さざなみ(’15) アンドリュー・ヘイ <「親愛・共存・共有・援助・依存」という、相互作用による関係密度の深さと修復力が、衝撃波を突き抜けていく>

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1  「45年間」という時間の重みが無化されていく恐怖に捕捉された妻の、色褪せた心理的風景
 
 
 
 
「僕のカチャだ。絶対に君に話したよ。彼女は、50年以上、冷凍庫にいたのと同じだ。やっと見つかった」
 
英国の郊外に暮らす、結婚45周年の記念パーティーを直前に迎える熟年夫婦に、唐突な情報が飛び込んできた。
 
夫の名はジェフ。
 
管理職も勤めた元会社員である。
 
妻の名はケイト。
 
元教諭である。
 
夫のジェフに、若き日の恋人・カチャの遺体が発見された報告と、その遺体確認に来ることができるか否かを問い合わせる、スイス警察からのドイツ語の手紙だった。
 
温暖化によって雪が溶けたことで、カチャが1962年当時(27歳)の姿の状態で、スイスの高山の氷河の中に冷凍漬けで発見されたのである。
 
これが、冒頭のジェフの言葉の意味である。
 
「当時のスイスの警察に、宿に泊まるためにカチャと夫婦であると説明した」
 
熟年夫婦の関係に“さざなみ”を立てるような言葉が、月曜の夜、ジェフの口から飛び出した。
 
要するに、ガイドを雇い、スイス・アルプスに若き恋人同士が登山するが、恋人のカチャが遭難したという事実が、この熟年夫婦の間で、初めて情報共有されたのである。
 
それだけではない。
 
ズンズンと先に進むカチャの悲鳴を、ジェフは耳にしてしまったのである。
 
「ショックのあまり、肺から漏れる空気のような音。彼女の優しい高い声じゃなかった。低くて、しゃがれた声さ」
 
その悲鳴は、氷山の裂け目に落ちてしまったカチャの声だった。
 
火曜日。
 
夫婦は、ケイトの運転で街に出た。
 
「発見されてなければ、彼女は鉄砲水で流されてる」
 
夫のジェフが図書館に行く目的も、気候変動に関する情報に高い関心を持ったからである。
 
それでも、昔の二人が出会った頃を思い出し、自宅のリビングでダンスを踊る夫婦がそこにいる。
 
この流れで、二人は長いこと途絶えていた夫婦の睦みを愉悦する。
 
しかし、この睦みが刺激になったのか、夜中にベッドから起きた夫のジェフはカチャの写真を屋根裏で見つけ、それに気づいたケイトは詰問する。
 
誤魔化す夫に、初めて感情を露わにし、強引にカチャの写真を見るのだ。
 
過去に向かう夫と、数日後に控える結婚45周年の記念パーティの準備に追われる妻との心理的近接感は、少しずつ、しかし確実に乖離していくようだった。
 
水曜日。
 
夫婦の禁煙のルールも、呆気なく破られていく。
 
夫婦間の規範の崩壊もまた、共に今、異なったベクトルに踏み込み、ストレスが累加されてきた一端だった。
 
ジェフが元の会社のOB会に乗り気でないという話を友人から聞いたケイトは、その夜、本人に直接訊ねるが、理由を説明せずにOB会の出席を拒むだけだった。
 
「君は関係ないだろ」

「前からの計画でしょ。欠席するのは失礼だわ」
「もういい!」

珍しく怒気を込めて、「“行かない”と言ったか?」と会話を中断させる夫。
 
そして、ベッドの中の二人。
 
「僕らは無頓着だった。山の上では、世界情勢に無頓着だった。自分たちの将来にもね。彼女とよく眺めた花を、最近、思い出すんだ。雪の解けた、わずかな場所を見つけて、芽を出す。まるでカチャと僕のようだ。文明社会に背を向けて旅をしてたからね」
 
カチャとの思い出話をするだけの夫に対して、妻は根源的な問いかけをする。
 
「彼女が死ななくて、イタリア行きがなければ、彼女と結婚してた?」

「イタリアは行ってないし、彼女は死んだ」
「もしもの話よ。答えて」
「イエスだ。そのつもりだった」
「彼女の話は、おしまい…話したいけど、止めておく」

 
この夜の気まずさは、なお延長されていく。
 
木曜日。
 
車で夫を送って行く妻。
 
OB会に出席するためである。
 
車内での会話は全くない。
 
自宅に戻ったケイトは、愛犬マックスが吠えるのを遮り、屋根裏に上り、若き日の夫の登山記録を付けた古いノートを見つけたあと、スライドで映し出された、当時のカチャの画像を凝視する。
 
ケイトに衝撃が走った。
 
庇うようにお腹にしっかりと手を乗せ、被写体になっているカチャが、スライド写真を撮影するジェフに微笑みかけているのだ。
 
それは、明らかに、ジェフとの子を身籠ったカチャの貴重な画像だった。
 
ケイトのその思いも分からず、OB会の帰路の車内では、元同僚の話を一方的に捲し立てるばかりのジェフ。
 
その話を耳に入れても、反応する何ものもなく、憂鬱な表情を崩さないケイトだった。
 
金曜日。
 
ジェフがメモを残し、街に出て行った。
 
ケイトも街に行く。
 
夫のスイス行きを案じ、自ら旅行会社を訪ねるケイト。
 
夜になった。
 
以下、ケイトの方から切り出した夫婦の会話。
 
「スイスに行くの?」

「いいや。村まで歩けない男が、どうやって山を登るんだ?」
「それが理由?」
「そうじゃない」
「行くのなら…」
「カチャは関係ないだろ」
「名前を言わないで」
「カチャを切り離してくれ」
「いいえ。関係あるわ。匂いが家を取り巻いている。彼女が、そこら中にいる。今も後ろに立ってる」
「やめてくれ」
「何かを決めるとき、旅行の行き先や読む本、どんな犬を飼うか、どんな曲を聴くか。大きな決断のときは、特に影響してるわ」
「彼女には、何の関係もないだろ」
「私の思ってることや、知ってることをすべて、ブチまけたいけど、できない。抑えてるのよ」
「ああ。分かるよ」
「今の願いは一つだけ。明日のパーティーに出席して」
「もちろん。そのつもりだ」
「私のことが不満なのは、よく分かったけど、それを他人に気づかれたくない」
「ケイト。誤解だよ」
「また、やり直すのよ」
「約束する」


映画の中で、最も重要な会話である。
 
自分の中で閉じ込めていた不満を、一気に炸裂させるケイトだが、「子供を作れなかった」という捻(ねじ)れ切っていた真情を、なお隠し込む辺りに、彼女のネガティブな自己像が屈折し、このように卑屈な言辞のうちに反応してしまうのだ。

 

人生論的映画評論・続/ さざなみ(’15) アンドリュー・ヘイ <「親愛・共存・共有・援助・依存」という、相互作用による関係密度の深さと修復力が、衝撃波を突き抜けていく>より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2017/02/15_24.html