2011-01-01から1年間の記事一覧

es [エス]('01) オリヴァー・ヒルシュビーゲル <システムが作った物語の内に従属し、融合する人間の自我の脆弱性>

1 「スタンフォード監獄実験」をベースにした物語の概要 たとえそこに、常軌を逸する暴力の介在が存在したとしても、2名の死者を含む多数の重軽傷者を出したり、女性の実験助手をレイプしたり、実験の責任教授が空気銃で撃たれたり、挙句の果ては、脱獄劇…

緑のある風景(その3)

「緑のある風景」というイメージの中で、私にとって最も馴染んだ風景は、近隣の三宝寺池公園を除けば、ここでもまた、高麗郷を中心にする奥武蔵・秩父の春の風景である。 とりわけ、去年もそうであったように、寒冷期を乗り越えるために葉の鮮度を維持するこ…

インド行きの船('47) イングマール・ベルイマン <大いなる旅立ちに向かう身体疾駆の内的必然性>

1 「顔を強張らせて、怖い目」を身体表現する、父と子の歪んだ関係 ベルイマン映像の初期の到達点と言える「不良少女モニカ」(1953年製作)に比較すれば、映像の完成度は必ずしも高くない。 だから、そこから受ける感動もフラットなものでしかなかった…

不良少女モニカ('53)   イングマール・ベルイマン <自我の未成熟な女の変わらなさを描き切った圧倒的な凄味>

1 「青春の海」の求心力 ―― プロットライン① 陶磁器配達の仕事に追われる一人の若者がいる。 彼の名は、ハリー。 彼は奔放な我がまま娘と出会うことで、その生活に変化を来たしていく。 彼女の名は、モニカ。このとき、17歳だった。 純粋な青年、ハリーと…

夏の夜は三たび微笑む('55) イングマール・ベルイマン <「非本来的な関係」の様態がシャッフルされたとき>

1 「夏の夜の三度目の微笑よ」 ―― 物語の梗概 「自分の家が、時々、幼稚園に思える」 こんなことを吐露するフレデリック・エーゲルマンは、中年弁護士で、現在19歳の若妻アンとセックスなき生活の代償に、かつての恋人で、女優のデジレへの思いが捨て切れ…

恋する惑星('94) ウォン・カーウァイ <女性によって支配された「恋の風景」の、お伽話として括り切った映像の訴求力>

1 ギリギリのところで掬い取られた、「失恋の王道」を行く者が占有し切れない物語の哀感 大人の恋を精緻な内面描写によって描いた「花様年華」(2000年製作)と異なって、「恋の風景」を描いた映画の中で、これほど面白い映画と出会う機会もあまりない…

花様年華('00)  ウォン・カーウァイ <最近接点に達した男と女の、沸騰し切った〈状況〉のうちに>

1 「映像性」の排除を意味しない「批評の前線」の可能性 映像が提示したものを、観る者は想像力を駆使して読み解いていく。 映像が提示したものと、提示されたものについて想像力を駆使する者が、観念の世界で結ぶ幻想の中枢を「批評の前線」と呼んでもいい…

高原・山岳の彩り

私の最も好きな山岳風景は、奥武蔵や秩父の低山徘徊で出会った馴染み深い風景である。 そこには、昨日もまたそうであったように、中山間地の集落で生活する人々の変わらぬ日常性があり、これからも、私のようなハイカーの澱んだ気持ちを癒すために末永く存在…

ロード・トゥ・パーディション('02) サム・メンデス <「復讐」と「救済」という、困難な二重課題を負った男の宿命の軌跡>

1 絵画的空間とも思しき映像が構築した完璧な様式美 闇の世界の内側で生きる者たちの、その内側のドロドロとした情感系の奥深くまで描き切った、フランシス・フォード・コッポラ監督による「ゴッド・ファーザー」(1972年製作)と比べて、本作が映画的…

アメリカン・ビューティー('99)  サム・メンデス <「白」と「赤」の対比によって強調された「アメリカン・ビューティー」の、爛れの有りようへのアイロニー>

1 小さなスポットで睦み合う青年と少女 本作を、一人の青年が支配している。 リッキーという名の、18歳の青年である。 ビデオカメラで隣家の少女を盗撮したり、麻薬の密売で小遣いを稼ぐ危うさを持つ青年だが、そんな男に盗撮される当の少女が、青年のう…

清瀬・我が町 紅葉散策2011

自宅マンションから所沢街道を過ぎって、秋津方向に向って自転車で約10分。 荒川水系の柳瀬川支流である空堀川(からぼりがわ)に面して、住宅街のエリアの一角を支配する古刹がある。 その名は円福寺。(トップ画像)。 曹洞宗の寺院として有名な、由緒あ…

十三人の刺客('10) 三池崇史 <てんこ盛りのメッセージを詰め込んだ娯楽活劇の「乱心模様」>

1 「戦争」の決意→「戦争」の準備→「戦争」の突沸という、風景の変容の娯楽活劇 この映画は良くも悪くも、物語をコンパクトにまとめることを嫌い、エンターテイメントの要素をてんこ盛りにすることを大いに好む映画監督による、力感溢れる大型時代劇の復権…

三宝寺池幻想(石神井公園)

私がカメラを携えて最も通った場所は、石神井公園の一角を占める三宝寺池公園である。 何百回通ったか分らないほど親しんだ、この公園に対する愛着は、奥武蔵の集落への愛着と同様に深いものになっている。 それこそ四季を通じて、この公園が表現する様々な…

マンハッタン('79) ウディ・アレン <「おとぎ噺の世界」と、中年男の人生のリアリティの溶融のうちに、人生の哀感を表現し切った傑作>

1 成人女性への潜在的恐怖感を埋めるに足る、ローリスク・ローリターンの「恋」の終焉 小心で神経質、コンプレックスが強く、臆病でありながら、人一倍の見栄っ張り。 そんな男に限って、自分が「何者か」であることを求めている。 件の男が主人公の本作も…

アニー・ホール('77) ウディ・アレン <自分の狭隘な「距離感覚」の中でしか生きられない男>

1 コメディの本道を外さない、毒気に満ちた心理描写の連射 「ナイトクラブのコメディアン、アルビーと歌手志望のアニーがここニューヨークで出逢い、ナーバスな恋が始まった。なんとなくうまくいっていた2人だが、アニーは人気歌手トニーからハリウッド行…

晩秋の昭和記念公園・2011

東京近郊の花の写真を撮るのに熱中していた昔、私には立川基地跡地である国営昭和記念公園(東京都立川市・昭島市)=「花の公園」というイメージが殆ど皆無であった。 だから、そこを訪ねたのは、私の記憶に間違いなければ2回しかない。 それも、初夏に集…

四季の彩り(夏から秋へ)

北米原産のアメリカフヨウは、2mになる草丈を携えて、盛夏に真紅や白、ピンクの花を、周囲を圧倒するように凛として咲かせるインパクトの強い大型の草花。 涼を求める気分も手伝って、奥武蔵の集落を真夏に徘徊していると、民家の庭先にこの草花が咲いてい…

秋刀魚の味('62) 小津安二郎 <成瀬的残酷さに近い、マイナースケールの陰翳を映し出した遺作の深い余情>

1 「小津的映画空間」を閉じるに相応しい残像を引き摺って 死を極点にする「非日常」を包括する「日常性」を、様式美の極致とも言える極端な形式主義によって、そこもまた、根深い「相克」や、「祭り」の「喧騒」、「狂気」を内包する「騒擾」を削り取るこ…

麦秋('51) 小津安二郎 <ヒロインの「笑み」が「嗚咽」に変わったとき>

1 小津的表現世界の確信的な習癖への違和感 自らの意志で結婚を決断したヒロインの能動的生き方と、それによって招来した三世代家族の離散の悲哀、そして何より、印象的な麦秋眩いラストシーン。 この鮮烈な記憶がいつまでも私の内側に張り付いていて、若き…

山里郷愁

特に生活上の懸案の課題もなく、切迫した心理状態とも無縁で、それでも、そこに日常性への小さな倦怠感のようなものが、ふっと内側から湧き起こったとき、私は、それ以外にない選択肢という自在な枠組みの時間の中に入っていくことが多い。 そんなとき、私は…

京都晩秋

「晩秋の京都」 ―― これが、私が知っている京都のイメージの全てである。 中学の修学旅行で行った京都のイメージは、遥か彼方に捨てられていて、そこにはもう、「美しき古都」を感受させる、いかなる情報をも拾い上げることができない。 だから私にとって、…

武蔵野晩秋

「春爛漫」(その2)の中で、私は「桜花爛漫の季節のときの東京は最も美しい」と書いた。 しかし、東京が美しいのは桜花爛漫の春の季節ばかりではない。 晩秋の季節の東京もまた、垂涎するほどに美しいのである。 知られざる東京の晩秋のビュースポットが多…

ウエスト・サイド物語('61)  ロバート・ワイズ <個性的なアートとしての「ミュージカル」の「表現の外発性」>

序 凝ったオープニングシーンから開かれる本作の、時代相応にフィットした「ミュージカル」としての完成度 NYのマンハッタン島の超高層ビルから始まった説明的な鳥瞰ショットが、ストリートギャング紛いの不良少年グループの溜り場であるスラム街にシフト…

春爛漫(その2)

「春爛漫」という言葉から連想できる心地良い風景イメージが、常に私の中にあり、それが適度な湿気を随伴した柔和な風となって、私の内側を潤してくれる。 それらの心地良い風景とは、吉野梅郷であり、神代植物公園であり、平林寺であり、多摩森林科学園であ…

緑のある風景(その2)

私にとって、細(ささ)やかでも相応のヒーリング効果が手に入れられる、この「思い出の風景」が、2011年9月29日公開の「春爛漫」を以て閉じていったことにどうしようもない寂しさを覚え、「人生論的映画評論」の批評の駄文を繋ぐだけでは物足りなく…

深夜の告白('44) ビリー・ワイルダー<「袋小路の閉塞感」の表現力を相対的に削り取ることで希釈化された、ダークサイドの陰鬱感漂う「フィルム・ノワール」>

1 澱みのないセリフの応酬による饒舌な筆致の瑕疵 「男を破滅させる女」 ―― このような女を、「ファム・ファタール」と言う。 ここに、ラストシーン近くに用意された短い会話がある。 「俺を愛してたのか?」 「人を愛したことなどないわ」 これが、ハリウ…

イースタン・プロミス('07)  デヴィッド・クローネンバーグ  <「全身ハードボイルドもどき」の男と、「聖母マリア」の距離が関数的に広がっていくだけの物語>

1 「全身ハードボイルドもどき」の男と、「聖母マリア」の距離が関数的に広がっていくだけの物語 本作に関しては、深読みするスノッブ効果は不必要である、というのが私の結論。 分りやす過ぎる映画だからだ。 「俺には両親はいません。これまで、“法の泥棒…

悪人('10) 李相日  <延長された「母殺し」のリアリティに最近接した男の多面性と、「母性」を体現した女の決定的な変容 ―― 構築的映像の最高到達点>

1 無傷で生還し得ない者たちの映画 言わずもがなのことだが、本作は、主要登場人物8人(祐一、光代、祐一の祖母、祐一の母、佳乃、佳乃の父の佳男、佳乃の母、増尾、)のうち、物理的に生還できなかった者(佳乃)を除いて、無傷で生還しなかった者は一人…

告白('10)  中島哲也 <ミステリー性に富み、比較的面白く仕上がったエンターテインメント>

1 「女性教諭」の衝撃的な告白 欺瞞的な「愛」と「癒し」で塗り固められた「お涙頂戴」の情感系映画が、もうこれ以上描くものがないという沸点に達したとき、その目先を変えるニーズをあざとく嗅ぎ取って、この国の社会が抱える様々なダークサイドの〈状況…

第9地区('09) ニール・ブロンカンプ <突貫精神の屈託のなさを全開させた、視覚情報効果のアナーキーな「初頭効果」のインパクト>

1 視覚情報のみを掻き立てる訴求力の高いコンテンツを供与した、「初頭効果」の戦略性が見事に嵌った映画 手を変え品を変え、より刺激的に視覚情報を与え続けることによってしか成立しなくなったハリウッドムービーが、遂に、このような形によってしか需要…