1 日の出と共にに沈降していった、海霧の中で炙り出される男たちの「野生合理性」
麗水(ヨス・全羅南道東南部の沿海部に位置する)で漁業を営むカン船長が、中国からの朝鮮族の密航(中国から韓国に運ぶ違法行為)を引き受けたのは、近年の深刻な漁業不振によって、アンコウ網で稼いできた時代が終焉し、漁船チョンジン号が廃船になる危機を打開するためだった。
「これで稼げば、機関室も全部、修理できる」
前金を船員たちに配りながら、5人の船員の前で語るカン船長の言葉である。
その密航者の中にいた若い女が、どす黒い海に転落する。
その女・ホンメを救ったのが、26歳の若い乗組員のドンシクだった。
一人の女性密航者を介抱し、援助するドンシク。
その間、船を止め、ずぶ濡れの体を乾かすために、密航者たちを甲板に座らせるカン船長。
6年前に韓国に行って、消息が分らない兄を探すために、ホンメは密航者になったという事情を、暖かい機関室内でドンシクに話し、二人の心理的距離は近接していく。
「韓国で肉体労働すれば、中国の10倍は稼げるんです」
そこだけはホンメと切れ、この小学校教師の言葉が、密航者たちの違法行為の背景にあった。
そんな密航者たちを狭い魚艙(ぎょそう/漁獲物を収納する場所)に閉じ込めることになったのは、韓国の巡視船が出現したからである。
魚艙に入ることを拒絶する一人の密航者を徹底的に殴りつけるカン船長は、海に放り込むことをホヨン甲板長に命じるのだ。
一瞬、躊躇(ちゅうちょ)するホヨンは、3人がかりで、その密航者を海に放り込み、殺人的行為を遂行するが、魚艙に閉じ込もるという条件をつけ、ワノ機関長の指示で、ドンシクが救命浮き輪を投擲(とうてき)した。
これが全ての始まりだった。
「船では、俺が大統領で父親だ!貴様らの命は俺が握ってる。忘れるな!」
このカン船長の居丈高(いたけだか)な恫喝によって、密航者たちは魚艙に閉じ込もるが、ただ一人、ホンメを機関室に匿うドンシク。
借金漬けの生活を送っているが、ワノ機関長がドンシクと親しい関係にあるので、ホンメを匿う許可を得るのだ。
「機関室では、船長よりおじさんの方が偉い」
この言葉が、船員たちの優劣関係の微妙さを示唆している。
そんな二人が、ソウルでの再会を約束する関係に発展していくのは、殆ど自然の流れだった。
かくて、巡視船からチョンジン号に、見知りのキム係長が乗り込んで来る。
網の大きさまで点検され、異音が聞こえる魚艙を開けようとするキムに対して、攻撃的感情を剥(む)き出しにするカン船長を目の当たりにしたキムは、ワイロを受け取って去っていく。
悲劇が起こったのは、その直後だった。
冷凍機のフロンガスが爆発したのである。
チョンジン号の船員たちがそこで見たのは、密航者たちの死体だった。
フロンガスの爆発が原因だった。
「まだ、生きている人がいる」と言うドンシクの言葉を無視して、カン船長が採った選択は、ガスを抜き、全員が魚艙に入り、遺体を引き上げさせ、密航者たちの身分証明書を廃棄し、彼らの遺体を切り刻み、それを魚の餌にするために海に放擲(ほうてき)するという、おどろおどろしい行為だった。
「一つでも陸に流れ着いたら、俺たちは終わりだ」
この船長の命令に逡巡(しゅんじゅん)する他の船員たちに対して、ホヨン甲板長は言い切った。
「船長の命令には従わないと。痛くも痒くもないさ」
それでも命令に従えないドンシクを救ったのは、ここでもワノ機関長だった。
「もう一人の女がいたはずだが…」と、常に女に餓えているチャンウクは言葉を挟むが、「早くやりましょう」というドンシクの督促で、機関室にいるホンメの存在は問われることなく済む。
ホンメを救うためにのみ、ドンシクもこの作業に参加するのだ。
事件の全貌を視認し、衝撃を受けるホンメ。
一貫して、罪の意識に苦しむワノ機関長。
極限状態が、自らが置かれた立場の微妙な違いの中で、6人を追い込んでいく。
狂気に捕捉され、煩悶するワノ機関長を殺害するカン船長。一切をカン船長に転嫁するホヨン甲板長。
「俺の命に代えてでも、必ず、お前を陸にあげる。九老(クロ/ソウル西部)へ行くんだ」
ドンシクの言葉である。
守るべきものを持つこの若者だけは、狂気に捕捉されることがない。
しかし、他の3人の船員は、とうにモラルが壊れている。
そのチャンウクが機関室で、ホンメを発見し、「女を隠していやがった!」と残りの3人に報告することで、若い二人は最大のピンチを迎える。
「この子は何も知らないんです。それに、嫁にするんです。通報なんかしませんよ」
既に、誰も信じていないように見える船長は、このドンシクの必死の弁明から、ホンメが全ての秘密を知っていることを確信し、ホヨン甲板長にホンメの殺害を命じるのだ。
カン船長に、その殺害を止めるように懇願したのはチャンウクだった。
この男には、女と自由に交接するキョングの分け前に預かろうと、常に女の臭気を求めているのである。
ホンメを助けるために必死に動くドンシクと揉(も)み合いになって、ホヨンが甲板上で事故死したのは、その直後だった。
そのドンシクが韓国の海洋警察に連絡するが、船長らに捕捉され、魚艙に封じ込められてしまった。
その魚艙に忍んでいたホンメと抱き合い、辛うじて、命脈を保つドンシク。
その心理は、「自分の獲物」であると信じるホンメを横取りされる行為へのリベンジであると言っていい。
今度は、「自分の獲物」を獲得したと信じるチャンウクをスコップで倒したドンシクが、そのチャンウクを魚艙に閉じ込め、ホンメを抱きかかえ、最後の決戦に挑む。
カン船長との闘いである。
機関室の床に穴を空けたドンシクは、船内に水が溢れる中、カン船長と死闘を繰り広げるが、海洋警察によって視認され、救命ボートで脱出するドンシクとホンメ。
一方、自分の命であるチョンジン号と、運命を共にしたカン船長は、深い海の底に消えていく。
そんな中で、ゴムボートに命運をかけた若い二人は、無事に浜辺に乗り上げ、海洋警察から逃れることに成功する。
密航に成功したのだ。
冷たい海面に溶融する湿った空気が生む、海霧が覆う夜の闇の中で起こった凄惨な事件が終焉した瞬間だった。
海霧の中で炙(あぶ)り出された男たちの「野生合理性」(後述)も、日の出と共に沈降していったのである。
しかし、疲弊し切って意識を失っていたドンシクが覚醒したとき、浜辺にホンメの姿はなかった。
6年後。
九老で建設労働者になっていたドンシクは、たまたま入った食堂で、聞き覚えのある声を耳にする。
二人の幼い子供に食事を取らせるその母親こそ、ホンメだった。
気づくことがない相手を、呆然と凝視するドンシクの凍てついた表情がラストカットになって、インパクトのある映像は閉じていった。
人生論的映画評論・続/海にかかる霧(‘14) シム・ソンボ <悲劇の円環性 ―― その救いようのない海洋密室劇> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/04/14_41.html