フライト(‘12) ロバート・ゼメキス <膨れ上がった心の振れ幅を持つ男の心の闇>

イメージ 11  膨れ上がった心の振れ幅を持つ男の心の闇 ―― その1
 
 
 
 人間を支配し、突き動かしているものが、価値観・思想という観念系のものであると言うよりも、寧ろ、感情・情動であることを、振れ幅の大きい一人の男の人物造形を通して描き切った秀作。
 
人間は複雑である。
 
 一人の人間の中に、あらゆるものが入り混じり、複層的に重なり合っている。
 
 複層的に重なり合っているものは、矛盾なく統合され、常に整合性を保持している訳ではない。
 
 時には激しく葛藤し、傷つけ合い、潰し合っていく。
 
 人間の複雑さは、その内側に複層的に重なり合って棲んでいる感情・情動が、それが本来、安寧できる場所に容易に軟着し得ず、落ち着けない情況性において止めを刺すだろう。
 
 だから、人間の複雑さは、人間の感情の複雑さであると言っていい。
 
そんな厄介な現象に翻弄されつつも、何とか折り合いをつけ、個々の人生を繋いでいくが、それが軟着し得ずに騒いでしまえば、当然、心の振れ幅は大きくなる。
 
では、膨れ上がった心の振れ幅が、防衛的に自己運動を延長させてしまったらどうなるか。
 
それが、この映画の基本骨格にある。
 
膨れ上がった心の振れ幅を持つ男の心の闇。
 
それを容赦なく炙り出し、本来、男が辿り着かなければならない辺りにまで軟着し得た映画 ―― それが「フライト」である。
 
 
 
2  膨れ上がった心の振れ幅を持つ男の心の闇 ―― その2
 
 
 
男の名はウィトカー。
 
 
しかも、治療を必要とするギリギリの辺りにまで、心の闇を深めていくばかりのこの男は、「否認の病」と言われる依存症にどっぷりと呑み込まれているが、その内的風景は、それが「心の病」である現実の認知を否定する、一種の「心理的防衛機制」と解釈することが可能である。
 
 
酒量の増加によって、いつしかアルコール耐性が生れるや、周囲の人間関係との摩擦が継続的に惹起し、自己を囲繞する状況の負の連鎖が、加速的に深刻化していく。
 
本作の主人公がそうであったように、アルコール依存症者は安寧な日常的秩序が保持できず、充分な睡眠時間の確保のラインを簡単に突き抜けていく。
 
「沈黙の臓器」と呼ばれる肝臓の機能も著しく低下し、 アルコールの分解力が劣化することで、確実に身体の健康を蝕んでいくのだ。
 
「具体的には、飲酒のコントロールができない、離脱症状がみられる、健康問題等の原因が飲酒とわかっていながら断酒ができない、などの症状が認められます」(アルコール依存症厚生労働省HPより)
 
ここで言う「離脱症状」とは、所謂、「禁断症状」のこと。
 
「軽~中等度の症状では自律神経症状や精神症状などがみられます。重症になると禁酒1日以内に離脱けいれん発作や、禁酒後2~3日以内に振戦せん妄がみられることがあります」(同上)
 
この「振戦譫(せん)妄」こそ、「離脱症状」の中核を成す恐怖の現象である。
 
飲酒の中断後、すぐに不安・精神混乱・興奮・発汗・発熱などの自律神経機能の亢進・手の震え・幻覚・意識障害などの症状が現出し、適切な処置を施さなければ、死亡する場合もある厄介な症状である。
 
アルコール依存症レジリエンス(復元力)が劣化しているから、飲酒行動を自己コントロールできず、強迫的に飲酒行為を繰り返す精神疾患なのである。
 
ここから物語に入っていく。
 
あろうことか、ウィトカーの職業は民間航空機のパイロット。
 
それも、抜きん出た技量に富むベテランパイロットである。
 
そんな男が、この日もまた、同じ航空機に添乗する客室乗務員の恋人カテリーナ(トリーナ)と共に、夜通しアルコールに浸した体を引き摺って、オーランド(フロリダ州)発アトランタ空港行きのフライトに就いた。
 
忌まわしき事故は、乱気流を抜けた直後に出来した。
 
突然、航空機が急降下し始めたのだ。
 
この異常な事態は、機長であるウィトカーをアルコールの酔いから覚醒させるが、制御不能となった航空機の墜落の危機に直面し、ウィトカーは背面飛行によって落下を極力防ぎ、アトランタ近郊の平地に胴体着陸するに至った。
 
その結果、乗客・乗員102名のうち、96名が生還するが、乗務員2人を含む6人が、この事故で命を落とす。
 
命を落とした乗務員の中に、トリーナが含まれていた。
 
一人の少年を救うために、ベルトをしていなかったからである。
 
一方、ウィトカー機長が奇跡の生還を果たした事実が、格好の「英雄譚」として、メディアで過剰に喧伝されていく。
 
ところが、国家運輸安全委員会の事故調査班は、ウィトカーの血液からアルコールが検出されたことで、メディアが仮構した「英雄譚」の物語は一変していく。
 
 ウィトカーの入院初日に、安全委員会の調査班は、全乗務員の血液・毛髪・皮膚サンプルを採取し、毒物検査の結果、意識を失っていたウィトカーの体内から、アルコール濃度0.24%とコカインが検出されたのである。
 
重罪なら、最高12年の刑。
 
中毒が、乗客4人の死因に関与するなら、過失致死罪の適用で終身刑
 
この状況下で、ウィトカーの刑事訴追を免れるために、彼の友人であり、パイロット組合を率いるチャーリーは、刑事過失の敏腕弁護士を雇う。
 
その名は、ヒュー・ラング。
 
アルコール依存症という隠し込まれた真実に正対しない、ウィトカーの嘘を見透かしているヒューは、ただ単に、ビジネスのためにをウィトカーの弁護を引き受け、その道のプロの辣腕ぶりを発揮していく。
 
ウィトカーもまた、この男を利用するためだけに、嘘で塗り固めた情報を共有していくのだ。
 
しかし、アルコール漬けの心身が背負うハンデとは殆ど無縁に、フライトレコーダーやボイスレコーダーの検証や、他のパイロットたちのシミュレーションによっても、ウィトカーの「奇跡の救出譚」を否定できる何ものもなかった。
 
アルコール抜きでも、極限状況下で冷静に対応できるメンタリティの根柢には、鍛え抜かれた操縦技術への絶対的信頼感がある。
 
この絶対的信頼感が、「神様、助けて」と叫ぶだけの副操縦士のように混乱し、不安に怯(おび)え、恐怖に囚われる事態から相対的に解放されていた。
 
映像にはなかったが、もし、一転して「疑惑のパイロット」という澱んだ空気が流布されていなかったら、ウィトカーは堂々と記者会見を開いて、「訓練通りのことをやったまでだ」という類のコメントを出したに違いない。
 
ここで私が想起するのは、「ハドソン川の奇跡」のこと。
 
2009年1月15日に起こった、ハドソン川への不時着水の成功譚は、当時、乗客乗員全員が無事脱出させたことで、冷静に対応したチェズレイ・サレンバーガー機長を、「奇跡の救出譚」を遂行した「英雄」として、今でも語り継がれている。
 
原因は、往々にして起こる、鳥の群れが衝突する「バードストライク」。
 
 もし、水平に着水できなかったら、機体が真っ二つになる危険性もあった状況下で、チェズレイ・サレンバーガー機長の操縦技術なしに為し得なかったとされている。
 
 「訓練通りのことをやったまで」
 
 サレンバーガー機長の言葉である。
 
但し、不時着水も含めて、民間航空機の背面飛行の訓練などは、「グランド・セフト・オート5背面飛行」のようなシミュレーションによってしか行われていないと思えるので、「訓練通り」という言葉の含みには、「得難き経験知を体得した熟達したパイロット」という自負が横臥(おうが)しているのだろう。
 
この自負を持つに違いない、ウィトカーとサレンバーガー機長の両者が存分に発揮した冷静さは、「男の強さ」に変換されるのが通常だが、しかし、ウィトカーの「男の強さ」のイメージが、一夜にして反転するのもまた、「抜きん出たグッドジョブ」を遂行した男を「英雄」にすることが好きなメディアの商法の範疇にあるから厄介なのだ。
 
「英雄失墜」
 
この種のラベリングも、メディアが好む情報である。
 
そんな商法の範疇をトレースするように、退院直後に襲うメディアスクラムが、物語の風景を変容させていく。
 
膨れ上がった心の振れ幅を持つ、男の心の闇が、痛ましいまでに炙り出されていくのである。
 
 
 
 
(人生論的映画評論・続/フライト(‘12) ロバート・ゼメキス<膨れ上がった心の振れ幅を持つ男の心の闇>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2014/05/12.html