1 身体と精神を鍛え、残酷さに馴れる訓練を繋ぐ兄弟の苛酷な情況性
「今は戦争中。1944年8月14日。あの夜、こっそり聞いていた。お父さんは言う。“双子は目立つ。二人を引き離そう” お母さんは泣く。僕らは泣かない。僕らは絶対に離れない。お互いが必要なんだ」
その会話から、ハンガリーのケーセグ市の生まれと思われる、双子の兄弟が書いた日記の書き出しである。
「戦争で離れてても、私たちは家族だよ。お前たちのことが知りたい」と言われて、尊敬する軍人の父から渡された一冊の大きなノート。
その父と別れる直前、ノートに記した双子の兄弟は、祖父を毒で殺したと言われている世間の噂から、「魔女」と呼ばれる田舎の祖母の元に、母親に連れられて来た。
「他の子供は?メス犬なら何匹も産むだろ。水に沈めて殺したのかい?」
20年間、音信不通にしていた祖母の反応は冷ややかなものだった。
明らかに、母娘関係が険悪だったということが判然とする。
「強くなってね。迎えに来るまで生き延びて。何があっても、勉強は続けるのよ」
双子の息子たちへの、母の別れの言葉である。
「タダ飯なんぞ食わせないよ。働いてもらう」
辛辣な祖母の言葉で迎えられた双子の兄弟が、まさにその言葉通り、「メス犬の子供、働きな」と命じられ、酷使される日々を繋いでいく。
「僕らは決められた仕事が課せられた。できないと叩かれる。お母さんとの約束だ。勉強して、お父さんのノートに日記を書く。見聞きしたことは、全部ノートに書く。表現の良い悪いは関係ない。決まりは一つ。“真実” を書くこと」(日記より)
また、常にコルセットを首に巻く、収容所の司令官・ドイツ将校が離れに泊まりに来て、週末に住むに至った。
「川の向こうは別の国。鉄条網に近づくと見張りに撃たれる。今は戦争中だ。人間が互いに殺し合う」(日記)
町の市で果実や野菜を売る祖母の手伝いをする双子の兄弟が、りんごを盗んだ兎唇(みつくち)の少女を追い駆け、逆に泥棒扱いされ、大人から折檻されるに至った。
「体を鍛えることにした。痛くても泣かずに我慢する」と日記に書いたのは、この一件や、祖母の折檻から、兄弟が身を守る唯一の方法であると考えたからだった。
「痛くない。痛くない!」と言いながら、互いに平手打ちや鞭打ちをし合い、相手が倒れるまで殴り合うのだ。
だから、祖母の折檻に対して「痛み」の免疫が生まれ、「もっと殴れよ」と反抗し、祖母を部屋に閉じ込めてしまうのである。
「隣の家の女の子は、何でも盗んでいく」(日記)ので、「何度も追い払って来た。僕らは懲らしめる」(日記)という日常性が常態化するが、この「隣の家の女の子」こそ、りんごを盗んだ兎唇の少女だった。
この少女の盗みが、「目と耳の不自由な母」を持つが故の行為である事実を知ったことで、一転して親友になり、爆弾さえも怖がらない「盗みの連帯」が作られていく。
村人たちの前で、子供たちができる余興をしてチップをもらうのだ。
目隠しをしたり、耳を塞いだりする兄弟の訓練の目的は、空襲に備えるため。
この苛酷な状況下で、兄弟が恐怖に馴れていくには、このような原始的方略しかないのだろう。
「駅へ行っても、お母さんは現れない。もう来週から、駅に行くのをやめよう」(日記)
そんな兄弟が、森の中で、飢えで苦しむ一人の兵士を救おうと食べ物を運んで来たものの、既に、動かぬ死体になっている現実を目の当たりにしたのは、厳しい冬がやってきたときだった。
その兵士から銃とカバンを盗んだ行為によって、「あの兵隊より、長く空腹に耐えてやる」という意志に結ばれ、兄弟の攻撃的自己防衛を、より強化させていく。
だから、祖母が鶏肉を目の前で食べていても、「頑張るぞ」という行為に振れていくのだ。
「一つ発見した。休みなく働けば凍えない」と言って、必死に薪割りする兄弟。
「“可愛い子供たち。あなたたちに会いたい・・・絶対に迎えに行くわ。約束する。元気でいてね”」
長い間、待っていた母からの手紙を読んで感極まる兄弟。
同時に、母から贈られてきた暖房着を隠そうとする祖母から、それを奪い取った兄弟は、「お母さんを忘れなきゃ」と言って、走り去っていく。
「思い出すと、心が痛む」(日記)からである。
ここから、兄弟の“精神を鍛える訓練” が開かれていく。
母の手紙と写真を焼却した後、祖母を恫喝し、鶏を焼却させる兄弟。
“残酷さに馴れる訓練” である。
次々に、生き物を殺す兄弟の行為が離れのドイツ将校に知られ、賞賛されるのだ。
それでも、飢えに馴れる訓練には限界がある。
そんな兄弟が、司祭館で働く女から「美少年」と思われ、混浴することで飢えを凌いでいくのだ。
「“汝、殺すなかれ” って言うけれど、皆、殺してる」
兄弟が司祭に問うた言葉である。
兄弟にとって、「皆、殺してる」状況下で、この行為は正義の鉄槌(てっつい)だったのだ。
しかし、この行為が治安当局に知られ、兄弟は拷問を受けるが、離れに住む同性愛嗜好のドイツ将校に救済されるに至る。
「僕らは鍛えているから強い。二人が引き離されるのが一番こたえる。死ぬほどつらい」(日記)
戦争が終わり、「別の軍隊がやってきた。外国の言葉を話している。おばあちゃんは言う。奴らは侵入者で、何でも盗んでいくと。なのに、みんなは彼らを“解放者”と呼ぶ」(日記)
明らかに、“解放者”がソ連の軍隊を示しているのに、この映画は、固有名詞を限りなく排除しているから、ここでも、それを問わない。
更に、その“解放者”によって、「お姉さん」と呼ぶ兎唇の少女が強姦死し、理不尽な事件の衝撃で死を望む少女の母親の意を汲み取り、少女の遺体もろとも、兄弟の幇助によって、家屋を燃やし尽くすシーンを、この映画は淡々と提示するのみ。
因みに、「目と耳の不自由な母」と言う少女の言葉は、同情を買うための嘘だったのである。
まもなく、赤ん坊を連れた兄弟の母親が、他の男と忙しなく現れて、兄弟を連れて亡命を図ろうとするが、それを拒否する兄弟。
「私の息子たちを返して」と母。
「別に引き留めてないよ」と祖母。
いつしか、「魔女」を「おばあちゃん」と呼ぶようになった兄弟の変化は、かつて、あれほど待ちに待った母の迎えを拒否する行為に振れていくのだ。
赤ん坊を連れた母親が、投下された爆撃によって命を落としたのは、この押し問答の最中だった。
「メス犬」と呼ぶ娘の死を丁重に埋葬する祖母の行為こそ、「魔女」から「おばあちゃん」と呼ぶようになった兄弟の変化の根柢にあることが判然とする。
しかし、その祖母も、兄弟が心置きなく身を寄せる「安全基地」の役割を担えなくなってくる。
「おばあちゃんが倒れた。仕事は全部僕らがやる」(日記)
脳卒中の発作を起こして倒れた祖母が兄弟を呼び寄せ、次に発作を起こしたら、牛乳に毒を注入して欲しいと切に頼むのである。
「それが望みなら、やるよ」と兄弟。
そんな折、捕虜になっていたと言う父親が姿を現す。
妻の遺体を掘り起こし、赤ん坊の存在を知る父親。
この兄弟の父親の話から、娘の孫を預かりながら、祖母は自分の娘に「夫」がいた事実を初めて知るのである。
20年間もの音信不通による、冷え冷えとした母娘の疎遠な関係の重みが観る者に伝わってくる。
そして、その日がやって来る。
祖母の発作と、牛乳に毒を注入しての死の幇助である。
母の隣の墓に埋めるのだ。
人生論的映画評論・続/悪童日記(’13) ヤーノシュ・サース <外部環境の暴力的な圧力を突破する兄弟の自立化の物語>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/11/13.html