1 「心に残るのは、あの少年の日に愛した女(ひと)だけ。マレーナ・・・」
軍の宣伝カーから開かれる物語は、少年時代を回想する主人公・レナートのナレーションに結ばれる。(因みに、カステルクルトは架空の町)
「初めて彼女を見たのは、1940年のある春の日。私は12歳半だった。あの日、イタリアは英仏に宣戦布告。私は初めての自転車を手に入れた。町中の人々は参戦を喜んでいた」
半ズボンをはいた、このレナート少年の視線によって語られる物語は、参戦によって沸き立つカステルクルトの町民の熱気を映し出し、自転車に乗って、その時代の空気を共有する少年の、決して忘れ得ない回想シーンに繋がっていく。
そのマレーナが通るカステルクルトの海岸線の一本道の堰堤に蝟集(いしゅう)して、町の年長の少年たちと、彼女を凝視し続け、彼女の後を追い駆けていく。
「ヤリてえよ。結婚してなけりゃな」などと大口を叩く年長の少年。
それが、思春期前期の少年たちの、どこにでもあるごく普通の風景だった。
ところが、夫が出征しているマレーナに対するレナートの想いは、他の少年たちより膨張し過ぎていた。
「半ズボンじゃ恥ずかしいよ」
だから、父親の長ズボンを勝手にお直しして折檻されても、自分の思いを吐き出すのである。
この程度なら、ごく普通の「思春期スパート」(第二次性徴期)の範疇の行為と言えるかも知れない。
ところが、レナートの行為は些か常軌を逸していた。
マレーナの家の中を、壁穴から覗くというストーキング行為に振れていくのだ。
愛する夫のフォトスタンドを抱き締め、甘いメロディに合わせて、一人で踊るマレーナ。
そのレコードを買って来て、それを自室で聴きながら、自慰行為をし、妄想の世界で愉悦するレナート。
町中の男たちの視線を一身に集めるが故に、女たちからの嫉妬の視線が、「アバズレ。品の悪い女」という悪意に変換されていくのもまた、男と女の自然の摂理でもある。
「マレーナに情夫がいる」
この根拠のない噂が、女たちの悪意の根柢にある。
これも、よくあることだ。
女たちの悪意の膨張とは裏腹に、その時、マレーナは愛する夫の死に衝撃を受け、ベッドに横たわり、咽び泣いていた。
その事実を、レナートだけが知っている。
「僕があなたを守ります。永遠に。大人になるまで待って」
咽び泣くマレーナに向かって吐露するレナート。
無論、少年の妄想である。
以降、未亡人となったマレーナに、町の人々の好奇の視線が集中したのは言うまでもない。
日常的な会話を繋いで来なかった彼女の生き方に起因するが故に、マレーナに対する噂の大半が、「浮気して好き放題やっている」という、悪意に満ちたものになるのは必至だった。
だから、レナートの思いが、マレーナを守ろうとする行為に走るのも当然だった。
喪服に身を包むマレーナへの悪口を言う者に投石し、自転車で疾走するレナート。
13歳にも満たない少年には、この程度のことしかできないのだ。
そんなレナートが、例の壁穴からファッシスト党のカディ中尉と浮気する現場を目撃し、衝撃を受ける。
一切は、遺族年金を減らされ、生活の糧を失った未亡人の、それ以外にない生存戦略だった。
更に、歯医者との浮気が喧伝され、歯医者の妻の提訴で裁判沙汰になっていく。
醜男だが、有能な弁護士を頼んだことでマレーナの裁判は勝訴するが、その代償が件の弁護士に手篭(てご)めにされるという手痛いものだった。
マレーナの置かれた状況が、いよいよ悪化していく。
連合軍がイタリア南部に侵攻して来たことで、シチリア島に避難民が押し寄せて来て、より深刻な食糧不足と病気の蔓延が懸念されるようになる。
この渦中にあって、マレーナの不幸は終わらない。
孤立無援のマレーナが長い黒髪を切り落したのは、その直後だった。
「何て下品なの」
ライトブラウンに染め、町を歩くマレーナへの女たちの視線は、嫉妬というよりも軽侮の感情に満ちていた。
しかし、男たちは違っていた。
それは、堂々と居座るかのようなマレーナの心境の変化を示していた。
だから、男たちにとっては、より近接感が増幅したのだが、同盟国のドイツ兵の進駐によって、彼らを相手にする娼婦になり下がったことで、町の連中の視線が「売国奴」というネガティブなイメージに変換されていく。
誹謗中傷の氾濫の風景に、レナートが衝撃を受けたのは言うまでもない。
「悪魔払い」で息子を正気に戻そうとする母親と、「一発やらせてやればいいんだ!」と反論する父親との対比が強調され、当のレナートが、マレーナに似た商売女と「筆下ろし」をするシーンが挿入されるが、未だ、物語はコメディラインで固められていた。
敗北したドイツ軍に代わって進駐して来たのは、「ハスキー作戦」(シチリア島上陸作戦)による英米主体の連合軍だった。
連合軍を迎える町民たちの熱気が蔓延し、ここから、物語の風景が一変する。
「薄汚い商売はお終いだよ!」
そう言うや、女たちが下着姿のマレーナを引き摺り出し、殴る蹴るの乱暴を働き、挙句の果ては、彼女の髪をズタズタに切り落していく。
明らかに、マスヒステリア(集団狂気)による凄惨なリンチである。(注)
悲鳴を上げるマレーナのその姿を見て、何もできない男たちの中にレナートがいる。
「町から出てお行き!」
女たちのこの最後通告によって、隠れ忍ぶように町を去っていくマレーナと、それを黙って見送るしかないレナート。
右腕を喪っていたが、マレーナの夫は戦死していなかったのである。
妻・マレーナを必死に探すニノ。
「誰も真実を教えられんな」
この言葉は、シチリアの男たちの間で共有されていた暗黙の了解事項だった。
しかし、ニノに幸運がもたらされた。
レナートからの手紙が届けられたからである。
「スコルディーアさん。男らしく会って話す勇気がありません。でも、奥さんの真実を知っているのは僕だけです。町の人々は悪意に満ち、奥さんの悪口しか言おうとしませんが、どうか信じて下さい。マレーナさんは、あなた、ただひとりを愛していました。でも、生きていくために他に方法がなかったのです。最後に見たとき、奥さんはメッシーナ行き列車に。迷いましたが、手紙に僕の名前を書きます。レナートです」
この手紙を受け取ったニノが、愛する妻を探しに行くために、町を去っていくシーンに繋がっていく。
そして、1年後。
右腕を喪ったニノがマレーナを随伴し、町に戻って来たのだ。