狩人の夜(‘55)   チャールズ・ロートン <サイコパスと「性嫌悪障害」を人格の芯と化す男の「妖怪性」>

イメージ 11  「香水の匂い。ひらひらしたレース。巻き毛」を憎む神の名の下で
 
 
 
「偽預言者に気をつけよ。羊の衣を着て近づくが、内側はオオカミである。その果実で彼らを見分けよ。良い木に悪い実はならず、悪い木に良い実はならない。実によって、彼らを見分けるのだ」
 
3人の子供たちを相手に一人の老婆が、聖書の一部を暗唱する冒頭のシーンの中に、物語の骨格が既に提示されている。
 
老婆の名はレイチェル。
 
身寄りのない子供たちを世話する、信仰熱心で奇特な未亡人である。
 
そして、この聖書の暗唱をトレースするように、獲物を狙う「偽預言者」が登場する。
 
「主よ。次は何をすべきでしょうか。すでに何人殺した。6人か、12人か?もう思い出せない。主よ。私は疲れました。時々、本当に分らなくなる。聖書は殺人であふれている。あなたの憎むものがある。香水の匂い。ひらひらしたレース。巻き毛」
 
神への独言の主は、「偽預言者」・ハリー・パウエル(以下、ハリー)である。
 
福音伝道師を装うシリアルキラーである。
 
そのハリーの左手には「HATE」(憎しみ)と書かれていて、ストリップ劇場の踊り子を見ながら、まさに、「香水の匂い。ひらひらしたレース。巻き毛」を憎む神の名の下に、このような女性を殺害した過去の心象が映像提示される。
 
「窃盗で30日の禁固刑」の判決に処せられたハリーのショットの直後に、銀行を襲い、強盗殺人を犯した男・ベン・ハーパー(以下、ベン)が、1万ドルの金を持って、自分の息子・ジョンに対して、金を隠すことを命じるシーンに繋がっていく。
 
「命懸けで妹を守るんだ。金の隠し場所は誰にも言うな」
 
そう言って、ジョンに命じたベンが、警官に逮捕される信じ難い光景を目の当たりにしたジョンの叫びだけが置き去りにされた。
 
そこにジョンの母・ウィラが走り寄って来ても、うつ伏せにされた父の拘束を目撃する衝撃と、秘密の厳守という心の負荷を抱えた少年の現実が陽光の下に広がっていた。
 
そして、その父・ベンが、強盗殺人の罪で絞首刑の判決が下される。
 
1930年代の大恐慌下にある、米国東部・ウェストバージニア州でのことだった。
 
30日の禁固刑を言い渡されたハリーと、絞首刑の判決が下されたベンが同じ監房に入れられるという設定には無理があるが、物語を続ける。
 
ベンから1万ドルの隠し場所を聞き出そうとするハリーは、「幼子が導く」(旧約聖書の一節)というベンの寝言を、「幼子」=ベンの子供たちと推測し、ベンの刑が執行され、ベンの教誨師(きょうかいし)として、今や寡婦となったウィラの家を訪ねていく。
 
右手に刻んだ「LOVE」 (愛)と、左手に刻んだ「HATE」(憎しみ)という文字を利用した巧みな弁舌で、ウィラが務める店を経営するアイシーに取り入ったハリーが、村の仲間とピクニックに出かけ、すっかり信頼を得るが、一人ジョンだけは打ち解けることができなかった。
 
このアイシーが、ハリーとの再婚をウィラに勧め、戸惑いながらも再婚するに至る。
 
「新婚の夜のおぞましい行為を、私がすると思ったか。男に冒涜されてきたイブの肉体。肉体は子を産むためにある。男の快楽のためではない」
 
新婚旅行先のホテルでの、新婦・ウィラに語ったハリーの言葉である。
 
セックスを求める妻に、セックスを拒否する夫・ハリーの心の風景が垣間見える。
 
この一件で、すっかりハリーに洗脳されてしまうウィラ。
 
一方、盗んだ現金をベンが川に沈めたという話で信頼を得たハリーに対して、一貫して疑うジョンは、妹・パールの人形の中に隠した金を、悪意を隠し込んだハリーから守っていく。
 
中々、金の在り処(ありか)を掴めないハリーが、その本性を現わしていくのは時間の問題だった。
 
ハリーの本性を察知したウィラの精神が病んでしまう事態が発生するのだ。
 
そのウィラが、常に肌身離さずハリーが携行しているナイフで刺殺されたのは、ハリーの内側に巣食う、異常なまでの〈性〉に対する嫌悪感と、今や、無用の長物と化したウィラの存在それ自身に起因するだろう。
 
車ごと川に沈められていたウィラの死体を、桟橋の管理人・バーディ老人が発見するが、第一発見者である自分が疑われることを恐れ、動揺を隠せず、アルコール漬けになる。
 
そのバーディ老人に、助けを求めに走って来るジョンとパール。
 
金の在り処を追求するハリーに、思わず、パールが「人形の中」と口に出したことで危機に直面した兄妹は、酩酊(めいてい)するバーディ老人を見限って、必死に追うハリーを振り切りながら、一艘(いっそう)のボートに乗って、川を下って逃げて行く。
 
夜の闇に反射する水面の輝きの中を揺曳しつつ、ジョンとパールが辿り着いたのは、冒頭のシーンで登場した、信仰熱心で奇特な未亡人・レイチェルの施設だった。
 
レイチェルに保護されたことで、この時点で、執拗に追い駆けて来るハリーから身を守ることに成就する。
 
馬に乗って追い駆けて来るハリーが、レイチェルの元に身を寄せるルビーから、ジョンとパールが共に生活している事実を耳にする。
 
ルビーは町に屯(たむろ)する少年たちとのデートを楽しみにする、恋に憧れる思春期後期の少女である。
 
そんなルビーに、本来の「愛」の在り方について説教をするレイチェルの異性観には、我が子の「愛」を失った中年女性の悲哀が垣間見えていた。
 
そのレイチェルの施設に、優雅にも、白馬に乗ったハリーがやって来た。
 
ジョンを見るなり、いきなりナイフで脅すハリーに、ライフルで追い払うレイチェル。
 
「夜になったら戻って来る」
 
捨て台詞を吐き、その場を退散するハリー。
 
そして、夜になる。
 
頼れよ 頼れ
そうすれば 全ての怖れは消える
頼れよ 頼れ
永遠なる主の 御手に 
神との交わり 神の喜び
主の 御手に頼る日は
至福と平和が我が身に
 
月夜の闇に照らされて、レイチェルの庭先で、聖歌・「主の御手に頼る日は」を歌うハリー。
 
そのハリーの歌に、レイチェルは唱和するのだ。
 
この重要なシーンの意味を、どう読み解いたらいいのだろうか。
 
「香水の匂い。ひらひらしたレース。巻き毛」を憎む神の名の下に、このような女性の殺害を繰り返すハリーと、年に一回しか手紙を寄越さない息子の代わりに、「信仰」の名の下に、身寄りのない子供たちに愛情を注ぐことでアイデンティティを確保する、レイチェルの拠って立つ「神」との違いが、「善悪」という分りやすい概念で説明することが可能だが、双方ともに、〈性〉に対する嫌悪感を持つ共通点を考える時、「神」に対する二人の立ち位置が異なっているだけのようにも思える。
                              
そんなメタファーが提示されているのではないか。
 
物語を進める。
 
再び現れたハリーをライフルで発砲し、奇声をあげて逃げて行くハリーは納屋に隠れ込む。
 
その間、レイチェルは警察に連絡するが、警察が現場に到着したのは翌朝だった。
 
「ウィラ・ハーパー殺害」の容疑で、あっさりとハリーは警察に逮捕される。
 
このとき、「やめて!」とジョンが叫んだのは、かつて、警察官によってうつ伏せにされながら逮捕された父の姿が、ジョン少年の脳裏にトラウマとなって刻まれていたからである。
 
「こんなもの要らない!」と叫びつつ、人形に入った一万ドルの札束をばら撒いてしまうのだ。
 
失神したジョンを抱き上げ、家の中に入れるレイチェル。
 
まもなく、福音伝道師を装ったシリアルキラー・ハリーの裁判が始まり、マスヒステリア(集団ヒステリー)と化した群衆の狂気が暴れ捲っていた。
 
まさに、このような群衆こそが、ハリーのハンティングの対象人格になっていくというアイロニーが、そこに映像提示されている。
 

 
 
人生論的映画評論・続狩人の夜(‘55)   チャールズ・ロートン サイコパスと「性嫌悪障害」を人格の芯と化す男の「妖怪性」>
)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/12/55.html