グレート・ブルー 国際版('88)  リュック・ベッソン  <「マリンブルー」の支配力だけが弾ける世界の、単純な映像構成の瑕疵>

 1  「純粋」、「無垢」、「超俗」、「寡黙」、「非文明」、そして「『聖なるもの』としてのイルカへの至上の愛」



 「錦鯉の外見美を守るために、平気で水生昆虫を食べさせる環境擁護論も可笑しいが、『ハエや蚊のいない、トンボや蝶の舞う町づくり』をアピールするナチュラリズムはもっと可笑しい。

 極めつけは、ある県の学校緑化コンクールで優秀賞に選ばれた小学校が、校庭美化のため夜間に除草剤を散布したというエピソード。

 奥井一満の、『五分の魂』という本で紹介された事例だ。

 本来の自然である野草を引き抜き、外見的に美しいものだけを大切にする私たちの欺瞞的な自然観が、ここにある。

 特定の動物への保護に走りやすい『動物愛護』の軽薄な情感性と、生態学的な多様性を維持し、サステイナブル・ディベロップメント(持続可能な開発)の観点に立って、その価値を増大させるという思想を視野に入れた『自然保護』との相違は決定的であるだろう」

 この文章は、私のブログの「状況論的短言集」の中の拙稿である。

 「グレート・ブルー」(120分の国際版で、原題は「THE BIG BLUE」)というカルト的に支持されている映画を観ていて、私はこの拙稿のことを想起した。(因みに、本稿では、「グラン・ブルー完全版」についての批評にあらず)

 今更、「動物愛護」と「自然保護」の決定的相違について講釈しても詮無いので、映像との関連のみで言及する。

 「グレート・ブルー 国際版」という映画では、明らかに、「動物愛護」の対象動物として、イルカという万人受けしやすい動物が、「聖なるもの」として特定的に選択され、その「聖なるもの」と睦み合う男が「聖なる使者」として立ち上げられるのだ。

 「『日本イルカの日』には、世界の50カ所の主要都市で日本のイルカ猟に反対するデモが行われました」

 これは、「ヘルプアニマルズ」のHPからの言葉。

 また、日本のイルカ追い込み漁を隠し撮りして、第82回アカデミー賞ドキュメンタリー映画を受賞した、例の「ザ・コーヴ」(2009年公開)の話題を例に挙げるまでもなく、どうやら、西欧、とりわけ、「オーストラリアではイルカ、鯨は聖なるもの」(「JANJAN・2005年7月26日」)と化しているのだ。

 さて、本作のこと。

 「聖なるもの」としてのイルカと睦み合う「聖なる使者」の名は、ジャック・マイヨール
  晩年に自殺(2001年に、イタリア・エルバ島の自宅で縊首。享年74歳)した実在の人物だが、本作では、彼の自伝を基にしていると言われながらも、人物造形は似て非なる人格と言っていい。(画像は、故ジャック・マイヨール氏)

 なぜなら、フランス人ダイバーである、本作でのジャック・マイヨールの人格イメージは、少年時代に被った潜水事故によって、スキューバダイバーへの夢を砕かれたリュック・ベッソンの理念像が投影されたものであると思えるからだ。

 本作のジャック・マイヨールの人格イメージを要約すれば、「純粋」、「無垢」、「超俗」、「寡黙」、「非文明」、そして「『聖なるもの』としてのイルカへの至上の愛」と言ったところである。

 要するに、本作のジャック・マイヨールとは、異性愛の究極の現象である「性」よりも、「聖なるもの」を「家族」と信じて、その「家族」と睦み合う行為を至上の喜びと看做す「聖なる使者」であったということだ。
 
 
(人生論的映画評論/グレート・ブルー 国際版('88)  リュック・ベッソン  <「マリンブルー」の支配力だけが弾ける世界の、単純な映像構成の瑕疵> )より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/06/88.html