、自分の親友を殺したんです。ここまで一緒に歩いてきて、一緒に夢を語った相手を殺すのはつらいですから、本能寺で信長を殺しても『やった!』という快感ではなく、悲しさがありますし、大きな夢を持った人間は、やはり大きな犠牲を払わなければならない。その心の痛みを描きました」

 

創作性の高さを認知してもなお、「『麒麟がくる』・本能寺の変」が神業級の凄みを見せたのは、撮影カメラが十兵衛の内面の世界に深々と潜り込んで、「盟友殺害」に至る心の振れ具合を描き切ったという一点にある。

 

それが、信長の「是非もなし」という、代用が効かない絶対言辞のうちに極まったのだ。

 

そして、本篇が何より抜きん出ているのは、十兵衛の内面の漂動を精緻に汲み取り、謀反を決意するまでの回想シーンを四つに分断させ、それを駆使した演出のシャープさ ―― これに尽きる。

 

以下、概略をフォローしていきたい。

 

人生論的映画評論・続: ドラマ特例篇 「この戦は、おのれ一人の戦だと思うている」 ―― 「『麒麟がくる』本能寺の変」・そのクオリティの高さ より

東ベルリンから来た女(‘12)  クリスティアン・ペツォールト

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<凛として越境し、地域医療を繋いでいく>

 

 

 

1  「私が地方に飛ばされた理由も知っているのね…孤立させてもらうわ」

 

 

 

1980年夏 旧東ドイツ ベルリンの壁崩壊後の9年前。

 

「孤立しない方がいい。ここの職員は敏感だ。首都ベルリン、大病院…みんな、卑屈になる」とアンドレ

「自分も卑屈になりたくないから、そう言うの?」とバルバラ

 

ベルリンからトルガウ(現・ドイツ東部。ザクセン州の都市)の小児外科病院に左遷されて来た女医バルバラ

 

その初日の態度を見て心配する同僚医師のアンドレは、彼女を車で送る際での会話である。

 

「道を聞かなくても、私の家へ行けるわけ?私が地方に飛ばされた理由も知っているのね…孤立させてもらうわ」

 

そんな物言いをするバルバラが地方へ左遷された理由は、西側への出国申請をしたこと。

 

以来、東独のディストピア(監視社会)の象徴・シュタージからの監視が強化されている。

 

バルバラを監視するシュタージの局員(諜報員)の名はシュッツ。

 

そんなバルバラが、人民警察(東独の準軍事組織)から連れて来られた少女・ステラを診ることになる。

 

髄膜炎か?ダニかな」とアンドレ

「たぶんね…草むらに6日間、隠れたって。マダニの生息地よ」とバルバラ

 

処置を終えたステラの病室で、アンドレバルバラに忠告する。

 

「ステラの入所は4度目で、仮病とサボりの常習犯だ…甘やかしは禁物だ」

 

バルバラは自転車で駅に出て、電車に乗り換え、レストランへ行く。

 

レストランのトイレで、ウエイトレスの一人から小包を受け取る。

 

そこには、待ち合わせ場所・時間のメモ・金が入っていた。

 

その小包を、十字架の下の岩に隠すバルバラ

 

夜になって官舎に戻ろうとすると、シュッツが車から声をかけてきた。

 

数時間、行方不明だったという理由で、彼らはそのまま部屋に入って来て、家宅捜索するのだ。

 

翌朝、出勤して来なかったバルバラを、アンドレが訪ねて来る。

 

「ステラが君以外の医師の処置を拒んでる」

 

童話を読んでもらえる喜びに浸るステラににとって、バルバラの存在は「解放者」として映っているようだった。

 

病院へ向かう車の中で、ステラが妊娠中であることをアンドレから知らされる。

 

以下、病院での短い会話。

 

「妊娠が本当なら、大変なことになる。堕ろさなきゃ」

「本人の希望か?」

「本人は知らない」

 

バルバラは血清の結果を再確認するために、アンドレの研究施設を利用して、自ら確かめる。

 

結果は同じだった。

 

アンドレの医師の技量を認知するバルバラ

 

「なぜ地方にいるの?人を監視するため?」

「ここが好きだ」

「私を説得する気?」

「何の説得?」

「出国申請を出すなと。“医者になれたのは、労働者と農民のお陰だよ”と」

「確かにそうだ」

 

そんな会話の後、バルバラはメモにあった待ち合わせの森に行く。

 

そこに仲間の運転で、西側の恋人ヨルクがやって来て、束の間、愛し合う二人が、そこにいた。

 

夜遅く出勤したバルバラは、ステラにいつものように絵本を読んで聞かせる。

 

「自分で読めるようになると、作業所に戻される。私を助けて、先生」

「やってみる」

「作業所には戻りたくない。耐えられないの。先生、赤ちゃんができた。何とかして」

「堕ろしたいの?」

「いいえ、違うの。トルガウから逃げたい。この国から逃げたいの」

 

疲弊し切っているバルバラを仮眠させたアンドレが、コーヒーを持って入って来た。

 

「報告書に書くの?」

「昔、ある病院にいて、ニュージーランド製の機器が入った。未熟児用の機器だ。保育器では助からない子を助ける。取扱説明書は英語で260ページ。読もうと努力したよ。僕には助手がいた。英語が少しできるから手伝ってくれた。疲労困憊の僕に、言ってくれた。“やっておきます”。機器の接続を任せた。ところが彼女は、摂氏と華氏を間違えた。異常に圧力が上昇し、2人の網膜を破壊した。名前はマイクとジェニファー。命は助かった。でも光を失った。僕の責任だよ。研究の道は絶たれ、ベルリン行きも消えた。もみ消してやる代わりに、地方で働けと。守秘義務が課せられた。報告の義務も。でも出世欲はない。3年前だ」

 

この話で、アンドレの置かれている立場が判然とする。

 

二人の会話は、ステラを救助する一件に転じていく。

 

「トルガウ作業所の実態は知ってる?作業所とは名ばかりで、抹殺するための施設よ」

 

そう吐き出すステラにとって、ディストピアからの解放だけが拠り所なのだ。

 

しかし、最長2日間しか退院を伸ばせないとアンドレに指摘され、困惑するバルバラ

 

かくてステラは、人民警察に無理やり連行されるに至った。

 

バルバラの名を呼び、泣き叫ぶステラに近寄り、抱き締めることしかできないバルバラ

 

監視の目を潜(くぐ)り、外国人専用ホテルに向かうバルバラ

 

恋人のヨルクが、ホテルの窓からバルバラを迎い入れた。

 

バルバラ、僕が君の所へ来るよ。東で暮らそう。ここで君と幸せになるんだ」

「気は確か?この国では無理」

 

そして、岩場に船で迎えにいくというその場所を指定するヨルク。

 

「決行はいつ?」

「この土曜の夜だ」

「勤務日よ。休まなきゃ」

「西に行けば眠れる。僕の稼ぎで十分だ。働かなくていい」

 

ヨルクの言葉には、医師としてのバルバラに対する基本的な認知の欠如が読み取れる。

 

人生論的映画評論・続: 東ベルリンから来た女(‘12)   クリスティアン・ペツォールトより

心と体と('17)   イルディコー・エニェディ

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<「個人的主観的リアリティ」を共有する男と女が、立ち塞がる障壁を乗り越えていく>

 

 

 

1  「それでは、今夜も夢で会いましょう」

 

 

 

ハンガリーブダペスト郊外(映画では、字幕・台詞の提示なし)。

 

食肉加工工場で、2カ月の産休に入った食肉検査員の代理として採用されたマーリア。

 

「気が重い。かなりの堅物で、あれは手を焼く」

 

社員食堂で、見慣れないマーリアについて尋ねた財務部長のエンドレに対する、同僚の友人イェヌーの言葉である。

 

左腕の不自由なエンドレには妻と娘がいるが、今は、別れて一人暮らしをしている。

 

そのエンドレは、トレーを片手に、食事中のマーリアに近づき、話しかけた。

 

形式的な挨拶を交わすが、マーリアの反応はどことなくぎこちない。

 

帰宅したマーリアは、調味料入れを使ってエンドレとの会話を再現し、「上手く切り返せれば会話が続けられたのに」などと反省するのだ。

 

そのマーリアは、食肉牛の検査で片っ端からBランクをつけ、従業員から陰口を叩かれていた。

 

既に、人事部で採用が決まっていた男性を面接するエンドレ。

 

「我々が加工処理する動物に対し、思うことは?」

「特に…何も思いませんが、哀れみでも?」

「哀れみも?」

「全然ですよ…血も平気です」

「憐れむ気持ちがゼロでは、勤まらない。続かないかも」

 

面接の相手はシャーンドル。

 

この面接相手の名は、その後に出来する「事件」の発生によって判明する。

 

面接中に、牛肉のBランクについてクレームの電話を受けたエンドレは、直接、マーリアに聞きに行く。

 

「規定より脂肪が厚い」

 

これがマーリアの反応。

 

品質の良さは分かっているが、肉眼で僅か2ミリ厚いことで、規定のBランクにしたとのことである。

 

普段の挙動の不自然さもあり、仲間から倦厭(けんえん)されるマーリア。

 

杓子定規の判定を下すマーリアの孤立が、一層、際立っていく。

 

そんな中、牛の交尾薬が盗まれるという事件が惹起する。

 

警察が犯人を特定するために、従業員全員の精神分析を始めた。

 

エンドレは、分析医から昨日の夢について質問された。

 

「夢の中で私は鹿だった…森をウロついたり、小川の水を飲んだり…他にも一頭いて、行動を共にしてた」

「オスとメス、どちら?」

「メスです」

「なぜメスと分かった?」

「感じた」

「交尾して?」

「ご期待を裏切るようだが、ヤッてない。2頭で、ただ森をウロつき、肉厚の葉っぱを探し、雪を掘り返した。小川に下り、水を飲みました」

 

次はマーリア。

 

「昨夜は、どんな夢を?」

「すごく空腹で…雪を掘り返したけど、食べ物がない。同行者が一緒に探してくれた。厚くておいしそうな葉っぱを彼が見つけて、私に全部くれたので、食べました。味は悪くなかった。少しもたれたけど、やがて奇妙な感覚に」

「夢では動物か何かに?」

「鹿です…小川まで下りてから…」

「交尾はしましたか?」

「ノーです」

 

その後、夢の話を申し合わせたと疑う分析官が二人を呼び出し、エンドレの録音を再生する。

 

そこで、二人は同じ夢を見たことを知る。

 

その夜、マーリアは鹿の夢を見る。

 

翌日の社員食堂で、マーリアは自分からエンドレのテーブルにやって来た。

 

「昨夜の夢は?」

「夢は見なかった」

「残念。では席を移ります。食事は一人が好きで」

 

パーソナルスペース(対人距離)の保持に拘泥するマーリアの形相には変化が起こらない。

 

片や、エンドレの元に同僚のイェヌーが来て、犯人はシャーンドルに決まっていると話すのだ。

 

エンドレはトレーの片づけをイェネーに頼み、マーリアに向かって、鹿の夢は「毎晩見ている」と伝える。

 

その夜も、鹿の夢を見た二人。

 

そして、互いに自分が見た夢を書き出し、交換して読むと、驚くべきことに同じだった。

 

「それでは、今夜も夢で会いましょう」

 

そう言って、エンドレは微笑む。

 

頷くマーリア。

 

その晩、エンドレは鹿の夢を見たが、メスの鹿は池の周りにいなかった。

 

エンドレは携帯番号のメモをマーリアに渡したが、マーリアは携帯を持っていないと言う。

 

その夜、マーリアの夢にオスの鹿は現れなかった。

 

マーリアは長年通っている精神科を訪ね、精神科医に携帯を持てばいいと促される。

 

家に戻り、いつものように人形を駆使し、エンドレとの会話を再現し、自分の本心を探りながら、未来に向けてシミュレーションする。

 

翌日、食堂でエンドレに携帯を買うことを告げるマーリア。

 

彼女なりに、エンドレとの距離を縮めようとトライしているのだ。

 

そのマーリアから電話が入り、携帯を買ったこととをエンドレが知らされたのは、別れた妻が訪問中のことだった。

 

「今夜、一緒に夢を」

 

エンドレもまた、トライしている。

 

その夜、二人は同時に眠ることを申し合わせた。

 

「ひとつだけ言っておきたいのですが、あなたは…私を怖がらなくても大丈夫…」

 

常にエンドレは、武装解除を拒むようなマーリアに警戒感を与えないように努めている。

 

そんな中、エンドレは件の精神分析医から、犯人が同僚の人事部長・イェヌーであることを聞かされる。

 

そして、分析医はマーリアと同じ夢を見ることについて尋ねるが、エンドレは二人で口裏を合わせたと誤魔化した。

 

話しても理解されないと思ったからである。

 

その様子を見ていたイェヌ―はエンドレを呼び、分析医の判断を尋ねた。

 

彼はシャーンドルが犯人であると決めつけるのだ。

 

しかし、イェヌ―の様子が一変する。

 

良心の呵責に苛まれたのか、イェヌ―は自分が犯人であると白状する。

 

事件を公にせず、反省を求めるのみのエンドレ。

 

その直後、エンドレはシャンドールに謝罪し、和解する。

 

部下に信頼されるエンドレの人間性が透けて見える。

 

そのエンドレはマーリアを食事に誘い、些かドラスティックな提案をする。

 

「隣同士で眠っては?眠るだけです。同じ部屋で。2人並んで。目覚めたら、すぐ夢の話ができますよ」

 

その夜、マーリアはエンドレのベッドに入り、エンドレはその隣の床に布団を敷いて寝た。

 

「眠れません」

「私もです」

 

眠れない二人はトランプに興じる。

 

初めてのトランプだったが、マーリアは抜きん出て巧みだった。

 

驚くエンドレ。

 

記憶力が異常なほど出色なマーリアに、感嘆すること頻(しき)りのエンドレ。

 

却って、それが不都合な時もあると吐露するマーリア。

 

最近接していく中年男と、年の差が離れた杓子定規の女。

 

「色恋から身を引いて、数年になる…ある時点で、卒業だと自分に言い聞かせた…今さら、一人芝居のピエロにはなりたくない」

 

だから中年男も、裸形の自己を晒して見せる。

 

然るに、中年男の吐露には、「卒業だと自分に言い聞かせ」る思いを晒しながらも、「一人芝居のピエロにはなりたくない」と言い添えることで、マーリアへの性愛を抑制する心情が、手に取るように分かるのだ。

 

この日は、それだけだった。

 

人生論的映画評論・続: 心と体と('17)   イルディコー・エニェディより