人は皆、自分自身をどこまで把握して生きているのか ―― 映画「嘆きの天使」の「予約された酷薄さ」

イメージ 1

1  「私的自己意識」と「公的自己意識」の落差
 
 
 
作品の良し悪しとは無縁に、一度観たら、絶対に忘れられない映画が、稀にある。
 
80年前の映画が、なお、私の脳裏にこびりついて離れない。
 
嘆きの天使」 ―― これが、その映画の名である。
 
1930年の古典的作品で、主演は、サイレント・ドラマ(「肉体の道」)で史上初のアカデミー賞受賞者を得たドイツの名優・エミール・ヤニングス
 
その名優に、「100万ドルの保険をかけたと宣伝された脚線美」のセールスで、一躍脚光を浴びたマレーネ・ディートリッヒが絡んでいく。
 
その内容はあまりに陰鬱で、ペシミスティックである。
 
だから、心に残った。
 
およそ女性とは縁のない生活を送る、ハンブルグギムナジウム(大学進学への9年制の中等教育機関)の一人の厳格な老教授が、キャバレーの踊り子に熱を上げ、通いつめた挙げ句、一座に入り、彼女と結婚する。
 
 
ここまでは至福の絶頂期にあったが、巡業の旅を続けていく中でハンブルグの町に戻り、滑稽な格好を見せる道化師の芸を演じさせられて、かつての同僚の教授・生徒たちの嘲笑を浴び、屈辱に耐えられず、一座から離れた男が、教鞭を執っていたギムナジウムの英語教室の教壇の上で自死するという、全く救いようのない物語だった。
 
この救いようのない物語は、少なからず、既に、最盛期を過ぎた「ドイツ表現主義」の暗然たる時代の風景の、最後の血の滴(しずく)でもあるかのようであった。
 
思うに、20世紀初頭のドイツで生まれ、前衛芸術運動として名高い「ドイツ表現主義」には、未曾有の惨劇を経由した第一次世界大戦の影響があり、当時のヨーロッパの不安定な状況が背景にあった。
 
伝統的な価値観に対する反発の推進力によって芸術の様式は破壊され、エミール・ゾラの「居酒屋」に象徴される、19世紀末のフランスを中心にして起こった自然主義や、古典主義的な写実を否定した印象主義に対するリバウンドとして、内面的な感情表現が重視され、ベルリンを中心に、絵画・映画・音楽・建築など各分野で、瞬く間に広がっていった。
 
その「ドイツ表現主義」の個人主義的で、脱規範的な幻想怪奇な映像(注1)と明らかに切れているが、ペシミスムに染め抜かれた物語の基調は、表現主義文化の感情傾向を代弁していたと言える。
 
映画の出来は特段に出色なものではなかったが、私は何より、その黒々としたペシミズムに慄然とする思いを抱いてしまった。
 
いつまでも、本作の遣り切れないペシミズムが私の記憶に張り付いて、容易にフェードアウトしてくれないのだ。
 
踊り子のローラを演じたマレーネ・ディートリッヒの印象は殆ど稀薄で、常に本作を想起するとき、記憶の残像から零れてくるのは、ラート教授を演じ切ったエミール・ヤニングスの鬼気迫る表情以外ではない。
 
それほど、彼の演技は圧倒的だった。
 
嘆きの天使」は、エミール・ヤニングスのその壮絶な演技なしに成り立たないのだ。
 
これは、彼のための映像であって、そこで演じられた初老の独身教授の心情世界の表現こそが、「嘆きの天使」を映画史に刻む決定力になったものなのである。
 
嘆きの天使」を繰り返し観るたびに、私の中で形成されるイメージ・ラインは二点に絞られる。
 
その一点は、「人は皆、自分自身をどこまで把握して生きているのか」という、常に古くて新しいテーマである。
 
嘆きの天使」は、自分自身を客観的に把握できない男が招いた悲劇であると言っていい。
 
自分自身を把握するとは、単に、自分の能力・気質・感情傾向を把握することではない。
 
実は、そのレベルの自己像も、人間にとって簡単なことではないだろう。
 
人間は常にどこかで、自分を甘めに見てしまうところがあるからだ。
 
このような感情傾向を、心理学で「自己奉仕バイアス」と言う。
 
自らの失敗を外部要因に帰属させてしまう傾向のことである。
 
自我が傷つく事態を防ぐ防衛戦略の普通のスキルであり、それによって、自らの未知なる可能性を楽観的に担保するのである。
 
しかし、自己像把握の範疇には、もう一つ重要なテーマがある。
 
それは、自分に意識を向け、「自分とは何か」という自己像を持つ「私的自己意識」と、他者が自分をどのように見ているかという、日本人に強い感情傾向とも言える「公的自己意識」についての把握である。
 
言わずもがなのことだが、それぞれの経験則に照らしてみれば分るように、この把握もそれほど簡単ではない。
 
多くの場合、自分を少しずつ、どこかで甘めに見てしまう分だけ、自分に対する他者の評価をも甘めに見てしまうところがある。
 
自我の安定も確保し得るし、他者に対する不必要な攻撃性も削られていくからである。
 
大抵、人並みに育てられれば、人並みの愛情を被浴しているという柔和な記憶が、その後の自我に張り付いてしまっているので、そのような人並みの愛情経験が固有の「内的ワーキングモデル」(注2)を形成し、自己に対する他者の視線を、自分に都合のいいように考える傾向を生んでしまうと言える。
 
このことは、乳幼児時代の愛情欠損を経験した自我が思春期を迎える辺りで、その歪んだ様態を晒すに至るケースを想起すれば瞭然とする。
 
ヒトラースターリンが、独裁者として君臨している只中にあっても、ごく特定的な人物以外を決して信頼することなく、常に、疑心暗鬼の態度を崩さなかったのは、彼らが思春期以前に経験した愛情欠損の歪んだ自我形成と無縁ではなかったと言えるだろう。
 
 

だから、彼らの問題は、単に、「独裁者の心理学」というテーマに収斂されるものではないのである。

 
以上の事柄を考慮する限り、自己像把握という内的作業の想像以上の困難さが了解されるであろう。
 
自らを知るということは、まさに、その自己の存在を理解する他者の心情をも把握するということと同義なのである。
 
自己の能力や感情傾向を把握した上で、その自己を認識する他者のその認識の許容範囲を正確に把握すること。
 
それが正確に捕捉されれば、人は自らが冒す誤りの多くの部分を修復し得るであろう。
 
嘆きの天使」の初老の独身男・ラート教授には、その能力が目立って欠如していた。
 
ラート教授の能力の及ぶ範囲は、彼が長い年月をかけて習得してきたであろう、その学問的教養の守備範囲に収斂されるものに限定されていたのである。
 
彼はその中で、いつしか、「謹厳で、有徳なる教授」という自己像を育んできて、その自己像に合わせて、限定的な身体表現をトレースしていくしかなかったということだ。
 
生徒たちから、「強面(こわもて)の教授」と恐れられていること自体、ラート教授の自我が、その自己像のイメージラインに重ね合わせていたことと矛盾するものではなかったはずである。
 
ギムナジウムの生徒たちから恐れられている事実は、ラート教授にとって、自己像を些かも貶める何かではなかったのである。
 
ラート教授は町の名士であり、有能なるプロフェッサーであったのだ。
 
現に、キャバレーに乗り込んだ際も、一座の団長はおろか、騒ぎで駆けつけて来た警官も、ラート教授に応分な敬意を払うことを忘れなかった。
 
そこにおいて、既に、彼の決定的な「抵抗虚弱点」(人にとって最も弱い部分)が胚胎してしいたのである。
 
キャバレーとの距離感を埋めていくラート教授の心理の振れ方を考える時、そう、把握することの方が、より説得的を持つのだろう。
 
そして、その後の教授の心理の振れ方を露わにしたのは、「私的自己意識」と「公的自己意識」の落差であったということである。
 
要するに、「強面だが、謹厳で有徳なる教授」という自己像を持ち(「私的自己意識」)、当然、他者も、この自己像を認知・承認し、尊敬の念を抱いているという意識(「公的自己意識」)との乖離である。
 
ラート教授の悲哀・悲劇の本質は、この埋めがたい乖離を修復できない〈状況性〉のドツボに嵌(は)まって、人生に対する絶望の極みに捕捉されてしまったことだった。
 
この蟻地獄に堕ち切って、冥闇(めいあん)の地の底に泥濘(ぬかる)んで、一切の退路を塞がれ、寄る辺なき身を預ける何もない、孤絶の極限にまで自己遺棄するに至ってしまったのだ。
 
自業自得とは言え、悲哀なる者 ―― 汝の名はラート教授なり、である。
 
(注1)シュールな描写で、人間の狂気や不安をテーマに描いた怪奇色の強い映像。「カリガリ博士」(1919年)、「巨人ゴーレム」(1920年)、「ノスフェラトゥ」(1922年)が有名。
 
(注2)幼少期における母親等のアタッチメント(愛着関係)の内実が、その後における自我の社会的適応の様態や、愛情関係の性質に大きな影響を与えるという仮説。
 
  

人生論的映画評論・続/ 人は皆、自分自身をどこまで把握して生きているのか ―― 映画「嘆きの天使」の「予約された酷薄さ」 より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2018/01/blog-post.html