2013-12-14から1日間の記事一覧

阿修羅のごとく(‘03)  森田芳光 <鋭角的な前線の果てに待機していた、家族という名のとっておきの求心力の物語>

1 「人間は『阿修羅』の如き存在である」ばかりではない 「阿修羅。インドの民間信仰上の魔族。外には礼義智信を掲げるに見えるが、内には猜疑心が強く、日常争いを好み、たがいに事実を曲げ、またいつわって他人の悪口を言いあう。怒りの生命の象徴。争い…

甘いものを摂取して肥満になった責任を、社会に押し付けるなかれ ―― 映画「裸の島」から学ぶもの

故・新藤兼人監督の最高傑作と、私が勝手に評価する「裸の島」(1960年製作)は、忘れられない映画である。 映画の舞台は、瀬戸内海に浮かぶ、僅か周囲四百メールの小島。 この狭い限られた土地はボタ山のように、天に向って遠慮げに突き出していて、し…

「日本人の死生観」の底の浅さ ―― 映画「おくりびと」、その幻想の収束点

1 アニミズム的死生観という幻想 「なげーこさ、ここさいっとつくづく思うべの。す(死)は門だなって。す(死)ぬってことは終わりってことでなくて、そこを潜(くぐ)り抜けて、次へ向かう、まさに門です。私は門番として、ここで沢山の人を見てきた。行…

「サーファー青年に予約された、心的外傷の恐怖のリアリズム」 ―― 映画「地獄の黙示録」が問いかける、もう一つの根源的提示

1 「名の知れたサーファー」という「栄誉称号」を、「殺人マシーン」という一兵士に変換し得ない者の防衛戦略 フランシス・F・コッポラ監督 の「地獄の黙示録」(1979年製作)の中で、私の心の中に最も鮮烈な印象を与えた人物は、マーロン・ブランド演…