毒気なき「絶対反戦」のメッセージを異化する映画「小さいおうち」('14) ―― その異様に放つ「切なさ」   山田洋次

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<毒気なき「絶対反戦」のメッセージを異化する映画の、異様に放つ「切なさ」>

 

 

 

1  「坂の上の小さいおうちの恋愛事件が幕を閉じました」

 

 

 

いつものように、毒気のない反戦メッセージが随所にインサートされているが、思いの外、「基本・ラブストーリー」の映画の感動は大きかった。

 

同時に、残酷な映画でもあった。

 

―― 物語の基本ラインをフォローしていく。

 

赤い瓦屋根の「小さいおうち」で起こった恋愛事件。

 

それを「事件」と把握しているのは、おもちゃ会社の常務をする平井家(「小さいおうち」)で、女中として奉公するタキのみ。

 

「事件」を起こしたのは、平井の妻・時子。

 

相手は、おもちゃ会社に入ったばかりの板倉。

 

日中戦争や米国の動向など、戦況に無関心で、芸術を愛する板倉と価値観を共有する時子が、有能な独身青年に惹かれていくのは是非もなかった。

 

戦況の悪化で、中国での販路拡大にブレーキが掛かり、おもちゃ会社の再建に白羽の矢が立てられた若い板倉に、早々と所帯を持たせんとする会社の意向で、平井は時子に板倉の縁談話を、「業務命令」として指図する。

 

既に、相思相愛の関係に発展しつつあった板倉が、時子経由の縁談話を拒絶するのは自明のこと。

 

それにも拘らず、この縁談話は、時子にとって好機となった。

 

板倉との逢瀬(おうせ)を具現できるからである。

 

和服を着て、その板倉の下宿に通う時子。

 

「奥様の帯が解かれるのが、その日、初めてではないのではないかと思うと、私の心臓は妙な打ち方をした。それから二度、奥様は出かけた。二度とも洋装だった」(タキの晩年期の回想シーン/以降、「回想シーン」)

 

同時に、その事態は、「小さいおうち・絶対」の女の心を、激しく揺動させる。

 

タキである。

 

下宿に通う時子を見て、「小さいおうち」の破綻を案じるのだ。

 

「私、どうしたらいいか、分からないんです」

 

そう言って、時子の女学生時代の同級生・睦子に対して、嗚咽しながら吐露するのだ。

 

秘密の情報を共有する二人が、「小さいおうち」の一角にいる。

 

解決不能な状況下で懊悩するタキの自我が、小刻みに震えていた。

 

何より、タキにとって、建てられて間もない赤い瓦屋根の「小さいおうち」こそ、小児まひに罹患した一人息子・恭一の不自由な脚を、日々のマッサージで治癒する彼女の「女中人生」の全てだった。

 

「私、お嫁になんか行かなくていいんです。一生、この家に暮らして、奥様や坊ちゃんのお世話をしたいと思っています」

 

年の離れた初老の男との縁談を嫌がるタキが、その思いを受容する時子に吐露した際の言葉である。

 

だから、「奥様」時子のラブアフェア(情事)をスルーするわけにはいかなかった。

 

しかし、「奥様」時子のラブアフェアに、愈々(いよいよ)、歯止めが効かなくなる。

 

「そして、遂にあの日がきた」(回想シーン)

 

太平洋戦争末期、板倉に召集令状が届いた日である。

 

灯火管制(とうかかんせい)のシビアな状況下、「嵐の夜」(ラブアフェアの初発点)を思い出す時子に、召集令状を見せる板倉。

 

「似合わないわ、兵隊なんて…」と反応する時子に、動揺を隠す何ものもない。

 

「ダメです。死んじゃいけません!」

 

死を覚悟して帰路に就く板倉に向かって、叫ぶタキ。

 

もう、時間がなかった。

 

雨が止んだ翌日のこと。

 

板倉と会うために、「ちょっと出かける」と言って、忙しなく出かけて行こうとする時子の前にタキは、立ち開(はだ)かった。

                            

「奥様、およしになった方がよろしゅうございます」

「何のことを言ってるの?」

「板倉さんとお会いになるの、およしになった方が…」

「お餞別(せんべつ)を、お渡しするだけよ」

「それなら、私が参ります」

「今日のタキちゃんは、意地悪だわ。どいて頂戴」

「どきません」

「タキちゃん、私に指図するの。いつ、そんなに偉くなったの」

 

そう言うや、時子は玄関から出て行こうとする。

 

後方から、言葉を投げかけるタキ。

 

「こうしましょう。お手紙、お書き下さいまし。今すぐ、私が届けに参ります。今日のお昼過ぎ、お会いしたいので、お出かけ下さい。そう、お書き下さいまし」

「どうして、そんなことしなくちゃいけないの」

「板倉さんの下宿のご主人は、酒屋のおじさんの囲碁仲間なのです。酒屋さんは、奥様の姿を板倉さんの下宿で見かけたことがあると言うんです。このことが、旦那様や坊ちゃんに知られたりしたら、大変なことになります。…そう、なすって下さいまし。お願いです」

 

思いを込めた言葉を放つタキを振り払って、そのまま、足早に家内に戻り、手紙を書き、それをタキに渡し、時子は、「私、お待ちしてますからって、そう申し上げて」と言い添えた。

 

「しかし、板倉さんは、その日、お出でになりませんでした。日の暮れまで待ち続ける奥様のために、私は声をかけようもありませんでした。そして、坂の上の小さいおうちの恋愛事件が幕を閉じました」(回想シーン)

 

タキの又甥(またおい)・健史(たけし/大学生)に強く勧められ、ここまで自伝を書いて、閣筆(かくひつ)する晩年のタキの涙が、大学ノートに滴(したた)り落ちる。

 

そこに、健史が入って来て、大叔母を見て、柔和な言葉を投げ入れる。

 

「何で泣いてるの?…」

「私…長く生き過ぎたの…」

 

晩年のタキの涙が乾かない中で、回想シーンが繋がっていく。

 

「その日から暫く、奥様は生気を失ったようにぼんやりされていました。戦争は益々厳しくなり、女中を置くという贅沢は許されなくなってきて、私は山形の田舎に帰ることになりました」(回想シーン)

 

「待ってるわ」

 

元気を取り戻したような時子の言葉を受け止めて、嗚咽を漏らしながら、タキは帰郷するに至る。

 

それは、「小さいおうち」でのタキの、かけがえのない至福の日々の終焉を意味した。

 

  

人生論的映画評論・続: 毒気なき「絶対反戦」のメッセージを異化する映画「小さいおうち」('14) ―― その異様に放つ「切なさ」 山田洋次

 より

 「愛」があって「性」がある関係にのめり込んでいった少女の「愛の風景」 映画「第三夫人と髪飾り」('18)が訴える、女性差別の裸形の情態

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1  「女性共同体」の中枢に吸収されていく少女の変容

              *

 

 

「19世紀 ベトナム 14歳のメイは、裕福な大地主の第三夫人となる。事実に基づく物語」(冒頭のキャプション)

 

二艘(いっそう)の小舟。

 

先頭の一艘に、花嫁となる少女が乗り、渓流を上っていく。

 

少女を迎えたのは、養蚕業を営む大地主・ハン一家。

 

花嫁の名はメイ。

 

ハンの第三夫人として嫁いできたのである。

 

結婚式が華やかに執り行われ、第二夫人のスアンの歌が披露されている。

 

美しいスアンに見入るメイ。

 

幼さを残した表情には、緊張感が解(ほぐ)れていないのが透けて見える。

 

盛大な結婚式が執り行われたら、初夜の儀式が待っていた。

 

生卵の黄身をハンが口に含み、それをメイの体に這わせて、交接に及ぶのだ。

 

翌朝、枝にかけられた血の付いたシーツが花瓶に差され、その横にメイは佇んでいる。

 

処女の初夜を証明する習わしなのだろう。

 

「いつも村の医者がハ奥様に作ってた。奥様の妊娠中は毎日、私も祈りました。男の赤ちゃんの元気な鳴き声を聞いて、うれしかったわ」

「私も男の子を」

「そうですよ。スアンさんは、“奥様”とは言えない。旦那様の息子を産んでないからです」

 

筆頭使用人のラオとの会話である。

 

ラオが言う「ハ奥様」とは、第一夫人ハのこと。

 

そのハ夫人には、年頃の息子・ソンがいる。

 

唯一の男児を儲けたことで、ハ夫人=「ハ奥様」と呼称され、三人の女児を儲けた第二夫人スアンと一線を画すのである。

 

スアン夫人の二人の女児の名は、リエンとニャン。

 

三人目の子は、まだ幼児で、その名の映像提示はない。

 

一線を画す両夫人だが、二人には確執の欠片(かけら)も拾えない。

 

絹で編んだと思われる美しいアオザイベトナムの民族衣装)を身に纏(まと)い、弱い立場に置かれた者同士の「女性共同体」が、そこにある。

 

その「女性共同体」の中枢に、メイが吸収されていく。

 

「あの時はとても痛いの」とメイ。

「演技をすれば、旦那様も喜ぶわ。いつか、それが本当になる。ハ夫人は、荒々しくされるのが好き」とスアン。

「荒々しく?」とメイ。

「笑えばいいわ。そのうち分かるから。子供を産むと体が変わる」とハ。

 

装身具を磨きながら、ハとスアンが、不安含みのメイに、家主ハンからの愛され方を教授するのだ。

 

そんな折、スアンの長女リエンが初潮を迎えた。

 

喜ぶ母スアン。

 

リエンの妹のニャンは、メイとの花摘みの家路の途中、「黄色い花には毒がある」とメイに言い伝える。

 

「女性共同体」の暮らしに溶け込んでいくメイ。

 

そして、待ち望まれていたメイの妊娠。

 

「メイを甘やかさないで」

 

メイを可愛がる祖父に対して、ハが一言、添えた。

 

「心配しなくていい。あの子はまだ子供だ。野心などない。結局のところ、人は仏の陰に積もる塵に過ぎない」

 

「野心」という言葉に驚かされるが、ハの言葉には毒がない。

 

悪阻(つわり)で苦しみ、夜中に目覚めたメイが、寝床を抜け出したスアンのあとを追い、そこで見たのは、第一夫人の息子ソンとスアンの交接の現場だった。

 

その足でハンの寝床に戻って来たメイは、就眠しているハンのベッドの傍らで自慰行為に及ぶのである。

 

興奮する少女は「性」に目覚めたのだ。

 

スアンに対する想いも強化されていく。

 

そのスアンに優しく体を拭いてもらったり、髪を梳(す)いてもらって、愉悦するメイ。

 

その直後に提示された映像は、密通が発覚した使用人がハンに鞭打たれる描写。

 

女は剃髪(ていはつ)されて寺に引き取られ、男には罰が待っている、とスアンに聞かされた。

 

その夜、スアンは三人目の幼児を抱き、自分の部屋の前でリエン、ニャンと共に蒸し暑いひと時を過ごしている。

 

スアンの子守歌に聴き入っているメイ。

 

メイがベッドに入って来たハンを拒んだのは、この直後だった。

 

今や、メイには、スアンのことしか頭にない。

 

日々、スアンのことばかり考え、彼女なりのセクシュアリティーを感じてしまうので、ハンの性愛を受容し得なくなっているのだ。

 

まもなく、メイから乗り換えられたかの如く、ハ夫人が妊娠した。

 

ハ夫人のよがり声を聞くメイ。

 

小正月などの飾り物として、養蚕によって絹を作る繭玉(まゆだま)が映し出された。

 

今、三夫人が広い庭で寛(くつろ)いでいる。

 

向こうに見えるのは、スアンの三人の女児たち。

 

ラオが三人目の幼児を抱いているのが見える。

 

一幅の印象派絵画のような構図である。

 

ハ夫人の妊娠を祝う御馳走が振る舞われ、その様子を見ているメイには対抗心が湧いていた。

 

そして、自分に男の子が授かるよう祈るのだ 。

 

「どうか、私に息子を授けてください。この家で最後の男の子を」

 

まもなく、ソンの結婚が決まるが、乗り気ではないソンは刃物を振り回して拒絶する。

 

「知らない女となんか結婚できない」

 

ソンを抱きながら慰めるハ。

 

「私も相手を知らなかった。式の日に初めて会ったの」

 

そんな折、ニャンが可愛がっていた牛が病気になり、黄色い花で毒殺するハ。

 

烈しく拒絶するニャンは、スアンが無理やり食事を採らせようとするが、頑として拒否する。

 

「どうして毒草を?」とメイ。

「結婚式の日に死なれたら困る」とハ夫人。

 

朝方、当の本人のソンは諦め切れずに、スアンの元に行くが、スアンに拒まれてしまう。

 

「俺達には、子供も生まれたのに」

「あなたの娘じゃない。旦那様の子よ」

「何だって?嘘をつくな」

「いえ、本当よ。アザミ茶を飲んで、あなたのは流していた。分かったら、もう諦めて。もう行って…」

「僕を、愛してなかったのか?」

 

スアンも辛い。

 

しかし、それ以外の選択肢がないのだ。

 

部屋に戻ったソンは、ラオに慰められる。

 

ラオもまた、好きな人と一緒になれなかった話をして、一時(いっとき)、ソンの気持ちを和らげる。

 

ハが流産した。

 

メイは自分が息子を欲しいと祈ったから天罰が下る、と泣いてスアンに訴える。

 

「リエンを妊娠中に、息子が欲しいと祈った。ニャンの時もそうよ。でも3回目は祈るのをやめた。運命は変えられない」

 

スアンはそう話して、メイを慰めた。

 

かくて迎えた、ソンの結婚式の初夜。

 

あどけない花嫁・トゥエットが待っている部屋に、ソンは酩酊状態で入って来た。

 

少女が服を脱ごうとすると、「やめろ!」と叫ぶソン。

 

祝福すべき儀式が終焉した瞬間である。

 

一方、スアンに大きなお腹のマッサージをしてもらうメイは、愈々(いよいよ)、スアンへの「愛」を隠し切れなくなった。

 

メイはスアンにキスをし、スアンも応じるが、途中で止めさせた。

 

「こんなこと許されない」

「あなたを好きなの」

「ダメよ。天罰が下る」

「でも、愛してる」

「できないわ」

「どうして?」

「あなたは、もうすぐ子供を産む。きっと、自分でも混乱してるのよ。今の気持ちは、本物じゃない」

 

メイは、嗚咽しながらスアンを睨む。

 

「私を嫌いなのね」

「愛してるわ。でも、娘のように思ってるの」

 

もう、これ以上、先に進めなかった。

 

メイの「愛」も、終焉を迎えるに至る。

 

 

人生論的映画評論・続: 「愛」があって「性」がある関係にのめり込んでいった少女の「愛の風景」 映画「第三夫人と髪飾り」('18)が訴える、女性差別の裸形の情態 アッシュ・メイフェア より

「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」 ―― 映画「永遠の0」('13)という照準枠 山崎貴

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1  それ以外にない孤高の生きざまの最終到達点 ―― その風景の理不尽さ

 

 

 

公開当時、大きな話題を呼んだ映画「永遠の0」。

 

正直、原作者の名で引いてしまい、観るのを控えていたが、コロナ禍(2021・5)で観て、この映画が提示した問題のシビアさがひしと伝わり、深い感動を覚えた。

 

そこで炙り出した現状こそ、まさに、我が国の政治・文化風土が内包する峻烈な〈状況性〉を浮き彫りにしたと感受し、改めて起稿する思いに結ばれた次第である。

 

まず、イデオロギー的な偏見に捕捉される人たちが糾弾・誹議(ひぎ)する「永遠の0」が、「特攻賛美」の作品ではないこと。

 

最後は、「善きDNA」を繋ぐ「家族讃歌」に収斂される物語のコアに在るのが、映画の主人公・宮部久蔵の孤高の生きざまだった。

 

「果たして、こんな軍人がいたのか」という疑問を抱くのは、観ていて必然の理である。

 

だから、上官に異を唱えるや、その上官から「タコ殴り」されたのは必至だった。

 

あれだけ「タコ殴り」されれば、歯も何本も折れ、死んでもおかしくなかったが、そこは「基本・エンタメムービー」の範疇で処理する外にないのだろう。

 

「祖父は、一体、何者だったのか」という、一種、自己のルーツを探す孫・健太郎の旅の射程の最後で捉えた風景 ―― それは、「海軍一の臆病者」・「何より命を惜しむ男」と嘲罵(ちょうば)された宮部久蔵が、凄腕の零戦乗りであり、若者の命を救うために、機体の交換をしてまで、特攻隊員として果てて逝ったという壮絶な人生の様態だった。

 

自分の教え子を含む、多くの若者の「約束された死」の理不尽さに耐えられず、その責任を一身に負って、果てて逝く。

 

ここで、この辺りの心理の揺動を描いた、本篇の重要なシーンを再現する。

 

終戦の最末期・鹿屋基地(1945年)。

 

「菊水作戦」(海軍の特攻攻撃作戦)で、「神風特別攻撃隊」の中心的な出撃基地となった歴史的拠点である。

 

この鹿屋基地での宮部久蔵。

 

直掩機(ちょくえんき)の任務を負い、日夜、トレーニングに励み、常に整備点検を怠らなかった。(因みに、直掩機とは、味方の航空機を掩護する航空機のこと)

 

自分を待つ妻子のために、「生きて帰っていく」こと。

 

これが、宮部久蔵の絶対命題だったからである。

 

「何より命を惜しむ男」と謗(そし)られても構わない。

 

リアリティに欠ける設定だが、その強さがあったから、教え子にも、無駄死しないことを説く。

 

そんな男だった。

 

以下、鹿屋基地での、宮部と景浦の会話。

 

「あれが特攻です。今日、行ったのも私の教え子たちです。あんなもの、私は毎日のように見てきました。彼らがあの状況で、一体、何ができると思いますか。今や、敵機の性能は零戦を遥かに上回っている。対空砲艦も、日に日に勢いを増している。今日、殆どの機は敵側に辿り着けなかった。こんなことで死ぬべき人間ではなかった。戦争が終わった後の日本のために、生き残るべき人間だった。それなのに…俺は何もしてやれなかった」

「あの状況では、仕方がないと思います」

「簡単に言うな!何人が、何人が死んだと思ってるんだ!直掩機は特攻を守るのが役目だ!たとえ自分が盾になろうとも、守るのが務めだ!それなのに、俺は逃げた!彼らを見殺しにした!俺は彼らの犠牲の上に生き長らえてる…彼らが死ぬことで、俺は生き延びてるんだ…俺はどうすればいい…どうすればいい…」

 

この宮部久蔵の言葉に集約されるのは、「特攻」という、戦争遂行能力において全く無意味な作戦のうちに顕在化する、「大和魂」という名で声高に闊歩(かっぽ)した、この国の度し難い精神主義=「玉砕主義」の文化構造的な痼疾(こしつ)への弾劾である。

 

本来的な闘争心の脆弱性を、その底層に隠し込んだ、「散華」の美学という、極めて厄介な痼疾だから救い難いのだ。(拙稿 時代の風景「『雪の二・二六』 ―― 青年将校・その闘争の心理学」を参照されたし)

 

【これについては、本稿のテーマでもあるので、章を変えて後述していく】

 

―― ここで、映画の最後の部分をフォローする。

 

景浦に対して語気を荒げた宮部久蔵の、その内的時間は、彼の冥闇(めいあん)なる物理的時間(生活時間)を食い潰していく。

 

それは、殆ど狂気の世界だが、実の祖父・宮部久蔵の、それ以外にない孤高の生きざまの最終到達点なのだ。

 

そして、その若者が、祖母を亡くして滂沱(ぼうだ)の涙を流す賢一郎であった事実を知り、驚愕する司法浪人・健太郎

 

宮部久蔵の苛烈を極める生きざまに辿り着き、橋の欄干で号泣する健太郎が、そこにいる。

 

「約束された死」をトレースし、零戦・搭乗員となって、大空を飛翔する実の祖父のイメージに結ばれ、号泣するのだ。

 

「基本・エンタメ」として自己完結する映画の後味は、決して愉快ではなかったが、それが作り手の手法であると受容するだけである。

 

 

人生論的映画評論・続: 「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」 ―― 映画「永遠の0」('13)という照準枠  山崎貴 より

愛する人('09)     ロドリゴ・ガルシア

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<「未知なる娘」と「未知なる母」の、重くて長い時間が繋がっていく>

 

 

 

「産む」という、人間の根源的営為の問題をコアにして、「母と子」という、身近であるからこそ、様々に厄介なマターを抱え、それがディープで、重厚なテ-マのうちに凝縮される物語の主線には、希望と煩悶を抱える3人の女性がいる。

 

エリザベス。

 

37歳の有能な弁護士である。

 

「ここロサンゼルスに生まれ、その日に養子に出されました。実母のことは何も…」

 

これは、エリザベスが勤務する法律事務所の上司・ポールへの吐露である。

 

「私にとって、母は、いつも14歳の少女」

 

盲目の少女に語った言葉である。

 

養子に出された体験によって、愛情に関する不信感が膨張し、誰とでも男女関係を持っても、「見捨てられ不安」に起因するエリザベスの孤独は深まっていくばかりだった。

 

エリザベスのトラウマの根の深さは、17歳の時に、後遺症があると言われる「卵管結紮」(らんかんけっさく)という、不妊手術の永久的な処置を受けていた事実(未成年は違法)によって判然とするだろう。

 

ところが、「卵管結紮」でも稀に妊娠する事例を、法律事務所の嘱託医・ストーン医師に指摘され、検査でエリザベスの妊娠が明らかになった。

 

件(くだん)の上司・ポールとの子供を妊娠したのである。

 

にも拘らず、心優しく、エリザベスを愛するポールと、エリザベスは別れてしまう。

 

シングルマザーとして子供を産む決意をするのだ。

 

どこまでも、他者に依存し、他者とのインティマシー(親密な関係)を構築することを拒む彼女の鋭角的な性向が、こういう行為に振れるのである。

 

しかし、この思いも寄らない行程の中で、彼女の心は大きく変容する。

 

「母に会いたい」

 

この思いが募ってきたのである。

 

僅か14歳で、自分を養子に出した母の置かれた立場の厳しさ ――  この心情が理解を得るに至ったのである。

 

だから、手紙を認(したた)める。

 

「どうか不快に思わずに、迷惑はかけません。お腹の子に、生まれついて教えたいのです。私はLAに住み、仕事に成功。経済的に自立しています。何でもお話します。もし同じ気持ちなら、とても、うれしいです。連絡を取りたくなければ、その思いを尊重します。もし会えるなら、過去ではなく、未来に向けて歩みましょう。私は1973年11月7日生まれ。名前はエリザベス。あなたを想っています」

 

「未知なる母」に向けた、エリザベスの想いを込めたメッセージである。

 

そして、「未知なる母」もまた、独りで煩悶する日々を常態化していた。

 

診療所に勤務する作業療法士(OT)・カレン。

 

51歳である。

 

「何をしていても…何を考えていても、あの子のことが気になる」

 

だから、「未知なる娘」への手紙(日記)を書き綴ることがルーチンになる。

 

「母が、あなたを知ることも、あなたが母を知ることもない。母とあなたとの間には永遠の沈黙が。私たちは、そうなりたくない。あなたと私は…いつか、私たちは出会い、あなたは私を赦(ゆる)してくれる」

 

カレンの母が逝去した時の日記である。

 

その母が、娘(カレン)の人生を台無しにし、心から後悔している思いを、家政婦のソフィアに打ち明けていた事実を知らされ、衝撃を受けるカレン。

 

「あなたを恐れていたのよ」

 

酷薄とも思える、ソフィアの反応である。

 

カレンの思いは空転するばかりだった。

 

益々気難しくなり、自分の殻に閉じこもり、老母を看取って、彼女の精神的な孤独も深まっていく。

 

そんなカレンを慰撫(いぶ)する男が現出する。

 

ヒスパニックのパコである。

 

カレンを全人格的に受容したことで、取り返しがつかない自分の過去を正直に告白する。

 

パコの強い後押しが推進力になって、「未知なる娘」を捜す決意を固め、動いていくのだ。

 

一方、エリザベスは、胎盤が正常よりも低い位置にあるために、子宮の出口を覆ってしまう「前置胎盤」の状態であり、帝王切開術が不可避であるを事実を担当医から知らされる。

 

そして、無理が祟(たた)って、救急搬送されたエリザベスの手術の日。

 

出血して状態を悪化させたため、自身の命の危険性が増大していた。

 

「生まれる瞬間を見たいの」

 

そう言って、赤子を産むエリザベスの意識が遠ざかっていく。

 

出血が止まらず、酸素吸入するが、あえなく昇天してしまうのだ。

 

1年後。

 

「未知なる娘」との出会いは、あまりに悲痛だった。

 

養子縁組を仲介する若いシスターの保管ミスによって、エリザベスの手紙を受け取れなかったカレンは今、謝罪するシスターから、「未知なる娘」からの手紙を受け取ることに至ったのである。

 

「1年以上前に死んでいたの。娘がいるって。まだ幼い子よ。その子は…養子に出されたとか。これが結末」

 

悲哀を極めるカレンを、ここでも宥(なだ)めるだけのパコ。

 

そんな折、中年夫婦に朗報がもたらされた。

 

養母が会ってもいい、というシスターからの吉報だった。

 

「我が娘・エリザベスが産んだ子と会える」

 

それは、14年間、「未知なる娘」であったエリザベスとの血縁が、心理的・物理的に誕生・復元することを意味するのだ。

 

希望の光が見えたのである。

 

喜びを隠し切れないカレン。

 

そして、エリザベスの娘エラを養子にして、幸せな日々を送るのは、養母となったルーシー。

 

子供を産めない身体のため、養子を希求する行為を繋ぐルーシーの日常は、決して順風満帆ではなかった。

 

産まれた子を養子に出す約束をした妊娠中のレイが、母親の反対もあって、養子縁組を解消したのである。

 

へその緒を自ら切ったにも拘らず、無慈悲にも解消されて、荒れ狂い、暴れまくるルーシー。

 

そればかりではない。

 

養子を希求する思いが脆弱な夫・ジョゼフとの別離である。

 

養子縁組の交渉から度外視するルーシーが、実子を望む言辞を浴びせた夫と離婚するのは必至だったのだ。

 

そんな中で、舞い降りた幸運の女神。

 

それが、逝去したエリザベスが産んだ赤子だった。

 

既に逝去して、ルーシーは身寄りのない子を養子にするが、赤ちゃんの泣き声や頻回授乳に苛立ち、「あの子を愛してない」とまで言う始末。

 

「赤ん坊を育てるのは、あなたが世界初?子育てを何だと思ってた?泣きごとを言うんじゃない。大人になって、しっかりしなさい。母親になるのよ」

 

赤ん坊の泣き言に立腹したルーシーの母から厳しく説諭され、少しずつ意識が変わってゆくルーシー。

 

エラと名付けられたエリザベスの娘は、1年後には可憐な幼児に成長し、ルーシーのかけがえのない存在として養育されていた。

 

そのエラの愛くるしい笑顔に出会って、カレンもまた、至福のひとときを愉悦する。

 

それでもう、充分だった。

 

「見てみたかった。違う髪形をしたり、新しい靴をはく。あなた…初めての生理はいつ?助けてくれる人はいた?誰か説明してくれた?私が聞いた夜の雨音を、あなたも聞いた?あなたの心の安らぎは?あなたを何も知らない。仕方のないことね。でも今日、エラに会えたわ。あの子は、まるで、空白の38年間を一瞬にして飛ぶ鳥。過ぎ去った戻らない年月を突きつけられるよう…でも、すべては、もう過去のこと。今はエラがいる。神の祝福を。エラこそ心の安らぎよ」

 

そこまで書いて、ペンを置き、ベッドに横たわるカレン。

 

カレンは今、エリザベスの過去と現在の、二枚の写真を丁寧に並べ、それに見入っている。

 

いつまでも見入っている。

 

ルーシーを介して、「未知なる娘」が産んだエラと繋がることで、「未知なる娘」と「未知なる母」の、戻ろうとしても戻れない、重くて長い時間が繋がったのである。

 

二人の時間が繋がったのだ。

 

「もし会えるなら、過去ではなく、未来に向けて歩みましょう」

 

エリザベスの手紙の言葉が、ここに今、復元し、共有されたのである。

 

 

人生論的映画評論・続: 愛する人('09)     ロドリゴ・ガルシア

 より

わたしは光をにぎっている('19)   中川龍太郎

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<時代の変化が怒涛の勢いで押し寄せてきても、「善き文化」は受け継がれていく>

 

 

 

1  「目の前のできることから、一つずつ、できないことより、できそうなことから…小さなことでもいいから」

 

 

 

「澪と同じ、二十歳だったかな。私がここに来たのは」

「行きたくないよ」

「一人で守っていける?…見る目、聞く耳、それがあれば大丈夫」

 

湖畔の民宿で、祖母・久仁子と、その孫・澪(みお)の会話である。

 

病が原因で、民宿の閉鎖を余儀なくされた久仁子から背中を押され、上京することになった澪。

 

亡き両親に代わって養育してくれた、その祖母から渡された一冊の詩集。

 

山村暮鳥(明治・大正期の詩人)の「わたしは光をにぎっている」である。

【以下、「余白の詩学」を参考にしました】

 

自分は光をにぎつている

いまもいまとてにぎつている

而(しか)もをりをり(折々)は考へる

此(こ)の掌(てのひら)をあけてみたら

からつぽではあるまいか

からつぽであつたらどうしよう

 

上京した澪が、チラシ配りのエチオピア人に訊き、道案内してもらったのは、下町(提示された映像から、池上商店街と思われる)の銭湯・伸光湯(しんこうゆ)だった。

 

澪を迎えたのは、亡父の旧友である、銭湯の主人・三沢京介。

 

仕事が見つかるまで好きに使っていいと、部屋を提供されたのである。

 

澪は早速、スーパーの仕事を見つけた。

 

銭湯の常連客の緒方銀次は、おでん屋で自主映画を撮っていた。

 

老主人にインタビューをしたあと、帰って来た澪もカメラを向けられるが、顔を隠している。

 

「今も澪ちゃんは、今しかいないんだよ。一瞬ずつ、人間は、細胞だって、心だって、変化していくわけでしょ?同じ風は二度と吹かない。それと同じ。それを切り取りたいの、僕は」

 

そこに、銭湯の常連客の人、OLの島村美琴(みこと)が入り込んで来た。

 

「気を付けてね。こういう口だけの男が、東京には腐るほどいるから…過去のことばかり言う男には、未来はないからね」

 

澪の歓迎会で、3人は待ち合わせしていたのである。

 

しかし、接客業が苦手な澪は、バイト先のスーパーをあっさりと辞めてしまった。

 

折も折、祖母から電話が入った。

 

「ちゃんと生きてますか?…目の前のできることから、一つずつ、できないことより、できそうなことから…小さなことでもいいから」

 

電話を切った澪は、寝転(ねころ)んで耳を澄ますと、京介が銭湯の洗い場を掃除する音が聞こえてきた。

 

澪はその様子を見に行き、自分自身も掃除を始めるのだった。

 

まもなく、銭湯の仕事は、京介と二人の共同作業となっていく。

 

澪はフロント(番台形式ではなく、フロント形式)に座り、常連客とのやり取りもスムーズになり、自ら進んで商店街でみかんを調達し、みかん湯を作って客をもてなした。

 

ところが、少女の客の母親から、そのみかんにアレルギーを起こすというクレームをつけられた。

 

ひたすら謝罪する、京介と澪。

 

「こういうのは、事前に告知することになってんだよ」

 

京介の緩(ゆる)やかだが、「想像力の欠如」を戒める指摘である。

 

澪は、早速、掲示板に紙を貼った。

 

そこに銀次がやって来て、自主映画のポスターを頼まれた。

 

澪はその映画を見に行き、銀次に映画館の中を案内される。

 

銀次は、その一角に住み込んでいるのである。

 

「このアーケードは、50年の歴史がある。もう、この通りは殆どチェーン店ばっかりになっちゃったけど、それでもこの天井の下では、何人もの人たちが、いろんなことを思ったり、考えたりしながら、歩いたり、立ち止まったりしてきたわけだ」

 

澪に語った銀次の、映画製作のエッセンスを吐露する言辞である。

 

 

 

2  「見る目と、聞く耳、それがあれば、大丈夫…最後までやり切りましょう」

 

 

 

夜の公園のベンチに座っていると、先日、道案内をしてくれたエチオピア人が自転車で通りがかり、自分の店に澪を誘った。

 

澪はエチオピア人のコミュニティーとなっている酒場で、楽しいひと時を愉悦する。

 

一方、京介は都市の再開発事業の会合に出かけていく。

 

伸光湯の立ち退きは時間の問題だったのだ。

 

最後まで粘っていたが、立ち退きを受け入れざるを得ない京介は泥酔して帰り、澪にその事実を伝え、謝罪した。

 

そんな折、祖母が逝去したという知らせを受け、澪は京介を伴い、実家に戻った。

 

広い座敷の布団に安置された、祖母の死顔を見つめる澪。

 

澪は部屋を見渡し、叔母に訊ねた。

 

「ここも、壊しちゃうの?」

「古いからさ。お祖母ちゃんも、壊すタイミング探してたし」

 

澪は日暮れた湖畔に佇み、湖に入っていく。

 

澪は、湖上を走る船上で、祖母と話した時のことを思い出していた。

 

「本、読んでないでしょ。言葉は、必要な時に向こうからやってくるものなのよ。形のあるものは、いつかは姿を消してしまうけれど、言葉だけは、ずっと残る。言葉は、心だから。心は、光だから」

 

相当に気障(きざ)な台詞だが、本篇のメッセージである。

 

民宿に戻った澪は、お風呂に浸かっている。

 

伸光湯を潰すことになった京介の無念さを、故郷の地で思い起こしていた。

 

「見る目と、聞く耳、それがあれば、大丈夫…最後までやり切りましょう。どう終わるかって、多分、大事だから。うん、ちゃんとしましょう」

 

映像に映し出された澪の、凛として放った、それ以外にない自己表現である。

 

そんな渦中で、弥々(いよいよ)、商店街は立ち退きの日を迎えようとしている。

 

自分は光をにぎつている

いまもいまとてにぎつている

而(しか)もをりをり(折々)は考へる

此(こ)の掌(てのひら)をあけてみたら

からつぽではあるまいか

からつぽであつたらどうしよう

 

復唱される山村暮鳥の詩である。

 

銀次が撮ったフィルムの映像が、「伸光湯の感謝祭」と銘打ったスポットで、商店街やお客さんを集めて上映されていく。

 

映画館をはじめ、商店街の店の閉店を告知する張り紙と、壊される古い家屋、伸光湯の閉店の張り紙と、薪を焼(く)べる京介、長年、店を営んできた商店主たちの笑顔が次々に映し出されるのだ。

 

けれど自分はにぎつている

いよいよしつかり握るのだ

あんな烈しい暴風(あらし)の中で

摑んだひかりだ

はなすものか

どんなことがあつても

おゝ石になれ、拳

此(こ)の生きのくるしみ

くるしければくるしいほど

自分は光をにぎりしめる

 

澪が読む山村暮鳥の詩が、フィルムの映像に被さっていく。

 

上映後、澪は京介に別れを告げ、去って行った。

 

一年後。

 

京介は、マンションの一室で、一人暮らしを繋いでいた。

 

ある日、公園でおにぎりを食べた後、タウン誌(?)の情報で目にした銭湯に足を運ぶ。

 

向かった銭湯の名は「鹿島湯」。

 

暖簾(のれん)を潜(くぐ)り、中に入ると、正面のフロントには澪が座っていたのだ。

 

驚いたように、京介の視線は釘付けになる。

 

ラストカットである。

 

人生論的映画評論・続: わたしは光をにぎっている('19)   中川龍太郎

 より

その手に触れるまで('19)   ダルデンヌ兄弟

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<内実の乏しい観念系で武装した少年が、その曲線的展開の中で決定的に頓挫する>

 

 

 

1  「僕は大人だ。大人のムスリムは女性に触れない」

 

 

 

「さよならの握手は?」

「さよなら」

「私と握手するなと、導師(イマーム)に言われた?」

「僕は大人だ。大人のムスリムは女性に触れない」

「他の子は握手する」

「間違ってる」

 

イネス先生に、帰り際に呼び止められたアメッドは握手を拒否し、そのまま急いで教室を出て行った。

 

兄ラシッドと共に、アメッドは食品店を経営する導師の元に向かい、いつものように、教徒たちが店の裏の部屋に集まり、祈りを捧げる。

 

帰宅すると、先生と握手しないことで、母親がアメッドを叱りつけた 。

 

「イネス先生は、識字障害克服の恩人よ。毎晩、読み書きと計算を教えに来てくれた…導師に洗脳されて以来、部屋で祈ってばかり」

「僕の意思だ」

「一か月前はゲーム三昧だった。それが急に…袖の短いTシャツまで嫌がり始めた。お前たちの従兄みたいな、あんな最期は絶対に嫌よ」

 

しかし、アメッドは聞く耳を全く持たず、母親を〈飲んだくれ〉とアラビア語で呟き、反抗する。

 

アラビア語の歌謡曲」の授業を、イネス先生が提案していると導師に伝える。

 

「あの教師は背教者だ。預言者の聖なる言葉を、歌で学ぶなど冒涜的だよ」

 

ラシッドは、イネス先生の説明会にはサッカーを理由に、「行けない」と答えるが、この辺りがアメッドと切れている。

 

「信仰よりもサッカーか?あの教師の目的は何だ」

 

導師がラシッドを問い詰める。

 

無言だった。

 

「僕らをコーランから遠ざける」

 

代わりに、アメッドが答えた。

 

「我らの宗教が消え、ユダヤや異教徒と混ざり合う」

 

導師は説明会に参加して、反対の声を上げさせたいのである。

 

「歌を通じて、使える単語を増やしたいの。コーランに出てこない日常的な単語を学ぶ」

 

イネス先生は、参加者に歌の授業の目的を説明した。

 

ここで、参加者から様々な意見が噴出する。

 

アラビア語を学ぶのは、いい信徒になるため。それ以外のことは、あとでいい」

「カイロにいる姉の子は、モスクと学校両方で学んで上達した」

 

そこで、ラシッドが言葉を挟んだ。

 

イスラム教が廃(すた)れてしまっても、イネス先生はどうでもいいんだ」

 

その意味をイネス先生が追求すると、ラシッドは下を向いて答えられない。

 

ここでも、アメッドが代弁する。

 

「先生の新しい彼氏は、ユダヤ人でしょ」

「何が言いたいの?」

 

イネス先生の問いに答えず、二人は説明会から出て行ってしまう。

 

ラシッドはサッカーへ行き、アメッドは導師の食品店の手伝いに行った。

 

導師は、「殉教」したアメッドの従兄を引き合いに出して言い切った。

 

〈邪魔者は殺せ〉

 

あろうことか、アメッドにイネス先生の殺害を示唆するのだ。

 

イネス先生が食品店にやって来て、アメッドを外に呼び出したのは、その時だった。

 

コーランは、他の宗教との共存を説いてる。私は父から、そう教わったわ」

ユダヤ教キリスト教は敵だ」

「握手しなくていいから、放課後クラスに来て」

 

イネス先生の殺害を決意したアメッドは、自宅でジハード決行のシミュレーションを立て、ナイフを靴下に挟んで、イネス先生のアパートへ向かう。

 

イネス先生の部屋に入ると、〈アラーは偉大なり〉とアラビア語で呟き、ナイフで刺そうとするが、ドアを閉められ、呆気なく頓挫する。

 

アメッドは走って逃げ、導師の元に向かった。

 

「殺せとは言ってない…警察が来る前に自首しろ」

「どこかに逃がして」

「急には無理だ…お前が教師を襲ったのは、ネットの導師の影響だ」

 

導師は無責任に言い逃れ、かくてアメッドは自首して、少年院での収容生活が開かれていく。

 

 

 

2  「“努力して、真のムスリムになってほしい。そうすれば僕を誇りに思ってくれるはず”」

 

 

 

二度目の面会にやって来た母は、導師が逮捕されたことを伝え、泣きながら訴える。

 

「変わらなきゃダメよ。これが現実なんて思えないし、夜も眠れない」

 

その後、アメッドは収容当初辞めてしまった、農場での「更生プログラム」に復帰し、会いたいと伝言してきたイネス先生と会うことを母親に電話で伝えた。

 

その電話を受けた母親は笑みを湛(たた)えつつも、落涙する。

 

担当の教育官が酪農家に連れていき、宗教上の理由から、犬との接触を避けるアメッドだったが、その農家の娘・ルイーズと共に、家畜の世話に専心していく。

 

それでも、祈りは熱心に欠かさず行うアメッド。

 

教育官は心理士との面会で、イネス先生と会うのはまだ早いとアメッドに伝えた。

 

アメッドは酪農家を去る際に、歯ブラシを隠し持って少年院に戻った。

 

そして、金属探知機を避け、持ち込んだ歯ブラシを擦(こす)り、尖(とが)らせる作業を行うのだ。

 

アメッドは、自分が変わったと見せかけ、イネス先生と会い、再び、殺害を決行しようと考えているのである。

 

しかし、この「ジハード」もまた、時期尚早だった。

 

2度目の心理士の面会で、再び、「被害者と会うのはまだ早い」と告げられ、面会は延長される。

 

ペンを教官から借り、母親に出紙を書くアメッド。

 

「“努力して、真のムスリムになってほしい。そうすれば僕を誇りに思ってくれるはず”」

 

アメッドは何も変わっていなかったのだ。

 

後日、アメッドは担当判事らの立会いの下、イネス先生と面会する場が設定された。

 

警察のボディーチェックを逃れ、トイレで先の尖った歯ブラシを靴下に忍ばせる。

 

イネス先生は部屋に入り、アメッドの顔を見るや、取り乱して泣き出したので、担当判事が即座に退出させてしまった。

 

「君の行為の結果だ。分かるね」

「また会えますか?」

 

心理士に連絡すると答えた担当判事は、アメッドを諭した。

 

「農場の仕事を続けなさい。あれに助けられる若者は多い」

 

かくて、農場での生活が続く。

 

真面目に農作業に専念するアメッド。

 

一緒に働くルイーズはアメッドに好意を持ち、休憩中にアメッドの眼鏡を外した顔を見たり、眼鏡を借りてアメッドを見たりして、物理的に最近接する。

 

「こっち見て。キスしたい」

 

そう聞くと、ニコリを笑ったアメッドにメガネを返した。

 

「ビーツの畑を見る?」

 

「アメッドを信じる」と、担当教育官の許可を得て、二人だけで畑に向かった。

 

畑に蹲(しゃが)んで話しながら、ルイーズは再びキスをしようとすると、アメッドは立ち上がって避ける。

 

それでも立ち去らないのは、本当はキスしたいからだと、ルイーズは言って、アメッドと口を合わせるが、アメッドは立ち上がって遮断する。

 

農家に戻って来たアメッドは、洗面所で何度も口を濯(ゆす)ぎ、礼拝を始めた。

 

「僕は罪を犯しました。二度と繰り返しません」

 

その直後、アメッドはルイーズの部屋を訪れた。

 

帰り際の挨拶を待っていたと言うルイーズ。

 

「あなたが来た最初の日から、特別な気がしてた。あなたは?」

 

アメッドも小さく頷いた。

 

ムスリムになる気はある?今日、畑でしたことは罪だ…」

「無理強いしたなら、ごめん」

「君が改宗すれば、罪が少しはマシになる。結婚前ってことには、変わりはないけどね…改宗する?」

「断ったら、私とは終わり?」

「うん」

「じゃ、さよなら」

 

ルイーズはそう言うや、その場を去っていった。

 

アメッドは施設に帰る際、教育官に嘘をつき、ルイーズがいる納屋へ行った。

 

「僕が好きなのに、なぜ改宗しない?」

「強制は嫌い」

「僕は地獄行きだ」

「天国も地獄も存在しない」

 

それを聞くや、アメッドは「不信心者!」とルイーズを突き飛ばした。

 

「出て行って!」

 

叫ぶルイーズ。

 

二人の関係が終焉した瞬間である。

 

帰宅途中、アメッドは隙を狙って走行中のドアを開け、車から飛び降りて林へ逃げて行った。

 

教育官はアメッドを追い駆けるが、アメッドは林を抜け、バスに乗り込んで去って行く。

 

そして、向かった先は放課後教室。

 

アメッドは教室に入る前に、鋭利な凶器を探し、花壇を吊るすフックを抜いて胸ポケットにしまい込んだ。

 

しかし、教室には鍵がかかり、建物の中に入れない。

 

アメッドが犯した未遂事件の影響が、そこに読み取れる。

 

外壁を登り、屋根に上がったアメッドは、更に、外壁を伝って窓から侵入しようとするが、その瞬間、背中から落下してしまった。

 

地面に仰向けになったまま、体を起こすことができないアメッド。

 

脊髄か骨折か、判別しにくいが、重傷を負ったのだ。

 

「ママ…ママ…」

 

左腕の力で這い、フックで金属を叩いて音を出し、助けを求めるアメッド。

 

中からイネス先生が出て来て、寝転んでいるアメッドに気づく。

 

「アメッド、聞こえる?」

「うん」

「救急車を」

 

立ち上がろうとするイネス先生の腕を掴むアメッド。

 

「イネス先生…先生…許して。ごめんなさい」

 

そう言って、アメッドはイネス先生の手を強く握るのだった。

 

印象深いラストシーンである。

 

人生論的映画評論・続: その手に触れるまで('19)   ダルデンヌ兄弟 より

 

 

 

「コスモポリタン」を無化した女の情愛が、地の果てまで追い駆けていく 映画「スパイの妻」('20)の表現力の凄み  黒沢清

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1  「私が怖いのは、あなたと離れることです。私の望みは、ただ、あなたといることなんです」

 

 

 

一九四〇年 神戸生糸検査所

 

英国人のドラモンドが、軍機法(軍機保護法)違反で憲兵たちに連行された。

 

貿易会社を経営する優作の元に、取引先の友人でもあるドラモンドがスパイ容疑で逮捕されたと、優作の幼馴染の泰治が報告にやって来た。

 

神戸憲兵分隊長である泰治は、外国人を相手に仕事をする優作と、共通の幼馴染の妻・聡子の先行きを心配し、警告する。

 

神戸の豪邸に住む優作は、趣味である8mmフィルムの映画を製作し、妻・聡子にスパイ役を演じさせていた。

 

優作が多額の罰金を払い釈放されたドラモンドが、自宅を訪れ上海に発つことを、聡子に告げる。

 

その優作は、大陸を一目見たいと、趣味の映画の撮影機材を持ち、甥の文雄を連れて、満州へ旅発った。

 

聡子が女中を連れ、山に自然薯(じねんじょ)を掘りに行くと、天然の氷を取りに来た泰治と偶然出会い、自宅に来るよう誘う。

 

福原邸に呼ばれた泰治は、ここでもまた、洋装し、舶来のウィスキーを飲む暮らしを享受する聡子に警告する。

 

予定より遅れて帰国した優作を出迎え、抱き締める聡子。

 

しかし、優作が一人の女を連れて帰って来たことに、聡子は気づかなかった。

 

昭和15年、福原物産忘年会の場で、優作が制作した映画が上映された。

 

社員全員に砂糖と餅が支給され、一年の勤労が労われた。

 

その場で、文雄は小説を書くために会社を辞め、有馬温泉に籠ることを発表する。

 

「大陸で、実際の戦争を目にして思いました。いつ呼ばれるか分からぬ身ですから、そうなる前に、何か一編でも後世に残せるようなものをしたためておきたい」

 

会社に残る聡子と優作。

 

「文雄さん、どこか前と変わってしまった」

「冒険心に火が付いたのさ。満州で…聡子、僕はアメリカに行くかも知れない」

 

対日輸出制限をしたアメリカが敵になる前に、渡米すると言うのだ。

 

「見ておきたいんだよ。もう一度…摩天楼を見ないで死ねるか!」

 

後日、優作が帰国の際に連れてきた女・草壁弘子の水死体が見つかった。

 

この件で、泰治に呼び出された聡子は、優作の斡旋で、弘子が文雄の逗留する旅館に女中として働いていたことを知らされた。

 

殺人事件に優作は関わっていないが、文雄との痴情の縺(もつ)れが疑われているようだった。

 

「お呼びしたのは、あらかじめ、心構えをしていただきたかったからです」

「どんな心構えを?」

「あなたと、あなたのご亭主が、これからどう振舞われるか、我々はそれを注視しています」

 

何も知らされていなかった聡子は、食事中に優作を質した。

 

「お願いです。本当のことをおっしゃって下さい。こんな気持ちは結婚以来、初めてです。私は急にあなたのことが、分からなくなりました」

「問わないでくれ。後生だ。僕は断じて恥ずべきことは何もしていない。ただ僕は、君に対して嘘をつくようにはできていない。だから、黙るしかない」

「そんなの、嘘と変わりません」

「君がどうしても問うなら、僕は答えざるを得ない。だから、問わないでくれ。僕という人間を知ってるだろ。どうだ、信じるのか、信じないのか」

「卑怯です。そんな言い方」

 

涙声で反駁(はんばく)し、黙考した聡子は、優作の問いに答えた。

 

「信じます。信じているんです」

「この話は、これで終わりだ。いいな」

 

その夜、聡子は悪夢にうなされた。

 

優作が聡子と泰治の関係を疑い、死んだ弘子と一緒に、優作の嘘の上手さを笑っているという夢だった。

 

優作の遣いで、旅館の文雄の元にやって来た聡子は、事実を聞き出そうとする。

 

「あなたは何も分かっていない。あなたが、安穏と暮らすために、おじさんがこれまでされたご苦労を、何もご存じない!」

「おっしゃってる意味が、分かりません!」

「その通り!あなたは、何も見なかった。あなたには、分かりようがない!」

 

そう叫んだあと、胸を抑える文雄は、今度は静かに吐露する。

 

「失礼しました。何も知らない者にこそ、わずかな希望があるのかも知れない」

 

そう言って、紙包みを聡子に渡す。

 

「これをあなたに託します。決して開封せず、おじさん以外の誰にも渡してはいけない…英訳がやっと終わった、おじさんにはそのように」

 

聡子は、文雄から預かった書類を優作に渡す際に、封を開けて中身を見てしまう。

 

「やはり、知らなければ、何も信じることはできません」

 

優作は聡子に、これまでの経緯を説明する。

 

満州へ行った優作と文雄は、医薬品の便宜を打診するために、関東軍の研究施設に行くことになった。

 

道すがらに、電車の中から、人間の遺体が焼かれる小山をいくつも目撃する。

 

それはペストによる死体の山で、関東軍の細菌兵器の犠牲者であった。

 

関東軍が秘密裏に、生体実験が行なっている事実を内部告発しようとする軍医は処刑され、その愛人であった看護婦である弘子にも身の危険が迫り、優作たちは行きがかり上、彼女を救うことになった。

 

弘子は、その軍医から動かぬ証拠として、生体実験を詳細に書き残したノートを託されていたからだ。

 

聡子が文雄から受け取った書類は、その実験ノートと英訳した書面だった。

 

そこには、ペスト菌の散布だけではなく、捕虜を使った生体実験の様子まで克明に記録されていた。

 

「こんなことは、決して許されるものではない!」

 

優作の話を聞かされた聡子は、この文書をどうするのか尋ねた。

 

「英訳したノートをどうするおつもりです?」

「この証拠を、国際政治の場で発表する。特にそこがアメリカなら、戦争に消極的なアメリカ世論も対日参戦へと確実に導くことができる」

アメリカが参戦すると、どうなります?」

「日本は負ける。遅かれ早かれ、必ず負ける」

「それでは、あなたは売国奴ではありませんか!」

「…僕は、コスモポリタンだ。僕が忠誠を誓うのは国じゃない。万国共通の正義だ。だから、このような不正義を見過ごすわけにはいかない」

「あなたのせいで、日本の同胞が何万人死ぬとしても、それは正義ですか?私まで、スパイの妻と罵られるようになっても、それがあなたの正義ですか?あたしたちの幸福は、どうなります?」

「不正義の上に成り立つ幸福で、君は満足か」

「私は正義より、幸福を取ります」

 

話は平行線だった。

 

「あなたを変えたのは、あの女です。あの女がその胸に棲みついたんです!」

 

聡子は、優作不在の会社に行き、倉庫の金庫に保管された実験ノートを持ち出し、あろうことか、それを神戸憲兵分隊を仕切る泰治に差し出したのだ。

 

文雄は逮捕され、激しい拷問を受けるに至る。

 

優作もまた憲兵に連行され、文雄は自分がスパイであることを認め、実験ノートの持ち出しを単独で遂行したという自白の事実を聞かされる。

 

そして泰治は、優作の掌(てのひら)に、拷問で剥(は)がされた文雄の両手の爪を、散り散りに載せたのである。

 

「誰が通報した?」

「あなたもよくご存じの方だ。私はその人を不幸にしたくない。まだ間に合います。心を入れ替えて、お国のために励みなさい。それで、この件は終わりだ」

 

自宅に戻った優作は、聡子を嘲罵(ちょうば)した。

 

「密告屋!しかも、泥棒まで。君は、幼馴染の口車に乗って、僕ら二人を売った。よくもまぁ、そんな涼しい顔をしてられるな!」

「文雄さんは、あなたを守る。私はそれに賭けました」

 

文雄の両手の爪を見せられた聡子は、平然と言ってのけた。

 

「大きな望みを果たすなら、身内も捨てずにどうします?」

「君のせいで、文雄は地獄行きだ」

「文雄さんは、あなたを守る。私はそれに賭けました」

大望を遂げるための犠牲です。文雄さんも、お分かりでしょ。だから、あなたも帰ることができたんです」

 

そう言いながら、聡子は残る英語版の実験ノートを取り出した。

 

しかし、原本がなければ信用されないという優作。

 

「あなたが私を責めたいのは分かります。それでもあなたは、私を信用くださらなくてはなりません。もう、あなたには私しかいないんです」

 

こう言うや、優作に厳しい視線を放った聡子は、窓を閉め、優作が持ち帰ったフィルムを上映した。

 

そこには、実験ノートの原本の中身と、研究所の建物、実験の様子、犠牲者の捕虜とその死体が映し出されていた。

 

最も重要な情報を共有せざるを得なくなった優作は、正直に吐露する。

 

関東軍による人体実験記録フィルムを再撮影したものだ。弘子に入手させた。帰国と交換条件で」

「このフィルムと英訳のノートがあれば、あなたの志を果たすことができます。アメリカへ渡りましょ!私たち二人で」

 

情報を共有した夫婦は、証拠の品を廃屋に隠した。

 

「僕はスパイじゃない。僕は自分の意志で行動している。スパイとは全く違うものだ」

「どちらでも結構。私にとって、あなたはあなたです。あなたがスパイなら、私はスパイの妻になります」

 

映画館での日本軍の仏印進出のニュースを見た後で、バスに乗る二人の会話。

 

アメリカがとうとう石油の対日輸出を禁止したそうだ。ABCD包囲網の完成だ。これで、正規の手段では、アメリカへ行けなくなった」

「優作さんは、あの女とアメリカへ行くつもりだったんですか?」

「まさか。単に保護者のフリをして、二人分の渡航申請をしただけだ。その方が怪しまれない。行くのは彼女一人だけだ」

「本当ですね?」

「もちろん」

「では、やっぱり、優作さんと行くのは、私ということになりますね」

「だが、どうやって。方法は一つしかない。亡命だ」

 

自宅に戻ると、早速、出国の計画を話し合う。

 

優作が提案したのは、危険を分散するために、二手に分かれて渡米するということだった。

 

聡子はフィルムを持って貨物船のコンテナに隠れて2週間を過ごし、優作はノートを持って上海に行ってドラモンドに託した人体実験の映像フィルムを買い戻し、最終的にサンフランシスコで二人が落ち合ってから、ワシントンへ向かうという計画だった。

 

一人で行く不安を訴える聡子に対し、船長も懇意で十分な手配をする説得を試みるが、不安を払拭できないと言う聡子。

 

「どこかで、誰かを信じるしかない。この大仕事を二人だけで やり遂げようとしてるんだ…強くなってくれ」

「捕まることも、死ぬことも怖くありません。私が怖いのは、あなたと離れることです。私の望みは、ただ、あなたといることなんです」

 

かくて、夫婦の亡命作戦が開かれるのだ。

 

 

人生論的映画評論・続: 「コスモポリタン」を無化した女の情愛が、地の果てまで追い駆けていく 映画「スパイの妻」('20)の表現力の凄み  黒沢清 より