百円の恋(‘14)  武正晴 <ノーサイドに収斂される「戦う女」の疾走感>

イメージ 11  追われるように、「32歳の自立」を立ち上げた女の心許なさ
 
 
 
30歳過ぎても働かず、弁当屋の実家に引きこもり、締まりがない日常性を延長させている斎藤一子(いちこ/以下、一子)が、そのニート然とした生活を途絶するに至ったのは、子連れ出戻りの実妹・二三子(ふみこ)との軋轢(あつれき)が顕在化したからであった。
 
原因は、母親に促されても、治療半ばの歯医者に行こうともしない一子の自堕落さに、二三子が腹を立てたこと。
 
「あんた、誰のお金で歯医者行ってるの。今、幾つよ。親に歯医者行けって言われる年じゃねぇだろ。何考えてんだっつぅの!あんた、親の年金、狙ってんでしょ。あんたみたいなのはね、親が死んでも平気で死体隠すブタになんだよ」
 
一週間前から同居する二三子の、この激しい感情含みの挑発的言辞で、一子は切れ、取っ組み合いの大喧嘩になってしまった。
 
現実の生活の厳しい臭気を体感している二三子と、弁当屋の手伝いすらしないで日常性を繋いでいる一子との衝突は、殆ど約束された出来事だった。
 
「二人とも、出て行きなさい!」
 
この母親の言葉で、一子自らが家を出ていくことになる。
 
傍らに父親がいるのに、何もできない無力さ。
 
この辺りに、一子の我儘な性格の一因が読み取れる。
 
かくて、家を出ていく一子だが、当面の生活費を母親からもらう依存ぶりだった。
 
その一子はアパートを借り、コンビニの深夜営業の仕事を得て、物理的にはニート然とした生活を脱却することになるが、一子にとって安楽な居場所を失ったものの埋め合わせを具現するのは容易ではない。
 
一子と面接した店長はうつ病で退職、そして全店員とミクシィのマイミクとなっているというほど、病的なほどお喋りな中年店員の野間や、廃棄処分される焼きうどんを盗みに来る元店員の池内、更に、ボクシングジムで厳しい練習に励みながらバナナを買いに来る狩野など、多彩な顔ぶれに囲まれて、心もとない「32歳の自立」を立ち上げた一子の物語は、コメディラインの基調で開かれていく。
 
まるでそこは、社会の底辺に蝟集(いしゅう)する者たちの住み処のようだった。
 
そんな一子が、思いがけないことに、密かに意識していた狩野からデートに誘われる。
 
軽トラックでの最初のデートの行き先は、閑散とした動物園だったが、その間、全く会話がない。
 
だから、一子から話しかける。
 
「あの、どうして私なんかを・・・」
「ライオン行こう・・・断られないような気がした」
 
これだけだったが、「盛り上がらねぇな」という狩野の呟きが捨てられていた。
 
これが、一子の最初のデートの風景だった。
 
特段に落ち込んだりしていない一子の店に、バナナを買いに来た狩野が、金の代わりに残していったのは、ボクシングの試合のチケット。
 
そこには、スーパーライト級(ウェートは61.235~63.503kg)の6R戦に出場する狩野の名前があった。
 
その試合を観戦する中年店員の野間と一子。
 
序盤、試合は相手をロープに追い詰める狩野にとって有利に運んでいたが、一転して相手の逆襲で二度のダウンを食らい、KOされるに至った。
 
その試合を真剣に凝視する一子。
 
控え室から狩野が出て来るのを待つ野間と一子は、その狩野を交えて中華料理店で会食する。
 
「痛い?殴られると」と一子。
「最初はそうでもなかったけど、すげぇ痛ぇ。もう、今日で終わりだけどな。定年だから37で」と狩野。
「辞めてどうするんですか?」
「働くに決まってんじゃん」
「お友達なんですか?相手の人」
「何で?」
「肩、叩き合っていたから」
 
ボクシングのルールを全く知らない一子に不必要なまでに言語介入し、減らず口を叩く野間にボディを浴びせ、「憎まねぇと殴れねぇだろ」と吐き出し、一子がトイレに行っている間に、一人で店を後にする狩野。
 
一子に惚れられ、嫌々ながら付き合っているなどという、野間の虚言を狩野が信じたからである。
 
野間が一子をラブホテルに連れ込み、彼女の処女を強引に奪うという忌まわしきレイプ事件が起こったのは、その直後だった。
 
怒りを抑えられない一子は、その場で警察に、「強姦されました。犯人は寝てます」と通報する。
 
警察に捕捉されなかった野間が、店の金を盗んで逃走する事件が起こったが、今や、一子にとって、そんなことはどうでもいいことだった。
 
このときの一子には、自分を置き去りにした狩野のことしか頭になかったからである。
 
だから、狩野が通っている青木ボクシングジムを訪ねるが、そこにはもう、彼はいなかった。
 
一子が青木ジムでボクシングのトレーニングをするようになったのは、殆ど事態の成り行きと言っていい。
 
32歳という年齢制限をジムの会長に言われた一子は、それでも、ボクシングのトレーニングに向かっていくが、当然ながら、なかなか上達しない。
 
コンビニの店員たちから、「バナナマン」と揶揄される狩野が店内で吐き下したのは、そんな折だった。
 
路上で酔いつぶれ、ゴミ袋の山に寝転んでいる狩野を、一子が自分のアパートの部屋で介抱する行為は、狩野を想う一子にとって自然な流れと言っていい。
 
「何で俺に」と狩野。
「困ってそうだったんで」と一子。
「お前、あいつの女なんだろ?」
 
「あいつ」とは野間のこと。
 
「違う。あの人は違います!もし良かったら、いていいんです。嫌だったら、鍵はポストに」
 
野間との一件を頑として否定する一子には、不器用な説明しかできないのである。
 
狩野を部屋に残して、一子はジムに通う。
 
そこでのトレーニングは、ミットを打ったり、シャドーボクシングを繰り返すもの。
 
この馴れない練習の中で風邪を引き、疲弊し切った一子は熱を出し、彼女を待っていたかのように、狩野が肉の料理を作って、それを彼女に食べさせるのだ。
 
食べながら、突然、一子は泣き出してしまう。
 
狩野の優しさが、一子の情感を揺さぶったのである。
 
今まで経験したことがない特定他者からの親密なストローク(存在認知)を受けたことで、思わず、相手の体に身を預けてしまう一子。
 
二人が結ばれたのは、関係の自然な流れだった。
 
「ボクシングやってんのか?」
「この間から」
「何で?」
「さあ」
 
寝床の中の二人の会話である。
 
狩野が豆腐屋の仕事にありついたのは、その翌朝だった。
 
だから、その夜の食事が豆腐三昧だったのは言うまでもない。
 
しかし、一緒に豆腐を売り歩く若い女のもとに狩野が入り浸りになってしまう。
 
「どうして帰って来ないの?」
 
豆腐屋を売り歩く二人に問い詰める一子だが、無視されてしまうのだ。
 
この一件以降、一子がボクシングに向かう激情は、突沸(とっぷつ)するかのように炸裂していく。
 
彼女の心理分析は後述するが、全て他人のせいにせず、一人の人間の心理と行動を丁寧に描くシーンは素晴らしい。
 
観ていて、震えが走るほどだった。
 
もう、そこには前半のコメディ含みの展開は払拭されていた。
 


人生論的映画評論・続
百円の恋(‘14)  武正晴 ノーサイドに収斂される「戦う女」の疾走感>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/09/14_27.html