草原の実験(’14) アレクサンドル・コット<「圧倒的破壊力のリアリズム」によって壊される、「約束された時間」の再構築>

イメージ 1

1  大自然を翻弄するかのようなアイロニーを込めた、
ワンシーン・ワンカットのラストシーンへの決定的下降
 
  
 
冒頭に映し出されるシーンから開かれた映像は、地上を覆い、散乱する大量の鳥の羽毛の残骸だった。
 
このワンシーン・ワンカットはラストシークエンスで回収されるが、既に、映像総体を凝縮するのに充分な情報の提示だった。
 
―― カザフスタンと思われる、美しい大草原の一角の粗末な家に、少女は父親と暮らしていた。
 
トラックに乗った少女の父親が、その粗末な家に戻って来た。
 
ブルースカイの空の下、プロペラ機が着陸する。
 
その様子を、家の中から垣間見る少女。
 
意気揚々と、そのプロペラ機を操縦して、一瞬の愉悦を味わう父親。
 
オペラを聴いている少女には、特段の笑顔はなかったが、いつもの日常性を繋いでいるだけなのだろう。
 
軍の施設で働いていると思われる父親の足を洗い、靴下を履かせ、うたた寝し、壁にもたれる父親の頭から、ゴーグルと帽子を静かに外す娘。
 
これもまた、彼女の変わらぬ日常性の一端なのだろう。
 
大草原を覆い尽くす「マジックアワー」(日の出直前・日没直後の美しい時間帯)が、朝焼けの空に遷移(せんい)していく圧巻の風景が映像提示される。
 
翌朝、父親の昼食を作り、それを包んだ少女は、トラックの運転の教えを受けながら、途中の分かれ道で父親と別れ、馬に乗った地元の幼馴染みの少年(以下、「馬の少年」とする)に、家まで送ってもらうのだ。
 
帰宅した少女は、押し葉を作って、趣味を楽しんでいた。
 
白人の青年(映像内で全く情報提示がないので、ここでは、こう呼びたい)が、少女の家に近づいて来たのは、そのときだった。
 
青年の目的は、井戸の水を汲むことだが、井戸には南京錠がかかっていた。
 
その事実を知った少女は、錠を外し、青年に井戸の水を汲んでやる。
 
少女の美しさに惹かれたのか、青年は手持ちのカメラで少女を撮り、帰っていく。
 
会話の交叉のない、この小さなエピソードが、少女の日常性に変化を与え、彼女の午睡(ごすい)中に、映像で初めて見せる笑みが小さく零れていた。
 
そして、美しい夕景の中で、父の帰宅を迎える少女。
 
再び、昼間の青年がやって来て、スライドにした少女の写真を映写していく。
 
最後に、そのネガを少女に渡した青年は、月明かりの中、何も言わずに帰っていく。
 
それだけだった。
 
それだけだったが、少女の表情に変化が表れていく。
 
自然に微笑みを湛える少女のうちに秘める思いが、思春期後期に踏み入っていく相貌の中で、豊かに踊っていた。
 
だから、いつものように、「馬の少年」の迎えがあっても、少女の表情から自然な笑みが消えている。
 
その変化を感じ取る少年には、それ以上何もできない。
 
そんな折、風景を一変させる事態が惹起する。
 
ガイガーカウンター放射線量測定器具)を持った男たちが、突然、やって来て、父親に銃をつきつけ、全裸にし、放射能の測定を強行したのは、草原に雷鳴が轟(とどろ)いた夜だった。
 
弾丸の雨の中、全裸で震えている父に毛布をかけ、労わる娘の心も、尋常ではない事態の発生に不安を隠せなかった。
 
翌朝、急速に衰弱していく父を横目に、少女は、空に向けてライフルを撃つ。
 
そのライフルの音が合図になったのか、「馬の少年」がやって来た。
 
少年は、少女の父親の容態を見て、慌てて、軍の医者を呼びに行く。
 
衰弱し切った父親を、二人の軍人がジープに乗せ、連れていくのだ。
 
暗い表情の少女の手を握った少年は、柔らかく、その体を包み込む。
 
それを、外から見ていたのは、例の白人青年だった。
 
その青年を、振り返って凝視する「馬の少年」。
 
そして、二人の若者が格闘するシーンが挿入されるが、明らかに、三角関係の縺(もつ)れからの確執だった。
 
その喧嘩を家の中から見ていた少女は、彼らにバケツの水をかけ、無意味な喧嘩を止めさせた。
 
軍から解放された父親が帰って来たのは、そんなエピソードの後だった。
 
抱擁し合う父と娘。
 
しかし、それは、放射能汚染で恢復できない男を、軍が放擲(ほうてき)した事実を示すワンカットに過ぎなかった。
 
スーツを着て、ネクタイを締めてもらった父親は、地平線から朝日が昇る瞬間に合わせるかのように、そのまま、息を引き取っていく。
 
それは、草原で生きてきた男の人生の、大自然との別離の終焉でもあった。
 
草原の一角に、父を弔う娘。
 
父の死によって、少女の日常性に変化が生まれる。
 
自らトラックを運転し、少女は家を出ていくのだ。
 
しかし、トラックがガス欠で動かなくなり、諦念した少女は大草原の中を歩いていく。
 
鉄条網によって遮られた草原のルートを引き返し、少女は「馬の少年」の家に辿り着く。
 
少女にとって、もう、そこしかなかった。
 
髪を切った少女は、自分を迎えに来たと信じる白人青年に寄り添っていく。
 
彼女にとって、「草原の日常性の現実」よりも、自宅に貼ってある「世界地図」にシンボライズされた、「夢の世界」の懐ろに抱かれる道を選択したのである。
 
当然の如く、少女の選択は「馬の少年」を激怒させる。
 
白人青年を執拗に甚振(いたぶ)るが、それでも変わらない状況を目の当たりにした「馬の少年」は、今や、わだかまりを捨て、諦めざるを得なかった。
 
号泣する少年と、草原で彷徨(さまよ)い、水辺に倒れる白人青年に、降りかかる弾丸の雨。
 
そして、自宅に戻っていた少女の元に、身を寄せる白人青年。
 
翌朝、草原に出て、未開地をルーツにする女児の遊戯・綾取りをしながら、見つめ合う二人。
 

淡い恋だが、それで充分だった。

その時だった。


突然、大地を揺るがす爆発音が炸裂する。

 
遠くの空に、上昇気流によって吹き上げられた巨大なキノコ雲が立ち上り、草原が闇のように呑まれていく。
 
放牧された馬の群れが暴れ出し、轟音がうねり、「馬の少年」の叫びが木霊する。
 
少女は白人青年の手を握り、今、このとき、起こっている事態の意味すら分らず、ただ、その場で立ち竦んでいるだけだった。
 
一瞬にして、何もかも吹き飛ばされ、そこに呼吸していた一切の生き物の命を奪い取っていった。
 
セリフのない映像から、自然音をも掻き消していくのだ。
 
太陽が昇るや、沈んでいくという、大自然を翻弄するかのようなアイロニーを込めた、ワンシーン・ワンカットが映像提示され、決定的下降するラストシーンに結ばれるのである。



人生論的映画評論・続/ 草原の実験(’14) アレクサンドル・コット<「圧倒的破壊力のリアリズム」によって壊される、「約束された時間」の再構築> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2017/01/14.html