2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧
「もう、嫌だ」 これは、本作の主人公の弱音丸出しの言葉。 初老の言語聴覚士からビー玉を口に入れさせられて、本を読まさせられる苦痛と屈辱に耐えられず、咄嗟に出た本音である。 件の主人公の名は、アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ・ウィン…
1 ネガティブに暴れてしまう「語られない父」への幻想 絶対に知られたくない秘密を持つ母が、そこだけは特段に武装することで繋いできた娘との、相応の融和性に満ちた母子関係の中で、いつしか、母の武装性それ自身の発露への違和感を感受するに足る感性を…
1 塹壕内の空気を支配する力関係の微妙な振れ幅 1992年に出来したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下で、ボスニア軍の交代班が夜霧の中で迷った末に、セルビア軍の猛攻撃を受け、「ノーマンズ・ランド」と呼ばれる「中間地帯」に辿り着く。 生き残った兵士…
1 “友愛と団結”トンネル(1) ―― そのストーリーを、映像の展開に合わせて詳細に追っていこう。 1971年6月27日。その日、“友愛と団結”トンネルの開通式が行われた。 「“自然には抗い難し”とは、誰の言葉か。またもや我が建設者の技術が岩に勝ち、我…
アメリカの空港に、一人の少女が降り立った。エヴァである。 建築現場のような、整備されていない殺伐とした台地から、飛行機の離発着を一頻(ひとしき)り眺めた後、トランクと紙袋を両手に持って、エヴァは静かに歩いて行く。 それが物語らしい物語が展開…
無教養だが、そんな男の侠気を示すエピソードが、映画の前半で紹介されている。 ロハで芝居を観に来た無法松が、「お前らが観るような芝居じゃない」と木戸番に追い返されたとき、男は啖呵を切った。 「俺は小倉の車引きぞ・・・小倉の車引きが小倉の芝居小屋で…
1 「開き直った者の奇跡譚」という物語の基本骨格 本作の物語の基本骨格は、「開き直った者の奇跡譚」である。 「開き直った者の奇跡譚」には、物語の劇的変容の風景を必至とするだろう。 独断的に言えば、物語の劇的変容の風景を映像化するには、コメディ…
1 「関係の濃密さ」を構成する要件について そこに微妙な温度差を示しつつも、「関係の濃密さ」を構成する要件について、私は以下の因子を包含するものと考えている。 それぞれを列記すると、「親愛」、「信頼」、「礼節」、「援助」、「依存」、「共有」と…
序 骨の髄まで生真面目な筆致で貫徹した作品 この骨の髄まで生真面目な筆致で貫徹した作品を、アメリカの著名な映画俳優が片手間で作った映画であると見てはいけない。 これは紛れもなく、一人の有能な映像作家による作品なのだ。 片手間どころか、この映像…
奥武蔵の低山徘徊を趣味にしていた私にとって、そこで出会う一期一会の風景をカメラに収めることが、何より至福の歓びだった。 私の低山徘徊は、主に、新緑やヤマザクラ、ハナモモなどが咲く春季が一番多かったが、今思えば、冬型の気圧配置と放射冷却現象に…
練馬区西大泉に自宅兼用の学習塾の借家を借りていた私は、西武池袋線に乗って都心に出て、そこから、都内各所にあるビュースポット巡りをする選択肢も悪くないと考えていた。 実際、これまで知らなかった多くの花名所を、繰り返し訪れもした。 そこで出会っ…
JR高尾駅で下車し、北口から10分ほど歩けば辿り着く多摩森林科学園。 かつて浅川実験林と呼ばれていた頃から、サクラ保存林として名高い件の多摩森林科学園に、私は殆ど毎年のように通い詰めていた。 当時は入園料もなく、入口でサインするだけで8haも…
ここで、私が最も印象に残っているビュースポット。 それは、新座市野火止にある、臨済宗妙心寺派の禅寺として著名な平林寺である。 自宅のある西大泉から、上り坂の多いこの古刹まで、30分近くの時間を要して、運動がてら、私は自転車に乗って繰り返し訪…
1 父と子の血の宿命の帰結点 瀕死の重傷から生還した一人の男がいる。 影響力の相対的低下という、自らが置かれた厳しい状況がそうさせたのか、或いは、それまでの自分の生き方を、「愚か者」という風に相対化できるほどの年輪がそうさせたのか、それ以外に…
1 一貫して漂うブルーな風景 ―― その映像構築力 この映画を観て、そこで描かれた世界に類似する二本の映像がある。 一本は、40年も前に観た、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「欲望」(1966年製作)で、もう一本は、近年観た、フロリアン・ヘン…
1 「平等の貧困」が崩れていく時代の揺籃期の中で 均しく貧しい時代を保証していた「平等の貧困」が、いつしか崩れていった。 高度成長以降、この国は大きく変わってしまった。 固形石鹸で髪を洗っていた時代は、永遠に戻らない。 あの頃、私たちは、近隣か…
1 「絶対状況」に捕捉された「炸裂するヒロイン」の究極の〈生〉の転がし方 個人的には思い入れの少ない、この作り手の作品の中で、受容できる殆ど唯一と言える作品だが、客観的に評価すれば、存分なまでの「映画の嘘」の「自在性利得」の中で、物語構成力…
1 復讐劇の時間の中へ ニューヨークのリトル・イタリーに住む、ウオッチキャップ(米国海軍の水兵が防寒用に被ったニット製の帽子)を冠る、一人のイタリア人。 ファーストシーンでの、殺しの描写の緊迫感の導入は見事。 これで、観る者を一気に映像に惹き…
1 「純粋」、「無垢」、「超俗」、「寡黙」、「非文明」、そして「『聖なるもの』としてのイルカへの至上の愛」 「錦鯉の外見美を守るために、平気で水生昆虫を食べさせる環境擁護論も可笑しいが、『ハエや蚊のいない、トンボや蝶の舞う町づくり』をアピー…
1 「ラストシーンのサプライズ」によって壊された映像の均衡感 「ラストシーンのサプライズ」に象徴されるように、観る者の感動をビジネス戦略で包括する、ハリウッド系ムービーの狡猾さがここでも露わになっていて、本作を「名画」と呼ぶには相当気が引け…
ここには収められていないが、奥武蔵野の山々、とりわけ、顔振峠や高山不動の稜線からの夕景の写真を撮るために、最寄りの大泉学園駅から吾野まで通った日々が懐かしく思い出される。 冬の日没は早いので、遅くとも午後4時頃までには、見晴らしの良い稜線…
ここでは、青梅にある吉野梅郷と、「アジサイ寺」として名高い松戸本土寺が、私の最も愛着の深いビュースポット。 紅梅の多い吉野梅郷は、字義通りの「桃源郷」と言っていい。 最盛期には、殆ど信じ難き美しさを見せるので、毎年のように通ったものである。 …
それは、殆ど唐突に湧き起こってきた素朴な観念だった。 東京下町で生まれ、育ち、青年期に練馬で生活するようになった私にとって、「東京」という大都市に対する愛着の念が希薄であるように感じたのである。 大体、新宿・渋谷・池袋・銀座、等々という繁華…
「武蔵野三大湧水地のひとつ。江戸時代には、いかなる日照りにも涸れないといわれ、昭和30年代頃までは、真冬でも池面が凍らない『不凍池』として知られていました。しかし、かつての豊富な湧水も、周辺の市街化など環境の変化により、現在では見ることは…
その家は、大雨が降ると浸水する危険性と隣り合わせの古い家屋だった。 主人公の名は、緒方隆吉。日本橋の足袋問屋に勤める中年のサラシーマンである。その妻、弘子は戦災未亡人で、緒方とは再婚の夫婦の関係を、今のところ取りあえず問題なく営んでいる。二…
1 〈死〉と隣接する極道の情感体系で生きる男のアンニュイ感 「ケン、ヤクザ止めたくなったな。何かもう、疲れたよ」 物語が開かれてまもないこの台詞が、本作に相当の重量感を与えている。 この台詞の主は、北嶋組幹部である村川。 村川組組長である。 北…
ある事件によって、車椅子生活を余儀なくされたばかりか、妻子にも見捨てられ、自殺未遂の果てに、なお〈生〉を繋いでいかざるを得ない宿命を生きる元中年刑事。 彼の名は、堀部泰助。 彼は自らの自我の拠って立つ安寧の基盤を構築し得ないまま、アマチュア…
1 日を追って変容する妻の優位性を顕在化させていく「権力関係」の反転現象 長閑な村の「銃後」という限定的な状況下での、限定的な関係構造を描くことで、「戦時体制下の国家によって仮構された、『軍神』の欺瞞性と自壊」という表層的テーマを通して、視…
「実録」と銘打った物語の後半のクライマックスである、「あさま山荘」を描いた一連のシークエンスから掘り起こしたい。 あまりに著名な事件だから詳細な説明は省くが、そこに5人の「革命戦士」がこもっていたことは、当時を知る者には鮮明な記憶をなお残し…
1 極めて丁寧に映画を構築していく真摯さ・緻密さ・知的濃度の高さ 周防正行監督の映画は、なぜ、これ程までに面白いんだろう。 その答えの全ては、その後に作られた「Shall we ダンス?」(1996年製作)、「それでもボクはやっていない」(2007年製…