Love Letter(‘95) 岩井俊二 <「グリーフワーク」という基幹テーマの内に、べったりと添えられた「感動譚」の洪水>

 どう考えても、本作のテーマは、ヒロインである渡辺博子の人格を深々と呪縛する自我に張り付く原因子を、「グリーフワーク」に向けてソフトランディングさせていくプロセスと、その克服と再生を描くもの。

 それは、以下のエピソードによって判然とするだろう。

 渡辺博子と義母の会話である。

 以下の通り。

 「この写真、私に似てますか?」と博子。
 「似てるかなあ。似てるとどうなんの?」と義母。

 これには、若干の説明が必要だ。

 3年前に山岳遭難事故で死んだフィアンセ、藤井樹(いつき)への追慕の念が強く、義母に見せてもらった「開かずの間」(樹の部屋)から持ち出した中学の卒業アルバムの写真。

 その写真に写っている一人の女子中学生を、博子は指差したのだ。

それ以前に、博子は樹の小樽(画像)時代の住所を発見していて、今は国道になっているその住所に手紙を出していた。

 ところが、「天国に眠るフィアンセ」(以下、こう呼ぶ)に出した手紙の返事が来たのだ。

 その手紙の主との往復書簡の中で、どうやら藤井樹の中学校の同級生の中に、同姓同名の女子がいることが判明し、博子は、「もう一人の藤井樹」(以下、こう呼ぶ)に対して手紙を送っていたのである。

 博子にとって看過し難いのは、その「もう一人の藤井樹」が自分に瓜二つでないかと訝い、既に彼女に異性感情を抱く秋葉との小樽行きの中で、「もう一人の藤井樹」と偶然出会っていたという経緯を持っていた。

 無論、その際には、「もう一人の藤井樹」が博子を特定できなかったが、しかしその相手こそ、博子が「天国に眠るフィアンセ」に出した手紙の受取人だったのである。

 博子は文通の過程で、「天国に眠るフィアンセ」の中学時代の様子に多大な関心を持ち、「もう一人の藤井樹」に対して、今や、「二人の藤井樹」の関係の交流濃度を確認することを求めていくに至った。

 要するに博子は、中学時代の「もう一人の藤井樹」に嫉妬感を覚えたのである。

 これが、義母に対する発問の背景である。

 ところが、信じ難いことに、義母は「もう一人の藤井樹」の存在について全く認知していなかった。

 この辺の現実感の欠如は殆ど致命的だが、それは問わないことにしよう。

 そのときの博子の反応は、以下の通り。

 「似てると、許せないです。それが私を選んだ理由としたら・・・あの人、私に一目惚れだって、言ったんです。それを信じていたんです。でも、一目惚れには、一目惚れの訳があるですね」

 「天国に眠るフィアンセ」が自分に一目惚れした理由は、「もう一人の藤井樹」の「代り」だったのではないか。

 そう訝ったとき、人生で一番愛したはずの対象人格に対する、「無垢」で「シャイ」なイメージラインが、博子のの中で揺らいでしまったのである。

 彼女は、「天国に眠るフィアンセ」によって支えられていた「簡単に消えない愛の残影」の在り処ばかりか、自らのアイデンティティの危機にも搦め捕られてしまったのだ。

 それでも、「天国に眠るフィアンセ」の「非在の存在性」が支配する大きさが変らない思いを否認し得ないが故に、彼女は苦しむのである。

 
(人生論的映画評論/Love Letter(‘95)  岩井俊二 <「グリーフワーク」という基幹テーマの内に、べったりと添えられた「感動譚」の洪水>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/08/love-letter95.html