1 「大義なき戦争」の空白から洩れる情動にインスパイアされた若き「戦士」たち
シュリーフェン・プランという、第一次世界大戦前のドイツが策定していた計画がある。
フランスとロシアから東西を挟み撃ちにされたドイツが、この状況を打開するために、フランスを撃破した後にロシアを攻撃するという作戦である。
然るに、フランスとの西部戦線に傾注する、プロイセン陸軍参謀総長シュリーフェンのこの作戦は、当時のドイツ軍の機動力の限界を超えていて、肝心のベルギー突破が容易に進まず、且つ、政治・外交能力の合理的包括性を欠如させていたが故に、フランス軍とのマルヌ会戦での敗北によって短期決戦の計画が頓挫したことで、西部戦線の膠着化を招来する。
シュリーフェン・プランの頓挫が戦局の長期化を必至にして、西部戦線を長期間にわたって睨み合う総力戦の様相を呈し、敵の塹壕ゾーンを突破し切れないまま、恐怖の非日常の時間を4年間も繋ぐ地獄を現出させたのである。
この映画は、この塹壕戦の地獄を通して、「大義なき戦争」の空白から洩れる情動に、「狂気」を被せた老教諭にインスパイアされた挙句、そこに自己投入していった若者たちが体験した、「戦場のリアリズム」の凄惨さのうちに描き切った、文字通りの反戦映画の傑作である。
「大義なき戦争」の空白から洩れる情動に、「狂気」を被せた老教諭の異様なカットは、冒頭からインサートされていく。
「若い諸君は、我が祖国の生命だ。諸君はドイツの鉄の民だ。輝かしい英雄だ。召集に応じて敵を討つのだ」
こんなアジで、教え子たちを戦場に送るのだ。
アジの中に、「戦争の大義」など拾える訳がない。
しかし、「狂気」を被せた老教諭の扇動に、若い生徒たちの情動が反応し、その身体が決定的に動かされていく。
級長のポールが戦争志願の宣言をしたことで、親友のケメリックも続き、最後まで逡巡していたベームが周囲の異様な空気に呑み込まれ、志願の宣言をするに至った。
かくて、若き「戦士」たちは、泥濘の土地を匍匐(ほふく)する厳しい新兵訓練を経由して、西部戦線に送られていく。
そんな中で、「戦争の大義」について、新兵を交えた古参兵らが議論する印象的なシーンがある。
「どうして戦争が始まる?」
「悪い国を攻撃するのさ」
「なぜ、国が攻撃する?ドイツの山がフランスの原を怒っているのか?」
「人間が人間を攻撃するんだ」
「それは変だ。俺は攻撃されている気がしない」
また、別の若い兵士が答えた。
「悪いのはイギリス人かも知れない。だが、イギリス人を撃ちたかない。初めて見たんだ。彼らも初めてドイツ人を見たろう。彼らだって、戦いたくないんだ」
「きっと、彼らが得をするんだ」
「皇帝かも知れないぞ」
「俺たちじゃない」
「皇帝のはずはない。不満はないんだ」
「皇帝は戦っていない。皇帝なら一回は戦う必要がある」
「将軍もそうだ」
「軍需産業の金持ちどもだ」
「熱病みたいなものだ。誰も望んでいやしない。我々もイギリス人も望んでいないのに、こうして戦っている」
如何にも、ユーモア溢れるカチンスキーらしい物言いだが、しかし、この物言いは、今でも「床屋談義」の定番になっていることを思えば、いつの時代でも、「大義なき戦争」の空白を埋めるに足る庶民たちの議論の軟着点が、このような形で「お開き」にする以外にないのだろう。
結局、誰も答えられない不毛な議論の顛末は、「熱病みたいなものだ」という非論理的な「結論」に収束されていくということである。
2 塹壕戦の地獄という「戦場のリアリズム」の凄惨さ
「戦場のリアリズム」の凄惨さ ―― それは、主人公のポールが経験した塹壕戦の地獄のシーンに止めを刺すだろう。
当時、戦争の形態は、日常的な砲撃の爆音と空腹に耐え抜く、強靭な体力・精神力が要請される塹壕戦であった。
そのフランス兵が懐ろに持っていた妻子の写真を見て、ポールは深く煩悶する。
以下、自らが殺したフランス兵の遺体に向かって放つ、ポールの言葉。
「僕を責めないでくれ。殺す気はなかった。今だったら殺せない。さっきは敵だった。怖かったんだ。同じ人間の君を殺した。許してくれ。いや、君は死んだ。僕より運がいい。もう、苦しまないんでいいんだ。我々は、なぜ戦う?我々は生きたい」
眼が開き、笑みを湛えているかのようなフランス兵の遺体と、塹壕の中で一夜を過ごすポール。
「君の奥さんに手紙を書く。君の一家を助けてやる。許してくれ」
嗚咽するポールの煩悶が、極まった瞬間だった。
(人生論的映画評論・続/西部戦線異状なし(‘30) ルイス・マイルストン <塹壕戦の地獄という「戦場のリアリズム」の凄惨さ> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/07/30.html