2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

陽春の小金井公園・2012年

私にとって、都内で最高の桜名所を一つ挙げるとしたら、八王子市にある「多摩森林科学園」に尽きる。 ここは「桜保存林」と銘打っているだけに、多種多様な桜のリレーが観る者を歓喜させ、圧倒する。 ただ、いつ訪園しても混雑極まりないところが、「桜好き…

武蔵野・初夏の花

神代植物公園。 私が最も多く通い詰めた「花の公園」である。 都立で唯一の、この植物公園には、早春から晩春まで各種の花が咲き続け、来園者を失望させることはない。 中でも、意外に知られていないのは、早春3月に、公園の一角を見事な色彩に染め上げる「…

カティンの森('07) アンジェイ・ワイダ <乾いた森の「大量虐殺のリアリズム」>

1 オープニングシーンンで映像提示された構図の悲劇的極点 「私はどこの国にいるの?」 これは、説明的描写を限りなくカットして構築した、この群集劇の中でで拾われている多くのエピソードを貫流する、基幹テーマと言っていい最も重要な言葉である。 この…

コルチャック先生('90) アンジェイ・ワイダ <せめてもの安らかな死――人間の尊厳の究極的な到達点を求めて>

序 人間の尊厳を失わずに生きることの意味 この映画は、死が日常化しているような苛酷な状況下で、人間の尊厳を失わずに生きることの意味を鮮烈に問いかけた一篇である。 それは最も大切なものを守るために、その大切なものを失ってまで守られることを拒んだ…

灰とダイヤモンド('58) アンジェイ・ワイダ <〈生〉と〈死〉を分ける禁断のラインを挟んで、一瞬交叉した、「ポーランドの悲劇」の象徴的構図>

ここに興味深い報告がある。 アンジェイ・ワイダが、如何にスターリン体制のソ連の管轄下にある検閲当局を潜り抜け、体制批判を盛り込める映像を作り出したかという報告である。 「映画監督アンジェイ・ワイダ ─― 祖国ポーランドを撮り続けた男」というNH…

地下水道('56) アンジェイ・ワイダ <「深い情愛」と「強い使命感」という、「情感体系」の補完による「恐怖支配力」>

1 「希望」に繋がる当てのない「出口」を模索する恐怖を抉り出した、究極の人間ドラマ 大脳辺縁系の扁桃体に中枢を持つ「恐怖」こそ、「喜び」、「怒り」、「悲しみ」、「嫌悪」と共に人間の基本感情であると言われるものだ。 「恐怖」は、自己防御と生存に…

クラッシュ ('04)  ポール・ハギス <「自己正当化の圧力」と「複合学習」の困難さ>

1 「自己正当化の圧力」と「複合学習」の困難さ 「単に人種差別、人間の不寛容を扱うのであれば、ドキュメンタリーとして作る方が良いからね。人は皆、他人をあまりにも表面的に判断し、平気で厳しく批判しすぎる。その一方で自分のことは複雑な人間だと思…

ショートカッツ('93)  ロバート・アルトマン <「関係濃度の希薄性」という由々しき問題への考察>

「人間が害虫を殺すか、害虫が人間を殺すかの戦いです」というヘリコプターの殺虫剤散布で始まり、ロサンゼルス地震で閉じていく本作の中で、「死」という「非日常」の極点を基軸にして、そこに最近接した者の 「日常性」の様態を描く幾つかのエピソードのう…

陽春の昭和記念公園・2012年

「立川基地跡の一部に開設されており、レクリエーション施設としての面もあるが、大規模な震災や火災などが発生した場合は、被災した都民の避難地としての機能も果たすよう設計されている。例えば、園路はスムーズに避難を行うために幅が広く作られており、…

定着への揺らぎと憧憬―「寅さん」とは何だったのか

(1)体の芯が温まるような暖かさ―― 男の純愛道 一切の近代的利器とは情感的に切れる生き方を徹底させ、渡し舟に乗り、月夜の晩に故郷を懐かしむリリシズムが全篇に漂う中、その男は純愛を貫くのである。 人々は映像の嘘と知りつつも、この架空のヒーローに…

男はつらいよ 寅次郎恋歌('71) 山田洋次 <リンドウの花――遠きにありて眺め入る心地良さ>

1 定番的な「別れの儀式」が捨てられて 旅芸人の一座と交わって、歓談している内に、寅さんは故郷柴又が恋しくなって、帰郷する。しかし例によって、変なところでシャイで、遠慮深い寅さんは中々団子屋の暖簾を潜れないでいた。 そして例によって、団子屋の…

武士の家計簿('10)  森田芳光 < 「質素」、「勤勉」、「倹約」、「正直」、「孝行」、「『分』の弁え」という美徳を有する、稀有なる「善き官僚」であった男の物語>

1 「ホームコメディ」と「シリアスドラマ」という二つの風景を、「技」の継承への使命感を有する堅固な信念によって接合した一篇 これは、時代の変容の圧力から相対的に解放された秩序の追い風の中にあって、それ以外にない「技」を、恐らく特段に問題なく…

十三人の刺客('10)  三池崇史  <てんこ盛りのメッセージを詰め込んだ娯楽活劇の「乱心模様」>

1 「戦争」の決意→「戦争」の準備→「戦争」の突沸という、風景の変容の娯楽活劇 この映画は良くも悪くも、物語をコンパクトにまとめることを嫌い、エンターテイメントの要素をてんこ盛りにすることを大いに好む映画監督による、力感溢れる大型時代劇の復権…

幕末太陽傳('57) 川島雄三  <自由なる魂が隠し込んだ侠気 ―― 或いは、孤独なる確信的逃走者>

攘夷に狂奔する若き「志士」たちが、馬で逃げる二人の英国人を抜刀して追っていく。しかし、ピストルで応戦する英国人に太刀打ちできる訳がない。一人のラジカル・ボーイがその銃丸に倒れて、呆気なく彼らの攘夷は頓挫した。男は懐中時計を落として、その場を…

放浪記('62)  成瀬巳喜男   <天晴れな映画の、天晴れな表現宇宙が自己完結したとき>

1 成瀬映画の集大成としての「放浪記」 「放浪記」は成瀬映画の真骨頂を発揮した作品である。 その意味で、成瀬映画の集大成でもあると言える。 作品の内に、成瀬映画を特徴づける人生観、人間観のエッセンスが収斂されていると思えるからだ。 私見によれば…

秋立ちぬ('60)  成瀬巳喜男   <削りとられた夏休み>

序 大人は当てにならない 「人生は思うようにならない」 成瀬映画を一言で要約すると、恐らくこの表現が一番近い。 人生を自然のままに切り取ろうとすると、客観的にはどうしても滑稽であったり、哀切であったり、そしてしばしば残酷であったりすることは避…

妻('53)  成瀬巳喜男   <覚悟を決めた女、覚悟できない男>

1 煎餅を齧る妻、布団の中に潜り込む夫 1950年代初めのこの国の、とある木造家屋が、朝の外光を浴びた裏通りに融合した絵画のようにして、比較的明るい長調の旋律に乗って映し出されてくる。 今度は、その家屋に住む中年夫婦が、いつでもそうであるよう…

石中先生行状記(「千草ぐるまの巻」)('50) 成瀬巳喜男  <共同体を繋ぐ天使 ―-― 「ナチュラル・スマイラー」の底力>

序 何とも言えない温和な空気感 原作は、石坂洋次郎の著名な作品。 本作は、その中から三つの物語を映像化したオムニバス作品になっている。三篇ともユーモアたっぷりなほのぼのとした作品に仕上がっているが、私を魅了したのは、何と言っても、三話目の「千…

晩菊('54) 成瀬巳喜男  <それでも女は生きていく>

1 人間の卑屈なさまをも容赦なく映し出す成瀬ワールドの中に 杉村春子、望月優子、細川ちか子。 この三人の女優の味わいのある演技の交錯が、物語を最後まで引っ張って行く。 共に昔芸者をしていたが、零落した二人が、今や高利貸しとなった杉村春子に借金…

流れる('56) 成瀬巳喜男  <今まさに失わんとする者たち>

1 シビアな現実を、淡々と、しかし残酷に描き切った成瀬映画の最高到達点 「男を知らないあなたに、何が分るって言うのよ!」 「男を知っているってことが、どうして自慢になるのよ!」 「へぇ、このお嬢さんは大変なことをおっしゃいましたよ。女に男がい…

蜂蜜('10)  セミフ・カプランオール <正夢になってしまったリアリティの中で、6歳の児童の自我を噴き上げた情動の氾濫>

1 行間を語らないことによって保証された映像宇宙のイメージ喚起力 映画の中で提示された物語が、その映画総体の中で、殆ど「予約された感動譚」の本質とも言うべき、2時間程度の時間限定的な物語のうちに自己完結してしまう映画の脆弱さは、物語の肝の部…

雲が出るまで('04)   イエスィム・ウスタオウル  <「ネガティブな自己像」を溶かした一枚の古い写真>

1 「ネガティブな自己像」を隠し込んで構築した物語の破綻 「ネガティブな自己像」を自我の奥深くに隠し込んで、安定的な物語を構築した姉弟がいた。 しかし、唯一の身内の死によって、安定的な物語を根柢から破綻させられた姉が、内側に封印していた「ネガ…