罪の手ざわり(‘13) ジャ・ジャンクー <「ルールなき激しい生存競争」―― 「人治国家」という構造化された「負のシステム」>

イメージ 1鮮烈な冒頭シーン。
 
トマトを運ぶ大型トラックが横転し、路傍に大量のトマトが散乱している。
 
事故を目撃したのか、オートバイに跨(またが)る一人の男が、その無残な現場を眺めている。
 
恐らく、警察に連絡し、その到着を待っているのだろう。
 
その幹線道路を、オートバイで疾走する、別の男が映像提示される。
 
そして、その男による殺人事件が、いきなり冒頭から展開されるのだ。
 
オートバイに乗った男が3人組の若者に停車させられ、「おっさん、金を置いていきな」と脅された挙句、全く反応することなく、その男は躊躇なく3人組を射殺する。
 
場所は、湖南省十八湾。
 
3人組を射殺した男は、大量のトマトが散乱する事故現場を一瞥しただけで、オートバイに跨(またが)る男の前を一気に通過していく。
 
因みに、ジャ・ジャンクー監督によれば、トマトの散乱シーンの意味は、以下の通り。
 
「あのシーンは私の故郷の山西省で撮っていますが、美術を勉強していた学生の頃に見た事故現場がショッキングで、強い陽射しの中、散らばった赤いトマトが血のように見えたのです」(ジャ・ジャンクー監督インタビューより)
 
赤いトマト=血のイメージは観ていれば誰でも分るが、この鮮烈な冒頭シーンは、本作を貫流するメタファーとなって、円環的に括られる物語を支配していくのだ。
 
ここから、この二人の男の物語が開かれる。
 
まず、最初の男。
 
山西省の「烏金山国家森林公園」という名で知られる、烏金山(ウージンシャン)に暮らす炭鉱夫。
 
その名はダーハイ。
 
共有の炭鉱を売って、その金で買ったアウディが村民共有の車であるのに、村長が私物化していることに不満を持っている。
 
「村長とジャオを監獄にぶち込んでやる。村長は共有の資産を売り払い、賄賂を受け取った。20年は監獄入りだ。ジャオの奴も、やたら羽振りがいいだろ。環境汚染、事故の隠蔽。奴も終わりだ」
 
仲間に語る、怒りを抑えられないダーハイの言葉である。
 
ジャオとは、ダーハイのかつての同級生で、今は実業家として羽振りが良く、経済的に村を仕切っている男。
 
そのダーハイの所に村長がやって来て、湖南省十八湾で起こった殺人事件を報告し、皆を集めて協力を求めた。
 
協力を求められたダーハイは、炭鉱をジャオに売った時の配当金の約束の一件が気になり、「中央規律委員会」での弁明を促した。
 
「少しは場をわきまえろ。負け犬のくせに」
 
村長の反応である。
 
その直後の映像は、「負け犬」呼ばわりされたダーハイの意気が衰えず、右手に書状を持って、仲間に宣戦布告の狼煙を上げるシーン。
 
「北京に告訴状を送るんだ。村長とジャオを訴えてやる」
 
その宛先は、北京中南海中央規律委員会。
 
歴とした、腐敗の摘発を任務とする政府の部署である。
 
しかし、宛先のアドレスが書かれていないことで、その書状を受け付けない郵便局への怒りに抑えられないダーハイは、何某かの含みを抱懐し、自家用機で村に「凱旋」するジャオを迎えるバスに同乗し、その現場に立ち会うことになる。
 
ブラスバンドの演奏付きの盛大な出向かいの中で降りて来た、ジャオに近づいたダーハイは、いきなり宣戦布告を突き付けるのだ。
 
「北京にお前と村長を訴えに行く」
 
そのための経費を捻出してくれと吠えまくるダーハイ。
 
炭鉱の利益の4割を私物化すると信じるジャオへの怒りは、このような叫びに結ばれるのだ。
 
しかし、ここでもまた置き去りにされたダーハイが、まるで「ゴルフ」のように、ジャオの手下にシャベルで繰り返し殴られ、重傷を負う始末だった。
 
「憤怒により、剣を抜き」
 
頭に包帯を巻き、村に戻ったダーハイが、そこで聞いたのは、京劇の「水滸伝」で演じられる林冲(リン・チュウ)の、この台詞だった。
 
これが、累加された憤怒を噴き上げていくダーハイの「戦争」のシグナルとなった。
 
帰宅したダーハイは、虎の絵の布を巻いた猟銃を持ち、村の会計の責任者のリュウのもとに乗り込んで来て、村長への賄賂の金額を口述書にするための恫喝を加えるのだ。
 
リュウの妻が呼んだ警察のサイレンの音を聞き、突然、強気な態度に変容したリュウの挑発に対して、一発の銃丸を放って射殺し、近づいてきた妻をも撃ち殺すダーハイ。
 
その顔に返り血を浴び、殺気だったダーハイの炸裂は、もう止まらない。
 
「ケダモノを撃つ」
 
そう言い放ち、村の知人たちの前を通り過ぎて行くダーハイは村長を射殺した後、アウディの後部座席に乗り、そこで「腐敗の根源」と決めつけたジャオを待つ。
 
まもなく、そのジャオがアウディに乗り込んで来た。
 
有無言わさず、射殺したのは言うまでもない。
 
全身に鮮血の赤が染め抜いて、会心の笑みを洩らすダーハイの、「正義」という名の「天誅」が終焉した瞬間である。
 
―― オムニバス形式の映画は、ここで、湖南省十八湾で3人の若者を射殺した冒頭の男に繋がれれていく。
 
その名はチョウ。
 
「三男が帰ってきたぞ!」
 
この村人の歓声の中で、故郷の重慶に戻って来たチョウを迎える妻子の冷淡な態度が印象的に映し出される。
 
出稼ぎから戻る大晦日に合わせた、チョウの母の70歳の誕生日祝いの日だった。
 
チョウの息子は父から逃げ、無理矢理、祖母にお辞儀させるのだ。
 
「送金を受け取った。全部で13万人民元。最後のは山西からだった」
武漢で稼いで、山西から送った」
「もう、いらない」
 
夫婦の会話である。
 
既に、夫のチョウのリュックサックの中に銃の弾倉を視認している妻は、「出稼ぎ」という名の「犯罪」に関与している夫に、求めるように呟いた。
 
「この村にいたらいいじゃない」
 
即答できない「間」の中から、ミャンマーに行くと言う夫のチョウも呟くように吐き出した。
 
「つまらない」
「何がつまらないの?」
「銃声にすかっとするのさ」
ミャンマーで何をするの?」
「性能のいい銃を買う」
「電話ができるように携帯を買って」
「ダメだ。危険過ぎる」
 
夫婦の異様な会話が閉じて、妻の希望を無視したチョウが起こした強盗殺人事件のシーンが、その直後に繋がっていく。
 
翌日のことだった。
 
場所は、富裕層が多く住む重慶市街の中枢のスポット。
 
銀行から預金を下ろした中年夫婦を、帽子を目深に被り、サングラスをかけ、黒いセーターで顔を覆ったチョウは、いきなり背後から二人を射殺し、夫人の持つブランドバッグを奪って逃走した。
 
「出稼ぎの仕事」が終焉し、天に向かって「花火」を上げる男がそこにいた。
 
 
 
人生論的映画評論・続罪の手ざわり(‘13) ジャ・ジャンクー <「ルールなき激しい生存競争」―― 「人治国家」という構造化された「負のシステム」>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/06/13_28.html