真実の行方(‘96) グレゴリー・ホブリット <決定的頓挫の敗北感を引き摺って、裏口から逃げ去る男の物語>

イメージ 11  「敏腕弁護士」が搦め捕られた事件の闇
 
 
 
冬のシカゴで、その事件は起きた。
 
カトリック教会の枢要な聖職である大司教・ラシュマンが、自宅で惨殺されたのである。
 
まもなく、事件の容疑者は逮捕された。
 
その名は、アーロン・スタンプラー。
 
19歳のアーロンは、かつてホームレス状態であったとき、ラシュマンに救われ、「救いの家」という施設に預けられ、大司教に仕えてきた
 
一貫して、冤罪を主張するアーロン。
 
大司教殺人事件とあって、メディアスクラム(集団的加熱取材)の様相を示す連日のテレビ報道。
 
逸早く動いたのは、元検事の弁護士・マーティン。
 
さすがに、「アンビュランスチェイサー」(事件の勧誘のために救急車を追いかける弁護士)のような卑しさはないが、話題性に富む事件の弁護を引き受けることで、雑誌の表紙を飾れるという名誉欲が駆動したのである。
 
「敏腕弁護士だ」
 
そう言い放って、「プロボノ(無償弁護)」を引き受けるマーティン。
 
「あなたにお任せします。逃げたのは警察のサイレンが怖かったんです」
 
アーロンの冤罪の主張は変わらない。
 
その日、事件現場に何者かがいたように思われると、マーティンに吐露しつつも、アーロンの記憶は不分明だった。
 
状況証拠において不利な中で開かれた初公判。
 
マーティンのかつての部下であり、恋人でもあったジャネットが担当検事になり、情実を排する強い気持ちで臨んだ彼女は、アーロンを第一級殺人罪で起訴するに至る。
 
 マーティンは公判戦略として、アーロンに無心な顔で座っているようにと指示するが、これは、凶悪犯というイメージを印象づけないアーロンの相貌に注目したもの。
 
「彼を無実と信じる陪審員が、一人いりゃいい。あの子の顔を見てね」とマーティン。
 「確かに、あの顔にはほだされるわ。しゃべり方も」とジャネット。
 
 まもなくマーティンは、精神科医のアーリントン女医に、事件現場でのアーロンの、「喪失した記憶」の分析を依頼する。
 
 そんな折、マーティンは、川岸宅地開発計画を中止にしたことで、大司教が投資家たちから恨まれていた事実を知った。
 
その川岸宅地開発事業の計画の中止の一件に、事件との関連を読み取ったマーティンは、かつての上司であるショーネシー州検事も絡んでいる事実を知るに及んで、法律事務所の助手らの協力を得て、真犯人の調査に乗り出していくが、後に、貴重な証言者であるヤクザの不審死によって頓挫する。
 
 「B32-156」。
 
 この間、大司教の遺体の胸に刻まれた、この謎の文字の意味を、ジャネットは突き止めていた。
 
B32の部分は、教会の地下の書庫の整理ナンバーで、ナサニエルホーソン(19世紀米国の作家)の代表作として名高い小説・「緋文字」のこと。
 
その「緋文字」の156ページを開くと、一節にアンダーラインがあり、“内なる顔と、外部に対する顔を使い分ける者は、やがて、どちらが真の顔が、自分でも分らなくなる”と書いてあった。
 
 「殺人犯が動機の手がかりを、故意に現場に残したのでは?」
 
ジャネットの推理に虚を衝かれたマーティンは、アンダーラインを引いたか否かをアーロンに問うが、否定するアーロン。
 
「確信がある。彼ははやってない」
 
アーロンを疑う助手に言い切った、マーティンの言葉である。
 
一方、アーロンと繰り返し接見し、精神分析を進めていたアーリントン女医は、事件後に失踪したリンダの存在に注目し、アーロンに問い質すが、動揺を隠せない反応を見せるばかりで、要領を得なかった。
 
アーロンがアーリントン女医の前で、今まで見せたことのない怖い顔つきを見せて、驚かせたのは、その直後だった。
 
アーリントン女医がアーロンに対して、多重人格のイメージを抱懐するに至った由々しきエピソードである。
 
 また、アーロンの部屋に忍び込んでいたアレックスを捕捉したマーティンと、相棒のトミーは、アレックスから震撼するような事実を聞くに至った。
 
大司教の指示で、「悪魔祓い」という名の「セックス・プレー」が、アレックス、アーロン、リンダの間で行われていて、その卑猥な行為を収めたビデオテープを捨てるために、アレックスがアーロンの部屋に忍び込んだのである。
 
 法律事務所で、そのテープを見て、アーロンの無罪を信じていたマーティンは、事件の枠組みが根柢から崩されていく現実に苛立ちを隠せない。
 
 マーティンが、その足で拘置所のアーロンの元に駈けつけ、テープの存在を話し、「裁判は負けだ」と苛立ちを吐き出した。
 
 追い詰められたアーロンが豹変したのは、そのときだった。
 
 全く別人のようなアーロンに暴力を振るわれるマーティン。
 
 彼もまた、アーロンの多重人格の現実を目の当たりにして、事件の構造を理解するに至った。
 
 「分った。アーロンは、何かに困ると君を呼ぶ」とマーティン。
 「奴は腰抜けだ。いつもオドオドしやがって。あのバカ。あの時も血を見て取り乱した。震えあがって、俺の言う通りにせず、逃げて捕まりやがった」
 「やはり、アーロンがラシュマンを?」
 「違うよ!その耳は、何を聞いてんだ?あの腰抜けが人を殺す?俺だよ」
 
今の自分が「ロイ」であり、その「ロイ」が人を殺した事実を、憤怒の中で喋り散らすのだ。
 
ロイは、テープの存在が犯行の動機であることを語り、そのテープを見たをマーティンを殴りつける。
 
その瞬間、アーロンに戻るロイ。
 
裁判が負けたと嘆くマーティンに、アーリントンは、「証言台で、彼が正常でないと証言するわ」と答えるが、公判の答弁の変更は許されないと落胆するマーティン。
 
 精神異常への変更という、公判の答弁が許されない厳しい状況の中で、マーティンが打った手は、証拠のテープを密かにトミーに届けさせ、ジャネット検事の方から法廷に提出させることによって、陪審員の前で、大司教の悪事を曝け出すことだった。
 
 それは、「敏腕弁護士」が搦(から)め捕られた事件の闇の深さが、未だ視界に入っていない現実の前哨戦でしかなかった。
 
 
 
2  人格転換を具現させる戦略の束の間の勝利
 
 
 
 かくて、最終公判が開かれる。
 
 まず、証言台に立ったトミーが、大司教が関与した「セックス・プレー」を録画したビデオテープの存在を暴露する。
 
 騒然となる陪審員席。
 
 動揺する被告人席のアーロン。
 
 次いで、アーリントン女医の証言は、アーロンが多重人格障害者で、その背景について語るものだった。
 
「幼年期に父親から受けた性的暴行が発端です。それに耐えるため、被告は二つの人格を作った」
 「スタンプラーが殺人を犯せると思いますか?」
 
このマーティンの尋問に、アーリントンはきっぱりと証言する。
 
 「いいえ。自分の怒りはひたすら押し殺し、別人格のロイに感情の発散を託すのです」
 
 当然、争点の変更に異議を唱えるジャネット検事は、「法精神医学」の専門ではなく、「神経精神医学」を専門とするアーリントン女医の証言の信憑性の低さを衝いていく。
 
 そのアーリントンは、アーロンが「ロイ」に人格転換する現場を視認した事実を証言するが、録画に残していない点をジャネットに衝かれて、不利な状況に立つ。
 
休廷を取って再会された公判で、アーロンへのマーティンの尋問が開かれる。
 
「ロイ」への人格転換を具現させ、アーロンが多重人格障害者である事実を陪審員に見せること ―― マーティンは、これ以外にアーロンを無罪にする方法がないと考えたのだ。
 
マーティンがアーロンに詰め寄って、「男らしくしろ」という言葉を添えたのも、この戦略の一環だった。
 
 アーロンの表情は、なお変わらないが、マーティンの示唆を受容したように見える。
 
 アーロンに対するマーティンの尋問の本質が、このメッセージにあることが判然とするのは、この直後のジャネット検事の反対尋問で露わになる。
 
 「彼はあなたにセックス・プレーをさせて、それを、傍で見ていたのですね?」
 
大声で詰問するジャネットの激しい追求が、見る見るうちに、アーロンの表情を変えていく。
 
「私なら、そんな男は躊躇せずに殺すわ!」
 
アーロンがロイに人格転換したのは、その瞬間だった。
 
「こっちを見ろ。メス犬め!」
 
そう叫ぶや、被告人席から跳び越えて、ロイに人格転換したアーロンがジャネット検事の首を絞め、今にも絞殺しそうな暴走が止まらない。
 
騒然となった法廷は、一時(いっとき)秩序を失って、ロイの暴力を抑えるのに総掛かりだった。
 
 
 
 
(人生論的映画評論・続/真実の行方(‘96) グレゴリー・ホブリット <決定的頓挫の敗北感を引き摺って、裏口から逃げ去る男の物語>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2014/08/96.html