2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

わが母の記(‘11)  原田眞人 <遺棄された、「不完全なるソフトランディング」という括りの潔さ>

1 日本的な「アッパーミドル」に絞り込んだ、「古き良き日本の家族の原風景」を印象づける物語構成 ファーストカットで、いきなり驚かされた小津映画のオマージュ(「浮草」)や、明らかに、そこもまた小津映画の影響を感じさせる、あまりに流暢で、澱みの…

アメリカン・ヒストリーX(‘98) トニー・ケイ <溶融し合うことを求めない者たちが、物理的に最近接したときの最悪の事態に流れ込んだとき>

1 「ホワイト・バックラッシュ」の攻撃性が極点に達したときの厄介な「負の状況」 かつてアメリカは、「様々な人種が、何でもそこに溶けて混ざり合ってしまう」という意味の「人種の坩堝」という用語で説明されることがあったが、今は「それぞれの人種、民…

カイロの紫のバラ(‘85)   ウディ・アレン <「夢を見る能力」のパワーの凄みが招来した「境界越え」の沸騰点>

1 「魂が打ち震える映画」に振れていく「同質効果」の心理学 私は多くの場合、辛い現実を、今日もまた引き受けていく運命から逃れられないから、自分より辛い現実を生きる物語の主人公と同化し、「疑似共有」していくために映画を観る。 今日もまた引き受け…

ヒミズ(‘11)  園子温 <行間を埋め潰していく情動過多な構図の連射の騒ぎようと、削り取られてしまったリアリズム>

1 行間を埋め潰していく情動過多な構図の連射の騒ぎようと、削り取られてしまったリアリズム 「そこから逃避困難な厳しくも、辛い現実」 これが、「綺麗事」の反意語に関わる私の定義。 この作り手の映画を貫流していると思われる、物語の基本姿勢である。 …

大鹿村騒動記(‘11)  阪本順治 <寒々しいコメディラインの情景への大いなる違和感>

1 寒々しいコメディラインの情景への大いなる違和感 「前回の『KT』と違うのは、暗いトーンで終わる話ではなかったこと。基本は喜劇ですから」(阪本順治×荒井晴彦 対談:前編 - ソフトバンク ビジネス+IT) これは、阪本順治監督の言葉。 「基本は喜劇」と…

松井秀喜の最終到達点   2012.12.28 in NY

1 語るべき価値を持つ男が語った言葉の重量感 この国で語られる言葉がいよいよ価値を持たなくなった時代の中で、そこに作られた重い空気を、殊更(ことさら)排除する下手な技巧を一切駆使することなく、男はゆっくりと、それまでもそうであったように、考…

特選名画寸評(追加編)

別離(アスガー・ファルハディ) アスガー・ファルハディ監督の前作である「彼女が消えた浜辺」(2009年製作)を初めて観たときの興奮と感動は、今でも脳裏に鮮烈に焼き付いて離れない。 それは、当局との検閲との関係で、愛らしい子供を主人公にした癒…

苦役列車(‘12) 山下敦弘 <「青春映画」の「光と影」の反転性を照射させる自業自得の「青春敗北譚」>

1 「劣等感」の心理学 自我形成の内的行程の中で生じる、他者との競争意識におけるネガティブな感情傾向の総体。 これが、「劣等感」(精神医学用語の概念としての「コンプレックス」にあらず)についての一般的定義である。 「劣等感」が、他者との競争意…

あ、春(‘98) 相米慎二<「非日常」の揺動感の中で、ほんの少し骨太のラインを成す共同幻想を再構築していく物語>

1 更新された「日常性」を巧みに操作し、安定化させていくことの困難さ 「日常性」とは、その存在なしに成立し得ない、衣食住という人間の生存と社会の恒常的な安定の維持をベースにする生活過程である。 従って、「日常性」は、その恒常的秩序の故に、それ…

カティンの森('07) アンジェイ・ワイダ <乾いた森の「大量虐殺のリアリズム」>

1 オープニングシーンンで映像提示された構図の悲劇的極点 「私はどこの国にいるの?」 これは、説明的描写を限りなくカットして構築した、この群集劇の中でで拾われている多くのエピソードを貫流する、基幹テーマと言っていい最も重要な言葉である。 この…

刑事ジョン・ブック 目撃者(‘85)  ピーター・ウィアー <「文明」と「非文明」の相克の隙間に惹起した、男と女の情感の出し入れの物語>

1 非暴力主義を絶対規範にするアーミッシュの村の「掟」の中で ―― 事件の発生と遁走の行方 男と女がいる。 本来、出会うはずもない二人が、一つの忌まわしき事件を介して出会ってしまった。 男の名はジョン・ブック。 未だ独身の敏腕刑事である。 女の名は…

モンスター(‘03)  パティ・ジェンキンス <法治国家で生きる者の宿命としての「地獄巡りの彷徨」の報い>

1 アイリーンの「負の連鎖」と、シリアルキラーにまで堕ちていった現実との相関性① 実際のモデルとなった事件とは無縁に、映像で提示された物語にのみ限定して批評していく。 特段に致命的瑕疵がある訳ではないが、本作はモデルとなった事件をベースにした…

たそがれ清兵衛(‘02)  山田洋次 <「清貧」と呼ぶに相応しい清兵衛像の、肩ひじ張らない恬淡とした生き方>

1 屋上屋を架すようなナレーション挿入の、「過剰なまでの分り易い物語」への振れ方の悪弊 「観る者との問題意識の共有」=啓蒙意識への強い拘泥。 いつからか、山田洋次監督には、これが、そこだけは外せない地下水脈のように、いよいよ累加されてきている…