悪童日記(’13) ヤーノシュ・サース <外部環境の暴力的な圧力を突破する兄弟の自立化の物語>

イメージ 11  身体と精神を鍛え、残酷さに馴れる訓練を繋ぐ兄弟の苛酷な情況性
 
 
 
 
「今は戦争中。1944年8月14日。あの夜、こっそり聞いていた。お父さんは言う。“双子は目立つ二人を引き離そう” お母さんは泣く。僕らは泣かない。僕らは絶対に離れない。お互いが必要なんだ
 
その会話から、ハンガリーのケーセグ市の生まれと思われる、双子の兄弟が書いた日記の書き出しである。
 
「戦争で離れてても、私たちは家族だよ。お前たちのことが知りたい」と言われて、尊敬する軍人の父から渡された一冊の大きなノート。
 
その父と別れる直前、ノートにした双子の兄弟は、祖父を毒で殺したと言われている世間の噂から「魔女」と呼ばれる田舎の祖母の元に、母親に連れられて来た。
 
「他の子供は?メス犬なら何匹も産むだろ。水に沈めて殺したのかい?」
 
20年間、音信不通にしていた祖母の反応は冷ややかなものだった。
 
明らかに、母娘関係が険悪だったということが判然とする。
 
「強くなってね。迎えに来るまで生き延びて。何があっても、勉強は続けるのよ」
 
双子の息子たちへの、母の別れの言葉である。
 
「タダ飯なんぞ食わせないよ。働いてもらう」
 
辛辣な祖母の言葉で迎えられた双子の兄弟が、まさにその言葉通り、「メス犬の子供、働きな」と命じられ、酷使される日々を繋いでいく。
 
僕らは決められた仕事が課せられた。できないと叩かれる。お母さんとの約束だ。勉強して、お父さんのノートに日記を書く。見聞きしことは、全部ノートに書く。表現の良い悪い関係ない。決まりは一つ。“真実” を書くこと」(日記より)
 
また、常にコルセットを首に巻く、収容所の司令官ドイツ将校が離れに泊まりに来て、週末に住むに至った
 
川の向こうは別の国。鉄条網に近づくと見張り撃たれる。今は戦争中。人間が互いに殺し合う」(日記)
 
町の市で果実や野菜を売る祖母の手伝いをする双子の兄弟が、りんごを盗んだ兎唇(みつくち)の少女を追い駆け、逆に泥棒扱いされ、大人から折檻されに至った。
 
「体を鍛えることにした。痛くても泣かずに我慢する」と日記に書いたのは、この一件や、祖母の折檻から兄弟が身を守る唯一の方法であると考えからだった。
 
痛くない。痛くない!」と言いながら互いに平手打ちや鞭打ちし合い、相手が倒れるまで殴り合うのだ。
 
だから祖母の折檻に対して「痛み」の免疫が生まれ、「もっと殴れよ」と反抗し、祖母を部屋に閉じ込めてしまうのである。
 
「隣の家の女の子は、何でも盗んでいく」(日記)で、「何度も追い払って来た。僕らは懲らしめる」(日記)という日常性が常態化するが、この「隣の家の女の子」こそ、りんごを盗んだ兎唇の少女だった。
 
この少女盗みが、「目と耳の不自由な母」を持つが故の行為である事実を知ったことで、一転して親友になり、爆弾さえも怖がらない「盗みの連帯」が作られていく。
 
村人たちの前で、子供たちができる余興をしてチップをもらうのだ。
 
目隠しをしたり、耳を塞いだりする兄弟の訓練の目的は、空襲に備えるため。
 
この苛酷な状況下で、兄弟が恐怖に馴れていくには、このような原始的方略しかないのだろう。
 
「駅へ行っても、お母さんは現れない。もう来週から、駅に行くのをやめよう」(日記)
 
そんな兄弟が、森の中で飢えで苦しむ一人の兵士を救おうと食べ物を運んで来たものの、既に、動かぬ死体になっている現実を目の当たりにしたのは、厳しい冬がやってきたときだった。
 
その兵士から銃とカバンを盗んだ行為によって、「あの兵隊より、長く空腹に耐えてやる」という意志に結ばれ、兄弟の攻撃的自己防衛をより強化させていく。
 
だから、祖母が鶏肉を目の前で食べていても、「頑張るぞ」という行為に振れていくのだ
 
「一つ発見した。休みなく働けば凍えない」と言って、必死に薪割りする兄弟。
 
「“可愛い子供たち。あなたたちに会いたい・・・絶対に迎えに行くわ。約束する。元気でいてね”」
 
長い間、待っていた母からの手紙を読んで感極まる兄弟。
 
同時に、母から贈られてきた暖房着を隠そうとする祖母から、それを奪い取った兄弟は、お母さんを忘れなきゃ」と言って、走り去っていく
 
思い出すと、心が痛む(日記)からである。
 
ここから、兄弟の“精神を鍛える訓練” が開かれていく
 
母の手紙と写真を焼却した後、祖母を恫喝し、鶏を焼却させ兄弟
 
“残酷さに馴れる訓練” である。
 
次々に、生き物を殺す兄弟の行為が離れドイツ将校に知られ、賞賛されのだ。
 
それでも、飢えに馴れる訓練には限界がある。
 
そんな兄弟が、司祭館で働く女から「美少年」と思われ、混浴することで飢えを凌いでいくのだ。
 
しかし、司祭館の女は、兄弟に親切なユダヤ人の靴屋を密告するような女でもあった。
 
その結果、ユダヤ人の靴屋はハンマーで殴殺されるに至る。
 
それを目の当たりにした兄弟が、「ユダヤは獣よ」と罵(ののし)る司祭館の女を、兵士の死体から盗んだ手榴弾をストーブに入れ、女への殺害未遂という行為に結ばれたのは、その直後だった。
 
「“汝、殺すなかれ” って言うけれど、皆、殺してる」
 
兄弟が司祭に問うた言葉である。
 
兄弟にとって、「皆、殺してる」状況下で、この行為は正義の鉄槌(てっつい)だったのだ
 
しかし、この行為が治安当局に知られ、兄弟は拷問を受けるが、離れに住む同性愛嗜好のドイツ将校救済されるに至る。
 
僕らは鍛えているから強い。二人が引き離されるのが一番こたえる。死ぬほどつらい」(日記)
 
戦争が終わり、「別の軍隊がやってきた。外国の言葉を話している。おばあちゃんは言う。奴らは侵入者で、何でも盗んでいくと。なのに、みんなは彼らを“解放者”と呼ぶ」(日記)
 
明らかに、“解放者”がソ連の軍隊を示しているのに、この映画は、固有名詞を限りなく排除しているから、ここでも、それを問わない。
 
更に、その“解放者”によって、「お姉さん」と呼ぶ兎唇の少女が強姦死し、理不尽な事件の衝撃で死を望む少女の母親の意を汲み取り、少女の遺体もろとも、兄弟幇助によって、家屋を燃やし尽くすシーンを、この映画は淡々と提示するのみ。
 
因みに、「目と耳の不自由な母」と言う少女の言葉は、同情を買うための嘘だったのである。
 
まもなく、赤ん坊を連れた兄弟の母親が、他の男と忙しなく現れて、兄弟を連れて亡命を図ろうとするが、それを拒否する兄弟
 
「私の息子たちを返して」と母。
「別に引き留めてないよ」と祖母。
 
いつしか、「魔女」を「おばあちゃん」と呼ぶようになった兄弟の変化は、かつて、あれほど待ちに待った母の迎えを拒否する行為に振れていくのだ
 
赤ん坊を連れた母親が、投下された爆撃によって命を落としたのは、この押し問答の最中だった。
 
「メス犬」と呼ぶ娘の死を丁重に埋葬する祖母の行為こそ、「魔女」から「おばあちゃん」と呼ぶようになった兄弟の変化の根柢にあることが判然とする。
 
しかし、その祖母も、兄弟が心置きなく身を寄せる「安全基地」の役割を担えなくなってくる。
 
「おばあちゃんが倒れた。仕事は全部僕らがやる」(日記)
 
脳卒中発作を起こして倒れた祖母が兄弟を呼び寄せ、次に発作を起こしたら、牛乳に毒を注入して欲しいと切に頼むのである。
 
「それが望みなら、やるよ」と兄弟
 
そんな折、捕虜になっていたと言う父親が姿を現す。
 
妻の遺体を掘り起こし、赤ん坊の存在を知る父親
 
この兄弟の父親の話から、娘の孫を預かりながら、祖母は自分の娘に「夫」がいた事実を初めて知るのである。
 
20年間もの音信不通による、冷え冷えとした母娘の疎遠な関係の重みが観る者に伝わってくる。
 
して、その日がやって来る。
 
祖母の発作と、牛乳に毒を注入しての死の幇助である。
 
の隣の墓に埋めるのだ

 
 
 人生論的映画評論・続悪童日記(’13) ヤーノシュ・サース 外部環境の暴力的な圧力を突破する兄弟の自立化の物語>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/11/13.html