サイの季節(’12)  バフマン・ゴバディ<「生者」は「死者」となり、「死者」と化していた「生者」は移ろい過ぎ去ることなく、「永遠の詩人」として蘇る>

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1  女を求め続けた男の寄る辺なき孤独な魂が、女の幸福を願いつつ、荒野の中枢を彷徨する
 
 
 
 
 
「本作は、イランで27年投獄された詩人、S・キャマンガールの実話に基づく。偽りの訃報と墓を前に、家族は悲嘆に暮れた。詩の朗読はクルド人女性による」
 
冒頭のキャプションである。
 
2009年秋、イラン。
 
イラン革命によって投獄されていたクルド系イラン人の詩人・サヘルが、27年間の牢獄生活の果てに釈放されるところから開かれた物語は、大佐の娘である妻・ミナとの、2年間にわたる仲睦まじい生活の風景にシフトする。
 
「サイの最後の詩」という名の詩集を上梓し、サヘルの愛読者たちにサインするシーンの後、夫妻はイランの自然の森に潜入し、水入らずで睦み合う。
 
夫妻を、車内から窓ガラス越しに見ていた運転手・アクバルの邪悪な視線が映し出されていた。
 
映像は、釈放されたサヘルをフォローしつつ、時系列を交錯させながら進行していく。
 
「もう、自由になれたのに、彼らはあなたの痕跡を土で覆い隠し、あなたの死を告げた。あなたの生死は誰も知らない。口を閉ざし、壁を背負って立ち去りなさい」(サヘルやミナの心象が投影された詩の朗読/以下、詩の朗読)
 
妻・ミナを探すサヘルは、ミナがイスタンブールに行った事実を知らされるが、それ以後は消息不明だった。
 
2010年冬、イスタンブール
 
「奥さんは再婚した可能性も」
 
イスタンブールで、事情通のダダから得た情報は、ミナの失踪に、かつての運転手・アクバルが関与していることを知らされる。
 
しかし、苦労の末、ミナを発見しても、自ら名乗り出ることを躊躇(ためら)うサヘル。
 
そんな折、イスタンブールの町で、二人の娼婦を同乗させるサヘルは、彼女らから金を受け取らず、感謝されるシーンが挿入されるが、この伏線は辛いエピソードのうちに回収されるに至る。
 
ダダからミナの子供の写真を見せられるが、自分の子供ではないと否定するサヘル。
 
その写真の若者と一緒にいるミナを視認しても、サヘルは何もできないが、その若者と食堂で対面するだけだった。
 
後に、この若者こそ、ミナの双子の息子である事実が判然とする。
 
「あなたの幻は霞み、水の上に落ちる。それを見るあなた。時が止まり、あなたの幻を見る。一匹の蜘蛛が現れ、粘りついた唾液で、刹那を絡めとる。時を編み、巣をかける。あなたは巣にかかり、蜘蛛は去る。空は暗くなり、晴れて、また暗くなる。木は干からびようと、苦しく喘ぐ」(詩の朗読)
 
イスタンブールの夜の海に佇み、物言わぬ詩人は、ひたすら孤独を託つ。
 
1977年、イランの首都テヘラン
 
ミナに横恋慕したアクバルは、欲情を抑えられず、車を暴走させた挙句、ミナに告白する。
 
「あなたを愛してます」
 
かくて、ミナの屋敷を訪れたアクバルは、ミナの父親に「身の程を知れ!」と罵倒され、暴力を振るわれる始末だった。
 
時代の変化は目まぐるしかった。
 
1979年、イスラム革命が起こり、体制が一変する。
 
預言者は我らが光。ホメイニ師は国家の光」
 
イラン民衆の叫びの中で、旧体制が否定され、サヘルとミナは逮捕され、投獄されるに至る。
 
「被告は政治的な詩を書き綴り、イスラム共和国に刃向かったとして罪に問われる。反政府勢力と手を結び、国家転覆を企んでいた。被告を禁固30年に処す」
 
これが、サヘルの逮捕の理由だった。
 
「被告の夫は政治的な詩を書き、イスラム共和国に逆らった。その夫と共謀した罪により、禁固10年を申し渡す」
 
これが、ミナの逮捕の理由だった。
 
すべて、ミナへの横恋慕の故に、サヘルに嫉妬心を抱くアクバルの密告の結果だった。
 
そのアクバルは今、新体制の幹部になり、恣意的に権力を行使するポジションを得ていた。
 
強引にサヘルとの離婚を命じられるが、それを拒絶するミナ。
 

「君の体に触れるのは、誰の刃だ?目の前が肌の白さで満たされる。なぜなのだ。握った拳が私の内側を殴りつける。水の中でマッチを擦る。喉に刺さった棘が、足を留まらせる。先にも後にも進めず、ただ、待つだけ棘の煉獄に浮かび、誰に気づかれることもない。自分の中で死んだ詩は、腐臭を放つ」(詩の朗読)

「自由になったあなたの遺体。眠たげな瞼のよう。御覧、その瞼越しに、塩の砂漠が風に煙っている」(詩の朗読)

 
禁固刑を受けたミナの牢獄にアクバルが面会に来て、「私がここから出してやることもできる」と甘言を弄するが、ミナサヘルの釈放を求めるばかり。
 
一方、サヘルへの凄惨な拷問は続いていた。
 
そんな中で、サヘルとミナは、一度だけ面会を許される。
 
手錠をかけられ、共に顔にベールを被されたまま、二人は手を握り合い、愛を確認する。
 
同様に、ベールを被された状態で、アクバルがミナに襲いかかり、有無を言わさず強姦してしまうのだ。
 
気づいたときは遅かった。
 
ミナは、最も厭悪(えんお)するアクバルの子供を宿してしまうのである。
 
10年後、刑期を終え、双子の赤子(娘と息子)を連れ、ミナが出所する。
 

「逆さの甲羅の中で、一体、何が?どの屋根を家と呼ぶ?亀は仰向けに転がり、冷たい地面に、甲羅を擦る。道に迷い、独り。あなたの死の通達。あなたは水中で息を止める。ハゲタカが空を舞う。知らされたあなたの墓。祈りの荷車が回転し、呪いをまき散らす。呪われし、地に眠るのは、死者の遺体と、消えた生者の遺体。手が祈りを捧げ、地面を覆う」(詩の朗読)

「冒涜の種が芽吹き、消えた生者の墓を示す。誰の呪いなのだ。無力な土地。背徳の土地。丘たちは、冷たいうめき声を上げている」(詩の朗読)

 
サヘルの死を知らされたミナの絶望が渦巻いていた。
 
寒風吹きすさぶ大地の一角で、夫の墓の前で嘆き悲しむミナに、アクバルが声をかけ、生活の援助を申し出る。
 
アクバルの援助を断り切れないミナは、成人した二人の子供と共にトルコに渡り、タトゥー彫り師となっていた。
 
娼婦となっていて、男たちから凌辱されるミナの娘は、母と共にヨーロッパに行くことを望んでいた。
 
そのために、娼婦稼業で金を貯めていたのである。
 
あろうことか、ミナの娘である事実を知る由もなく、その娘と関係を結んでしまうサヘル。
 
「詩が父の形見なの」と娘。
「その子の父親は詩人だったけど、死んでしまった。何年も前に。その子の母親は、タトゥーを彫る人」と娘の友人である娼婦。
この二人の言葉で、サヘルは自分が犯した過ちに気づくが、もう、手遅れだった。
 
激しい衝撃で咽(むせ)び泣く詩人は、ミナのもとに行き、背中にタトゥーを彫ってもらうのだ。
 
母国・イランで禁止されているタトゥーを彫るミナ。
 
「息は結晶し、楠の樹液になる。脈と脈の合間、火打ちの石の花火が飛び散る。空気が刃となり、水が刃となる。国境に生きる者だけが、新たなる祖国を創る」(詩の朗読)
 
ミナが彫った詩は、最後の「国境に生きる者だけが、新たなる祖国を創る」という一節だった。
 
逝去した夫の詩の一節を彫り続けるミナにとって、それは、サヘルと自分を繋ぐ唯一の絆だったのだ。
 
一切を知り尽くした男が今、無人の荒野を車で暴走している。
 
  

人生論的映画評論・続/サイの季節(’12)  バフマン・ゴバディ<「生者」は「死者」となり、「死者」と化していた「生者」は移ろい過ぎ去ることなく、「永遠の詩人」として蘇る> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/09/12.html