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「アリス。私はあなたよ。大事な話があるの。あなたが質問に答えられなくなったら、『蝶』というフォルダを開くこと」
「僕の人生を通じて、最も美しく、最も聡明な女性に」
途中で、スピーチする語彙(ごい)を思い出せなかったのである。
その直後、アリスは、ロスの劇団に所属する次女・リディアと会い、未だ成功が覚束ない彼女にアドバイスするが、一言で一蹴される。
「私は自分の人生を生きているの」
きっぱりと、自分の意志を表現するリディアの性格が表れていた。
アリスが大学のキャンパスを、ジョギング中に迷ってしまったのは、そんな折りだった。
不安を感じたアリスは、専門家に相談するが、充実な日々を過ごしていると信じる彼女には、この時点で、更年期障害を疑っているレベルだった。
しかし、認知症の簡易な知能検査として日本で用いられている、「長谷川式認知症スケール」と同質の検査で、記憶の復唱に頓挫したことで、MRIの検査を受けることになったアリス。
MRIの検査の結果は正常で、脳血管の疾患や卒中の痕跡もないという事実を知らされ、心の底から安堵する。
それでも専門家には、記憶の復誦に頓挫した一件が気になり、「近時記憶障害」(最近覚えた記憶の障害)と判断し、記憶機能の低下を指摘した。
若年性アルツハイマー病との関連が疑われたからである。
「物忘れをする年のせいだ」とジョン。
「そういうのじゃない。抜け落ちるの」
ここまで話しても真剣に取り合わないジョンに、突然、激怒するアリスだが、既に、このような行為の中に、彼女が罹患した疾病の症状が顕在化していていた。
「人生を捧げて来たことが、何もかも消える!」
激怒の直後の号泣を、この夜、ジョンはしっかり受け止めた。
かくて、夫婦で神経科を訪れる。
そのために、家族成員の遺伝子を調べる必要があり、それを自分の子供たちに説明するに至る。
衝撃を受ける子供たち。
そして、授業に立つアリス。
しかし、授業の内容を忘れてしまって、アリスは学生たちに聞く始末だった。
学生たちも、授業に身が入らないようだった。
その上、悪いことが重なる。
長男・トムは陰性、次女・リディアは検査を拒否するが、長女・アナが陽性反応という結果が出て、アリスは「ごめんなさい」と謝るばかりだった。
「次の人工授精の前に分って良かった。心配しないで」
しかし、大学の授業で学生たちから不満が募り、それを指摘する教授に、アリスは正直に自分の疾病を告白する。
まもなく、自分が近未来に入所する予定の施設を見学するアリス。
そして、アリスは、自分が自分であることを確認するために、パソコンに向かって、現在、自分の持ち得る能力を駆使し、自らに語りかけていくのだ。
自ら質問し、自ら答えていく。
「アリス。私はあなたよ。大事な話があるの。あなたが質問に答えられなくなったら、次の段階に進むべき時よ。間違いないわ。寝室にランプの載った棚がある。一番上の引き出しに、錠剤の入ったビンがある。“水で全部飲め”と書いてある…質問に一つでも答えられなくなったら、『蝶』というフォルダを開くこと」
自らの左手首には、「記憶障害患者」というプレートのついたブレスレットが嵌められている。
アリスは優しい夫に支えられ、海に行ったり、昔話を語り合ったりして、「非日常の日常」の時間を愉悦するのだ。
2 「私はまだ生きています。私は苦しんでいるのではありません。闘っているのです。瞬間を生きること。それが私のできる全て」
アリスの症状は確実に悪化していく。
夫と共に過ごすためにやって来た別荘で、トイレの場所が分らず、失禁してしまう。
嗚咽を抑えられず、若年性アルツハイマー病の一方的攻勢に立ち往生するばかり。
演劇の学位を取ることを勧める母に対し、「私がやりたいのは演劇よ。自分を信じて挑戦したい」と答える娘にとって、アリスの存在は、常に自分の身の振り方を考えてくれる、ごく普通の母親以外の何ものでもなかったのである。
だから、いつでも気楽に話し合えるのだ。
「私が私でなくなる前に、安心させて」
「ママ。私を思い通りにするために、今の状況を利用しないで」
「当り前よ!私は母親だもの」
そう言いながら、リディアの演劇の戯曲を読み、その感動を本人に伝えるのである。
しかし、演劇の戯曲を読んだつもりだったが、アリスが読んだのはリディアの日記だった。
リディアに責められるアリス。
本気で怒り、本気で母を非難するリディアの存在は、未だ、母娘関係が継続していることの証となっていた。
しかし、人工授精で双子を身ごもりながらも、陽性反応の一件で、アナとの関係が希薄になっていくのは必至だった。
それまで、二人で続けていた「単語ゲーム」が、「時間がなかったの」と言うアナからの柔和な拒絶反応によって中断するに至る。
人生論的映画評論・続/アリスのままで(’14) リチャード・グラツァー <「約束された喪失感」のみが加速されていく恐怖と闘い、なお保持されている機能をフル活用し、尊厳を守っていく> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/10/14.html