フォックスキャッチャー(‘14) ベネット・ミラー <「自己愛性パーソナリティ障害」 ―― その屈折的自我の心の闇の痛ましき風景>

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1  「国を羽ばたかせたい」という尖り切った熱情の破滅的帰結点
 
 
 
カポーティ」(2005年製作)で度肝を抜かれ、「マネーボール」(2011年製作)で感動させられ、そして、この「フォックスキャッチャー」(2011年製作)では、完璧すぎて絶句させられた。
 
心理描写で埋め尽くされるから、余計な台詞は全くない。
 
これほどの映画と出会った僥倖(ぎょうこう)に感謝の気持ちで一杯である。
 
今や、ベネット・ミラー監督の映画は、絶対に外せない何ものかになった。
 
―― 以下、梗概と批評。
 
「この国について思うことと、なぜ、レスリングをするのか」というテーマで、子供たちを前にして講演する、レスリング競技でのロス五輪(1984年)の金メダリスト・マーク・シュルツ(以下、マーク)の言葉から、物語は開かれる。
 
「金メダルが意味するのは、厳しい自己鍛錬です」
 
この言辞のみの講演シーンの終了後のマークの講演料が20ドル(プラザ合意の後なので、1988年の時点では1ドル=約120円台になり、ドルの価値は半減)と聞き、無表情のマーク。
 
しかも、有名な金メダリストである兄のデイブと間違えられて、自分の名を相手の事務員に確認させるマーク。
 
車内でハンバーガーを食べた後、アパートに帰宅し、そこでインスタントラーメンを割って食べているのだ。
 
説明台詞を一切抜いて、レスリングの金メダリストの生活の一端を提示する、この冒頭のシーンは素晴らしい。
 
株式上場されていて、大統領選の応援演説にレスラーが駆り出されたりするほどのWWE(アメリカのプロレス興行会社)の存在感の大きさを見れば、ファンを熱狂させるエンターテイメントとして人気の高いプロレスに比べると、オリンピックの時のみ注目されるアマレス(アマチュアレスリング)が、アメリカではマイナー競技である事実を、このシーンは端的に表現しているからである。
 
世界選手権に備えて、兄のデイブと訓練を繰り返す日々のマークが、ペンシルベニアにあるジョン・デュポンから連絡を受け、自家用のヘリコプターで招待される。
 
言うまでもなく、ジョン・デュポン(以下、ジョン)とは、世界有数の化学会社であるのみならず、最大の火薬メーカーであるデュポン財閥の御曹司。
 
「私はレスリングという競技に深い愛情を持っている」
 
ジョンの言葉である。
 
ソウル五輪で金メダルが欲しい」
 
マークの言葉である。
 
アメリカは君に栄誉を与えていない。社会的な問題だ。敬意を払うべき者を無視するのは間違いだ。国を羽ばたかせたい。2人で成し遂げよう。偉大なことを」
 
このジョンの言葉の重要性は、本作の肝に当たるので後述する。
 
「この国は、モラルや価値観を失った。道に迷った若者を導くヒーローもいない」
 
2万5000ドルの年俸を提示され、「アメリカの正義の復活」を説くジョンの言葉に決定的な影響を受けた27歳のマークが、嬉々として、兄のデイブに語った言葉である。
 
そのために、兄に協力を求めるのだが、家族を持ち、金にも振れないデイブは、弟を励ますのみ。
 
かくて、ジョンの生活の拠点があるペンシルベニアに移動するマーク。
 
「超一流の名馬を持つデュポン氏の母には関わるな」
 
ジョンの執事に忠告され、了承するマーク。
 
かくて、「父は人生の手本だった」と言うジョンの広大な敷地をバックグラウンドにして、「フォックスキャッチャー」(デュポンの広大な敷地の名)と名付けたトレーニング場でのレスリングの強化トレーニングがスタートする。
 
「デイブは金では動きません」
 
その名の知れたデイブに拘るジョンに、弟のマークが答える。
 
この時点で、ジョンの目的がデイブの参加にある事実が明瞭になる。
 
フランスでの世界選手権でディブの強さを見たジョンが、マークの案内で、妻子のいるデイブが宿泊するホテルの部屋に訪問するが、その場は素っ気なく帰っていく。
 
世界選手権で勝利を収めた選手の面々に、ソウル五輪まで1年余であることを告げ、それを拳銃の発砲で気合を入れるジョン。
 
「君は“デイブの弟”では終わらない。だが、兄だからこそ、弟が追い越すのを決して許さない。君はずっと、兄の影に隠れて生きてきた。今度は、君が脚光を浴びる番だ」
 
そう言って、多額の報酬をマークに渡すジョン。
 
マークもまた、このジョンの指摘を受け入れるのだ。
 
ジョンもマークも、「越えられない距離」にある特定の存在に対して、その感情の多寡の違いがあるにせよ、屈折した思いを持っていることが判然とするシーンである。
 
コカイン常習者のジョンが、マークにコカインを吸引させ、名士が集まる講演会で自分を褒め称(たた)えるスピーチを覚えさせたのは、その直後のシーンだった。
 
馴れない場所での馴れないスピーチ。
 
未だ異和感を覚えるマークだが、自分の生活の全てを支配するジョンの影響力は強化されるばかりだった。
 
マークを相手に訓練するジョンが、シニアのレスリングの試合に出て、勝利するジョンだが、「下品なスポーツ」と母に言われたことで決定的に傷つくのだ。
 
そんなジョンが、母を見返す手段は、唯一つ。
 
デイブを招き寄せることだった。
 
「金で動かない」と信じるデイブが「フォックスキャッチャー」にやって来たことで、マークの心が傷つくのは自明だった。
 
既に、ジョンとの同性愛の関係に踏み入っていたようにも見えるマークにとって、自分の存在が、単に、デイブを招き寄せるための「おとり」でしかなかった現実を思い知らされるのだ。
 
それは、ジョンとデイブの二人に、共に裏切られたことを意味するからである。
 
「兄貴に助けは必要ない。俺のやり方でやる」
 
心配する兄に、怒鳴り返す弟。
 
初めてジムに現れた母に対して、自分が「良きアメリカ」の代表としての、レスリングの優秀なコーチである現場を見せつけるジョン。
 
マークから覇気が削がれ、それが、レスリングの予選の試合での無残な敗北に繋がっていく。
 
ホテルの部屋で暴れ捲り、自暴自棄的な行為に振れていくマーク。
 
そんなときでも、兄の優しい励ましが、弟を変えていく。
 
マークにとって、こんなとき、最も頼りになるのはデイブ以外にいないのである。
 
マークが、その本来の力を復元させるのは、殆ど予約済みだったのだ。
 
まもなく、ジョンの母が急逝し、ジョンを囲繞する風景が変容していく。
 
母を見返す機会を逸しても、ジョンのモチベーションが下がらなかったのは、「国を羽ばたかせたい」という尖り切った熱情が、彼の内側で深々と根を張っているからである。
 
そんなジョンの熱情が、全米レスリング協会に多額の寄付をするという条件で、「フォックスキャッチャー」を五輪代表チームの公式練習場と認知させるのだ。
 
デュポン財閥の金の力が動いたのである。
 
マークが「フォックスキャッチャー」を去っていくのは、いよいよ、デイブの役割が求められた時だった。
 
「俺には無理だよ」
 
マークの言葉である。
 
「家族に安定した生活をさせたい」
 
このデイブの言葉が、家族ぐるみで「フォックスキャッチャー」にやって来た理由だった。
 
だから本人には、単に、デュポン財閥の金の力で動かされたわけではないという思いがある。
 
デイブの言葉に対して、どうしても納得できないマークは、押し黙るだけだった。
 
しかし、デイブの思いに嘘はなかった。
 
ドキュメンタリーの撮影の際、デイブがジョンの「偉大さ」を語らされる行為には、少なくとも、コカインを吸引してまで語らされたマークと切れていた。
 
最後までデイブは、ジョンの「偉大さ」を語らされる行為に振れないのだ。
 
かくて、第24回オリンピック、ソウル1988年の幕が開かれる。
 
但し、「フォックスキャッチャー」を去ったマークのコーチ席にいるのは、ジョンだった。
 
元々、ジョンはオリンピックのコーチ席に入ることに固執していた。
 
然るに、自分を裏切った男が傍らにいる中で、試合をするマークの厳しい視線の先には、トレーナーのデイブの有効な励ましと対比するかのように、コーチのジョンが捕捉される。
 
だから、約束されたように敗北する。
 
ジョンに自らの勝利を贈り、有頂天にさせる思いが、初めから失せているような敗北だった。
 
フォックスキャッチャー」に訣別するマーク。
 
相変わらず、自分のペースでレスリングの訓練に励むデイブとは裏腹に、マークとジョンが熱く抱擁するビデオを見入っているジョン。
 
このシーンを観る限り、彼の中で、マークを忘れれない思いが強いという事実が判然とする。
 
そのジョンが、デイブを射殺するという事件が惹起したのは、この直後だった。
 
雪の上に横たわるデイブの死体に抱き付き、号泣するデイブ夫人。
 
警察に連行されるジョン。
 
ラストシーン。
 
レスリングを辞め、「USA!USA!USA!」という観客の歓声が沸き起こる中で、頭を丸めて、格闘技のリングに上がっていくマークがいる。
 
「デイブ・シュルツは死後に、レスリングの殿堂入りをした。妻と2人の子供たちが残された。マーク・シュルツは、1988年オリンピック後に、レスリング界から引退。現在はオレゴン州で、レスリング教室を開催。ジョン・デュポンは、2010年12月9日、獄中で死亡」
 
このキャプションがラストカットとなって、エンドロールに流れていった。
 
  

人生論的映画評論・続フォックスキャッチャー(‘14) ベネット・ミラー <「自己愛性パーソナリティ障害」 ―― その屈折的自我の心の闇の痛ましき風景>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/04/14.html