「声を上げる勇気」 ―― 「性奴隷」にされたナディア・ムラドの終わりなき戦争


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1  世界は何もできない ―― 一切を奪われてしまった女性の屈辱的で絶望的な運命
 
 
一人の女性がいる。
 
かつてベルギー領だった赤道直下のコンゴ民主共和国(旧ザイール)で、暗殺の危機に遭遇しながら、コンゴ内戦でレイプ被害の女性たちを治療し続けたデニス・ムクウェゲ医師と共に、2018年のノーベル平和賞を受賞した宗教的少数派・ヤジディ教徒の女性である。
 
その名は、ナディア・ムラド(以下、ムラド・敬称略)。
 
人権活動家として活動する25歳のムラドが、ノルウェーノーベル平和賞を受賞した理由は、戦時下での性暴力の横行を終結させる努力が評価されたこと。
 
米国映画界の辣腕(らつわん)プロデューサーのハービー・ワインスティーンによる、女優を含む多数の女性に対する執拗なセクハラ行為の暴露報道を契機に、性的被害を告発する「#MeToo」(ミートゥー)運動「TimesUp」(タイムズ・アップ=もう終わりにしよう)運動が、瞬(またた)く間に世界中に流布(るふ)したことがノーベル平和賞の推進力になった。
 
受賞の経緯を考えると、今年のノーベル平和賞は、「在るべき政治」の様態が顕著になった流れの極点であると言える。
 
そんな中、ノーベル賞委員会の期待値が高い応援メッセージとして、「戦時下での性暴力」という深刻なテーマが選択されたのは、どこまでも、「剝落(はくらく)した人権」の獲得を希求するヒューマニズムの自己表現だった。
 
ノーベル賞委員会から応援メッセージを受け、ムラドの人生が決定的に変容した事件がある。
 
2014年8月15日に起こった「シンジャールの虐殺」である。
 
このジェノサイドによって、ムラドは一切を奪われてしまったからである。
 
イラク北部・シンジャール近くにあるヤジディ教徒という、独自の信仰を繋いできた宗教コミュニティの貧しい村で生まれた彼女が、母親と6人の兄弟が銃殺され、首を刎(は)ねられるという惨劇を目の当たりにする。
 
ムラドもまた、生まれ故郷のシンジャールから連れ去られてしまう。
 
ヤジディ教徒最大の村落・シンジャールを襲ったのは、当時、シリアとイラクで急速に勢力を広げたイスラム過激派IS(イスラム国)。
 
全く為す術(すべ)がなかった。
 
当時、米国から軍事援助を受けていた「ペシュメルガ」(クルド自治政府の、約20万人に及ぶ軽歩兵中心の治安部隊)がシンジャールを守っていたが、ISの侵攻によって撤退を余儀なくされ、ヤジディ教徒たちに対する酷薄な暴力がアナーキーに狂乱する。
 
ISは村人たちにイスラム教への改宗を命じたが、クルド人の一部で信仰されているヤジディ教の教え(注)を厳格に守るヤジディ教徒は、当然の如く、有無を言わせぬ改宗命令を拒絶する。
 
改宗命令を拒絶したヤジディ教徒に待つ運命は、凄惨さを極めていた。
 
2000人にも及ぶ、男性と老人の全てを処刑したISは、6000人以上の子供と若い女性を拘束した。
 
子供を処刑しなかったのは、洗脳してISのテロ戦士に育てるため。
 
この時、ムラドは21歳。
 
この「シンジャールの虐殺」において、家族を喪ったムラドには悲嘆に暮れる余裕すらなく、多くの未婚女性たちと共にバスに押し込められ、暴力的に強制連行されてしまう。
 
目的は、「女の体」に飢えるIS戦闘員の「性奴隷」のため。
 
「お前たちはサバヤになるのだ」
 
バスの中で、IS戦闘員は、そう言い切った。
 
「サバヤ」とは、人身売買される「性奴隷」の女性のこと。
 
ムラドに待つのは、「性奴隷」という、屈辱的で絶望的な運命のみ。
 
ISに捕捉され、繰り返しレイプされ、殴る蹴るの暴力を執拗に被弾するムラド。
 
拉致されたムラドは、他の女性たちと共に、IS戦闘員の「贈り物」と化して交換されていく。
 
IS戦闘員らは、そんなムラドに暴行を加え、輪姦(りんかん)して徹底的に苦しめ、「性的搾取・虐待」の連射それ自身を愉悦し、ヘドニズム(快楽主義)に溺(おぼ)れていく。
 
人間は、ここまで堕ち切ることができるのだ。
 
「ヤジディの女は異教徒であり、過激派によるコーランの解釈では、奴隷をレイプするのは罪業ではないのだ。私たちは新たに採用する兵士をひきつけるために使われ、忠誠心や良い行いへの褒美(ほうび)としてたらい回しにされる。それが、このバスに乗っている私たち全員を待ち構えている運命だ。私たちはもはや人間ではない。私たちは、サバヤなのだ」(「ノーベル平和賞のヤジディ教徒の女性が、ISISの『性奴隷』にされた地獄の日々」より。エッセイスト・渡辺由佳里)
 
バスの中でのIS戦闘員の過激な言辞に、21歳のムラドは、このように受け止める外になかった。
 
然るに、ここに、ヤジディ教徒の女性の運命を自覚し、その苛酷な人生を引き受け、人権活動家として立ち上げていったムラドの「覚悟の一撃」が垣間見える。
 
「逃げられるものなら逃げればいい。構わないぞ。家に戻りつくことができても、お前の父親か叔父が殺す。お前はもう処女じゃないし、イスラム教徒なのだから」
 
ムラドを最初に買った判事の言葉である。
 
この言葉の含意には、婚前交渉をした女性を家族が殺すという「掟」がある。
 
「名誉の殺人」である。
 
公権力の法に縛られない「名誉の殺人」は、私刑(リンチ)として殺害する「掟」なので、そこに、センチメンタルな感情が入り込む余地がないほど、惨(むご)いペナルティである。
 
逃亡しようとしたムラドへのペナルティは、数人の男にレイプさせた挙句、売り払われるに至る。
 
家父長制の強いクルド社会では、性暴力を被弾した女性は一家の屈辱である。
 
だから、必死に隠す。
 
その現実を知り尽くしているムラドは、「闘争・逃走・懐柔(かいじゅう)」という「生き延び戦略」の中で、「逃走」という、極めてハードルが高い選択肢に振れていった。
 
自分で塀を超え、他者の援助を求めて逃げ切ったのだ。
 
「性的搾取・虐待」の結果、「純潔」を失ったヤジディ教徒の女性として、ヤジディ教のコミュニティから容赦のない差別的射程を被弾する覚悟をもって、孤高の人権活動家として立ち上げていったのである。
 
「声を上げる勇気」
 
このことが、如何に艱難(かんなん)な行為であっても、ムラドは、「奴隷の継続か、処刑死か」という決定的な分岐点となる「奴隷の鎖」の中枢に、圧迫されるほどの骨細(ほねぼそ)の孔(あな)を開け、オーバーハング(頭上に迫り出す岸壁)のような、立ち塞(ふさ)がる障碍(しょうがい)を破砕(はさい)し、「人権」という名の見えない世界に自己投入していく。
 
因みに、国連の報告では、この「シンジャールの虐殺」で、5000人のヤジディ市民が殺害されたとされる。
 
また、英メディア「SkyNews」(スカイ・ニュース・スカイが運営するニュース専門局)の報道によって、シリア砂漠で、ヤジディ教徒の女性たちが監禁されていた地下牢が発見されたと伝えられる。
 
光が入らない地下牢には、身一つしか入らない狭い空間に、IS戦闘員の下半身の処理のために、「性奴隷」と化したヤジディ教徒の女性が、否応なしに餌食にされるのだ。
 
だから、レイプされる前に自殺を選んだ女性もいた。
 
地下牢に押し込められていたヤジディ教徒の女性たちの行方は不明だが、「シンジャールの虐殺」によって、IS戦闘員によって殺害され、「性奴隷」と化したヤジディ教徒の女性を含む、数百ものヤジディ教徒の遺体を埋めた穴が発見されたとのこと。
 
そればかりではない。
 
ISは、ダウン症や難病の乳幼児への殺害命令をも下していたのである。
 
これは、ハーバート・スペンサーに代表されるナチス・ドイツが優生思想に基づいて断行した、15万人から20万人以上の犠牲者を出したと言われる「T4作戦」と同質の人道犯罪である。
 
灰色のバスに乗せられ、「処分場」に運ばれ、ハルトハイム殺戮施設で「処分」された障害者たち。
 
この理不尽な現実に、世界は何もできない。
 
宣戦布告なく、正規と非正規の区別もなく、無人機やミサイルなどのハイテク兵器が普通に、且つ、「見えにくい残酷」の中で、機械的に稼働する「ハイブリッド戦争」の時代の幕が開いて、いよいよ、世界は何もできない。
 
(注)クルド人の一部とされるヤジディ教徒が崇拝の対象とするヤジディ教は、イラク山岳部のコミュニティで信仰される一神教民族宗教。極端に思えるほど、善と悪の二元論を特徴とするゾロアスター教をルーツにしつつも、映画「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」でも紹介したように、厳しい戒律よりも、遥かに「心の有りよう」を重視し、「イスラムは内面の宗教だ」と言う、主人公の老人(オマー・シャリフ)の生き方に通底するメンタリティーは、「回旋舞踊」(かいせんぶよう・セマー)で名高いスーフィズムスーフィーイスラム教の神秘主義)と、ヤジディ教との親密度が深く印象づけられる「異端性」に溢れている。しかし、輪廻転生を教義に持つという一点を重視すれば、イスラムの教義体系から完全に逸脱している。だから、先述したムラドの述懐のうちに表現されているように、改宗命令を下したIS戦闘員によって、ヤジディ教を「邪教」とするが故に、ヤジディ教の女性信者が「性奴隷」にされ、ヤジディ教総体が激しい憎悪の対象になっているのだろう。
 
  
 
 時代の風景「 『声を上げる勇気』 ―― 『性奴隷』にされたナディア・ムラドの終わりなき戦争」よりhttps://zilgg.blogspot.com/2018/10/blog-post_28.html