アンナと過ごした4日間('08)  イエジー・スコリモフスキ<「戦略的ミスリード」を駆使する映像宇宙の鋭利な切れ味>

 1  「戦略的ミスリード」を駆使する映像宇宙の鋭利な切れ味



 単に「面白いだけの映画」を観たら、鑑賞後、5分も経てば忘れるだろう。

 「面白さ」のエピソードが、脳の記憶に張り付いていても、いつしか、その後に観た同種の映画との差異が曖昧になり、やがて、時間の経過と共に記憶の彼方に雲散霧消していくからである。

 また、「感動的な映画」を観た直後には、「大傑作」などと思っても、「感動的なシーン」のエピソードの記憶の劣化と共に、同種の映画との差別化が希釈化することで、「何となく良かった」という程度の思いしか残らなくなるだろう。

 ところが、このようなフラットな鑑賞体験の枠組みに収斂されない映画が、稀に存在する。

 だから、シネマディクトのトラップに嵌ってしまうのだ。

 まさに本作こそ、シネマディクトのトラップに嵌ってしまう快感に、束の間、酩酊し得るに足る訴求力の高い映像だった。

 素晴らしいとしか言いようのない、本作の映像構築の鋭利な切れ味は、以下の文脈のうちに要約できるだろう。

 人通りの疎らな田舎町の店で斧を買った男が、「立ち入り禁止」を表現するかの如き鉄扉を、唯一の出入り口にする狭隘な建物に入って行き、その建物の焼却炉から人間の手首が唐突に貌を出したり、豪雨で溢れる河から牛の死体が流れてきたり、というシーンを挿入するオープニングのシーンから、観る者の日常性と切れた一種独特の構図の連射によって、まるでシリアルキラーと思しきイメージのうちに、「戦略的ミスリード」を駆使する映像の世界が開かれていく。

 「異界」からのおどろおどろしい誘(いざな)いに、それを潜在裡に求める者の律動感が丸ごと吸収されるような、言ってみれば、時間限定の「非日常」の小宇宙に搦(から)め捕られ、その空間を支配する絵画的な画面構成にピタリと嵌った、地の底からの音響効果によって、全く無駄のない映像宇宙が、怖いもの見たさの、観る者の猟奇的好奇の視線を釘付けにするのに相応しい導入だった。



 2  「愛する女」との物理的距離を解体させた最も眩い「一瞬」



 一度観たら忘れ得ない、この映像の梗概を簡潔に書いておこう。

 本作は、サスペンス性の強調と、観る者に先入観を持たせることで、その認知の誤謬を確認させるという、「戦略的ミスリード」の手法によって構成されている物語であるが故に、時系列がバラバラになっている映像を、ここでは簡潔に、その時系列に沿ってフォローしていく。

 時の流れが止まったような、ポーランドの静謐な田舎町。

 病院の焼却係として働くレオンの日課は、向かいの看護寮に住む看護師である、若いアンナへのストーキング行為。

 と言っても、アンナの部屋を双眼鏡で覗いたり、相当の距離を確保して、そっと追尾したりするだけ。

 病に伏せ、眠剤を欠かせない祖母の介護を不可避とするレオンは、独身の中年男。

 二人で暮らしのレオンの、アンナへのストーキング行為の発端は、数年前、豪雨で溢れる河に釣りに行って、避難した廃工場で目撃したレイプ事件だった。

 そのレイプ事件の被害者はアンナ。

 恐怖と興奮の混淆した複雑な感情によって、立ち竦んでいたレオンだったが、犯人の逃走によって我に返ったレオンは、自ら警察に通報するものの、犯行現場に釣り道具を置き忘れたために、容疑者として逮捕されてしまう。

 アンナへのストーキング行為が開かれていったのは、冤罪による服役から解放されて以後のことだった。

 まもなく、火葬場の仕事を解雇され、祖母も逝去し、天涯の孤独の身になってしまったレオンは、寂しさのあまり、アコーディオンを弾く姿が印象的に映し出された。

 そんなレオンが、アンナへの究極のストーキング行為に及んだのは、その直後だった。

眠剤で眠らせたアンナの部屋に、狭い窓から入り込んで、彼女の裸形の臭気に最近接したのである。

 この究極のストーキング行為は、4日間続いた。

 熟睡するアンナを見詰めるだけのレオン。

 やがて、アンナのナースの制服のボタンを縫う男が、そこにいた。

 アンナの足の指にペディキュアを塗ったのは、2日目の夜。

 そして3日目。

 アンナの誕生日の夜のことだ。

 彼女のパーティが終わって、散らかった個室に、スーツを着て現れたレオン。

 部屋の花瓶に花束を差した後、退職金を叩(はた)いて買ったダイヤの指輪を大事そうに持って、それをアンナの指に素早く嵌めて、外すのだ。

 アンナへの誕生日プレゼントである。

 「君の健康と幸せを願って、素晴らしい人生を送れますように。愛しい人」

寝ている本人の眼の前で、ワインを飲みながら囁(ささや)く男。

 そして、運命の4日目。

 レオンは、アンナの個室にあった鳩時計を持ち出した。

 修繕するためである。

 しかし、修繕した時計を戻すために、アンナの個室に入ろうとした所を、警察に捕捉されてしまったのである。
 
 「アンナと過ごした4日間」は呆気なく閉じていったが、不幸に満ちたレオンの人生の中で、「愛する女」との物理的距離を解体させた最も眩い「一瞬」だった。


(人生論的映画評論/アンナと過ごした4日間('08)  イエジー・スコリモフスキ<「戦略的ミスリード」を駆使する映像宇宙の鋭利な切れ味>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/06/08_13.html