映画「ブラス!」に見る怨嗟と甘えの構造

イメージ 1

1  音楽文化の「進歩」の一つの結晶点としての「英国式ブラスバンド
 
 
 
 
 
 
ここまで「サッチャリズム」への怨嗟を声高に叫ぶ映画を見せられると、その露骨なプロパガンダ政治的主張に辟易するが、失業に追いやられる炭鉱労働者の憤怒の情動を理解できなくもないが、映像構成の直接的表現の稚拙さは、映画的完成度を貶めるだけで、お粗末過ぎなかったっか。
 
徹底したリアリズムで良質な作品を創る、左翼・リベラル系の映画作家であるケン・ローチ監督やダルデンヌ兄弟の映像(「ケス」・「イゴールの約束」等々)には、プロパガンダ政治的主張を台詞で直接的に表現することがないから、観ていて深い感銘を覚える。
 
ところが、この「ブラス!」は違った。
 
だからこそと言うべきか、炭鉱労働者視線の「サッチャリズム」の政治的風景が垣間見えて、ある意味で興味深かった。
 
―― 以下、映画「ブラス!」のストーリーラインを詳細にフォローしていく。
 
採炭場で労働する炭鉱夫のヘルメットの上で、闇の中で、そこだけが光るキャップランプの集合が、プラスバンドの演奏と溶融していくファーストシーンのインパクトは、観る者を圧倒し、絶大な訴求力を持っていた。
 
1990年半ば、イングランド・ヨークシャーの炭坑町グリムリー。
 
北海油田の開発の成功もあり、原油採掘と天然ガス田を最も重要なエネルギー資源にしたイギリスは、1980年代から石油輸出国(当時、EU加盟国最大)となったことも手伝って、300年以上にわたる採炭の歴史に大きな変化を生む。
 
防衛産業と農業の保護を例外に、国際競争に生き残るための自由市場政策を進めた保守党・マーガレット・サッチャーによって、伝統的な産業部門の衰退が余儀なくされていったのである。
 
実話ベースの、1996年のイギリス映画「ブラス!」でも俎上に載せていたが、イギリス最強の炭鉱労組による合理化反対闘争を敗北させた事態に象徴されるような、大鉈(おおなた)を振るう「サッチャリズム」は、炭坑町グリムリーでも怨嗟の声が湧き上がっていた。
 
炭鉱閉鎖の波がグリムリーの町に押し寄せていったとき、この町の伝統的なプラスバンドである「グリムリー・コリアリー・バンド」(サウス・ヨークシャー州グライムソープ村に本拠地を置く実在のブラスバンド)の面々は、趣味以上の愛着を持ちながらも、「約束された失業」のリアリティの前で防衛的になっていく。
 

そんな渦中で、ジムとアーニ―の中年楽団員は、「グリムリー・コリアリー・バンド」を辞めようと決意しても、どうしても口に出せなかった。 

 

楽団の頑固な指揮者・ダニーの存在が、彼らの前に大きく立ちはだかっていたからである。 

 
「人生には、楽団より大切なものがあるよ」  
「俺にはない」  
 
これは、ダニーと息子・フィルの会話。
 
既に、年金生活者と思しきダニーにとって、借金漬けで生活苦に喘ぐフィルの現状を理解できても、楽団の維持の障壁になるものとは考えていないようだった。
 

「楽団命」のダニーと、他の楽団員たちの意識の懸隔は、楽団への主体的参加が日常生活の安定にまで影響を及ぼす事態への意識の落差であった。 

 
そんな折、一陣の涼風が吹いてきた。
 
炭坑局の地質調査員である事実を隠して、この炭坑町出身のグロリアという女性が、バンドのメンバーに加わったからである。
 
彼女の祖父が、ダニーの親友だった事実が、紅一点のグロリアの参加を後押ししたのである。
 
そのグロリアは、バンドマンの一人で、テナーホルンの奏者である青年坑夫・アンディの昔の恋人だった。
 
忘れられない存在であるグロリアの帰郷を受容して、バンドへの意欲を延長させていたアンディが、この炭坑町の閉山の可能性に言及する彼女の物言いに不信感を抱き、それを問い質したら、あっさりと自分の職業と、その目的について告白するに至る。
 
二人だけの「秘密の共有」だったが、バンドマンたちから、炭坑局から出て来るところを目撃され、疑義の念を抱かれるグロリア。
 
しかし、バンドのメンバーになる契機になったグロリアの、「アランフェス協奏曲」(ホアキン・ロドリーゴ作曲)のフリューゲルホルンのソロ演奏が功を奏したのか、しばらくは問題視されることがなかった。
 
因みに、私自身の通俗的な好みで言えば、この演奏は素晴らしい。
 
思うに、19世紀のイギリスで発祥した、金管楽器による合奏を本来の姿とする「英国式ブラスバンド」の隆盛は、産業革命という文明の「進歩」によって、炭鉱労働者の生活に「ゆとり」が生まれたことに起因する。
 

炭鉱労働者の間で忽ちのうちに広まっていき、今では、企業のスポンサーがつくことすらあるほどだが、後述するが、「英国式ブラスバンド」の隆盛それ自身が、音楽文化の「進歩」の一つの結晶点だったのである。 

 
 

人生論的映画評論・続/ 映画「ブラス!」に見る怨嗟と甘えの構造より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2017/09/blog-post.html