武士の献立(‘13)  朝原雄三 <「料理アーティスト」のDNAを繋いでいく女の「男前」、その颯爽感>

イメージ 11  「夫を一人前の包丁侍にするべく、春は頑張ります」
 
 
 
全く厭味なく言えば、分りやすい映画の分りやす過ぎる着地点に流れ込むヒューマンな娯楽映画であるが、舟木家と、それをサポートする春の人物造形の成功と、一貫して安定した構成力により、極めて良質な作品に仕上がっていて、率直に感動した。
 
―― 以下、梗概。
 
江戸時代中期加賀藩に、舟木伝内という名の男がいた。
 
息子と共に、加賀料理の優れたレシピ集・「料理無言抄」を著した「料理アーティスト」である。
 
足軽より低い下位の身分ながら、自らが仕える加賀藩主君と、その家族の食事を賄うことで 、「包丁侍」と揶揄されつつも、親しみを持たれていたが、本人には、その才能の極点の表現スポットである、他藩の大名家の人々を持て成す豪華な「饗応料理」を仕切る仕事に最高の矜持(きょうじ)を有しているが故に、「料理一筋」の人生を全うすることができである
 
「中期藩政改革」と呼称される財政改革と矛盾しつつも、この「饗応料理」こそ、藩の威信を示する特別なゾーンなのだ
 
そんな男が、奇跡的な出会いを果たす。
 
六代藩主・前田吉徳(よしのり)の側室・お貞(てい)の方に仕えていた女中の春との、江戸屋敷での出会いである。
 
幼くして火事で両親を失い、天涯孤独となった春は、少女時代からお貞の方に仕えているが、母に倣ったと言う「ショウが粥」を、病の床に伏せるお貞の方に作り、感謝される日々を繋いでいた。
 
実は春には、加賀藩から商家に嫁に出したものの、1年も経たぬうちに離縁された過去がある出戻り女中だが、生来の気丈さから、相当程度の打たれ強さがあるから、御前での能の舞いの場で、空腹感のためお腹を鳴らして嘲弄(ちょうろう)されても、決定的ダメージにはならないのだ
 
舟木伝内が春に会ったのは、その能の舞いの場だった。
 
御前での能を舞った大槻伝蔵の「余興」として、舟木伝内の料理が藩主に提供されたのが事の発端であった。
 
そこで最初に出された、「鶴もどき」の汁の美味に関心を示した藩主は、この汁の「正体」(具材)を当てた者に褒美を出すという「余興」で、女中の春が物の見事に当てたのである。
 
「怖れながら、鶴はブリを乾かし、削って酒で戻したもの。出汁は蝦夷の昆布出汁に少々のみりん。醤油は恐らく、龍野の薄口醤油かと」
 
見事に当てられ、言葉を失う舟木伝内。
 
その伝内が、春に息子の嫁に来て欲しいと申し込んだのは、この直後だった
 
息子の名は安信。
 
国元で「台所役」を務め、年は23と聞き、4歳年上の春は驚き、拒絶する。
 
拒絶された伝内は、「明日葉(あしたば)」の作り方を春に聞きに行き、何とか関係を深めようと努めた甲斐があり、春は、伝内の次男である安信に嫁入りすることを受け入れる。
 
この間、お互いの境遇を話し合い、意気が通じるに至った。
 
中でも、伝内が最も頼りにしていた長男を流行り病で喪った事実を、真剣に語る男の熱意に心を打たれたことが大きかった。
 
「春殿のお力で、あのできそこないを、一人前の包丁侍に仕立ててはいただきませぬか」
 
土下座してまで、春の嫁入りを求める武家の伝内にここまで言われたら、意志の強い春でも、拒絶するという選択肢がなかったとも言える。
 
言うまでもなく、「できそこない」とは、包丁侍の家に生まれながら、剣術にばかり熱心な23歳の安信のこと。
 
かくて、加賀の舟木家に嫁ぐ春。
 
「全ては舟木家に生まれた定めだ。こうして嫁も、父上に言われた通りに迎えた」
 
これが、殆ど諦めの心情で春を嫁に迎えた安信の、手厳しい挨拶だった。
 
しかし、全くめげることがないばかりかどこの土地でも順応してしまうようなオープンな性格の春の真骨頂が、北陸の大地でも眩いばかりに輝いていた。
 
そんな春が、お節介ながらも、夫の安信を料理の腕でサポートするエピソードがあった。
 
親戚が集まる「饗(あえ)の会」という名の会食の席で、安信の作った料理があまりに不味いために、「居酒屋にも劣る」などと、親戚から嘲罵(ちょうば)を浴びせられる夫を見て、急遽、春が手を加えた汁物に対し、異口同音に「美味い」と言って、舌鼓(したつづみ)を打つ親戚一同
 
すっかり「包丁侍」としての面目を潰された安信が、春に遣り場のない怒りを炸裂させたのは必至だった。
 
「余計なことをするな。この古狸め!」
 
ひたすら謝罪する春に対する、安信の怒りは止まらない。
 
「妻女から自分の仕事に手を出されるとはな。所詮、料理など女子供の仕事、何とつまらぬ役目だ、包丁侍とは」
 
さすがに、ここまで言われれば、気丈な春も黙っていられない。
 
「ご自分のお役目を、そんな風に申されるのは聞き捨てなりません。つまらないお役目だと思っているから、つまらない料理しか作れないのではありませんか」
 
料理に関して特別な思いを持つが故に、「料理など女子供の仕事」などと罵倒されれば、そこだけは、女中の春の「プライドライン」を侵蝕せざるを得なかった。
 
もっとも、この春の反応は、「一人前の包丁侍に仕立てて欲しい」という伝内のたっての頼みを受容した春の、彼女なりの実践躬行(じっせんきゅうこう)の具現化だった。
 
かくて、「包丁の腕比べ」を提案する春。
 
「負けた時には、この古狸の料理指南を受けてもらいます」
「生意気な!よし、俺が勝てば、お前とは離縁だ。即刻、舟木家から出ていけ!」
 
相互の条件を呑んだ二人の勝負が、春の勝利に帰結したことは言うまでもない。
 
以下、「鮒(ふな)の刺身」の包丁捌(さば)きを競う勝負に勝った、舟木家の新妻・春の言葉。
 
「あなたは身を引く時の包丁が遅いのです。だから刺身の身が崩れ、醤油が余計に沁みる。魚の風味が損なわれてしまう」
 
武士の夫を相手に教示する春の緊張感が映し出された直後の映像から、その夫に料理指南をする女の逞しい風景が繋がれていく。
 
米の研ぎ方から始まり、春が魚の絵を何枚も描いて、安信が、その絵に串刺す練習を繰り返していくのだ。
 
文字通りに、手取り足取りの厳しくも、愛情のこもった指南である。
 
「上達も早く、血は争えぬとはこのことでしょうか。その夫は、私を古狸と呼びます。しかし、何のこれしき、夫を一人前の包丁侍にするべく、春は頑張ります」(お貞の方への春の手紙)
 
まもなく、昇進を懸け、料理の出来を競う「すだれ麩(ふ)の治部煮(じぶに)」によって認知され、安信の出世が約束されるのだ。
 
言うまでもなく、「古狸の料理指南」の一つの結晶点だった。
 
ここまでは、分りやすい映画の分りやすいコメディラインで引っ張ってきた物語が、少しずつ、その風景を変えていく。
 
妻を「古狸」と呼び捨てる無骨な安信にも、春に言えないトラウマがあった事実が判然とするのである。
 
同年齢で、幼少時より、互いに好意を持っていた今井佐代という、剣術道場・「養心館」の跡取り娘がいて、道場一の腕前を誇っていた安信が、当然、養子入りするものと誰もが考えていた。
 
ところが、伝内の長男の死で舟木家を継ぐことになり、更に、道場一を決める試合で、気持ちが萎えていた心理もあって、ライバルであり親友の定之進(さだのしん)に敗北し、養子入りの一件は潰(つい)えたのである。
 
定之進に敗北することで、養子入りを諦めるつもりだったとも考えられる。
 
かくて、その定之進が、佐代の養子として迎えられることに至ったという顛末だった。
 
その話を、安信の母に聞かされた春の心の中枢に、何かと攻撃的な反応を見せた夫・安信の心の風景が捕捉されたのである。
 
江戸詰めの勤めから伝内が加賀に戻って来たのは、その頃だった。
 
以下、跡取りができて、隠居を決めた伝内の言葉。
 
「わしは、加賀の料理を集大成し、書にまとめようと思っている。加賀の料理の多士済々、百姓、町人の日々の食事から、唐の影響を受け、京のそれにも勝る懐石料理。その極みとしての饗応料理まで、それらの全てをな」
 
その饗応料理について、春に説明する伝内の心が安らいでいた。
 
しかし、その頃、肝心の安信は、「加賀騒動」の陰謀にインボルブされていた。
 
ここから瞬く間に、物語の風景が一変していくのだ。
 



人生論的映画評論・続/
武士の献立(‘13)  朝原雄三 <「料理アーティスト」のDNAを繋いでいく女の「男前」、その颯爽感>)より抜粋 http://zilgz.blogspot.jp/2015/06/13.html