1 人間が人間であることの根源性が問われるレイテ島の凄惨さ
今や大本営は、最後の決戦地をフィリピン、台湾・沖縄、千島・樺太のいずれかの地域に求めることを検討した結果、米軍がフィリピンに来攻する場合を「捷1号」と呼び、そして、「捷2号」(台湾・沖縄)、「捷3号」(九州・四国・本州)、「捷4号」(北海道)という、有名な「捷号(しょうごう)作戦」を策定する。
陸海軍の航空戦力を統一運用する「捷号作戦」だったが、既に、「あ」号作戦(マリアナ沖海戦・1944年6月)において、600機の約6割が壊滅的打撃を受けていて、練度も低く、米軍進攻を防御する手立てを持ち得なかった。
米軍のレイテ島の進攻を受け、発動されたのが、「捷号作戦」の「捷1号」。
44年10月18日のことである。
日本軍の残存兵力を投入した作戦であるにも拘らず、お決まりの「戦果の誇大報告」による大本営の情況認識の混乱もあり、当然ながら、海軍は米軍上陸船団の撃滅に失敗し、大敗を喫する。
レイテ島死守という至上命令があっても、レイテ島への輸送船の多くが撃沈されるという、あまりにお粗末な致命的損失が、この島の其処彼処(そこかしこ)に、凄惨な地獄絵図を曝け出すのだ。
置き去りにされた下士官・兵卒たちの、哀れを極めた風景が曝け出され、人間が人間であることの根源性が問われるのである。
2 「私の記憶は敵国の野戦病院から始まっている」
「バカ野郎!食料も集められない肺病病みを飼っておく余裕はねぇんだよ!」
場所は、第二次大戦末期のフィリピン・レイテ島。
「どうしても入れてもらえなかったらな、死ぬんだよ!」
分隊長から、ここまではっきり言われた田村は、行く当てもなく、密林を彷徨(さまよ)うばかり。
戻って来た野戦病院の前には、田村と同様に、行き場を亡くした兵士たちが横たわっているが、その中で、一本の芋の端切れを求める若い兵士(のちに永松と判明)がタバコを差し出すが、肺病であるが故、タバコを不要とする田村は芋の端切れを渡すのみ。
その野戦病院が米軍機から爆撃を受け、病院が爆破されたのは、芋を巡って殴り合いの喧嘩が起こっていた時だった。
手榴弾でも自決できず、故郷を回想する田村は、朦朧(もうろう)とした意識の中で視界に入った草を掘り起こし、その根にかぶりつく。
密林を彷徨する田村は、入口に死体の群がる教会に潜り込み、疲労に勝てず、眠りに落ちるが、海辺から聞こえる現地人の恋人の睦み合う声を聞き、教会に入って来た彼らにマッチを要求する。
日本兵の突然の出現に恐怖に怯えて、半狂乱のように騒ぐ女性に対し、思わず、銃の引き金を引いてしまう。
同伴者の男をも射殺する田村。
その直後の映像には、意に反する行為を遂行した田村が、銃を谷に捨てるシーンが挿入される。
「レイテ島の日本兵はパロンポンに集合せよ」という司令部命令が出ている事実を、他の部隊の下士官(伍長)らから知らされ、村で手に入れた塩を所有する田村は、その塩を共有せんとする彼らに同行し、一路、パロンポン(レイテ島の西海岸にある港)に向かう。
「俺たちはニューギニアじゃ、人肉まで食って苦労してきたんだ。まごまごしてると、食っちまうぞ」
同行した伍長の言葉が、田村の心を突き刺していく。
更に、米軍機の機銃掃射と飢餓状態が、一行を襲ってくる。
ここで、田村が情けをかけた永松と、サバイバルスキルに長けた安田と再会する。
安田は負傷しつつも、なお、戦場を彷徨(さまよ)っていた。
そして、米軍機の激しい機銃掃射によって、一行は辛うじて生きながらえていた命脈を絶たれてしまう。
多くの日本兵の命が一瞬にして吹き飛び、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図の風景が、其処彼処(そこかしこ)に展開される。
「俺が死んだら、ここ、食べてもいいよ」
なお命脈を保持した田村に向かって、自分の脇腹を指し示し、殆ど狂気に呪縛されたかのような伍長の言葉である。
極限状態の中で追い詰められた田村は、三度(みたび)、永松と再会する。
飢餓に陥っている田村に、永松は「猿の肉だ」と言って食べさせる。
言うまでもなく、「猿の肉」とは人肉のこと。
安田から離れて密林に踏み込んでいった田村が見た光景は、唯一の武器である銃で、永松が人を殺そうとしている現場だった。
「何で、俺のこと、殺さなかった?」
常に身近にいながら、「猿の肉」にされなかった田村が、永松に問う。
そこに、答えはなかった。
そんな二人のもとに、安田が出現する。
安田を恐れる永松は嗚咽してしまうが、思わず、安田に向かって銃の引き金を引いてしまう。
それが契機となって、永松は狂乱する。
起き上がった安田を、手に持った刀で徹底的に切り殺し、その肉を貪るのだ。
「お前もな、絶対、俺を食うはずだ」
完全に狂気と化した永松は、田村に言い放つ。
ぎりぎりに理性を繋いできた田村は、この特殊な島での「内なる戦争」の終焉を感じ取ったとき、現地人に襲われ、意識を失っていく。
ラストシーン。
「私の記憶は敵国の野戦病院から始まっている」
自分の体験を綴っている男の心の風景は、明らかにPTSDに捕捉されている。
脳裏に深く焼き付いている異常な体験が、真っ赤な炎と化し、男の自我を食い尽くしていた。
妻から差し出される食事を前にして、両手に持つ箸で、目の前の食べ物を、繰り返し、叩き割るように突き差していくのだ。
それは、安田を切り殺し、その肉を貪った永松の行為を反復するものだった。
その行為を視認した田村もまた、薄々、「猿の肉」=人肉であると知りながら、同胞の身体の一部を食って、何とか命脈を繋いできたのだ。
そんな田村の、未来に架橋し得る人生の復元がどこまで可能であるか、映像は観る者に委ねて閉じていった。
人生論的映画評論・続/野火(’14) 塚本晋也 <究極のサバイバルスキルに振れていかない男の煩悶の、唯一可能な防衛機制> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/08/14.html