サン★ロレンツォの夜(’82) タヴィアーニ兄弟<耳を塞ぎ、呪文を唱える幼女の「再構成的想起」の痛ましさ>

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1  「誰の呪い?聖ヨブの腹の虫。雌鶏のフンでお薬作ろ。犬と猫のフンも入れ、朝には元気」
 
 
 
イタリア共和国中部に位置するトスカーナ州は、フィレンツェ(州都)を中心に、文化遺産・自然景観に恵まれている一大観光スポットである。
 
1944年の夏、このトスカーナ地方では、連合軍の北上を期待しつつ、ドイツ軍の支配下にあって、レジスタンスの村民の反ファシスト党の勢力がゲリラ戦を展開させ、内戦状態を顕在化させつつあった。
 
そんな状況下で、トスカーナのサン・マルティーノ村の教会では、徴兵を拒否したコラードと、懐妊中のペリンディアの結婚式が慌ただしく執り行われていた。
 
「私はこの結婚を心から祝福する。新婦は婚礼も待たずに身ごもった。戦争のさなかに。誰もが命懸けだ。アメリカ軍は間近に迫り、ドイツ軍は居座っている。一つ言っておきたい。神の審判の日、つまり、世界の終わりがそこまできているなら、私たちは力の限り、生き延びる義務がある。いいね?」
 
自分の命が保証できない状況下での神父の祝辞は、まさに、第二次世界大戦末期のトスカーナ地方が置かれた状況を端的に説明していた。(注)
 
「私は6歳になったばかりだった。怖いような、楽しいような。あの数日を今でも覚えている」
 
成人となったチュチリアのモノローグである。
 
パルチザンで負傷したニコラが、同志のブルーノに送られ村に戻って来たが、友人のコラードへの話だと、ドイツ軍が各地に地雷を仕掛けていて、「十字の印がついてたら、爆破される」とのこと。
 
まもなく、村民の全てを聖堂に集合させるというドイツ軍からの指令があり、命令に背く者は容赦なく爆破することを、村の司教が伝えてきた。
 
しかし、村民の多くが大聖堂に向かうときに、ドイツ軍の罠を疑うガルバーノは強硬に反対する。
 
「村に留まるより、同じ考えのものは一緒に行こう」
 
かくて、夜道を歩くという理由で、黒い服を着たガルバーノの一行は、大聖堂に残る者と別れ、日没を待って出発する。
 
村人たちの運命が分れる瞬間だった。
 
連合軍に合流するためのガルバーノの一行の中に、「ワクワクする」と吐露するチェチリアと母・イヴァーナも加わっていた。
 
突然、大爆音が轟(とどろ)いた。
 
サン・マルティーノの小村が爆発された瞬間である。
 
この音を聞き、「村じゃない」と慨嘆する若者は、ガルバーノの一行の中に加わっていたことで、命を守ることができたのである。
 
「村が消えてしまった」
 
嗚咽しながら、深い喪失感を感じる、このガルバーノの一言が、状況の全てを説明していた。
 
しかし、決定的な悲劇が起こる。
 
聖餐ミサの儀式の最中に、大聖堂が爆破されたのである。
 
ドイツ軍の仕業である。
 
「私たちは、ひたすら歩き続けたが、アメリカ軍の砲撃は、もう聞こえなかった。一方、思わぬ幸運に、私の胸は弾んだ。コンチェッタさんは実家を焼かれ、もう帰れなくなった。それで、耳飾りを私に。子供に預ければ、安全らしい」(チュチリアのモノローグ)
 
陣痛が始まったことで、母親と村に戻って行ったベリンディアは、大聖堂の爆発に巻き込まれたのか、不運にも命を落としてまう。
 
身重のベリンディアと共に大聖堂に行き、妻の死に慨嘆した夫・コラードは、ガルバーノの一行に合流するが、妻の死の衝撃のため、この間の記憶を失ってしまっていた。
 
ファシストによる小麦の略奪に備えて、先んじて、麦刈りを急ぐ村人や、パルチザンの小部隊を手伝うガルバーノの一行。
 
この小麦畑で、米軍の居場所を知るダンテという名のパルチザンと出会ったことで、一行は彼らと行動を共にし、武装するに至る。
 
「8月10日の晩は、星が降ってたわ。願い事が叶う聖ロレンツォの夜よ。私の願いがわかる?でも皆、忙しすぎた。翌朝、皆が起きて歩き出す前に用足しに行ったの」(チュチリアのモノローグ)
 
二人の米軍兵士と出会ったチュチリアは、一人の兵士から、膨らませたコンドームを風船と勘違いし、嬉々として一行の元に戻り、かくて、皆で手分し、米軍兵士を探すが、その痕跡はなかった。
 
ファシスト党と、同行していたパルチザンとの銃撃戦が惹起したのは、その直後だった。
 
ブルーノを探していたニコラが、ファシスト党に殺されるに至る。
 
そのブルーノが、ファシスト党に入っていた親子を殺したことで、悲惨な光景は終焉する。
 
村人同士で殺し合うこの光景は、初めて見る信じがたい出来事に触れたチュチリアの心に、トラウマとして残っていくイメージを鮮烈に想起させる。
 
「誰の呪い?聖ヨブの腹の虫。雌鶏のフンでお薬作ろ。犬と猫のフンも入れ、朝には元気。しゃっくり、ばっさり、ブドウの木。おうちへお帰り」
 
幼いチュチリアには、このような呪文を唱えるしか、為す術がなかったのである。
 
「村へ帰ると、彼らは一夜の宿を提供してくれた。誰もが疲れ切って、恐怖を忘れていた」(チュチリアのモノローグ)
 
手首に怪我を負っているガルバーノは、実家を焼かれた中年女性・コンチェッタと同室になり、一個しかないベッドに横たわる。
 
「若い頃、君に熱を上げてた。知ってたの?恋と咳は隠せない」
 
ガルバーノの告白に、コンチェッタは「知ってたわ」と答える。
 
未だ内戦状態が沸騰している段階で、初老に差し掛かった二人は、何も思い残すことがないような空気の中で結ばれる。
 
翌朝になった。
 
待ちに待った米軍の第五師団が、ようやくやって来た。
 
彼らが束の間、宿をとった村は解放されたのである。
 
コンチェッタを含む、村から脱出した一行は、サン・マルティーノの故郷を目指して帰村するのだ。
 
そんな中で、ガルバーノは一泊の宿をとった村を気に入り、この村に残るという選択をした。
 
「彼は3時間ほど、そこに残り、物思いに耽った。私たちは村へ向かった。これで、この話はおしまい。記憶と違っているかも。でも、6歳の私が本当に体験したの。そして、最後はハッピーエンド。おやすみ、坊や。寝顔を見せて。何て、可愛い顔」
 
立派な主婦になったチュチリアが、愛児に語る物語のラスト・モノローグである。
 
 
 
(注)1944年に、トスカーナ州などで、約400人の民間人虐殺に関与したとして、元ナチス親衛隊9人が、終身刑判決を受けたという痛ましい事実が、近年、報道されている。
 

人生論的映画評論・続/サン★ロレンツォの夜(’82) タヴィアーニ兄弟<耳を塞ぎ、呪文を唱える幼女の「再構成的想起」の痛ましさ> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/10/82.html