ダンサー・イン・ザ・ダーク('00) ラース・フォン・トリア <「殉教者なら死ななければならぬ」 ―― 確信的に創出された「愛の殉教者」のラストシークエンスの破壊力>

 1  「人の琴線を震わせる何か」を狙った「ヘビーなミュージカル」の毀誉褒貶



 少年時代に、コミュニストであった両親が、「カス」だと嘲笑していたミュージカルが好きだった男がいる。

 しかし、彼が観たミュージカルは、「涙にむせぶようなヘビーなもの」ではなく、軽い内容のオペラであるオペレッタの範疇に入るものだった。

 そんな男が後に、ニューヨークを舞台にして少年ギャング団の移民同士の抗争を描いた「ウエストサイド物語」(1961年製作)を観て、大きな感動を受けた。

 それは、男女の愛と死を描いたものでありながら、ドラマチックな内容の濃い物語に仕上がっていて、いつしか男は、シリアスなミュージカルを映像化したいという夢を膨らませていった。

 そのモチベーションが推進力になって、その映像描写の極端さに物議を醸すなど毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばしながらも、明らかにオペレッタと切れた、「ヘビーなミュージカル」としての評価の高い本作に繋がったのである。

 「人の琴線を震わせる何か」

 それが、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」だった。

 従って、男は、「ミュージカル・シーンとドキュメンタリー的なシーンの2種類で構成されている」映画の骨格を作り出すことで、深いドラマを描くことが可能であると信じて、「ヘビーなミュージカル」に結ばれる実験的映像に挑んだのである。

 目的は、作品を情感豊かな映像に仕上げることだった。

 「エモーションと音楽のミックス」による実験的映像は、ハリウッドのミュージカルに馴染んでいた多くの観客の心を不快にさせ、しばしば、完全否定される俗流ムービー扱いを受けるに至ったが、男はそれをも承知で、自分なりの「ヘビーなミュージカル」の創作に自信を深めていった。

 それは、本作がカンヌを制したこととは無縁な何かだった。

 男の映像世界が一流のアートとして認知されるには、「床に白い枠線と説明の文字を描いて建物の一部をセットに配しただけの舞台で撮影され」(Wikipedia)、簡単に権力関係を作ってしまう人間の脆弱さを極限まで突き詰めていった、「ドッグヴィル」(2003年製作)という、カテゴリー破壊とも言うべき実験的映像の製作・公開までの時間を必要としたとも思えるが、本作をリアルタイムで高く評価し得た批評家も少なくなかった。

 ドキュメンタリー的なシーンを際立たせるダッチロールの如き映像によって、「ドグマ95」のゴールデンルールが検証されるに至ったとされるが、実際の所、本作は、「1台のカメラでひとつのシーンを撮るのではなく、固定式のカメラを数多く用意して撮影を行った」のである。

 何と、そこで使用されたカメラは100台を優に越えていたのだ。

 広大なスタジオ内にあって、クレーンショットを多用するミュージカルの正統派路線ではなく、そこだけは、限界状況の辺りにまで心理的に捕捉された、ヒロインの特化されたエモーションを拾い上げるべく、ミュージカル・シーンに浄化されて、それを多くの固定カメラで記録するという表現技巧によって質の高い映像を作り出したと、男は信じて止まなかった。

 恐らく、男の意図は成就したのだろう。

 因みに、男が本作の舞台をアメリカにしたのは、アメリカのミュージカルに対する挑発的意図を持っていたのではなく、ミュージカルの発祥の地としてのアメリカを尊重したからに他ならないのである。
  故郷を追放されたドイツ人少年が異国の地を放浪する様態を、実存的作風で描く未完の作品として著名な、フランツ・カフカ(画像)の「アメリカ」(1914執筆で、原題は「失踪者」)を例に出して、カフカ同様にアメリカの地を踏んだことのない男が、「自由の女神像」に象徴される件の国を「神話の国」とさえ呼ぶ、「何でもあり」のアメリカという帝国的な国民国家の存在の深い内懐ろには、男にとって、容易に否定し難い程に魅力的な文化が混淆しているらしいのだ。

 だから、本作が「アンチ・ハリウッド」という短絡的なラベリングで括るのは、多分に「勝手読み」の愚を免れないと言えるだろう。

 ただ男は、物語の中に唐突に侵入してくる、多くのハリウッド製ミュージカルの軽薄さとは完全に切れた、人生の重量感を拾い上げる「ヘビーなミュージカル」を構築したかったのである。

 それだけのことだった。
 
 
(人生論的映画評論/ダンサー・イン・ザ・ダーク('00) ラース・フォン・トリア <「殉教者なら死ななければならぬ」 ―― 確信的に創出された「愛の殉教者」のラストシークエンスの破壊力>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/09/00.html