1 主君への絶対忠義を果たし得ていない男に被さる苛酷な負荷
明治5年、秋。
悪夢で目が覚めた男は、13年前(安政7年)の婚礼のことを想起する。
彦根から嫁いで来た妻・セツと結ばれた日のことである。
「末永く世話になる。よろしく頼むぞ」
美貌のセツと対面し、笑みを浮かべながら挨拶する。
幸福を約束された新婚夫婦の誕生だった。
男の名は志村金吾(以下、金吾)。
彦根藩の下級武士である。
井伊直弼の警護に当たる役務だった。
「余を守るか?」と井伊直弼。
「命に換えましても」と金吾。
水戸浪士(水戸藩からの脱藩者)を中心とする尊王攘夷運動が荒れ狂う中、道場で腕を競いあった親友・内藤新之助(以下、新之助)に、「政(まつりごと)はどうあれ、俺は殿が好きだ」と吐露した金吾が人生最大の受難に被弾したのは、この年の3月3日だった。
「その身が尽きる時までは、懸命に生きよということよ」
大きく笑いながら、金吾に向かって放たれた井伊直弼の言葉である。
警護の者たちは、全員に雨合羽を着用し、刀の柄(つか)、鞘(さや)ともに袋を付けさせられていた。
供侍(ともざむらい)が濡れていては、「殿が恥をかく」という理由である。
水戸浪士たちによる襲撃事件が起こったのは、一人の侍の訴状を金吾が預かろうとした瞬間だった。
ところが、金吾は訴状の浪士と斬り合い、逃げる浪士を追い駆けて行くことで、肝心の主君の警護から離れてしまった。
この時、金吾が訴状の浪士を追ったのは、「神君家康から拝領した槍」を奪われたからである。
これが、水戸浪士らの戦略だった事実を、金吾が知る由もなかった。
井伊直弼が殺害されたのは、その直後だった。(金吾も訴状の浪士も架空の人物だから、このエピソードは史実ではない)
それを見て、驚愕する金吾。
当然の如く、この「桜田門外の変」(以下、「桜田騒動」)で主君を守れなかった金吾に対し、首席家老・本多昌衛門は、「もはや、切腹など許されぬぞ!水戸浪士どもの首の一つでも上げて、殿の御墓前に首を供えよ」と厳命する。
金吾の両親が身代わりになり、自害した行為に免じて打ち首を取り下げるが、「武士の誇り」を持つ金吾にとって、ある意味で、切腹より重い処罰だった。
公儀隠密の調べで、生き残った5人の水戸浪士の殺害を命じられ、今や、全てを喪った金吾の選択肢は、それを受け入れる以外になかった。
「短い間であったが、世話になった。そなたは彦根の実家に帰れ」
金吾は妻・セツへの離縁を迫ったが、セツはこの下命を確信的に拒絶する。
「帰りませぬ。御下命であれば、殿から頂いたも同じ。それをやり遂げるのが武士ではございませぬか。ご本懐をお遂げるになるまでは、お傍に置いて頂きます」
かくて、妻・セツの思いを受け止めた金吾の艱難(かんなん)な戦いが開かれていく。
明治の世になっても、袴姿・月代(さかやき)・髷(まげ)・二本差を身につけた金吾は、「桜田騒動」に関する「旧評定所の記録」を求めて、司法省の秋元和衛警部(以下、秋元)を訪れるが、会うこともままならず成果はなかった。
以下、金吾の回想シーン。
「桜田騒動」から半年経っても、水戸浪士たちは見つからず、金吾の任務は延長される。
この時点で、残りの水戸浪士たちは4人となり、「一人でもいいから首をあげて来い」と厳命されるのだ。
この時点で、残りの水戸浪士たちは3人。
切腹を願い出ても、金吾の申し出を家老に拒まれる始末。
慶応4年 江戸無血開城。
残り2人となった。
そして、明治元年 江戸を東京と改称。
その二人のうち、一人は、既に鬼籍に入っていた。
残る一人の名は、佐橋十兵衛。
1871年のことである。
時代の変化は加速するのだ。
「桜田騒動」から13年の月日が流れていたが、「騒動」の記憶が脳裏に張り付き、自我の底層に奥深く粘着している者など、金吾の他に誰もいないようだった。
しかし、どうしても山門前で足を止め、墓前まで行くことはできなかった。
主君への絶対忠義を果たし得ていないからである。
いよいよ、男に被さる苛酷な負荷が累加されていくのだ。
2 自らを曝け出すことで、何某かの浄化を希求する「全身武士」の男の懊悩
一方、直吉と名を変えて、佐橋十兵衛(以下、十兵衛)は車夫になっていた。
先の井伊直弼の墓前がある寺院の山門で、金吾と同様に手を合わせていた男でもあった。
彼の内面の時間もまた、13年前の「桜田騒動」によって止まっていたのか。
だから、自分を世話してくれる出戻りのマサがいても、所帯を持ち得ないようだった。
そのマサの娘・チヨに慕われている十兵衛は、正月でも人力車を引く勤勉さが際立っていた。
そんな男を、今なお、探している金吾が訪ねたのは「東京横浜新聞社」だった。
かつての幕臣が多く勤務していると聞き及んだからである。
しかし、明治初期の政局の混乱に追われる新聞記者・財部豊穂から、全く相手にされなかった。
「これからの日本は、万国公法(国際法のこと)のもとで外国と渡り合わねばならぬのだ。今さら、幕府だの、水戸家など、古いことを言っておっては、いつまで経っても文明国と認めてもらえぬぞ」
これが、説得力のある財部の言辞だった。
「姿形は変わろうと、捨ててはならぬものがある。それも文明ではござらぬか」
これが、「武士の誇り」を堅持する金吾の言辞だった。
一方、酒場で働きながら、金吾の生活を支えるセツにとって、夫婦の何気ない日常性だけが至福のひとときである。
酒場の女中に字を教えたお礼にもらった、西洋のお守りである「ミサンガ」をつけるセツは、この「ミサンガ」に夫婦の幸福の継続を託しているようだった。
その紐が切れたときに願いが叶うという「ミサンガ」の話を、夫に楽しそうに話すセツの至福の時間を心から感受し、それを限りなく伸ばそうと思ったであろう金吾。
これが功を奏し、金吾のもとに秋元から書状が届き、秋元家に自宅に出向くように求めたもの。
その事実をセツに話す金吾の重い表情には、「仇討」が遂行した折りのセツの思いの辛さが想像できるからである。
人生論的映画評論・続/柘榴坂の仇討(‘14) 若松節朗 <<人生に決着を付けに行った「全身武士」の男に広がる、反転的風景の鮮やかさ>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/10/14_20.html