バートン・フィンク(‘91) コーエン兄弟 <煩悶する映画作家 ―― 妄想的に仮構した世界の達成的焼失点>

イメージ 11  「底なしの沼に飛び込み、自分の魂の奥から、何かをさらい出す。魂を探る旅は苦痛を伴う旅だ」
 
 
 
コーエン兄弟の個性的な作品群の中から最高傑作を選ぶとするなら、私は躊躇なく、この「バートンフィンク」という稀有な逸品を選ぶだろう。
 
繰り返し観ても、構成・演出・演技ともに出色であり、何より、観る者に考えさせてくれる映像提示の連射は圧巻だった。
 
加えて言えば、ジョン・タトゥーロジョン・グッドマンの圧倒的な演技力の凄み。
 
脱帽する。
 
以下、梗概。
 
―― 1941年のこと。
 
「この薄汚い街とは、もうお別れだ。数年ぶりで芽が覚めた。人生、眼を閉じると、太陽の光も夢となる。今度こそ、俺は眼ざめた」
 
ニューヨークの新進気鋭の社会派の劇作家・バートン・フィンクが、自らが脚本を書いたブロードウェイの演劇の中での台詞の一節である。
 
観客から喝采を受け、メディアから絶賛されても、「演劇の改革を目指す」という思いを捨てられない男にとって、それを素直に受け入れられないのは当然なのである。
 
それがバートン・フィンク(以下、バートン)だった。
 
ハリウッドのキャピトル映画が、バートンに高額な契約を持ちかけられても、「僕のルーツである小市民の生き方」を理想にする社会派の劇作家は、知人のガーランドの説得を受け、渋々、ハリウッドに行くことになった。
 
その仕事は、映画の脚本を書くこと。
 
そんな精神状況でやって来た、ロスのアール・ホテル。
 
バートンが滞在するホテルの名だが、暗鬱な雰囲気が漂っていて、まるで、特化されたその場所での、彼の仕事の艱難辛苦(かんなんしんく)を約束する「異界」の閉鎖的なスポットのようだった。
 
エレベーターボーイという印象とは程遠い老人に案内されたバートンが泊る部屋は、古びて埃っぽく、日差しが眩しいだけの6階の一室・621号室。
 
紅一点は、浜辺に憩う、水着を着た後姿の美女の絵。
 
その絵を凝視するバートンには、浜辺に寄せる波音が侵入してくる。
 
ベッドに横たわる男の視界に、天井の傷も侵入してくるのだ。
 
翌日、彼は自分を歓迎するキャピトル映画のユダヤ人、ジャック・リップニック社長と面接する。
 
マシンガントークで一方的に喋り続けるリップニックは、「映画はハートだよ」と言って、レスリング映画脚本の執筆を押し付け、「映画はあまり観ていない」と言うバートンの片言など全く耳に入れる余地はなかった。
 
薄暗い部屋の一室でタイプを打つバートンの仕事が開かれるや、隣から聞こえてくる笑い声に神経をすり減らし、フロントに苦情の電話をかけた後、突然、現れたのは、チャーリー・メドウズという名の人懐っこい保険外交員だった。
 
相手がごく平凡な保険外交員と知って、そのような「市民感覚」の演劇を繋いで来たバートンのマシンガントークが炸裂する。
 
「同志」を得た思いが、閉じ込められていたバートンの情動の封印を解いたのである。
 
うだるような猛暑のため、バートンのベッドの壁紙が剥がれて、それを修復する男の不安が未だ深刻さを帯びていなかった。
 
そうかと思えば、ガイズラーという名のプロデュサーがやって来て、仕事が捗(はかど)らないと言うバートンに、訳の分らないことを言い放ち、早々と帰っていく始末。
 
何もかも想定外の展開が続き、バートンの神経がすり減っている時にホテルのトイレで出会ったのは、バートンが尊敬する「現代最高の作家」・メイヒューだった。
 
そのメイヒューの部屋を訪ねたバートンが見たものは、アルコール依存症になって、満足に小説も書けない「現代最高の作家」の裸形の姿だった。
 
その事実を、彼の女性秘書であり、愛人のオードリーから聞き及び、愕然とするバートンだったが、一目でオードリーに好意を抱き、二人だけのデートを申し込むが、色良い返事をもらえなかった。
 
「僕の仕事は、底なしの沼に飛び込み、自分の魂の奥から、何かをさらい出す。魂を探る旅には、道案内の地図がない。苦痛を伴う旅だ」
 
デートを断られても、唯一、「心の友」と信頼するチャーリーに語る孤独な日々を託(かこ)つバートンが、そこにいて、「魂を探る」が故に「苦痛を伴う旅」の心情を、止めどなく吐き出していく。
 
チャーリーの存在は、バートンが悩むレスリング映画の参考のために、具体的な指導をするほどの「心の友」になっていくのだ。
 
文章を書く作業を「一種の逃避」と考え、そこに楽しみを見出すメイヒューと、「文章を書くのは苦痛」と考えるバートンは、憧れのオードリーと会食の場を設けるが、メイヒューのアルコール依存症の醜悪な姿を見て、オードリーへの同情が愛情に代わっていくのは時間の問題だった。
 
ガイズラーの命令でレスリング映画を観ることを勧められたバートンは、試写を観た後、煩悶の渦中に捕捉され、オードリーに助けを求めていくしかなかった。
 
メイヒューの著書の代筆をしていたことを告白するオードリーとの、たった一晩での交接で得た悦楽は、まさに、それだけが目当てな特別な時間のようだった。
 
しかし、覚醒したバートンを地獄の底に突き落とすほどの、信じ難い受難が襲ってくる。
 
ベッド上に、オードリーの死体が横たわっていたのである。
 
理性を失ったバートンが頼るのは、ニューヨークに戻ると言うチャーリー以外にいなかった。
 
「素知らぬ顔をして、今まで通りに振る舞うんだ」
 
チャーリーはそう言って、オードリーの死体を処理していく。
 
その翌日、キャピトル映画の社長・リップニックに、完成していないシナリオのアウトラインを求められたバートンは、「頭の中で構想はできていても、それをいい加減な言葉にしてしまうと、意味が微妙に違ってくる」と答え、それを受容するリップニック。
 
今や、絶体絶命の状況に追い込まれたバートンは、最も信頼できるチャーリーを失うことになり、途方に暮れる始末。
 
ニューヨークに戻るそのチャーリーから、「大事な物が色々入ってる」箱を預かるが、その中身については全く知らされることがない。
 
二人の大事な人物を失ったバートンは、ただ号泣するばかりだった。
 
神いわく“初めに光ありき”
 
この創世記の言葉に触れたバートンに、刑事が尋ねて来たのは、その直後だった。
 
「ショット・ガンで人を殺し、首を切り落とす」
 
刑事は、チャーリーの正体が“殺人鬼ムント”であることを知らせるのだ。
 
その直後のシーンは、チャーリーが預けていった箱を凝視し、何かが吹っ切れたようにシナリオの執筆に真剣に向かうバートンの解放し切った相貌だった。
 
「重要な作品だ。僕の、どの作品よりもね」
 
夜中にガーランドに電話するバートンが、それまでと全く違った表情を見せ、興奮状態で喋り続けるのだ。
 
そして遂に、シナリオを書き上げた。
 
「“大男”」
 
これが、レスリング映画のタイトルだった。
 
その喜びをダンスホールで弾けるバートンにとって、煩悶の果てに辿り着いた収束点だった。
 
そして、ホテルにやって来た二人の刑事の前に“殺人鬼ムント”が出現し、「精神の生命を見せてやる!」と叫び、ホテルを放火し、二人の刑事を射殺する。
 
「人生は残酷だ。俺が変人なら、皆、変人さ。俺はマトモだし、他の奴らを哀れに思う。かわいそうに。罠にかかって身動きできない。だから、解き放ってやったのさ・・・嘘をついた。あの箱は俺のものじゃない」
 
チャーリーはそう言って、炎の中の自室に消えていった。
 


人生論的映画評論・続バートン・フィンク(‘91) コーエン兄弟 <煩悶する映画作家 ―― 妄想的に仮構した世界の達成的焼失点>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/07/91.html