蠢動 -しゅんどう-(‘13) 三上康雄 <「人間道」によって削がれる「武士道」の脆弱さ ―― 本格派時代劇の醍醐味>

イメージ 11  絶望的な叫びに変換され、理不尽な世界に堕ちていった男の無念さ
 
 
 
享保(きょうほう)20年。
 
山陰・因幡藩(モデルは鳥取)でのこと。
 
「三年前の飢饉から、ようやく立ち直った矢先に、御公儀の無理難題。更に此度(このたび)のことを・・・頭の痛いことばかり・・・」
 
因幡城代家老荒木源義(以下、荒木)が、傍らにいる城代家老付用人・舟瀬に吐露した言葉である。
 
ここで言う「三年前の飢饉」とは、江戸四大飢饉の一つである享保の大飢饉のこと。
 
享保の大飢饉の凄まじさは、イナゴやウンカ(イネの液を吸って枯死させる天敵)の害虫と冷夏によって惹起した飢饉であり、西日本各地が凶作に見舞われ、甚大な被害をもたらしたばかりか、米価高騰に起因する打ちこわしが、幕府の膝下である江戸で激発的に引き起こされた事実で判然とするだろう。
 
物語を続ける。
 
藩士たちの激しい寒稽古の、気合のこもった声が、荒木の耳に聞こえてきた。。
 
それを高見から覗く荒木。
 
この寒稽古を仕切るのは、荒木の娘婿である因幡藩剣術師範・原田大八郎(以下、原田)。
 
原田の指名を受けた藩士たちの稽古の風景は、何か命を懸けたような尖りを見せたことで、同時に見聞していた新陰流の剣術指南役・松宮の怒りが炸裂する。
 
「御城代様の前で無様なものを!
 
この指摘を受け、荒木は原田に意見を求めた。
 
「本日は剣術の試合ゆえ、この者の行いは許されるものではございません。が、もし、真の戦ならば、このような剣術もあり得るものかと。いかなる策をろうしても、敵を倒し、生き延び、新たな敵に立ち向かい、主君を守る。これもまた、忠義かと心得ます」
 
この原田の具申に、荒木はきっぱりと答えた。
 
「今は大平の世。強いばかりが良いというものではないぞ。原田、剣の心が乱れていては、武士道を極めることはできぬぞ」
 
この冒頭のシーンが、冷厳なリアリズムで貫徹するこの映画のエッセンスを、端的に表現していると言える。
 
重臣の会議の場で、舟瀬から、公儀剣術指南役・松宮が、「我が藩の内情を探っている」という報告を聞いた荒木は、時の将軍・徳川吉宗が勧めている玉川治水献上金(江戸時代には、多摩川を玉川と呼称されることが多かった)に関わっているらしいと反応する。
 
この時点で、公儀剣術指南役・松宮が、公儀隠密であることが疑われ、戦々恐々とする重臣たち。
 
要するに、玉川治水献上金を供出すれば、因幡藩が苦労して貯めた秘匿の余剰金を失ってしまい、更に、その秘匿の余剰金の存在を知られたら、幕府の改易(取り潰し)の危険性が高まるので、その不安に怯(おび)えるばかりなのである。
 
そんな状況を知ることなしに、剣の道を貫かんとする若者がいた。
 
先の寒稽古で激しく立ち回り、松宮を怒らせた香川廣樹(ひろき/以下、香川である。
 
彼は、かつて改易の危機の時、腹を切ることで、辛うじて改易の危機を免れた父を持つが故に、藩に対する特別な感情を隠し切れないのだ。
 
元々、因幡藩に徳川家との姻戚関係が保持されていたことで、一人の藩士の犠牲のみで改易を免れたという経緯を持っていたのである。
 
一方、公儀隠密という疑念を持たれた松宮は、因幡藩の「隠し田」・「隠し蔵」を発見できずにいたが、連日のように山野に立ち寄られる不安を覚える荒木は、「武家諸法度」違反と言われ、一切の責任を負って泥を被った香川の父が作り上げた、「隠し田」・「隠し蔵」を守り切る覚悟を決めていた。
 
「香川が藩を救ったのだ」
 
これが、荒木の強い思いであるが、リピートされる説明台詞には、少々ゲンナリする。
 
ともあれ、「因幡藩の内情を全て探った」という、松宮が幕府に送る文書を手に入れたことで、荒木は、松宮が剣術指南役という肩書を持つ公儀隠密である事実を知るに至る。
 
因みに、松宮の正体は、警備を職務としていた紀州藩からの役人たちをルーツにする、将軍吉宗が創設した情報収集機関として名高い「御庭番」(おにわばん)の中で、遠国の実情調査という重要な任務を担う「遠国御用」(おんごくごよう)の幕臣であると思われる。
 
かくて、公儀の使者が因幡藩に向かったという情報を得た荒木は、もう、一刻の猶予も争えない状況に追い詰められていく。
 
伯耆(ほうき)藩への剣術修業を望んでいた香川が、他の藩士と争い事を起こしたため、松宮の怒りを買い、夢破れた香川の中で、松宮への不満が一つのピークに達しつつあった。
 
無論、この時点で、松宮が公儀隠密である事実を知る由もなかった。
 
親切な弟思いの姉・由紀に謝罪するばかりの香川だけが、の情勢と無縁な距離にいるのだ。
 
「今は我慢だ。我慢こそが真の強さだ。お前を見ていると、熱くなるばかりで、燃え盛る火のようだ。火ではなく水だ。澄み切った水のような剣。水のような澄み切った心でなければならぬ」
 
自分の剣の修行のことしか頭にない香川に対する、厳しくも、原田の心のこもったアドバイスである。
 
「とうとう、俺の夢が叶った」
 
情勢が一変し、伯耆藩への剣術修行が叶えられた香川の歓喜の思いが、姉・由紀との婚礼間近な木村への、この一言に表現されていた。
 
木村に別れを告げ、姉・由紀に見送られながら、「春の祝言には戻ってまいります」と言い添えて、香川は旅立っていく。
 
しかし、香川の伯耆藩への剣術修行は、相互に憎み合う公儀剣術指南役の松宮を、香川に暗殺させたことにすることで、公儀が因幡藩にやって来る一両日中までに事態を処理しようと図る荒木・舟瀬らの画策だった。
 
要するに、因幡藩の安泰を保証する唯一の手段として、香川一人を犠牲にする酷薄な手立てを講じたのである。
 
そこに、旅立っていく香川の嬉々とした表情と、藩を守るために講じた手立てに煩悶する荒木の表情が対比的に映像提示されていた。
 
既にこの時点で、城代家老・荒木から松宮への暗殺の命令が、原田に下っていた。
 
そして、闇の中での斬り合いによって、松宮を斃す原田。
 
原田の任務が終焉した瞬間である。
 
少なくとも、原田はそう考えた。
 
ところが、その松宮の死体の傍らに、香川が失くした姉からのお守りが、何者かによって置かれるに至る。
 
何者かとは、荒木・舟瀬らの画策によって動く因幡藩士の面々だった。
 
この陰謀を、松宮を斃した原田が荒木から聞かされ、煩悶を深めるばかりだった。
 
「松宮は新陰流の使い手。無頼の徒に斬られるわけがない。さすれば、松宮殺害のわけを私恨によるものとするには香川しかおらぬではないか。藩を守るためには致し方ないことだ」
 
この時、原田自身が犠牲になると申し出るが、それをきっぱりと否定する荒木の次の一言は、この映画の本質を衝くものだった。
 
「そなたの藩での立場をよく考えてみよ。咎(とが)を背負えば、公儀の追及は藩にまで及ぶことは必定。藩はどうなる。そなたの気持ちはよく分る。しかし、ここは耐えよ。藩のため。いや、民のためだ」
 
藩命に逆らえない自分の立場を理解するが故に、この荒木の上意(上位の者からの命令)に無言を貫く原田。
 
松宮への暗殺の際に、命のやり取りをする剣を磨いていた原田は今、裸身を水で清めるのだ。
 
 

人生論的映画評論・続蠢動 -しゅんどう-(‘13) 三上康雄 「人間道」によって削がれる「武士道」の脆弱さ ―― 本格派時代劇の醍醐味)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/07/13_19.html