羅生門('50) 黒澤 明  <杣売の愁嘆場とその乗り越え、或いは「弱さの中のエゴイズム」>

イメージ 1序  秀逸な人間ドラマの深み



 その完成度の高さによって、黒澤作品の腕力と凄みを映画史に記した記念碑的な一篇。

 最後はヒューマニズムで括っていく黒澤一流の過剰さが、ここではそれほど厭味になっていない。名作と称される「生きる」の過剰な通俗性が、ここでは程ほどに抑制されていて、秀逸な人間ドラマの深みを垣間見せている。



 1  杣売の呟き



 物語を追っていこう。


 時は平安時代。場所は京の都の羅生門(注1)。

 度々の戦乱で、その門の外観は大きく崩れている。その崩れかけた一角を狙い撃ちするかのように、弾丸の雨が激しく叩きつけていて、その門下には、二人の男が雨宿りをしている。その一人である杣売(そまうり=きこり)は、隣の旅法師に聞こえるように呟いた。
「うぅん、分んねぇ。さっぱり分んねぇ・・・」

 そこに、一人の下人が走りこんで来た。雨宿りのためである。   

 「何がなんだか、分んねぇ」

  杣売はまだ呟いている。その呟きに反応し、下人が近づいて来た。

 「どうしたい?何が分らねぇんだい?」
 「こんな不思議な話、聞いたこともねぇ」と杣売。
 「だから、話してみなよ」と下人。彼は隣の旅法師の意見も求めた。
 「物知りで名高い清水寺の上人でも、恐らくこんな不思議な話はご存知あるまい」
 「へーぇ。じゃぁ、お前さんも、その不思議な話というのを知っているのか?」
 「この人と二人でこの眼で見、この耳で聞いてきたばかりだ」

 旅法師はそう言って、杣売を一瞥した。

 「どこで?」
 「検非違使(けびいし・注2)の庭でだ」
 「検非違使?」
 「人が一人殺されたんだ・・・」
 「何だ。人の一人や二人。この羅生門の楼の上へ上ってみろ。引き取り手のない死骸が五つや六つ、いつでもゴロゴロ転がってらぁ」

 下人は旅法師の話を馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、せせら笑った。
 
 「そうだ・・・戦、地震、辻風、火事、飢饉、疫病(えや)み(注3)・・・来る年も来る年も災いばかりだ。その上、盗賊の群れが津波のように荒し回らぬ夜はない。わしもこの眼で虫けらのように死んだり、殺されたりしていく人をどのくらい見たか分らん。しかし、今日のような恐ろしい話は初めてだ・・・今日という今日は、人の心が信じられなくなりそうだ。これは盗賊よりも、疫病みよりも、飢饉や火事や戦よりも恐ろしい」
 
 旅法師の話に説教臭さを感じた下人は、そそくさと二人の元から離れ、崩れかけた建物の板を剥がして、それを割っていた。焚き火をするためである。その男に杣売が、真顔で走り寄って来た。
 
 「おい、聞いてくれ!これは、どうしたことか、教えてくれ!わしにはさっぱり分らんのだ。今日の三人が三人とも」
 「どの三人だ?」

 この下人の問いに、杣売は思い起こすように、ゆっくりと語っていく。

 「三日前だ。わしは山へ薪を切りに行った・・・」

 これが映像の導入部となって、物語が綴られていく。
 
 
 
(人生論的映画評論/羅生門('50) 黒澤 明  <杣売の愁嘆場とその乗り越え、或いは「弱さの中のエゴイズム」>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/11/50.html