夏をゆく人々(‘14) アリーチェ・ロルヴァケル<歴史の時間と「個人の秘密」が溶融し、人間の営為の「絶対的個別性」を生きた少女の永遠の価値>

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1  渺茫たる自然の一角で生業を繋ぐ家族の懐に、異文化が闖入して来た
 
 
 
エトルリア文化が香る土地。昔ながらに生きる皆さんと、素敵な宵をご一緒に。神秘的な古代墓地で、生と死の狭間で、美味しいハムやソーセージ、チーズを味わいましょう」
 
「ふしぎの国」という名のテレビ番組の撮影で、女王に扮した美しい女性・ミリーが語るセリフである。
 
ここ、イタリア中部・トスカーナ州トスカーナという名も「エトルリア人の土地」を意味)の人里離れた夏の湖(公式HPによると、イタリア中部のカルデラ湖・ボルセーナ湖と言われる)で、養蜂を営むヴォルフガングの一家が一仕事を終え、水遊びをする幼い姉妹の長女・ジェルソミーナは、女王に扮したミリーの美しさに、一瞬にして魅了される。
 
その美女から小さな髪飾りを髪につけてもらい、喜びが隠せないジェルソミーナは、今、幼い妹たちが裸で水遊びをする中で、裸になることを恥ずかしいと感じる思春期初期にあった。
 
男児のいない家庭にあって、最も頼りになる労働力として期待されるジェルソミーナの心情は複雑だった。
 
「『ふしぎの国』のコンテストにご参加を。選ばれた7家族の中で、伝統文化に最も貢献する家族に、優勝賞金と“クルーズの旅”を」
 
ジョイアという友達の家のテレビで、アピールするミリーの言葉に、ジェルソミーナは真剣に見入っていた。
 
そのコンテストへの参加を望むジェルソミーナの思いを拒絶する父と、それを受け入れる母親のアンジェリカや、ジェルソミーナの代弁者の役割を負うココ(居候している独身女性だが、会話の節々からヴォルフガングの実妹と考えられるが、全く不分明)の反対があっても、双方の狭間で悩むジェルソミーナ。
 
ドイツの「少年更生プラン」の紹介で、マルティン少年が一家に厄介になったのは、その直後だった。
 
父親のヴォルフガングが、「いい助手になる」という理由で、冬までの4か月間限定で、窃盗と放火の犯罪を起こした、更生期間中の14歳のドイツ少年を受け入れたのである。
 
しかし、イタリア語が話せないハンデもあり、コミュニケーションの手段が口笛しかない物言わぬ少年に、あろうことか、「家長」としての地位を形式的に与えられているジェルソミーナが、養蜂を教えるのは至難の業だった。
 
また、行政機構の農業政策の近代化に不満を持ち、農協が指定する農薬を「猛毒」と決めつけ、隣家の農薬散布に言いがかりをつけるほど、ヴォルフガングの独善的な性格は、彼の家族が6人の女たち(妻と4人の娘、ココ)に物理的に囲繞されている現実と無縁ではなかったように思われる。
 
「留守だとほっとする」
 
妻・アンジェリカの本音である。
 
一方、コンテストが近づく中、未だ、父親の許可を得られないジェルソミーナのストレスは、思春期初期の少女のささやかな抵抗に具現される。
 
父親との会話も少なくなり、それを感受する父親もまた頑固であるが故に、空気の澱みが生まれる。
 
そんな折、遠心分離機の不注意で、次女のマリネッラが手を切るという事故が発生するが、コンテストに勝手に応募したジェルソミーナが呼んだ、蜂蜜を作る製造現場を見に来たテレビ局の選考員に、改装中という名目で、ココがイニシアチブを発揮し、満足を与えて、その場を凌ぐ。
 
ところが、父親が稼いだ金を使い果たした一件で、「お前たちのためにも別れる」と怒り捲るアンジェリカに、ココは、コンテストに出て優勝すれば資金を調達できるという提案をし、意に染まないながらも、コンテストに参加することになった。
 
かくて、女王・ミリーの司会で始まったコンテスト。
 
極上の蜂蜜作りの極意を聞かれたヴォルフガングは、古代エトルリア人の格好をして、緊張しながらも、ゆっくり言葉を選びつつ、そこだけは明瞭に答えていく。
 
「蜂蜜は天然で…純粋で…自然だ。何も加えない。ミツバチを花のところへやる。…言いたいのは、金で買えないものがある。俺たちは蜂蜜を作ってるが…今、世界は終わりつつある…」
 
自分の言いたいことを言い切ったところで、ミリーに遮断され、話題を変えられてしまう。
 
「まだ、終わってないの。隠し芸があるの」
 
ジェルソミーナのこの一言が出たのは、養蜂一家のパフォーマンスが一方的に切られた瞬間だった。
 
マルティンが口笛を吹き、ジェルソミーナが口から出した複数のミツバチが、少女の顔を這っていくのだ。
 
それを見て、思わず、嗚咽を漏らすココ。
 
父親は反応しない。
 
当然、「世界は終わりつつある」と言った養蜂一家が、優勝する訳がなかった。
 
そればかりではない。
 
思春期盛りのジェルソミーナとマルティンを強引に接触させようとしたココの暴走によって、マルティンは闇の向こうに消え去り、それを必死で追うジェルソミーナ。
 
マルティンの行方が不明になった事実を知ったヴォルフガングは、ジェルソミーナに激怒する。
 
翌朝から、マルティンの行方を捜すジェルソミーナ。
 
湖の中枢を占有するような、古代エトルリアの洞窟の暗みの中でマルティンを見つけ、物言わぬ少年との柔和な心理的交錯が、二人だけを特化する小さなスポットの中で静かに、しかし、煌(きらめ)く非言語コミュニケーションの、そのゆったりした時間を愉悦する少女の表情を確かに変容させていくのだ。
 
湖畔で一夜を明かした家族の元に戻って来たジェルソミーナは、傍らにいるラクダ(アンジェリカを怒らせたヴォルフガングの、「アンチ近代」の蕩尽のシンボリックな存在)にも聞こえるような口笛を吹き、それが、渺茫(びょうぼう)たる自然の一角で生業(なりわい)を繋ぐ家族が依拠し、既に、廃屋と化しつつある生家に別れを告げるシグナルとなっていく。
 
少年は本国に戻っていくだろう。
 
その少年と共有した、非言語コミュニケーションの最強の武器である口笛こそ、一切は幻想であったかも知れない少年と少女の、甘酸っぱくも、淡い初恋の時間の象徴だったのか。
 


人生論的映画評論・続/夏をゆく人々(‘14) アリーチェ・ロルヴァケル<歴史の時間と「個人の秘密」が溶融し、人間の営為の「絶対的個別性」を生きた少女の永遠の価値> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/07/14.html