マイ・バック・ページ('11) 山下敦弘 <相対化思考をギリギリの所で支え切った、表現主体としての武装解除に流れない冷徹な視線の肝>

 1  「革命」という甘美なロマンによって語られる、それ以外にない最強の「大義名分」を得て


 
 「革命」という言葉が死語と化していなかった時代を、「幸運な時代」と呼んでいいかどうか分らないが、そんな時代状況下にあって、「世界の動乱」を鋭敏に感受し得た一群の若者たちは、「自分も何かしなければ、時代に取り残される」という気分を肥大させた挙句、同様の気分を保持する者たちと状況感覚を共有することで、何とか自我の拠って立つ安寧の心理的拠点を手に入れていく。

 自我の拠って立つ安寧の拠点になったのが、「革命」という甘美なロマンによって語られる、それ以外にない最強の「大義名分」だった。

 「世界の動乱」を鋭敏に感受し得た一群の若者たちが蝟集(いしゅう)した、「革命」という名の最強の「大義名分」のうちに、「同志」と呼称する者たちと共有する、えも言われぬ心地良き気分は、「自分も何かしなければ、時代に取り残される」という、世俗の気分を遊弋(ゆうよく)させながら、なお内側に張り付き、潜在化した負の意識の集合を無化し得るばかりか、却って内側を浄化させてくれるので、その甘美なロマンに身も心も預けていくことで手に入れる快楽はいよいよ肥大化し、エンドレスの危うい昂揚感覚を膨張させていく。

 これが、「同志」と呼称する者たちと共有する、「革命」という甘美なロマンに縋ることで、自分が「特定的な何者か」になった幻想を間断なく分娩するから、益々、厄介なメンタリティを再生産していくのだ。

 特段に何者でもない者が、「特定的な何者か」であろうとするために支払ったエネルギーコストよりも、そこで手に入れたベネフィットの方が上回っていると信じられ、且つ、それが継続性を持ち得るとき、その者は自分が辿り着いたであろう、「特定的な何者か」についての物語の鮮度が保持し得る限りにおいて、その幻想に存分に酩酊し、泡立ちの森で遊弋するだろう。

 然るに、そこで仮構された自己についての新しい物語に、自らが馴染んでいく速度よりも、そこで立ち上げられた「特定的な何者か」に寄せる、他者からの情感的評価の速度が常に上回るとき、そこに微妙だが、しかしほぼ確実に、自己同一性に関わる不具合感を内側で合理的に処理できない、何かそこだけは、極めてセンシブルな時間を作り出すに違いない。

 現在のネット時代と違って、1960年代から1970年代にかけて、「特定的な何者か」に化ける手っ取り早い戦略は、「同志」と呼称する者たちと共有する心地良き気分の中で、「革命」という甘美なロマンについて語り、軽快なステップでデモに参加し、まもなく、口角泡を飛ばしてアジり捲るハイキーな昂揚感覚の中でそれをリードし、騒ぎ、暴れることだった。

 しかし、勘違いしてはいけない。

 若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2007年製作/画像)を観ると、まるで、この国の当時の状況が「革命」前夜にあり、若者たちの多くがそんな沸騰し切った状況下にあって、「国家権力」と死闘を繰り広げていたと言わんばかりだったが、一切は、「革命」前夜にあると妄想した極左集団が、肝心の「国家権力」と死闘を繰り広げる以前に自壊していっただけで、それは彼らにとって、殆ど「予定不調和」の哀れなるトラジディでしかなかったのである。

 何より、当時の若者たちの多くが、「特定的な何者か」に化ける戦略に身を投じた訳ではないのだ。

 当時の若者たちを称して、「全共闘世代」と呼ぶ傾向がいまだに残っているが、当然ながら、いずれのセクト(「三派全学連」に象徴)にも属さないような学生を含めても、この世代の若者たちの多くは「ノンポリ」であり、学生運動に参加した者の比は、せいぜい10数パーセント程度と言われている。

 高度経済成長の最盛期にあった60年代から70年代初頭までの間に、この国の変貌ぶりの大きさは、以下のイベントや生活文化、レジャー等の氾濫によって検証できるだろう。

 東海道新幹線の開業による超高速時代の到来を嚆矢(こうし)として、自動車の普及によるモータリゼーションの本格化。

 東京オリンピックの開催と、それに合わせた公共交通機関などのインフラ整備。(東京モノレールの開業、首都高速道路名神高速道路の整備、東京国際空港のターミナルビル増築・滑走路拡張など)

 更に、大阪万博歩行者天国札幌オリンピック、海外旅行の自由化、「新・三種の神器」(カラーテレビ・クーラー・カー)

 そしてスポーツ・文化のフィールドでは、野球、プロレス、ボウリングブームとハイセイコー旋風、林家三平に象徴される演芸ブームの到来、グループサウンズの大流行、等々。

 まさに、私たちの大衆消費社会は、このとき、高度成長の眩(まばゆ)いセカンドステージを抉(こ)じ開けていて、より豊かな生活を求める人々の「幸福競争」もまた、多くの場合、ピアプレッシャーに脆弱で、「横一線の原理」で動いてしまうような、「文化依存症候群」とも言うべき「民族的習性」(?)を有する国に呼吸を繋ぐ人々にとって、今や、引き返すことが困難な辺りにまで上り詰めていたのである。

 人々はそろそろ、「趣味に合った生き方」を模索するという思いを随伴させつつあったのだ。

 「ノンポリ」と揶揄された多くの若者たちもまた、「革命」とは無縁に、各種イベントが次々に開催されるスタジアムに群れを成して押しかけたり、ハイセイコーの馬券を買ったりして、「青春」を存分に謳歌していたのである。

 ところが、いつの時代でも、「普通は嫌だ」と駄々をこねる自己顕示欲の旺盛な、「青春一直線」の「王道」を闊歩したがる若者が多くいるから、その類の連中だけが、「革命」という甘美なロマンに自己投入していくと言ったら言い過ぎか。

 それは、未だ、「革命」という言葉が死語と化していなかった時代のレガシーコストであったことの証左でもあった。


(人生論的映画評論/マイ・バック・ページ('11) 山下敦弘  <相対化思考をギリギリの所で支え切った、表現主体としての武装解除に流れない冷徹な視線の肝>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2011/12/11.html