2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

人間の約束('86) 吉田喜重 <「神の手」が乗せられたとき>

亮作が手にしたタオルが、タツの顔を押さえにかかった。 「ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう・・・」 それは、死への旅路へのカウントダウンのはずだった。 しかし、亮作の手には充分な力が乗り移っていかない。彼の手は震え、もう一方の手を重ねるが、それ…

ぐるりのこと('08) 橋口亮輔 <決め台詞なき映像を支配したもの>

それは異様な光景だった。 暴風雨の夜。 仕事から帰って来たカナオが暗い部屋の中で見たものは、窓を開けて外を見遣っている妻の姿だった。その体は明らかにびしょ濡れになっていて、一瞬、言葉を失ったカナオに不吉な感情が走った。 「何してるの?」 妻は…

地獄の黙示録('79) フランシス・F・コッポラ  <「ベトナム」という妖怪に打ち砕かれて>

「地獄の黙示録」―― この謎に満ちた映画について、今まで多くの人が熱っぽく語り、饒舌に論じ、殆んどゲームのような論争が絶え間なく続いてきた。良かれ悪しかれ、それほど多くの人を熱くさせる何かがこの映画にあるのだろう。 そこに哲学的メタファーがふ…

ノスタルジア('83) アンドレイ・タルコフスキー <「現実と過去の、形而下・形而上的世界の融合」、「異質なるものの人格像、世界観の融合」のイメージの内に>

ローマ市庁舎前のカンピドーリオ広場に建つ、マルクス・アウレリウス帝の騎馬像に乗って、「究極の変人」を身体化したドメニコの演説が開かれた。 「誰かがピラミッド建設を叫ばなければならない。完成できなくてもいい。願いを持つことが肝心だ。魂をあらゆ…

ニュー・シネマ・パラダイス(('89) ジュゼッペ・トルナトーレ <「回想ムービー」としての「ニュー・シネマ・パラダイス」、その「ごった煮」の締りの悪さ>

「グレートハンティング」(1975年製作)、「ポール・ポジション」(1979年製作)「ウイニングラン」(1983年製作)という、ドキュメンタリー作品を作ったイタリア映画の監督がいる。 彼の名は、マリオ・モッラ。 「ニュー・シネマ・パラダイス 劇…

野性の少年('69)  フランソワ・トリュフォー <「『愛』による『教育』」の成就 ――「父性」と「母性」の均衡感のある教育的提示>>

「何でも匂いを嗅ぐが、くしゃみが出ぬように、鼻腔を塞ぐ訓練する。如何なる精神的な影響にも無反応。襲唖学校で虐待されても、泣いたことはない」 これは、少年の教育を始めたイタール博士のレポート。 イタール博士は二足歩行の訓練を開くが、靴を無理に…

永遠と一日('98)  テオ・アンゲロプロス <「人生最後の日」―― 軟着点の喪失と千切れかかった魂の呻吟、或いは「自分という人間を見つめる、そのまなざし」>

病室を後にしたアレクサンドレを、少年が待っていた。 「お別れだよ」と少年。 「皆と発つのか、真夜中に。君は残ると思ったのに」 「あなたも発つんでしょ?独りぼっちになる」 「大丈夫。旅は大きい。幾つもの港、広い世界」 「さようなら」 老人に別れを…

かもめ食堂('05) 荻上直子 <「どうしてものときはどうしてもです」―― 括る女の泰然さ>

そんな彼女に、5人の登場人物が、彼女自身の「距離感」を決して壊すことなく絡んでいく。 「ガッチャマン」の歌詞を教えてもらったミドリ、両親の看護を務め終え、初めて人生の解放感を手にしたに違いないマサコ。この二人が最も主人公の「距離」に最近接…

サイドカーに犬('07) 根岸吉太郎 <「距離」についての映像 ―― 或いは、成就した「役割設定映画」>

これは、「距離」についての映像であった。大人と子供の距離である。 この「距離」は、どこまでも少女に対する大人のアプローチの能力に拠って立っていて、大人の側の反応如何によって少女のその時々の対応が形成されていったのである。 しかしヨーコは、「…

タクシードライバー('76) マーティン・スコセッシ <「英雄譚」という逆転ドラマの虚構の終焉>

ポルノ映画を見せて呆気なく破綻したベッツィとの関係を修復すべく、トラヴィス・ビックルは執拗に電話をかけ、謝罪する。 「この間は、君の気分を壊して悪かった。別な映画に連れて行けば良かったんだ。機嫌を直してくれ。君は働き虫に喰いつかれ、気が立っ…

ピアノ・レッスン('93)  ジェーン・カンピオン <男と女、そして娘と夫 ―― 閉鎖系の小宇宙への躙り口の封印が解かれたとき>

いつでもそこに帰っていく以外のない、母と娘が濃密に織り成す閉鎖系の小宇宙で、女の深くて激越な業(ごう)を沈黙の世界に閉じ込めているかのような、その固有の感情ラインがナチュラルに噴き上げていく唯一の媒体になるのは、海路遥々、「異界」の島まで…

ブレードランナー('82)  リドリー・スコット <人間とヒューマノイドの鑑別テストを必要とする、大いなる滑稽さ>

タイレル社の遺伝子工学技師ののセバスチャンに、ネクサス6型、ロイ・バティは、タイレル博士との接見を求めて実現の運びとなった。 タイレル博士とロイ・バティとの、根源的な会話が開かれた。 「長生きしたいんだよ、おやじ」 この率直なロイ・バティの言…

赤い殺意('64) 今村昌平 <「弱さの中の強さ」――「不幸への免疫力」が作り出したもの>

二人を乗せた上野行きの列車が、仙台駅を出発した。 ところがその列車は、激しい積雪のため途中で停止してしまったのである。二人は思い切って、列車を捨てて雪の山道を歩き出した。途中橋を渡り、女は男の後を緩慢な足取りで追っていく。その二人を、もう一…

太陽がいっぱい('60) ルネ・クレマン <「卑屈」という「負のエネルギー」を、マキシマムの状態までストックした自我の歪み>

冒頭の場面で、5年ぶりに会ったリプリーを、当人を嫌う友人のフレディに紹介するときに、「あいつは役に立つ」と語っていた。 このワンシーンは、恐らく、映像全体を貫流する重要な描写である。 フィリップにとって、リプリーの存在が、良くて「悪戯相手」…

日の名残り('93) ジェームス・アイボリー <執事道に一生を捧げる思いの深さ――― 「プロセスの快楽」の至福>

そんな男の、あまりに地味だと称される人生についての小さな物語を、もう一度簡単にフォローしていこう。 舞台はイギリス 。 時は、ヒトラー政権が暴走しつつあった1930年代。 親の代から執事の仕事を勤める主人公スティーブンスは、親ナチ的だが善良な…

尼僧ヨアンナ('61) イェジー・カヴァレロヴィチ <「悪魔憑き」の現象という戦略 ―― 封印され得ない欲望系との折り合い>

教理問答を経て、スリン神父の中で何かが変っていく。 「あなたを助けます」 彼はヨアンナに会いに行き、自分の思いを告げる。 鉄格子の内側に閉じ込められているヨアンナは、今やもう、自分の中で騒ぐ情感の揺動を隠そうとしない。 彼女は「悪魔」への愛を…

炎のランナー('81) ヒュー・ハドソン <ユニオンジャックの旗の下に包括しようとする意思が溶融したとき>

本作で展開される様々なエピソードを通して、極めて重量感のある会話があった。 それは、UKの求心力のパワースポットに包括されることの矛盾と、それに対するハロルドの反応である。 「24歳まで、足るということを知らなかった…今、僕はたまらずに怖い。…

女の中にいる他人('66) 成瀬巳喜男 <告白という暴力の果て>

女を絞め殺した男もまた、自虐の連鎖に嵌っていく。 ―― その最初のステップは、妻に対する不倫の告白。 「話さないでくれた方がよかった」という妻の憂いを無視して、容赦なく第二のステップが開かれる。 遊園地での束の間の家族ゲームによっても癒されなか…

羊たちの沈黙('91) ジョナサン・デミ <「羊の鳴き声」を消し去る者の運命的自己投企―― 或いは、「超人格的な存在体」としての「絶対悪」>

強盗殺人によって、愛する父を喪ったトラウマから解放されず、ひたすら、「非在の父を代替する父性モデル」を求め続けるクラリスにとって、父性を全否定し、ひたすら胎内回帰を求めて、多くの女性を殺害(「皮剥ぎ」のみが目的)し続けるバッファロー・ビル…

裸の島('60) 新藤兼人 <耕して天に至る>

水の失態に涙しなかった妻が、慟哭するシーンがある。 小学生の長男が急病に倒れ、医者を呼ぶ間もなく天に召されてしまったのである。呆然と立ち竦む夫を前に、我が子を喪って絶望的に打ちひしがれる妻。映像を通して、長く保持されてきた名もなき家族の物語…

海と毒薬('86) 熊井啓 <脆弱なるもの、汝の名は「良心」なり>

ここで、戸田が放つ言葉の意味は重要である。 彼は、「人間の良心なんて、考えよう一つでどうにでも変わるもんや」と言ったのだ。恐らく、その通りなのである。ニーチェが挑発的に喝破したように、「良心」とは攻撃性が内に向かうときの観念の集合である。…

天国と地獄('63) 黒澤 明 <三畳部屋での生活を反転させたとき>

拘置所内でのラストシーン。 そこに死刑執行間際の竹内と、彼に呼ばれた権藤がいる。竹内は確信犯のような笑みを浮かべて、権藤に話しかける。 「やあ、権藤さん。どうもわざわざ。元気そうですね。今、何をしてらっしゃるんです?」 権藤は冷静な表情を崩…

時計じかけのオレンジ('71) スタンリー・キューブリック <「自己統制の及ばない反動のメカニズム」への痛烈な糾弾の一篇>

釈放の翌日、自由の身になったアレックスは、「治験前」の彼の思惑とは違って、自分の居場所を失う惨めさだけを曝け出していく。 帰宅後、自宅のソファーで寛ぐ居候の青年を殴ろうとして、吐き気を覚えるアレックスがそこにいた。 それは、ルドビコ心理療法…

HANA-BI('98) 北野武 <自我が分裂した二つの〈生〉の究極の様態>

本作の主人公は、〈死〉以外の選択肢を持ち得ない状況に自らを追い詰めて、それを遂行した。 彼にとって、余命幾許もない妻との「死出の道行き」だけが、その曲線的な人生の到達点だった。 映像では、「愛する妻との道行き」というプロットラインが敷かれて…

十二人の怒れる男('57) シドニー・ルメット <「特定化された非日常の空間」として形成された【状況性】>

評決についての詳細は言及しなかったが、次に、本作の中で私が最後まで気になった問題点について触れておきたい。 それは、「1vs.11」の対立関係が、紆余曲折を経て、「11vs.1」になり、最後に、「12vs.0」になるというドラマの流れがあまりに出来…

突然炎のごとく('62) フランソワ・トリュフォー <「女王」が築いた「パーソナルスペース」の途方もない作り>

これは、「距離」の映画である。 当該社会の社会規範の様々な縛りから相当程度自由になって呼吸を繋ぐ、一人の女(「女王」=)がいる。 その「女王」は、二人の男によって「発見」され、その絶大な価値を認知された。 「その粗彫の女の顔の微笑が二人の心…

奇跡の人('62) アーサー・ペン <様々な現実が交叉し、複層化した様々な条件が、限定空間で集中的に表現されたとき>

ヘレンへの「教育」の困難さは、イメージ喚起能力の形成が、ヘレンの幼時的自我を脱却させる唯一の方法論であるにも関わらず、それを容易に持ち得ないことにあった。 「物」には言葉があり、それぞれ意味を表している。 そのことの理解なしに、イメージ喚起…

近松物語('54) 溝口健二 <「峠の爆発」―ラインを重ねた者の突破力>

峠の茶屋を目指して、男は女を担ぐようにして、その歩を一歩ずつ進めていく。ようやく辿り着いた茶屋は、単に一軒の農家のようでもあった。 男は農家の主婦に一時(いっとき)の休憩を求めて、快諾された。人の良さそうな農婦だった。女は旅の疲れで、足が動…

ユリシーズの瞳('96) テオ・アンゲロプロス <帰還の苛酷なる艱難さ――人間の旅の、終わりなき物語>

マナキス兄弟の未現像のフィルムを求めて、このときAは、「レーニンの革命」の最終的解体を象徴する現場に立ち会って、最も醜悪なる内戦を継続する尖った国家に、殆ど確信的に踏み込んだのである。 ボスニア・ヘルツェゴビナ。 男がその身を預け入れようと…

晩菊('54) 成瀬巳喜男 <それでも女は生きていく>

きんのようにほぼ確信的に覚悟を括って男を断ち、その才覚と現実感覚によって、まもなくやって来るであろう、高度成長の時代と上手に繋がっていく可能性をふんだんに持つ、頼もしい自立心があれば何の問題もないが、それでも彼女の中で、「金」だけで人生の…