1 男の脱出願望と、感謝の被浴による快楽との危うい均衡
必ずしも、本作の主人公である「『善人性』を身体化するニセ医者」のバックボーンが明瞭に表現されていないが、私なりにイメージする、件の「ニセ医者」の心理の振れ具合に焦点を当てて書いてみよう。
今や認知症となっているが、かつて医師であった父を持つ男がいた。
「医師」の象徴としてのペンライトで繋がる、認知症の父との情感交叉を持ち得ない、その男の名は伊野。
恐らく、父の影響で医師を目指した伊野(以下、「男」とする)は、自分の描くサクセスストーリーを構築できず、それでも医療関係の仕事への未練を捨てがたく、医療機器メーカーの営業マンとなった。
自前で繋いだ学習等の努力の甲斐もあってか、そこで習得した医療情報を知的ベースにして、男はいつしか「ニセ医者」に変容していた。
医師免許の偽造までしていたのだ。
当然、歴とした犯罪行為である。
本来の憧憬の対象であった医師を立ち上げるに足る、充分な契機があったはずだ。
その契機は判然としないが、想像はつく。
それは、無医村での医師を特定的に選択することと脈絡を持つだろう。
無医村では、風邪や腹痛レベルの病気を治癒してくれる医師が存在することで、安寧を手に入れることができるのだ。
医師の存在それ自身こそ、重大事であるからだ。
「罰あたりかも知んないけど、神様や仏様より、先生が一番頼りなんですから」
これは、男の犯罪行為が白日の下に晒された際に、男をスカウトした村長が、刑事に語った言葉。
村にとっては、代わりがいれば誰でも良かったのだ。
そんな過疎で無医村の村に、男が潜入したとしても可笑しくない。
これまでもそうであったように、恐らく男は、初めのうちは軽い気持ちで入村し、頃合いを見つけて脱出することを考えていたに違いない。
しかし、男の欲望の稜線は、いつしか見えない広がりを持っていく。
そこには、求められたら拒めない男の、主体性乏しき性癖も関与していただろう。
そんな中で、緑の水田に囲まれた僻地の村の高齢者たちから、過分なまでに有難がられ、男は次第に「『絶対存在』という何者か」に変容していくことで、男の自我のうちに、この上ない快楽が分娩された。
金にもなった。
しかし、相次ぐ村人たちの受診によって、次第に男の診療はオーバーワークになっていく。
男の脱出願望は、いよいよ遠ざかっていくのだ。
と言うより、脱出不能の〈状況〉を、主体性乏しき男は、手ずから作り出してしまったのである。
脱出願望を閉ざしてしまうに足る、感謝の被浴による快楽の確保は、次第に危ういラインに踏み込んでいく。
男の脱出願望と、感謝の被浴による快楽との均衡が、なお保持されていたが、その危うい均衡が破綻するのは時間の問題だった。
必ずしも、本作の主人公である「『善人性』を身体化するニセ医者」のバックボーンが明瞭に表現されていないが、私なりにイメージする、件の「ニセ医者」の心理の振れ具合に焦点を当てて書いてみよう。
今や認知症となっているが、かつて医師であった父を持つ男がいた。
「医師」の象徴としてのペンライトで繋がる、認知症の父との情感交叉を持ち得ない、その男の名は伊野。
恐らく、父の影響で医師を目指した伊野(以下、「男」とする)は、自分の描くサクセスストーリーを構築できず、それでも医療関係の仕事への未練を捨てがたく、医療機器メーカーの営業マンとなった。
自前で繋いだ学習等の努力の甲斐もあってか、そこで習得した医療情報を知的ベースにして、男はいつしか「ニセ医者」に変容していた。
医師免許の偽造までしていたのだ。
当然、歴とした犯罪行為である。
本来の憧憬の対象であった医師を立ち上げるに足る、充分な契機があったはずだ。
その契機は判然としないが、想像はつく。
それは、無医村での医師を特定的に選択することと脈絡を持つだろう。
無医村では、風邪や腹痛レベルの病気を治癒してくれる医師が存在することで、安寧を手に入れることができるのだ。
医師の存在それ自身こそ、重大事であるからだ。
「罰あたりかも知んないけど、神様や仏様より、先生が一番頼りなんですから」
これは、男の犯罪行為が白日の下に晒された際に、男をスカウトした村長が、刑事に語った言葉。
村にとっては、代わりがいれば誰でも良かったのだ。
そんな過疎で無医村の村に、男が潜入したとしても可笑しくない。
これまでもそうであったように、恐らく男は、初めのうちは軽い気持ちで入村し、頃合いを見つけて脱出することを考えていたに違いない。
しかし、男の欲望の稜線は、いつしか見えない広がりを持っていく。
そこには、求められたら拒めない男の、主体性乏しき性癖も関与していただろう。
そんな中で、緑の水田に囲まれた僻地の村の高齢者たちから、過分なまでに有難がられ、男は次第に「『絶対存在』という何者か」に変容していくことで、男の自我のうちに、この上ない快楽が分娩された。
金にもなった。
しかし、相次ぐ村人たちの受診によって、次第に男の診療はオーバーワークになっていく。
男の脱出願望は、いよいよ遠ざかっていくのだ。
と言うより、脱出不能の〈状況〉を、主体性乏しき男は、手ずから作り出してしまったのである。
脱出願望を閉ざしてしまうに足る、感謝の被浴による快楽の確保は、次第に危ういラインに踏み込んでいく。
男の脱出願望と、感謝の被浴による快楽との均衡が、なお保持されていたが、その危うい均衡が破綻するのは時間の問題だった。
(人生論的映画評論/ディア・ドクター('09) 西川美和 <微妙に揺れていく男の脱出願望 ―― 「ディア・ドクター」の眩い残影>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2011/01/09_30.html