オカンの嫁入り(‘10) 呉美保<「残り時間」が「凍結した時間」を溶かし、変容させていく物語の出色の出来栄え>

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1  深い情愛で結ばれた「母と娘」の紆余曲折の物語 ―― その1


 


 


 


そこのみにて光輝く」(2013年製作)を観て、圧倒的な感動を受け、この呉美保監督の他の作品を観たいと思って出会った映画が、この「オカンの嫁入り」である。


 


そこのみにて光輝く」と同様に一貫して感傷に流さず、暑苦しくなく、母と娘の深い情愛を描いた映画の完成度の高さに、正直、驚かされた。


 


最後まで破綻のない物語の構成力に、脱帽すること頻りである。


 


私の知る限り、主演の宮崎あおい大竹しのぶが出演した映画の中で、この作品が最も印象に残り、感銘も深かった。


 


魅力的な女優の、その圧巻の感情表現力を、センスのいい演出で引き出した呉美保監督の、その出色の出来栄えを高く評価したい。


 


―― 以下、梗概をフォローしていく。


 


大阪の冬。


 


整形外科に勤める看護士の母・陽子が、呂律(ろれつ)が回らない酩酊状態の中で、得体の知れない金髪の若い男を、「お土産」と称して、一人娘・月子が熟睡している自宅に帰って来たエピソードから、「母と娘」の紆余曲折の物語が開かれていく。


 


氷雨の降る、深夜3時のことだった。


 


母親を部屋の中に引き摺り込み、玄関で眠りこける男にブランケットを放り投げる月子。


 


その月子が、信じ難い衝撃を受けたのは、その翌日のこと。


 


「えー、私、森井陽子は、昨夜、こちらの服部研二さんにプロポーズされて・・・お引き受けしました」


 


母・陽子の爆弾発言に真っ先に驚嘆したのは、そこに居合わせた隣の大家・サクだった。


 


「よろしくお願いします」


 


研二と名乗る男のこの挨拶は、イメージに似合わず、誠意に溢れるものだった。


 


年齢は、娘のそれと近い30歳。


 


年齢を聞いて爆笑するサクの声を掻き消すように、「帰って下さい!」と言い切ったのは、娘の月子。


 


「ダマされてるんちゃうかな?」


 


母が勤務する整形外科・村上医院の院長に事情を話したときの、未だ疑心暗鬼モードの月子の言葉である。


 


その言葉を受け、二人で森井の自宅に戻って来た時、そこに、料理ベタの母に料理指導する研二がいた。


 


3年前から陽子と付き合っていたというその研二が、村上医院の患者の孫であると知って、今度は院長が驚く番だった。


 


元板前の研二が作った料理で、村上院長を交えた豪華な会食の時間を持つが、その空気に、どうしても入り込めない月子がいる。


 


「今日から一緒に住むことにした」と言う母の唐突な宣言に、遂に、月子は切れてしまう。


 


「何で、そんな勝手なことすんの!全然、意味分らなへんねんけど!」


 


怒りの叫びを結んだ月子は、その足で、大家のサクのもとに駆け込み、そこで泊るに至った。


 


翌日、父の位牌を母から奪って、身の回りのものをバッグに詰め込み、サクの家に身を寄せるのだ。


 


しかし、月子を激怒させたことで後悔する研二は、せめて夜だけは庭で寝ると決め、厳しい冬の夜を寝袋で明かしていく。


 


縁の下で寝泊りしているのである。


 


更に、呆れた月子は、愛犬・ハチを散歩に連れていく朝の日課までも、研二が代行しているのを見てイラつき、立腹するが、排尿を全くしないハチの異常を研二が指摘したことに、合理的に反応する何ものもなかった。


 


その月子が、京阪電気鉄道(京阪)の電車の騒音に対して、恐怖感を募らせる表情を見せたのは、このときだった。


 


ここから、月子にとって決して忘れようがない出来事が、彼女の中で侵入的に想起されていく。


 


それは、本社から転勤して来た若い社員・本橋から受けたストーカー行為だった。


 


その本橋の相談役を担わされたばかりに、妻子がいる本橋からの執拗なストーカー攻勢を受けるのだ


 


デートの誘いに始まって、遂には、自分が通う京阪電車内での物理的近接の行為に及び、自転車置き場での恐怖体験に至る。


 


「俺のこと、バカにしてるでしょ。バカにしてるよね?」


 


男はそう言った後、月子の体を突き飛ばし、彼女の自転車や、その回りの自転車を破壊する行為に及ぶのだ。


 


この屈辱的行為を会社に訴えた月子に対し、会社の上司は本橋の謹慎処分が明けるので、出勤の見合わせを促したものの、「行きます」ときっぱりと言い切った月子は、いつものように京阪電車に乗車しようとするが、ホームに座り込んで、結局、乗車できなかった。


 


彼女が被弾したトラウマが、自分に全く落ち度がないのに欠勤せねばならない理不尽さへの、凛とした「正義」の意志を食い潰してしまったのである。


 


以降、月子は、PTSDと呼ぶ外にない精神疾患に罹患してしまうのだ。


 


「男性一般」と「電車の音」に対して過剰なまでに反応する月子の心的外傷は、退職後一年経っても、ハチの散歩を日課にする以外、何もすることなく、限定的な狭隘なスポットで、顔馴染みの隣人たちとの交流に潜入するという「日常性」が常態化されるに至ったのである。


 


そして今、彼女の「心の友」であるハチが、「オチンチンに石が詰まってしまう」(獣医の言葉)尿道結石に罹患してしまったのだ。


 


ハチを一回散歩させただけで、異変を感じ取った研二の指摘は正解だったのである。


 


以下、その研二との結婚の意志を変えない母・陽子に、月子は単刀直入に訊ねたときの会話。


 


「どこがええん?」


「せやなぁ、ヘラヘラしてるとこかな」


「ヘラヘラ?」


「そう、結構苦労しているのに、そういうの、一切見せんと、いっつもヘラヘラ笑ってるとこかな」


「苦労って?」


「身内が一人もおらへんの。ご両親は、研ちゃんが生れて、すぐに事故でのうなりはってん」


 


会話に「間」ができて、改まった口調で、陽子が月子に、「白無垢、着ていい?」と懇願したのは、その直後だった。


 


小さい頃からの夢だと言う母の、思いも寄らない話に当惑する娘の怪訝そうな反応を見て、「今のは、冗談」と笑って誤魔化す母がそこにいた。


 


そんな月子だったが、研二の人間性を知って、母が望む白無垢での結婚を了解する心境にまで届くに至った。


 


ところが、母の白無垢の衣裳合わせに、月子を随伴したいと言う母の懇望は、相当の無理難題だった。


 


「お母さん、月ちゃんと一緒に、電車乗って行きたいねん」


「無理」


「大丈夫やって。二人で一緒に・・・」


「無理やって!」


 


母子の会話に澱みができた。


 


この澱みを、柔和な言語に浄化させんと繋ぐ母の強い思いが、娘の拒絶反応を惹起させるのは必至だった。


 


以下、そのときの会話。


 


「月ちゃん、あんた、ずーとこのままでええの?このまま、ずーと電車に乗らんと、この町から出られんと、それでええのん?」


「そんなん言われんと、分ってるよ」


「分ってるだけやったら、何も変わらへんやろ。月ちゃんは優しし、ええ子や。そのことはお母さんが一番よく分ってる。でもな、優しいだけやなくて、色んな人と、外の世界で混じり合って、そん中でも、しゃんと生きていける強い人になって欲しいねん・・・」


「分ってるって!でも、皆が皆、お母さんみたいに器用に生きていけるわけちゃうねん!今までずっと、無理せんときって言うとったのに、何で急にそんなこと言いだすんよ!」


「急やないよ。お母さん、ずーと、そう思ってたもん。」


「邪魔になったんや。はよ、結婚したいから、あたしのこと邪魔になったんや。絶対そうやわ。あたしのこと、邪魔やから、さっさと出て行って欲しいから、はよう、二人きりになりたいから、そやから急に、そんなこと言い出したんや!」


 


母が娘の頬を叩いたのは、この瞬間だった。


 


「お母さんは月ちゃんが一緒に行ってくれるまで、絶対に放しません!」


 


母のもとを一時(いっとき)でも離れようとする娘と、その娘の体を掴んで叫ぶ母の心情は、痛々しいまでに伝わってくる重要なシーンが、深い澱みを残して閉じていった。


 


今、自分の部屋に戻った月子の傍に、研二が座っている。


 


彼は、自分が板前だった頃、自分を養子にしたお婆ちゃんが死んだ時の話をするのだ。


 


「どうでもええ、店の仕入れのことで言い合いになって、僕、そのまま家、飛び出して、その日は店にも出んと飲みに行って・・・次の日、朝帰ったら、婆ちゃん家におらんと、焦ってむっちゃ探して、店まで行って・・・そしたら婆ちゃん、店のカウンターの裏で倒れてて・・・今、当たり前に思ってるもんが、すぐ先でそうじゃなくなるかも知れんっていうことを、結局、死んでしもうてから気づかされて・・・もう二度と、婆ちゃんに会うことも、謝ることもでけへんって、ずーとずーと後悔しながら・・・」


 


自分の思いの丈を、決して饒舌ではない口調で、ゆっくりと柔和に繋ぐ研二の話を、「出てって下さい」という月子の言葉が遮って、その夜の、母と娘の看過し難いエピソードは、母が望むイメージに軟着し得ずに閉じていった。


 


人生論的映画評論・続/オカンの嫁入り(‘10) 呉美保<「残り時間」が「凍結した時間」を溶かし、変容させていく物語の出色の出来栄え>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/04/10.html