「戦場の性」 ―― 私たち人間に突き付けられた、あまりに重い恒久的課題

イメージ 1

1  「ベルリン終戦日記―ある女性の記録」 ―― その壮絶なる問題提起
 
 
敗戦後日本で、軍が上陸した最初の10日間だけで、1336件のレイプ事件が発生した

この数字が、神奈川県下レイプ犯罪であるという史実に震撼させられる。
 
史実の信憑性は、占領下で解散させられた「特高警察」の記録の中に、「進駐軍不法行為」(内務省警保局外事課)というファイルがあり、そのファイルに記録されてい事実によって裏付けられる。
 
例えば、こんな調子である。
 
「八月三十日午後六時頃。横須賀市○○方女中、右一人ニテ留守居中、突然米兵二名侵入シ来リ、一名見張リ、一名ハ二階四畳半ニテ○○ヲ強姦セリ。手口ハ予メ検索ト称シ、家内ニ侵入シ、一度外ニ出テ再ビ入リ、女一人ト確認シテ前記犯行セリ」
 
「八月三十日午後一時三十分頃 横須賀市○○方。米兵二名裏口ヨリ侵入シ、留守居中ノ右同人妻当○○三十六年、長女○○当十七年ニ対シ、拳銃ヲ擬シ威嚇ノ上、○○ハ二階ニテ、○○ハ勝手口小室ニ於テ、夫々強姦セリ」
 
このように、連合国軍兵士による露骨なレイプ犯罪を防ぐため日本政府が作った「慰安所」が「特殊慰安施設協会」(RAA)の設置った
 
その背景にあったのは、沖縄戦での連合国軍兵士による強姦多発したこと。
 
若き日本女性の貞操を守るための「人身御供」(ひとみごくう・犠牲者)とて、日本政府は「愛国心のある女性」を募集したである
 
驚かされるのは、政府が「愛国心ある女性」を募集したが、売春が違法でなかった終戦時から僅か3日後、即ち、1945年8月18日であったという急転直下の早業(はやわざ)の対応措置である。
 
取りも直さず、政府公認の募集に応じた「愛国心のある女性」は、若き日本女性の貞操を守る堅固な防波堤役割を担ったのだ。
 
売春防止法(1956年・翌年から施行)成立したのが、RAA設置の11年後であった。
 
政府公認の「愛国心ある女性」が、売防法の成立によって、今度は、「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗を乱すものである」という根拠の提示で、「保護更生の対象しての売春婦」と化し、摘発の扱いを受けるようになっていく反転的風景の欺瞞性こそ、米国への絶対依存なしに、立ち位置が全く定まらない完璧なる敗北国家・日本の政治的本質だった。
 
は、敗北国家=「侵略国家」というカテゴリーを同じくする、ドイツの場合はどうだったか。

当時、センセーショナルな話題を呼んだ一冊の本がある。
 
 
未読、紹介されている報告は、ドイツ東部では、終戦までに約200万人の女性が性的暴行の被害にあったと言うの
 
著者は、当時34歳のドイツの女性ジャーナリスト(匿名)。
 
激しい独ソ戦の開始から終戦までに、両国の女性ちがレイプの被害にあったという衝撃的な報告に対し、英国の歴史作家・アントニー・ビーヴァーが序文を担当した事実は分っているが、著者名を匿名している辺りも関与して、今なお、信憑性が疑われている曰く付きの著書である
 
現時点で判然としているのは、匿名状態のまま、ドイツ国内で戦後に出版された際に、感情的な反発がドイツに広がったことで著者探しが始まり、ショックを受けた著者は本を絶版し、スイスに移住する。
 
当然ながら、その是非の問題が議論になったが、著者が逝去したことが契機になって、米英独でベストセラーになったばかりか、各国で出版されたという事実のみ。
 
そして今、当該書がフィクション扱いにされず、ノンフィクションのうちにカテゴライズされているとのこと。
 
この著書を、「戦時の市民の実態を知る一級資料」として評価する出版社(白水社)からのコメントによれば、以下の通り。
 
「激しい空襲が続き、陥落間近のころ、女性はアパートの地下室に避難していたが、そこへ赤軍が侵入してくる。彼女はロシア語が多少できたことから、兵士との交渉を買って出る。しかし、隣人たちから見捨てられるように、レイプの被害にあってしまう。それに懲りた女性は、以後は赤軍少佐の『愛人』となることで、身を護ってゆく。ライフラインが途絶え、不安と恐怖がつのる状況下、貴重な食料や情報を得ることができたしかし、思いがけない結末が待っていた
戦後ドイツで長らくタブー視されてきた赤軍による性暴力は、この匿名の日記刊行でおおやけにされ、陥落の実態を記録した一級資料として、専門家から認められている。書きぶりは知的で簡潔、批評は辛口、時にユーモラスでもある。とくにナチ同調者の変節ぶりには毒がこめられる。
生と死、空襲と飢餓、略奪と陵辱…極限を生き抜き、戦争被害と加害の実態を、女性の目から、市民の視点から描いた稀有な記録」
 
想像を絶するような衝撃的な報告だが、そこに記録されているのは、絶望的な状況の渦中で、思い余って、飛び降り自殺をする少女、幼い我が子と無理心中をする母親など、窮乏生活を余儀なくされたドイツの女性たちが被弾したソ連軍の蛮行を日記に赤裸々に綴っている。
 
いつの時代でも、武装し得ない女性たちは、レイプ犯罪に加担する男にとって「戦利品」でしかないのだ。
 
肝心の筆者も、兵士たちのレイプ犯罪から身を守るために、ソ連軍少佐の愛人になったと言われる。
 
そんな筆者が発信する性暴力の被害に対して、ドイツや旧ソ連に限らず、いずれの国も封印し、他人事のように扱う傾向は、今でも全く変わらないのである。
 
 
2  「歴史の闇の中」に隠し込まれた、ドイツ人の「予約された悲劇」
 
 
「ベルリン終戦日記―ある女性の記録」の匿名の著者が、命を懸けて告発した心情は、未読のにも痛切に伝わってくる。
 
ポツダム会談によって承認された、「大戦後におけるドイツ人追放」という移住計画と相俟って(あいまって)、追放されたドイツ人に対して、ソ連、ポーランドは食べ物を与えることを禁じたが、そのことによって、ドイツ人の餓死者・暴行事件・疾病・復讐的殺人・更にレイプ犯罪が横行したと言う。
 
これは、ナチス・ドイツの占領地に居住していたドイツ人が、ソ連ポーランドに顕著に見られた、「反枢軸国政府」(日・独・伊・ブルガリアハンガリーなど枢軸国以外の、連合国が承認している国家)によって国外追放された結果である。
 
東部国境地帯に居住する相当数のドイツ人が、ソ連軍に対する恐怖心から自ら避難を開始していたが、逃げ遅れたドイツ人の大半が目を覆わんばかりの迫害を受け、レイプ犯罪の犠牲者になった女性の惨状は筆舌に尽くしがたい。
 
このときの犠牲者数は、「ベルリン終戦日記―ある女性の記録」で指摘された200万という数字と符合する、その関連性の詳細は不分明である。
 
ナチスの占領地域におけるドイツ人への蛮行 ―― これは、一説に1600万人とも言われる「大戦後におけるドイツ人追放」の強制的な政策によって、まさに、移住途上で命を落としたドイツ人の「予約された悲劇だった。
 
「死の行進」という名で呼ばれる、強制的追放の悲劇なのだ。
 
これは、我が国の右派からの強い反発もあるが、旧日本軍が行なった「バターン死の行進」(米軍の捕虜を捕虜収容所まで歩かせたことで多くの死者が出た事件)と同質の、戦争犯罪性の高い行為であると言っていい。
 
因みに、ドイツ人の「予約された悲劇」と化した、この「死の行進」について、1965年に発表された統計では、死亡者数・210万人という報告が確認されているが、それ以上は、一切が「歴史の闇の中」に隠し込まれていて、全く分らないのが現状であ
 

心の風景  「『戦場の性』 ―― 私たち人間に突き付けられた、あまりに重い恒久的課題 」よりhttp://www.freezilx2g.com/2018/02/blog-post_9.html