東京公園(‘11) 青山真治<「虚像」を抜け、内的交流に辿り着く青春の呼吸音>

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1  「非在」の形象的人物と同居しつつ、公園散策の美女を撮る若者の変動の振れ幅


 


 


 


黄葉が目に眩しい代々木公園で、「家族写真」を撮っている若者がいる。


 

カメラマン志望の大学生の光司である。


 


その光司のファインダーに、今、ベビーカーを引いている一人の美しい女性が収まっていた。


 


「何をやっているんだ」


 


突然、後ろから、一人の男から声をかけられ、自分の趣味を説明する光司。


 


「何をやっているんだ。とにかく、勝手に撮影するのは止めるんだな。近いうちに、また連絡する」


 


居丈高に、そう言い放って、男は去っていった。


 


まもなく、その男・歯科医の初島から、同じ公園に呼ばれた光司は、思いがけない依頼を受けた。


 


「彼女を尾行して、写真を撮って欲しい。彼女は娘を連れて、あちこちの公園を散歩している」


 


一切の事情を説明しない初島の依頼を、渋々、光司が引き受けたのは、夜間、ゲイのマスターが営むカフェバーでバイトする光司にとって、報酬への魅力以上に、ベビーカーを引いている美女への関心があったからだろう。


 


しかし、美女に惹きつけられる心理を、この若者は分らない。


 


その光司は、依頼の美女を撮るために、自宅で同居しているヒロからデジカメを借りた。


 


一眼レフの望遠で写真を撮るよりも、デジカメの方が、相手に察知されにくいと考えたからである。


 


早速、光司の「仕事」が、お台場の潮風公園で始動した。


 


東京湾の潮風が吹きつける、公園の縁に座っている美女をデジカメで隠し撮りし、その画像を初島に送信した。


 



 


この江東区の公園に行くと言う美女、即ち、初島の妻・百合香から、夫にメールが入り、今度は、猿江恩賜公園での撮影を光司に連絡するに至る。


 


更に、広い上野公園での撮影へと、百合香を追って、次々に東京の公園を、まるで、世界的に有数の都市である大都会が包括する、そこだけは存分に風通しの良い、憩いの場の相貌を顕示するように繋いでいく映像は、心の安寧のスポットを懐ろに持つ柔和な雰囲気を、オープンに開いてくれるのである。


 


その風通しの良い相貌を、幼女を随伴した美女を隠し撮りする、光司の行動の総体を通して垣間見せてくれるのだ。


 


一方、光司と共存するヒロの存在が、既に、「非在」の形象的人物でしかないことが判然としてくる。


 


だから、光司の部屋にいて、神出鬼没の移動を可能にしたのである。


 


その事実は、かつて、そのヒロの恋人だった富永が、会食目的に、光司の部屋を訪問することで瞭然とする。


 


光司には見えるが、肝心の恋人の富永の視界に入って来ない不満を、男勝りの富永は光司に洩らすのだ。


 


アルバイトの仕事仲間にレイプされそうになっても、撃退したほどの富永の物言いは直裁である。


 


「何か、理由がある訳じゃん。そこが腹立つのよ」


「理由って、理由なんて、ヒロにしか分んないじゃん。僕だって、何で見えるのか分んないし」


「見えて話もできるなら、生きてるときと変わんないじゃん。光司は大切な人が、いきなり目の前から消えちゃったことがないから、そんな簡単に言えんのよ」


 


その日、言いたいことを言った富永は泥酔し、光司の部屋に厄介になる始末。


 


光司の傍らにいて、光司を指図するヒロの存在が、富永にとって、「永遠の不在」=「非在」でしかないから、その形象性は、彼女の忘れ難い記憶のトラウマ以外ではなかったのである。


 


それでも、富永は、会食目的で光司の部屋を訪ねて来るが、その日は、ヒロの姿は消えていた。


 


「ゾンビの映画」を観ることを好む富永の心奥には、たとえ、「ゾンビ」であってもいいから、ヒロの顔を見たいという思いがある。


 


そのヒロもまた、幽霊としての「自分の居場所」の欠落感を、光司に吐露する。


 


「生きている奴は良いよな。どこにでも行けるんだから。どこにも行けない俺はどうすればいいんだ」


「お祓いでもしようか」


「俺は、お払い箱ってわけか。逆に俺は、お前と美優(富永の名)に思われていることに、寄っかかっているだけかも知れない」


「どういうことよ?」


「分んないけどさ・・・」


「僕はどうにか立ち直ったよ。けど、富永は・・・」


「時間が解決してくれるはずだよね。あんなに泣いてくれた美優だってさ。しかし、俺の死を巡って泣いていないのは俺だけって、なんか、皮肉すぎねぇ・・・なんか、きっかけになることがあるよ、きっと」


 


ヒロが幽霊となって、光司の家に住み着いている理由が、本人にも他の2人にも分らない。


 


ただ、富永がまだ立ち直っていないこと、2人が自分を思ってくれていること、そこに未練があって去ることができないのではないかと、ヒロは漠然と考えているのだ。


 
そして、この会話は、自分がいつの日か、消えていくことを暗示する重要な伏線描写になっていた。



(人生論的映画評論・続/東京公園(‘11) 青山真治<「虚像」を抜け、内的交流に辿り着く青春の呼吸音>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/03/11.html