2012-07-22から1日間の記事一覧
一 私はかつて一度、自死の恐怖の前に立ち竦んだ。 自死へのエネルギーをほんの少し残しながら、それを他の行為に転化することができたことで、何となく救われた。その恐怖はその後、私の脳裏にべったりと張り付いて決して離れることはなかった。 以来私は、…
一 私はかつて一度、自死の恐怖の前に立ち竦んだ。 自死へのエネルギーをほんの少し残しながら、それを他の行為に転化することができたことで、何となく救われた。その恐怖はその後、私の脳裏にべったりと張り付いて決して離れることはなかった。 以来私は、…
一 地の底から見る風景は、過剰なまでに絶望的だった。 中枢性疼痛という地獄の前線で噛まれて、私だけの悶絶の仕方で、あらん限りの醜悪を晒していた。そこに崩壊感覚としか呼べないものが蟠踞している。壊れゆくものの恐怖感。そいつが私を喰い尽くそうと…
一 ほんのひと押しの揺らぎで崩れてしまうような、ちっぽけなガラスの秩序。そこに私は棲んでいる。 気晴らしに向かうどのような気分の集合がどれほど威勢よくても、その気分を乗せている辛いものの集合がほんの少し暴れ出したら、もう澱みきったものの淵に…
1 「勝利⇒興奮⇒歓喜」というラインを黄金律にする近代スポーツ 近代スポーツは大衆の熱狂を上手に仕立てて、熱狂のうちに含まれる毒性を脱色しながら、人々を健全な躁状態に誘(いざな)っていく。 この気分の流れは、「勝利⇒興奮⇒歓喜」というラインによ…
ルールの設定は、敗者を救うためにあると同時に、勝者をも救うのだ。 戦いの場でのテン・カウントは勝敗の決着をつけると共に、スポーツの夜明けを告げる鐘でもあった。これは、坂井保之(プロ野球経営評論家)の名言である。 死体と出会うまで闘いつづける…
沈黙を失い、省察を失い、恥じらい含みの偽善を失い、内側を固めていくような継続的な感情も見えにくくなってきた。 多くのものが白日の下に晒されるから、取るに足らない引き込み線までもが値踏みされ、僅かに放たれた差異に面白いように反応してしまう。 …
「十二人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督)という有名な作品がある。 一人の強靭な意志と勇気と判断力を持った男がいて、その周りに11人の個性的だが、しかし、決定的判断力と確固たる信念による行動力に些か欠如した、言ってみれば、人並みの能力と…
「自我が精神的、身体的次元において、統御可能な範囲内にある様態」―― 私はそれを「人間らしさ」と呼ぶ。 例えば、耐え難いほどの肉体的苦痛が継続するとき、間違いなく自我は悲鳴を上げ、その苦痛の緩和を性急に求める。 しかし、その緩和が得られないとき…
アンデルセンは、片思いの恋人(ルイーゼ・コリン)に読んでもらうために自伝を執筆し、それを出版した。 その中で自分の数奇な遍歴を誇張し、努力家としての自分のイメージを必死に売り込んだ。 しかし、ルイーズから手紙を送り返されて、嘆くばかりだった…