知りすぎていた男(‘56) アルフレッド・ヒッチコック <「失った家族の復元」を成就させた「善きアメリカ人夫婦」の物語>

イメージ 11  政治絡みの陰謀にインボルブされた、「平凡なアメリカ人家族の生活」
 
 
 
 「このシンバルの一打が、平凡なアメリカ人家族の生活を揺すぶった」

  オーケストラの演奏が流れるオープニングシーンのキャプションである。

 カサブランカマラケシュ行きのバスの中
 
マッケナ夫妻の一人息子のハンクが、アラブ人の女性のベールを偶発的に剥いだことで、女性の夫を怒らせてしまう。
 
この事故を救ってくれたのが、アラビア語に堪能なフランス人。
 
その名は、ルイ・ベルナール。
 
アラブ人の戒律の厳しさをマッケナ夫妻に説明し、如何にもアメリカ人らしく円満な会話を繋ぎ、平気でプライバシーを開いていく。
 
外科医である、ハンクの父のベン・マッケンナは、「パリの医学会議」への出席のため、家族旅行を兼ねてマラケシュ観光に行くと言う。
 
マラケシュ到着後、両者は、一緒にアラビア料理店で会食を約束して別れるが、ジョー(マッケンナ夫人)は、ハンクを怒鳴った男と親密そうなベルナールへの不信感が消えなかった。
 
ベンに対して詮索するような態度に、訝しげな思いを印象づけられたのである。
 
ベルナールに対するジョーの訝しげな思いが、その夜、具現する。
 
マッケナ夫妻が宿泊するホテルにベルナールを招待したとき、一人の男の訪問があり、ベルナールを目視するや、部屋を間違えたと言って、慌てて立ち去って行ったのだ。
 
ベルナールが、アラビア料理店への会食の約束を断ったのは、この一件に起因するが、ジョーの不信感は、ホテル到着時に凝視された男女への関心に移っていた。
 
その男女は、国連の農業関連の救済事業でアフリカに来たという、英国人のドレイトン夫妻であることが分ったのは、アラビア料理店で隣り合わせになったからだった。
 
ジョ-が有名歌手であった事実が縁で、親しくなる二組の中年夫妻。
 
翌日、マラケシュの市場見物を愉悦する二組の中年夫妻。
 
一人のアラブ人が刺殺される事件が出来したのは、市場の賑わいの渦中だった。
 
そのアラブ人こそ、例のルイ・ベルナールの変装した姿だった。
 
ベルナールが息を引き取る寸前に、医師であるベンの耳元に告げた秘密は、にわかに信じ難き情報。
 
「ロンドンで政治家が殺される・・・ロンドンに知らせろ・・・アンブローズ・チャペル・・・」
 
現地警察に連行され、ベルナールとの関係と、彼が残したダイイングメッセージの内容を聞かれるが、領事館との関連を説明し、釈放されるが、何より由々しき出来事は、尋問中にかかってきたベンへの謎の電話のこと。
 
「市場で、ベルナールが話した言葉を警察に洩らしたら、子供の命をもらうぞ」
 
それだけ言って、切れた電話。
 
ベルナールとの出会いから開かれてインボルブされた、「平凡なアメリカ人家族の生活」の観光風景が、一瞬にして、政治絡みの陰謀の当事者の不幸なる風景に変容したのである。
 
 
 
2  ハッピーエンドを全く引き摺らない、ウィットに富むラストカットの収束点
 
 
 
ベルナール刺殺事件の混乱でドレイトン夫人に預けていた事実を、鎮静剤を服用させた後、ハンクの誘拐をジョーに話すが、当然の如く狼狽し、興奮する母。
 
ベルナールのダイイングメッセージと、ドレイトン夫妻が英国人であるという頼りない情報のみで、マッケナ夫妻がロンドンに向かったのは、警察にも話せない情報を持っていたからである。
 
通関手続きがなかった事実から、ドレイトン夫妻が自家用機でハンクを誘拐したと考えるベンは、自らの力で途轍もなく巨大な事件に立ち向かうという、如何にもアメリカ人的な発想だが、この時点で、他の選択肢が思い浮かばなかったのだろう。
 
意外にも、ロンドンには、ブキャナン警視が待っていて、ハンクの誘拐事件を知っていた。
 
ここで、ブキャナン警視から、ベルナールが暗殺計画を探るフランスの諜報員であった事実を知らされるに至る。
 
その警察にドレイトン夫人から電話がかかってきて、そこでハンクの無事と、ハンク自身の声を確認したことで、ブキャナン警視から協力を求められても、ハンクの命を最優先するベンは、なお、自らの力で捜索しようと頑なになる。
 
ベンには、ハンクの誘拐事件が、単に金銭目的の犯罪という観念に捉われていて、政治絡みの大陰謀というイメージに結ばれることがなかったからである。
 
「アンブローズ・チャペル」というダイイングメッセージの核心を成す言葉の意味が、人の名ではなく、礼拝堂であることを突き止めた夫妻は、信者に紛れて教会に潜入する。
 
殆ど暴挙の印象を拭えないが、彼らには今、ハンクの救済という観念しかなかった。
 
礼拝堂でドレイトン夫妻と出会ってしまった夫妻にとって、もう、ブキャナン警視の応援を頼りにする以外の選択肢を持ち得なかったのである。
 
連絡のために礼拝堂を出るジョ-。
 
逸早く、マッケナ夫妻に気づいたドレイトン夫人は、教会の牧師である夫に、その事実を目配せして知らせる。
 
早々と信者を帰らせたドレイトンとベンとの直接対決の帰趨は、某国首相暗殺という大陰謀の巣窟に集合するテロリストの力の前で、殴打されて呆気なく終焉する。
 
この教会こそ、政治的陰謀の巣窟であるという事実を知っても、もう、後の祭りである。
 
エモーショナルに大きく振れるモチーフが理解できても、所詮、素人探偵の浅知恵には限界があるということか。
 
そんな渦中で、ジョーからの連絡で緊急に直行した警察車が到着するが、人の気配がない教会への潜入を断念し、暗殺の現場となるアルバート・ホールに向かうジョー。
 
ブキャナン警視がいると聞いたからである。
 
一方、礼拝堂に閉じ込められていたベンは、ロープ伝いで鐘楼に出て、脱出に成功し、彼もまた、アルバート・ホールに向かっている。
 
そして開かれる、ロイヤル・アルバート・ホール(ロンドン中部)の演奏会。
 
鉄骨のドームにガラス張りとなっているホールの天井を有する、芸術開催の広大なスポット。
 
このスポットに、物語の主要登場人物が一堂に会しているのだ。
 
高らかに響く「ストーム・クラウドカンタータ」。
 
その間、全く台詞がない。
 
そこにあるのは、一人息子の身を案じつつ、テロを防止せんと動揺する母と、激しい情動を推進力にして、必死に動く父。
 
夫婦から事情を聞いても、事の重大さが認知できずに、ルーティンの任務を延長するだけの警官たち。
 
シンバルの一打を機に、首相暗殺を遂行せんとするテロリストの鋭利な視線。
 
そして、出番が近づき、立ち上がるシンバル奏者。
 
演奏中に暗殺計画が実行されるのを知ったジョーは、ホールに到着したベンに、近接する二階のバルコニー席の、カーテンの陰の部分に座るテロリストの位置を知らせ、二人で阻止せんと動く。
 
 
 
 
(人生論的映画評論・続/知りすぎていた男(‘56) アルフレッド・ヒッチコック <「失った家族の復元」を成就させた「善きアメリカ人夫婦」の物語>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2014/08/56.html