アメリカン・ビューティー('99)  サム・メンデス <「白」と「赤」の対比によって強調された「アメリカン・ビューティー」の、爛れの有りようへのアイロニー>

 1  小さなスポットで睦み合う青年と少女



 本作を、一人の青年が支配している。

 リッキーという名の、18歳の青年である。

 ビデオカメラで隣家の少女を盗撮したり、麻薬の密売で小遣いを稼ぐ危うさを持つ青年だが、そんな男に盗撮される当の少女が、青年のうちにピュアな心を感受し、自然の成り行きで会話を持つに至る。

 隣家の少女の名は、ジェーン。

 女子高生である。

 以下、そんな会話の中で、リッキーがジェーンに語った一つのエピソードを紹介する。

 本作を貫流するテーマが含まれているからだ。

 「君に一番美しい作品を見せよう」

 そう言って、リッキーはジェーンに、自分が撮ったビデオを見せていく。

 ビデオを見せながら、リッキーは語っていく。

 「この日は今にも雪が降り出しそうで、空気がピリピリしていた。宙を舞う白い袋。遊びをねだる子供のように僕にまとわりついた。15分もの間。その日、僕は知った。全てのものの背後には、生命と慈愛の力があって、何も恐れることはないのだと。何も。これはビデオ映像だけど、忘れないために撮影した。この世で眼にする、美の数々。それは僕を圧倒し、心臓が止まりそうになる」

 後述するが、嗚咽交じりの、このリッキーの言葉が、本作で描かれた「アメリカン ・ビューティー」の一切を相対化し切っているのである。

 今度は、その後の二人の会話を拾っていこう。

 「自己構築と規律の世界」をリッキーに押し付けて、形式的に服従させるだけの彼の父。

 元海兵大佐である。

 リッキーは、その父のことを語っていくのだ。

 「15歳のときマリファナで陸軍学校へ。適応できず、父と大喧嘩。殴られた。普通の学校に戻されたら髪型をからかわれ、キレた。相手を本気で殺そうと思った。だが引き離され、今度は神経科に送り込まれた。そのまま2年間、薬物療法

 すかさず、ジェーンが反応する。

 彼女もまた、父親への不満が沸騰し切っているのだ。

 「お父さんが憎い?」
 「いいや。悪い人じゃない」
 「そんな父親、私なら憎むわ。もう憎んでいるけど」
 「なぜ?」
 「私の友だちのアンジェラに夢中になるようなバカ男よ」
 「娘に夢中にならずに?」
 「嫌だ、気味悪い。でも、もう少し関心を持ってくれたら・・・傍目(はため)には無害な父親に見えても、私には大きな精神的ダメージを」
 「どんな?」
 「私にだって、自己構築と規律が必要なのよ・・・あんなパパ、死んだ方がいいのよ」
 「僕が殺そうか?」
 「殺ってくれる?」
 「金がいるよ」
 「子守のバイトをして3000ドル溜まっているの。豊胸手術のためよ。でも・・・」
  ビデオカメラの前で、冗談で反応する少女と、それを承知の上で冗談で返す18歳の青年が、二人だけが占有する小さなスポットで精神的に睦み合っていた。
 
 
(人生論的映画評論/アメリカン・ビューティー('99)  サム・メンデス   <「白」と「赤」の対比によって強調された「アメリカン・ビューティー」の、爛れの有りようへのアイロニー>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/01/99_09.html