2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

過剰なる営業者

過剰な営業者は、過剰なる自己像ホルダーか。 単に度外れた社交家なのか。或いは、他者から必要以上に見透かされることを恐れ過ぎる臆病心が、不必要な煙幕を張ることで、剥き出しの自我をガードするのか。また、自我を囲繞する視線にシャープに反応し、オー…

草の乱('04) 神山征二郎監督 <善悪二元論を突き抜けられない革命ロマンの感動譚>

結論から書く。 秩父事件を描いた映画「草の乱」では、事件を知る誰もが考えるように、北海道(野付牛町 現在の北見市)まで逃亡した井上伝蔵の病床での回顧によって事件の概要が語られていくが、肝心の蜂起の後の「前線基地での幹部の闘争放棄=『敵前』逃…

アメリカン・ビューティー('99)  サム・メンデス <「白」と「赤」の対比によって強調された「アメリカン・ビューティー」の、爛れの有りようへのアイロニー>

本作を、一人の青年が支配している。 リッキーという名の、18歳の青年である。 ビデオカメラで隣家の少女を盗撮したり、麻薬の密売で小遣いを稼ぐ危うさを持つ青年だが、そんな男に盗撮される当の少女が、青年のうちにピュアな心を感受し、自然の成り行き…

普通の人々('80)  ロバート・レッドフォード <自我を不必要なまでに武装化して ――或いは、グリーフワークの艱難さ>

序 骨の髄まで生真面目な筆致で貫徹した作品 この骨の髄まで生真面目な筆致で貫徹した作品を、アメリカの著名な映画俳優が片手間で作った映画であると見てはいけない。 これは紛れもなく、一人の有能な映像作家による作品なのだ。 片手間どころか、この映像…

戦場にかける橋('57) デヴィッド・リーン  <予測困難な事態に囲繞される人間社会の現実の怖さ>

拠って立つ価値観や置かれた立場が異なり、科学技術の習熟度や、それについての把握が異なる「異文化」の中枢に、「クワイ河マーチ」のメロディに乗って軽やかに行進しながら、自分の意志とは無縁に放り込まれた英軍将校とその一隊が、人生に対する基本的価…

覚悟の一撃(短言集/状況論)

* 虐めとは、身体暴力という表現様態を一つの可能性として含んだ意志的、継続的な対自我暴力である。 最悪の虐めは、相手の自我の「否定的自己像」に襲いかかり、物語の修復の条件を砕いてしまうことである。その心理的な甚振(いたぶ)りは、対象自我の時…

覚悟の一撃(短言集)

* ほんの僅かな情報で「善悪」を言い当てる。そこに羞恥を覚える自我の反応の度合いが「知性」の濃度になる。 * 「やってはならないこと」と「やって欲しくないこと」を峻別できない者に、相応の権力を与えてしまうこと。そこから人間の悲劇の多くが生まれ…

野良犬('49)  黒澤 明  <「前線の死闘」、そして「平和の旋律」へ>

映像にいきなり映し出される飢えた野犬の尖った視線、獲物を一撃で噛み殺してしまうような牙。 そこに「野良犬」という大きな字幕が映し出されて、「その日は恐ろしく暑かった」という導入が、観る者をサスペンスフルな映像に誘(いざな)っていく。 若い村…

スウィート ヒアアフター('97)  アトム・エゴヤン <コミュニティの治癒力によるグリーフワークの遂行>

これは、長い時間を要すれば、コミュニティが内側に持つ固有の治癒力によって、「対象喪失」という「不幸」に対するグリーフワーク(悲哀を癒す仕事)が遂行されていくかも知れないにも関わらず、その類の「不幸」と無縁に、「他人の不幸」を金銭に換算する…

アニー・ホール('77) ウディ・アレン <自分の狭隘な「距離感覚」の中でしか生きられない男>

そこそこに人気のあるピン芸人(話芸で観客を笑わせる漫談家という意味で、欧米では「スタンダップ・コメディアン」と言う)の皮肉屋は、なぜか女にモテて、生活にも不自由しない中年男。 「私を会員にするようなクラブには入りたくない。これが、女性関係で…

雨あがる('99) 小泉堯史 <「貧者」=「救済されるべき弱者」という、「スーパーマン」映画のファンタジームービー>

本作の基幹メッセージを支えると思われる「決め台詞」の一つ目は、以下の言葉。 「刀は人を斬るものではない。バカな自分を、いや、自分のバカな心を斬り捨てるために使うものです」 背景を説明すると、主人公の伊兵衛は、偶然、侍同士の果たし合いに遭遇し…

摂取性の原理

「我々は黒人を人間以下で見ている限り何の問題も生じないが、いったん人間として直面すると握手をしても手を洗いたくなる」 これは、昔読んだ本に載っていた、ジョージ・レオナードというアメリカ南部の白人の言葉である。 相手が自分と同じレベルに近づい…

他人の不幸は自分の幸福

私たちの大衆消費社会の中では、「他人の幸福は自分の不幸」であり、「他人の不幸は自分の幸福」である。 かつての地域共同体社会では、あらゆる面で人々の近接度が極めて高く、隣人の不幸が我が家の不幸になりやすかったから、そこに否応なく仲間意識が生ま…

嘆きの天使('30) ジョセフ・フォン・スタンバーグ <「予約された残酷さ」―― 異文化侵入が破綻して>

港町として名高い、ハンブルグにあるギムナジウム(ドイツの中等教育機関で、大学進学を目的とする)。 そこに、一人の初老の教授がいる。その名はラート。とても厳格な英語教師である。 その日も彼は、表面的には静寂な教室で教鞭を執っていた。 その彼が、…

ノーマンズ・ランド('01) ダニス・タノヴィッチ <〈状況〉が分娩した憎悪の鋭角的衝突を相対化した男の視座のうちに>

二つの戦争暴力が最近接しながら、セルビア兵とボスニア兵が存在することによって、辛うじて維持されている〈生〉。 しかしそれは、「ノー・マンズ・ランド」(ボスニアとセルビアの中間地帯)という名の、戦争暴力が直接的に交叉する最前線であるが故に、〈…

叛乱('54)  佐分利信 <「取得のオプチミズム、喪失のペシミズム」―― 短期爆発者の悲惨と滑稽>

1 獄舎内に渦巻く憎悪のうねり 昭和10年8月12日、一人の男が陸軍省内の軍務局長室に押し入って、入室するや否や抜刀して、そこにいた軍務局長を袈裟懸けに斬り殺した。 斬殺された者は、永田鉄山少将。時の軍務局長で、当時の軍部官僚派をリードしてい…

トリコロール 青の愛('93)  クシシュトフ・キェシロフスキ <「喪失と再生」 ―― 「グリーフワーク」という問題の艱難さ>

2 「グリーフワーク」の三つのステージ ―― 「完全喪失期」から「自己防衛期」へ 「喪失」とは何か。 ここでいう「喪失」とは、「対象喪失」のこと。 では、「対象喪失」とは何か。 「過去が現在を支配すること」である。 「再生」とは何か。 「未来が現在を…

「自前の表現世界」を繋ぐ覚悟

「わしは教わった通りに絵を描いてきた。伝統を重んじてきたが、度が過ぎたかも知れん。オリジナリティは他の画家に任せた。セザンヌの大展覧会が1896年頃にあった。面白かったが、わしの進む道とは違うと思った・・・・・勇気がなかったんだ。何年か前に絵の…

「察しによる曖昧さ」を「美徳」とする、この国の「病理」

1 「察しによる曖昧さ」を「美徳」とする、この国の「病理」 あれは何年前だったか、テレビ朝日の看板番組である「朝まで生テレビ」を観ているときだった。 そのときのテーマは忘れたが、その議論の中で、安全保障についてのトークバトルが開かれた。 パネ…

ライフ・イズ・ビューティフル('98) ロベルト・ベニーニ  <究極なる給仕の美学>

1 軽快な映像の色調の変容 一人の陽気なユダヤ人給仕が恋をして、一人の姫を白馬に乗せて連れ去った。映画の前半は、それ以外にない大人のお伽話だった。 お伽話だから映像の彩りは華やかであり、そこに時代の翳(かげ)りは殆ど見られない。 姫を求める男…

奇跡('54) カール・ドライヤー   <ヨハネスという投げ入れる祈り、幼子という微笑みのイノセンス ―― インガの蘇生という奇跡の構造>

ボーエン家に、あってはならない事態が出来した。 産気づいたインガが、難産の危機に遭ったのだ。 インガの存在の大きさを感受する家族は、皆オロオロし、不安を募らせるが、結局死産となり、医師の楽観的見立てに反して、遂にインガ自身も昇天してしまった…

鬼畜('78)  野村芳太郎  <ネグレクトから子殺しへの地続きなる構造性>

原作とは異なって、その印刷屋の主人公の名は、竹下宗吉(そうきち)。その住まいは、埼玉県川越市にあった。ところが最近、印刷工場が火災に遭って、子供のいない竹下夫婦は、今や細々と印刷屋を経営していた。 ある日、その竹下宗吉の元を、一人の女が三人…

ショートカッツ('93)  ロバート・アルトマン <「関係濃度の希薄性」という由々しき問題への考察>

「人間が害虫を殺すか、害虫が人間を殺すかの戦いです」というヘリコプターの殺虫剤散布で始まり、ロサンゼルス地震で閉じていく本作の中で、「死」という「非日常」の極点を基軸にして、そこに最近接した者の 「日常性」の様態を描く幾つかのエピソードのう…

カルトの罠

「カルトの罠」は、「恐怖心」と「依存心」にある。 前者のコアは、ハルマゲドンがやって来るぞという恫喝であり、後者のコアは、この方(尊師)が全ての苦難から解き放つ救世主だから教えを乞いなさい、という安眠の誘(いざな)いである。 ともあれ、人が…

「陰謀論」の心理的風景

1 「完成形としての人間」の能力を前提とする認知の過誤 人間は不完全な存在体である。 目途にしたものを、最後まで、且つ、完璧に遂行し得るほどに完全形の存在体ではないと言い換えてもいいかも知れない。 そんな私は、「陰謀論」花盛りの文化の退廃性に…

源氏物語('51)  吉村公三郎 <母性的包容力の内に収斂されていく男の、女性遍歴の軟着点>

日本近代史の中で、「源氏物語」は受難の文学だった。 「庶民感覚から遊離した『有閑階級の文学』」という理由で、プロレタリア文学から批判の矛先を向けられ、「ごく普通の人生を生きる者としての人格性の欠如」という理由で白樺派文学から批判される始末。…

大人は判ってくれない('59) フランソワ・トリュフォー <「見捨てられた子」の負性意識の重量感 ―― 「思春期彷徨」の推進力>

「僕がいないと父なし子だ」 「その文句は聞き飽きたわ。うんざりだわ」 「子供が嫌なら、孤児院にやるわ。私も静かにしたいわ」 これは、主人公のアントワーヌ少年が、夫婦喧嘩を耳にしたときの会話。 更に以下は、宿題をさぼって、教師に町で見つかって説…

サイコ('60)  アルフレッド・ヒッチコック <精神異常の闇の深奥に到達した一級の心理劇>

「ただ一か所、シャワーを浴びていた女が突然惨殺されるというその唐突さだ。これだけで映画化に踏み切った。まったく強烈で、思いがけない、だしぬけの、すごいショックだったからね」(「ヒッチコック 映画術 トリュフォー」山田宏一、蓮實重彦訳 晶文社)…

小早川家の秋('61)  小津安二郎 <映像作家としての、そこだけは変えられない表現世界の癖>

何度観ても、相変わらず馴染めない小津ルールの洪水。 小早川家の亡き長男の嫁、秋子と、小早川家の次女、紀子との会話の不自然さに、またしても大いなる違和感。会話なのに口だけ動いて、切り返しのショットで表情の変化を見せないばかりか、ここでも会話の…

人間の本来的な愚かさと、その学習の可能性

二人の医大生がいた。 彼らは心ならずも、彼らが所属した組織の中で由々しき犯罪にインボルブされ、恐らく、生涯苦しむことになった。彼らが手を染めることになった犯罪は、軍の命令で米兵捕虜を生体実験すること。 世に言う、「九州大学米軍捕虜生体解剖事…