キャロル(’15) トッド・ヘインズ <「家族主義の時代」の「差別前線」の包囲網を突き抜け、抑圧からの女性の解放を描いた傑作>

イメージ 1

1  抑圧の縛りを
穿ち、新しい人生に踏み込んでいく二人の女の葛藤と再構築の物語
 
 
 
  
消費文明が一つのピークを迎えて、健全な「家族主義」を謳歌する「フィフティーズ」(50年代)の時代の渦中にあって、二人は運命的な出会いをする。
 
キャロルとテレーズである。
 
ニューヨークのデパートの玩具売り場で働いていたテレーズが、4歳の娘のために人形を買いに来たキャロルと視線が合って、一瞬にして惹かれてしまう。
 
ショーウィンドーに置き忘れた手袋を、テレーズが郵送したことを契機に、キャロルはテレーズを昼食に誘い、自宅に迎えることを約束する。
 
そのキャロルは、娘の養育権問題で、夫・ハージとの離婚の意志を固めていた。
 
その原因は、かつて、妻のキャロルがアビーという名の女性と同性愛の関係にあった事実と無縁でなかった。
 
だから、未だにアビーと会っていることを夫に問われ、「あなたと破局する遥か前に、彼女とは終わったわ」と答えるキャロル。
 
つまり、このキャロルの「性的指向」の問題を夫婦で共有した上での、離婚の合意だったのだ。
 
単独親権を主張するハージは、アビーと妻・キャロルとの関係を証拠に「道徳条項」を持ち出し、娘を永久に引き離す正当性を審問するというところまで、事態は悪化していく。
 
キャロルの孤独が、いよいよ深まっていくのだ。
 
一方、キャロルと出会ったことで、写真家志望のテレーズにはリチャードという恋人がいながらも、自分の「性的指向」が抑えられない感情が噴き上がってきて、情緒不安定な日常性を繋いでいた。
 
娘を永久に奪われる不安を抱えたキャロルが、同様に、情緒不安定なテレーズとの関係が深まっていくのは必至だった。
 
「あなたも、一緒に行かないかしら」
 
「審問」(法廷出頭なしに、裁判所が当事者に詳しく問いただすこと)までの不安を払拭するために、テレーズに旅の同行を求めるキャロル。
 
恋人のリチャードを置き去りにし、嬉々として、キャロルとの旅に同行するテレーズ。
 
モーテルに泊まる二人は、そこで新年を迎える。
 
一切の障害のない二人は初めて情を交わし、それを求めていた者の至福の境地を味わうのだ。
 
しかし、事態は一転する。
 
二人を尾行して来た私立探偵によって、モーテルでの二人の情事の録音テープが、依頼主の夫に送られてしまった事実を知り、動揺するキャロルだが、彼女は怯(ひる)まない。
 
平静を失い、激しく動揺するテレーズを慰め、人生の遥か先の未知のゾーンへの架橋を求めていくのだ。
 
「映画の途中、視点が変わり、キャロルがテレーズを見る視点になることもある。その時は、キャロルがテレーズに一緒にいて欲しいと思っているんだ」(トッド・ヘインズ監督インタビュー)
 
トッド・ヘインズ監督が語っているように、この一連のシーンでは、キャロルの視点に変換されている。
 
その後、モーテルで撮ったキャロルの寝顔を現像し、焼付けて引き伸ばしたキャロルの画像を見て、彼女への思いが断ち切れず、テレーズはキャロルに電話する。
 
「会いたいの。たまらなく…」
 
一方的に自分の思いを伝え、自ら電話を切るテレーズ。
 
テレーズの思いを受容しながら、娘・リンディと会うために一時的に距離を置くキャロルだが、しかし、夫の実家に赴き、精神的に束縛されている息苦しさがピークに達し、彼女の限界も、それまでだった。
 
かくて、テレーズとの関係をはっきりと認め、離婚して、自分の生き方を貫くことを宣言するキャロル。
 
後述するが、本作の肝になるシーンである。
 
自由になったキャロルは、自分を求めていると信じるテレーズに会いに行く。
 
「憎むわけないわ」とテレーズ。

「仕事で忙しそうね。とても嬉しく思うわ。それに、すごく綺麗よ。突然、花開いたみたい。私と離れたから?」とキャロル。
「いいえ」

 
マディソン街に部屋を借り、そこで、二人で一緒に住むことを提案するキャロル。
 
「それはできないわ」とテレーズ。
「愛してるわ」とキャロル。
しかし、キャロルを愛するテレーズの思いは変わらない。
 
だから、煩悶する。
 
 

人生論的映画評論・続/ キャロル(’15) トッド・ヘインズ <「家族主義の時代」の「差別前線」の包囲網を突き抜け、抑圧からの女性の解放を描いた傑作>より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2017/03/15_16.html