ミザリー(‘90)  ロブ・ライナー <「闘争・逃走反応」への心理の変容過程の致命的欠損が立ち上げた「車椅子のスーパーマン」>

イメージ 11  「攻撃的狂気」を屠っていく「防衛的正義」の「悪者退治」の物語
 
 
 
人間心理の歪みについての批評の余地を残すサイコサスペンスなら、もう少し、人間の心理の恐怖感がリアルに再現できたにも拘らず、残念ながら本作は、その辺りの冷厳なリアリティが欠けていたので、「驚かしの技巧」をフル稼働させ、キャシー・ベイツの抜きん出た演技力だけが光る、単なるハリウッドのサイコもどきのホラー映画と言う外になかった。
 
本作で描かれた類の事件が頻発する類の刑事事件ではないものの、「起こり得る厄介な危うさ」を内包することを考慮するとき、人間の情動や感情が複雑に絡み合って、変化していく振幅が丁寧に、且つ、視覚的に描かれていれば問題なかったが、それが殆ど補足的に切り取られていたという印象を拭えないので、詰まる所、キャシー・ベイツの「攻撃的狂気」を屠っていくジェームズ・カーンの「防衛的正義」が、ハリウッド流の「奇跡の逆転譚」を立ち上げる、勇ましき「悪者退治」に収斂される映画に終始してしまったのである。
 
以下、そんな「悪者退治」の物語を簡単にフォローしていく。
 
一人の男と、その男に取り憑く一人の女がいる。
 
極端に自己中心的な女は、某かの精神的土壌に起因する「自我の形成不全」によってか、対象への異常な執着を示し、それを身体化するに至る過程で、隠し込まれた怒髪天を衝く激しい攻撃性をもって、執着対象への支配欲を剥き出しにして、強烈なる「病的な個性」を全開させていく。
 
女の名は、アニー。
 
元看護婦である。
 
その女・アニーに取り憑かれた男の名は、ポール。
 
大衆小説「ミザリー・シリーズ」で名の知れた流行作家である。
 
本来、出会う蓋然性の乏しいこの二人が出会った契機は、ポールの自動車事故だった。
 
ミザリー・シリーズ」の最終稿を書き上げた後の事故で、重傷を負ったポールにアウトリーチし、甲斐甲斐しく看病するアニー。
 
まるで、信仰が背景にあると思わせるように、元看護婦のスキルをもって、傷の手当ては勿論のこと、食事の世話から排便処理に至るまで、何から何まで身体介護していくのだ。
 
「君に助けられたのは奇跡だな」
 
いつもポールの動向を追っていたというアニーは、「吹雪の日も通りかかったので、奇跡じゃないわ」と言いつつ、自分の思いを吐露する。
 
「“ミザリー・シリーズ”は全部読んだわ。あなたは天才よ」。
「うれしいよ」
 
しかし、アニーに対するポールの感情が氷解していくのも、あっという間だった。
 
「自動車事故から命を救ってくれた恩人」
 
そう言って、感謝の思いから初稿を読むことを特別に許可するポール。
 
ここから、事態は一変する。
 
「言葉が汚いわ」
 
初稿の一部を読んだアニーは興奮し、その不快感を叫喚に結ぶ。
 
その後も、ポールが「家族との連絡を取りたい」と言っても、ミザリーの話題にしか触れないアニー。
 
「よくもやったわね。彼女を殺すなんて!」
 
初稿を読み終えたアニーは、別人になっていた。
 
「ダマされた。これからは、今までと違うからね」
 
そう言って、荒れ狂うアニー。
 
動けないポールの心に恐怖感が走るが、アニーの異常性を知ったポールには、彼女の命令に服従する選択肢しかなかった。
 
ミザリーの生還」
 
このタイトルで、アニーは原稿の書き直しを要求してきたのである。
 
その最終稿の内実は、ポール自身が流行作家であるというイメージを払拭し、本来のテーマに挑み、大衆小説からの脱皮を図ろうという意図を有し、ミザリーの死によって、「ミザリー・シリーズ」を自己完結させる原稿だったのだ。
 
この流れの延長上に、「ミザリー・シリーズ」 の思いも寄らない展開に憤怒するアニーの異常性が露わにされ、物語の風景を決定的に変えていく。
 
 
 
2  継続的に暴力を受けた者の心理的リアリティの欠落の瑕疵
 
 
 
 
アニーの異常性が激しい攻撃行動にまでに膨張していく渦中にあって、ポールの情動反応は、一気に戦闘モードに振れていく。
 
当初、「特定敵対者」としてのアニーには、付け入るに足る隙があったからである。
 
自分が相手に対して上手に対応していけば、クローズドサークル(外界との連絡が断たれた状況)からの脱出のチャンスがあると、動けないポールは考えていたのだろう。
 
この時点で、アニーは「特定敵対者」であっても、「狂人」というイメージより、単に、「熱狂的で異常なファン」でしかないと見做していたからである。
 
だから、彼女を籠絡する戦略を駆使していく。
 
その典型的な例が、アニーをディナーに誘い、その場で、密かに貯めておいた薬剤をワインに混入した一件である。
 
これは、あえなく頓挫するが、まもなくポールは、アニーが犯したと断定し得る連続殺人という、過去の忌まわしき情報を入手する。
 
全て、アニーの看護婦時代の話だった。
 
「思い出のアルバム」という、柔和なイメージを誘う冊子に収められた新聞のスクラップ。
 
そこに詰まったアニーの過去の闇。
 
一瞬にして変換してしまうアニーへの情報に接して、ポールの心は凍結する。
 
それは、まるで自慢げに、過去の闇を平然とスクラップする狂気に最近接したときの恐怖であった。
 
「熱狂的で異常なファン」という認識が、「恐るべき殺人鬼」という認識に変換された凍りつく情報は、その「恐るべき殺人鬼」の獲物のトラップに、流行作家である自分が捕捉された現実の認知でもあった。
 
包丁を懐に忍ばせて、常に極限の戦闘モードに自己投入する男には、身体を自在に動かせないという決定的なハンデがある。
 
その決定的なハンデが、「恐るべき殺人鬼」によって無能化されるのだ。
 
馴れない車椅子を駆使してのポールの移動が、呆気なくアニーに気付かれ、巨大なハンマーで砕かれてしまうのである。
 
流行作家の失踪とアニーとの関連に目を付けた保安官が、誰も訪問することのないアニーの家を訪ねて来るが、救いを求めるポールの前で銃殺されてしまうに至る。
 
絶望的状況下で、「殺るか、殺られるか」という「戦争」が開かれ、車椅子から体当たりしてのポールの「奇跡の逆転譚」によって、「悪者退治」を自己完結させていく。
 
ただ、これだけの話だが、私には相当の不満が残った。
 
この映画には、肉体的にも精神的にも甚振(いたぶ)られた者の恐怖感が、ほんの付け足し程度で、補足的に切り取られていただけで、心理的リアリティがすっぽりと欠落しているのだ。
 
ここで、私は想起する。
 
このようなハリウッド映画のスリラーの、由々しき瑕疵への強烈なるアンチテーゼとして、ミヒャエル・ハネケ監督の「ファニーゲーム」(1997年製作)が作られたという事実を。
 
ファニーゲーム」が、なぜ凄かったのか。
 
継続的に暴力を受け、人間の尊厳を傷つけられた人格の、その圧倒的な恐怖のリアリティでを描き切ったからである。
 
見知らぬ若者たちの不法侵入によって、夏のバカンスを楽しむ、ごく普通の「中流階層」の家族の父親が、いきなり、ゴルフクラブによる膝下の一撃によって、抵抗し得るに足る身体機能が無能化されたことで、アウトローへの「奇跡の逆転譚」どころか、ハリウッドのタブーとも言える、真っ先に我が子が銃殺されたその部屋で、両手足を縛られた母と、骨折して動けない父が、言葉すら出てこない恐怖に呪縛され、「クローズドサークル」の狭隘なスポットに置き去りにされるシーンを、10分間に及ぶ無言の長廻しのうちに描き切ったのである。
 
それは、ハリウッド映画における暴力描写に決定的に欠ける何かだった。
 
「正義・人道・弱者利得」という理念が、物語の中枢を占有しているからだ。
 
しかし、私たちが当然の如く決め付けている理念が、「ファニーゲーム」には微塵もない。
 
ホラー効果を増幅させるための「驚かしの技巧」が、ここには全く駆使されていないし、暴力描写それ自身が描かれることはないのだ。
 
だから、ハリウッドのバイオレンスシーンに馴致してしまうと、本作での、ゴルフクラブによる致命的一撃の描写が見せたリアリズムに気付くことすらないほど、私たちは鈍感になっているに違いない。

 膝下の打ち砕きという一撃の描写なしに、かくも人間が、呆気なく壊されゆく存在であることの怖さについて、痛々しく感受させた映像の凄み。

 その凄さに圧倒されるばかりだった。
 
思えば、完璧主義者のウィリアム・ワイラー監督ですら、「大いなる西部」(1958年製作)という名画の中で、夜を徹しての1対1の殴り合いの喧嘩のシーンを挿入していたことを思えば、朝まで喧嘩を続けられる「巨人」になれるのは、ハリウッド限定という外にない。
 
ところが、「ミザリー」というサイコもどきのホラー映画では、重傷を負って馴れない車椅子を駆使する流行作家が、「恐るべき殺人鬼」によって、両足を巨大なハンマーで打ち砕かれ、身体機能が無能化されても、腕力のある「殺人鬼」に立ち向かい、殺したと思いきや、再び襲いかかってくる相手を最終的に破壊するという、ハリウッドホラーの定番のシーンが執拗に描かれていて、正直、辟易した。
 
大体、継続的に、且つ、致命的な暴力を受けている者が、その暴力によって巨大な敵を斃すことなどあり得ないだろう。
 
何より、継続的に暴力を受けた者の圧倒的な恐怖感の欠落。
 
これが全てだったと言っていい。
 
 
 
 
(人生論的映画評論・続/ミザリー(‘90)  ロブ・ライナー  <「闘争・逃走反応」への心理の変容過程の致命的欠損が立ち上げた「車椅子のスーパーマン」>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2014/07/90.html