エル・スール(’82) ビクトル・エリセ <父が失った振り子を繋ぎ、それを自我の確立に変換させ、昇華し、社会的に自立していく娘の物語>

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ゼロ年代以前に作られたヨーロッパ映画の中で、ベルイマンとハネケ映像群を別格にすれば、私はこの「エル・スール」が一番好きだ。
 
オメロ・アントヌッティの僅かなセリフと表情のみで、人間の孤独の極限的な様態を、ここまで抉(えぐ)り出した映像に、唯々、心打たれる思いである。
 
「エル・スール」 ―― この珠玉の名編は、私の人生の糧となる映像である。
 
  
 
1  「父は私の挑戦に対して、沈黙のゲームで、私より悩みの深いことを知らせているのだ」
 
  
 
静謐な室内に入ってくる透き通ったような空気感の中に、明度の低い黒基調の画像の広がりから、光の差し込みによって徐々に明度が高まり、思春期後期と思われる少女・エストレリャが、飼い犬の吠える喧しい外の物音で目を覚ます。
 
屋内では、母・フリアが、家政婦・カシルダに「夫がいないのよ」と騒いでいた。
 
「アグスティン!」
 
自分の夫の名を、大声で呼ぶ母。
 
スペイン北部の村の一角で暮らすエストレリャが、県立病院の医師である父・アグスティンとの永遠の別離予覚したのは、枕の下に、ダウジング(振り子などの器具を用いて、水脈や鉱脈を探り当てる占い)用の父の振り子を見つけた時だった。(トップ画像)
 
霊力を頼りに屋根裏で音を立てているダウジングの振り子は、それを駆使して、村人からの尊敬を集める父への親愛さを増すに足る、最も重要なアイテムだった。
 
そんな大切な振り子を、娘の枕の下に置いていったのである。
 
「私たちは、よく引っ越しました。父が職を得たのは、北の城壁に囲まれた川沿いの町でした。郊外に借りた家には、呼び名がありました。かもめの家。田舎と町の間に、ぽつんと建つ一軒家で、家の前の道を、父は“国境”と呼んでました」(成人期のエストレリャのモノローグ/以下、モノローグ
 
スペイン内戦で権力を掌握したフランコ政権の独裁体制下の1957年秋のこと。
 
ここから、エストレリャの回想シーンが開かれる。
 
児童期のエストレリャ。
 
尊敬する父から振り子の使い方を教えてもらい、父と共有する時間を愉悦する。
 
ダウジング水脈を発見し村を救うような奇跡を行なう父の傍らに、必ずエストレリャがいる風景は、児童期の少女にとって、何より代えがたいことだった
 
「父が奇跡のようなことをできても、私には、父だから当たり前のことと思えました。母は、内戦後の報復で教職を追われた人で、家で私に教えてくれました。父の生まれは、私の知らない謎でした。過去を知らなくても、謎と思いませんでした。父と一緒にいられれば、何も考えず、満足でした」(ノローグ
 
雪が積もる冬の日だった。
 
「それが少しずつ謎になったのは、母の話を聞いてからです」(ノローグ
 
母の話によると、スペイン南部では雪が降らないとのこと。
 
「私たち、なぜ一度も南に行かないの?」
 
好奇心旺盛な少女は、率直に疑問をぶつける。
 
「パパは若い時に出て、戻りたくないからよ」

「なぜ、出たの?」
「お爺様と仲が悪くて、犬と猫みたいに喧嘩したそうよ。パパは逆らい、お爺様は許さなかった」

「この話を聞いて、私の空想は掻き立てられ、懸命にイメージを探しました。現実の距離を無視して、北の反対側で、ヤシの木のあるところが南でした。南で、父と祖父とに何かが起こって、父は、その地を永遠に捨てた…その南から、5月のある日、私の初聖体拝受のために、女の人が二人来ました」(ノローグ
 
かもめの家」に訪ねて来たのは、祖母と乳母・ミラグロス
 
陽気でお喋り好きのミラグロスの話から、父と祖父の対立の原因が、スペイン内戦における考え方の違いにあると知らされるが、児童期の少女には、その意味が全く理解できない。
 
「内戦の前の共和制の頃は、お爺様が悪い側で、パパが良い側だった。フランコが勝ってから、お爺様は聖人に、パパは悪魔になった。世の中、勝った方が言いたい放題なのよ」

「なぜ、パパは監獄に?」
「戦争に負けると入れられるの」

そして、迎えた初聖体拝受式(神父によって、キリストの血と肉を象徴するぶどう酒とパンを信徒が受け入れる)。
 
教会嫌いの父は、その朝、一人で猟銃を発砲していた。
 
それでも最愛の娘のために、アグスティンは教会の入口に立っていた。
 
「私のために来てくれた」
 
エストレリャは、小さく呟くのだ。
 
エンリケ・グラナドス(スペイン近代音楽の作曲家)作曲の「エン・エル・ムンド」の調べに乗って、父と娘がダンスを踊る。
 
信愛を深める父と娘の関係が、至福を示す重要なエピソードである。
 
その日、南に帰っていく祖母とミラグロス
 
「それから少しあとか、多分、同じ頃でした。父の心に別の女性がいると知ったのは…ノローグ
 
の女性の名は、イレーネ・リオス。
 
エストレリャ母・フリアに、イレーネ・リオスを知っているか尋ねるが、心当たりがないと一蹴(いっしゅう)される
 
「母が何も知らなかったので、の女性の名にの秘密を嗅ぎました。それと知らずに、私はの共犯者になていました。それから数カ月たって、思いがけぬことに、イレーネ・リオスが実在すると知ったのです。学校からの帰り道でしたノローグ
 
たまたま通りかかった映画館のポスター、「日陰の花」という映画の主役を演じていた女優の名がイレーネ・リオスである事実を確認したエストレリャは、映画館の前で、父が出て来るのを待っていた。
 
イレーネ・リオスの本名はラウラ。
 
カフェに入って、そのラウラに手紙を書くアグスティン。
 
以下、観る者だけが知る手紙文面。
 
「愛するラウラ。今頃になって僕の手紙が届くと驚くだろうが、恋に狂った男が君を殺す映画を、今、観たばかりだ。まさか、映画の物語が現実とは思わないが、僕は迷信家だからね。君が無事に生きているか、確かめたくなった。たとえ芸名に隠れて生きているにしても、君を殺した俳優は悪くなかったが、主役はうまくなかったよ。居所が分らないから、セビリャに送るよ」(セビリャはスペイン南部の港湾都市
 
その父が座っている、カフェの窓ガラスを叩くエストレリャ。
 
「あの時の父の顔は忘れられません。カフェで書いていたものから目を上げ、窓のガラス越しに私を見た父。父は何か、後ろめたそうでしたが、その時の私は何も分らず、ただ、手紙を書いていると思っただけでした。私の中の父のイメージが変わり始めました。突然、父を何も分っていないと気づきました」(ノローグ
 
そして、ラウラから手紙の返事を受け取るアグスティン。
 
アグスティン。もう8年も前に、あなたへの夢は捨てたのですよ。どんなに孤独だったか想像できないでしょう。苦しかったけど、慣れました。一言の便りもなかったのは、当時の事情から、当たり前だったし、それに、あなたは私より大切な人々がいました。私はそれを自分に言い聞かせたのです。なのに、今になって、なぜ手紙を下さったの?なぜ、今?私が生きているか?生きてますよ。で、何なの?映画の魔力が手紙を書かせた?私は映画を1年前にやめました。方々探して、あの場所は見つからなかった。覚えてる?あれは、元々なかった場所かも知れませんね。今は、家に戻りました。過去との縁も薄れました。過去に拘りたくないし、未来が大事です。確実なのは、私も年を取るということです。映画は4本出ましたが、3本まで殺される役でしたよ。撃ち殺され、刺し殺され、靴下で絞め殺され…あなたなら、どれを選びます?それも私でなく、殺され、埋められたイレーネ・リオスの冗談。彼女への手紙に、代筆で返事を書いていたら、変な罠に嵌りました。過去を思い出し、悪い冗談を書いてしまって。あなたが手紙など下さったからですよ。一体、何が望みなのです?二度と手紙しないで。返事が辛すぎます。時間とは容赦ないものですね。年はとっても、今でも、夜は怖くなります」(ほぼ全文)
 
この長い手紙のあと、エストレリャは、「夜、父が黙って家を出たのは、この時が初めてでした」(ノローグ)と回想する。
 
無論、彼女に、この時点で、父とラウラの手紙のやり取りと、その文面など知る由もない。
 
「父が戻った時は、誰も気づきませんでした。こっそり裏口から入ったのでしょう」(ノローグ
 
父に対するエストレリャのイメージが変化し始めたの、父の家出の頃からだった。
 
振り子を使わなくなった父。
 
私はある日、家の中の重苦しい空気に抗議するために、ベッドの下に隠れることにしました。母とカシルダが心配して、を探しています。私は隠れたまま、沈黙で挑戦します。母たちは、あちこち探している様子でした。夜が近づいてきました。父は家にいたのです。私を探しに来てくれるのを待ったのに、私の沈黙に、父は沈黙で応えたのでした。突然、私は気づきました。父は私の挑戦に対して、沈黙のゲームで、私より悩みの深いことを知らせているのだと」(ノローグ
 
父との心理的距離を既に感じてしまっている少女は、嗚咽するしかなかった。
 
 
 
 
2  「私は興奮を抑え切れませんでした。初めて、南(エル・スール)を知るのです」
 
 
  
 
「私は何とか、早く大人になって、遠くへ逃げたいと思っていました」(ノローグ
 
そして、エストレリャの回想シーンが、「大人」の入り口である思春期後期に繋がっていく。
 
「私も人並みに成長しました。一人でいることにも、幸福を考えぬことにも慣れました」(ノローグ
 
壁に「愛してる」という落書きするボーイフレンドもできるが、エストレリャはどうしても、恋に積極的になれない。
 
病気がちの母と父との関係がうまくいかず、何より、あれほど大きな存在だった父との心理的距離が乖離していっても、孤独の陰翳(いんえい)を深めるばかりの父への思いが断ち切れないのである。
 
「学校の帰りに、夕陽の残照に街の灯が灯り始める頃、私は一人で街を歩くのが好きでした。イレーネ・リオスの名は、ポスターを見る度に探しましたが、見られなくなりました。地球のどこかに吸い込まれたかのように」(ノローグ
 
その街の一角で父を視認したエストレリャは、アルコールに耽溺し、為すべき何ものもないような孤独に沈みがちな父を思い、それを日記に綴っていく。
 
「あの頃のページを読み返してみると、私は、父の悩みを当たり前のこととしか感じていないようです。あの後の出来事を予見するようなことは書いていませんが、父はある日、珍しいことに学校に来て、私を昼食に誘ってくれたのです。グランド・ホテルです。秋の午後、広間では結婚の宴が賑やかでした」
 
そのグランド・ホテルで、父と娘は対面し、会話を繋いでいく。
 
自宅の塀の落書きを見た父が、娘のボーイフレンドのカリオコのエピソードから話題を振っていく。
 
「しつこいの」

「落書きは本気?」
「さあ、私の気を引きたいだけでしょ」
「いいことさ。思ったまま、何でも言えることが」
「場合によるわ」
「私もそうしたい」
「できない?」
「私はカリオコと違う」
「まじめに話してよ」
「パパがいけない?」
「たぶんね。なぜ飲むの?」
「非難か?」

「訊いてるだけ。なぜ、私を食事に?」
「それは…お前が喜ぶと思って」
「嬉しいけど。なぜ?」
「仲直りさ。喧嘩はしてないが、いつだったか、お前が夜遅く帰ってきた時に、機嫌よく迎えなかった」
「何か訊きたいのね?私の方は、訊きたいことがあるわ…バカみたいな質問なんだけど、前から誰だか訊きたかったの。イレーネ・リオス。女優よ。知ってるでしょ?」
「いや、似た人は知ってたが…」
「がっかりだわ。なぜ、彼女の名を何度も書いたの?覚えてない?いつか、パパの封筒を見たら、彼女の名がいっぱい書いてあって、変だと思ったの。映画のポスターで分ったのよ。“日陰の花”」
「終わる前に出た」
「あの日、映画館の前に、パパのバイクがあったわ。だから、中にいると思って待ったの。隠れてね。寒かった。パパは出て来ると、そのまま、カフェ・オリエンタルに入ったわ。手紙を書いたでしょ。私が窓をノックしたのを覚えてない?」
「そうだった。思い出した」

そう言って、洗面所に入っていく父。
 
明らかに、触れられたくない過去の出来事の一端を、最愛の娘に知られていた事実への動揺を隠すためである。
 
洗面所から戻る父。
 
「行かなくちゃ。授業よ」

「何の授業?」
「フランス語」
「さぼれないか?」
「本気で言ってるの?パパが分らない」
「こんな小さかった時は、パパが分ったかい?」
「比べられないわ」

その時だった。
 
賑やかな結婚パーティーが行われている隣室から、「エン・エル・ムンド」のメロディが聴こえてきた。 
 
「あの曲だよ。忘れたかい?“エン・エル・ムンド”。一緒に踊った」
「ええ、初聖体拝受の日ね…行くわ」
「過去」に縛られていて、父の内面が抱え込んでいる記憶の重さに触れられ、動揺を隠せず、なお本音を隠し込んでいる「一人の男」の人生の現実を見せつけられて、その父に対する冷めた視線が、思春期後期の娘の冷厳な行為に結ばれるのだ。
 
 

人生論的映画評論・続/エル・スール(’82) ビクトル・エリセ <父が失った振り子を繋ぎ、それを自我の確立に変換させ、昇華し、社会的に自立していく娘の物語> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/08/82.html